7 / 78
1 春雷
繁殖期(シーズン) ③
しおりを挟む
〈王の間〉から扉ひとつへだてただけの露台に行くのに、リアナの背後には数人の護衛が影のようにつき従っていた。竜騎手のハダルクと、〈ハートレス〉のテオとケブだ。
ハダルクは、多忙なデイミオンの代わり。そしてテオとケブは、フィルの代わりだった。でもリアナは、代わりではない二人の男のほうがよかった――デイミオンにしろ、フィルにしろ。〈隠れ里〉ではじめて出あった二人の青年は、頼れる身内をすべて失った彼女の人生にとってほかに代えがたい存在となっていた。里からこの王城に来るまで、そして即位するまでのあいだ、彼らはそれぞれの方面から彼女のことを陰に陽に守ってくれていたことを後になって知った。
二人のどちらも、最近では彼女の近くにいないことが多いのも、リアナの憂鬱のひとつの原因には違いなかった。デイミオンは通常の業務にくわえて繁殖期の社交があるし、フィルのほうは、この半月まったく音沙汰がない。
フィルバート・スターバウはおだやかで、少しばかり乾いたユーモアの持ち主で、リアナの小さな変化も見逃さず気にかけてくれる優しい青年だが、驚くほど秘密主義でもある。なにしろ二つ名が多い。「大戦の英雄」、〈ハートレス〉、〈ウルムノキアの救世主〉、〈竜殺し〉。そのうちのどれ一つとして、彼が自分から話してくれたことはない。
でも、いま彼女が常に目で追ってしまうのは、デイミオンのほうだった。背が高くて高慢で皮肉屋の五公の貴公子。そして、彼女と〈血の呼ばい〉でつながっている後継者にして、時には政敵でもある。政治的にやっかいな相手というだけでなく、彼女自身の年齢が、二人のあいだを阻んでいた。あと、たった一年。そうすれば自分も『夏』の年齢に入る。そしたら繁殖期にも参加できるようになる――
掬星城とも呼ばれる城の、まさに星に手が届きそうな露台。そこに立ってもの思いにふけっていたリアナに、声がかかった。
「まぁ、陛下をこんなところで一人きりに放っておくなんて。わたくしのかわいい甥たちは、いったいなにをしているのかしら?」
品がありながら快活さも感じさせる女性の声に、リアナは振りかえる。
五公の一人、そしてデイミオンとフィルの叔母でもあるグウィナ卿は、長いドレスの裾を手にもって軽やかに近づいてきた。淡いブルーのドレスと白い肌が夜空に映えて、まるで星を自分の宝石にしているみたいだった。
「グウィナ卿……」
なにか言おうと思った。星がきれいですね、とか、今夜の宴はいかがでしたか、とか、そういう当たりさわりのないことを。だが、グウィナのアイスブルーの瞳が間近に見え、距離の近さを感じる間もなく、お腹からふわりと身体が浮きあがる。
(落ちる――!!)
グウィナの白い顔が紺色の夜空に見え、つまり背を下に落ちている――そして、落とされた。瞬間、これで何度落ちたことになるのだろう、とおかしなことを思った。古竜レーデルルとの力の道はつねに開いているから、そこにできるかぎりの力を受けいれ、自分の身体にその力が流れこむのにまかせた――
――そして、落下を止めた。
風の力を使うのはうまくいったが、姿勢を変えるのに苦労していると、白い手に掴まれる。
「んー、ダメねぇ」
「グウィナ卿!」
グウィナは体重がない者のようにふわりと空中に浮いていて、リアナが頭を上にしようと苦戦しているのを助けた。みっともない体勢の彼女とは異なり、グウィナのほうはドレスのすそにまで風の力がいきわたっている。
「通路が細い。日頃から、もっと古竜の力を使うようにして、身体になじませないといけませんよ」
リアナは口をぱくぱくさせた。まがりなりにも彼女はこの国の王だというのに、いままさに露台から突き落とされたうえ、古竜の使い方が悪いと説教を受けている。
「グウィナ卿! なんてことをなさるんですか!」
引っぱりあげられるように浮いて、二人は露台に戻った。護衛の男たちが真っ青になって露台の縁に詰め寄っていた。テオとケブはすでに抜刀して戦闘態勢に入っている。リアナは手をふってとどめた。
「訓練……訓練だから。下がってちょうだい」しぶしぶと言う。「わたしは安全だから」
グウィナは同調するようににっこりした。そして、落下で乱れた袖まわりなどを整えてくれながら、なにごともなかったかのように「それから」と続けた。
「いまこの場にデイミオンが駆けつけていないということは、〈呼ばい〉も使っておられない」
リアナは押しだまった。
〈呼ばい〉は一般に竜族が使う念話の一種だが、ここで彼女が言っているのは王とその継承者との間にだけ存在する〈血の呼ばい〉のことだった。王国の端まで二人を結びつけ、会話だけでなく身体感覚も共有する魔法の力。本来なら、彼女が危機を感じた瞬間にデイミオンが飛んできてもおかしくないし、実際にそんなことも何度もあった。でも、リアナはいまその力を、できるだけ閉じるようにしていた。理由は単純なことだった。
「だって、いまデイを呼んだりしたくないです。……ほかの女の子と楽しそうに踊ったりしてるのに」
「それが繁殖期というものですよ、陛下。着飾って踊って、相手を見さだめて。華やかで楽しそうに見えるでしょうが、それも子どもをなすための竜族の大切なつとめです」
グウィナはそう言うと、どこか甥のフィルにも似た、どうとでもとれる微笑みを浮かべた。それでも、彼女はあの場に参加できるはずだし、してきたはずだ。リアナはいま、誰もかれもに子ども扱いされることに、心底うんざりしていた。デイミオンにも、メドロートにも、グウィナにも。
「……成人して次の歳からしか繁殖期に入れないなんて、だれが決めたの? どうして今じゃだめなの? わたしがデイミオンを好きなのは、来年じゃなくて、いまなのに」
それが、リアナの目下の悩みなのだった。
ハダルクは、多忙なデイミオンの代わり。そしてテオとケブは、フィルの代わりだった。でもリアナは、代わりではない二人の男のほうがよかった――デイミオンにしろ、フィルにしろ。〈隠れ里〉ではじめて出あった二人の青年は、頼れる身内をすべて失った彼女の人生にとってほかに代えがたい存在となっていた。里からこの王城に来るまで、そして即位するまでのあいだ、彼らはそれぞれの方面から彼女のことを陰に陽に守ってくれていたことを後になって知った。
二人のどちらも、最近では彼女の近くにいないことが多いのも、リアナの憂鬱のひとつの原因には違いなかった。デイミオンは通常の業務にくわえて繁殖期の社交があるし、フィルのほうは、この半月まったく音沙汰がない。
フィルバート・スターバウはおだやかで、少しばかり乾いたユーモアの持ち主で、リアナの小さな変化も見逃さず気にかけてくれる優しい青年だが、驚くほど秘密主義でもある。なにしろ二つ名が多い。「大戦の英雄」、〈ハートレス〉、〈ウルムノキアの救世主〉、〈竜殺し〉。そのうちのどれ一つとして、彼が自分から話してくれたことはない。
でも、いま彼女が常に目で追ってしまうのは、デイミオンのほうだった。背が高くて高慢で皮肉屋の五公の貴公子。そして、彼女と〈血の呼ばい〉でつながっている後継者にして、時には政敵でもある。政治的にやっかいな相手というだけでなく、彼女自身の年齢が、二人のあいだを阻んでいた。あと、たった一年。そうすれば自分も『夏』の年齢に入る。そしたら繁殖期にも参加できるようになる――
掬星城とも呼ばれる城の、まさに星に手が届きそうな露台。そこに立ってもの思いにふけっていたリアナに、声がかかった。
「まぁ、陛下をこんなところで一人きりに放っておくなんて。わたくしのかわいい甥たちは、いったいなにをしているのかしら?」
品がありながら快活さも感じさせる女性の声に、リアナは振りかえる。
五公の一人、そしてデイミオンとフィルの叔母でもあるグウィナ卿は、長いドレスの裾を手にもって軽やかに近づいてきた。淡いブルーのドレスと白い肌が夜空に映えて、まるで星を自分の宝石にしているみたいだった。
「グウィナ卿……」
なにか言おうと思った。星がきれいですね、とか、今夜の宴はいかがでしたか、とか、そういう当たりさわりのないことを。だが、グウィナのアイスブルーの瞳が間近に見え、距離の近さを感じる間もなく、お腹からふわりと身体が浮きあがる。
(落ちる――!!)
グウィナの白い顔が紺色の夜空に見え、つまり背を下に落ちている――そして、落とされた。瞬間、これで何度落ちたことになるのだろう、とおかしなことを思った。古竜レーデルルとの力の道はつねに開いているから、そこにできるかぎりの力を受けいれ、自分の身体にその力が流れこむのにまかせた――
――そして、落下を止めた。
風の力を使うのはうまくいったが、姿勢を変えるのに苦労していると、白い手に掴まれる。
「んー、ダメねぇ」
「グウィナ卿!」
グウィナは体重がない者のようにふわりと空中に浮いていて、リアナが頭を上にしようと苦戦しているのを助けた。みっともない体勢の彼女とは異なり、グウィナのほうはドレスのすそにまで風の力がいきわたっている。
「通路が細い。日頃から、もっと古竜の力を使うようにして、身体になじませないといけませんよ」
リアナは口をぱくぱくさせた。まがりなりにも彼女はこの国の王だというのに、いままさに露台から突き落とされたうえ、古竜の使い方が悪いと説教を受けている。
「グウィナ卿! なんてことをなさるんですか!」
引っぱりあげられるように浮いて、二人は露台に戻った。護衛の男たちが真っ青になって露台の縁に詰め寄っていた。テオとケブはすでに抜刀して戦闘態勢に入っている。リアナは手をふってとどめた。
「訓練……訓練だから。下がってちょうだい」しぶしぶと言う。「わたしは安全だから」
グウィナは同調するようににっこりした。そして、落下で乱れた袖まわりなどを整えてくれながら、なにごともなかったかのように「それから」と続けた。
「いまこの場にデイミオンが駆けつけていないということは、〈呼ばい〉も使っておられない」
リアナは押しだまった。
〈呼ばい〉は一般に竜族が使う念話の一種だが、ここで彼女が言っているのは王とその継承者との間にだけ存在する〈血の呼ばい〉のことだった。王国の端まで二人を結びつけ、会話だけでなく身体感覚も共有する魔法の力。本来なら、彼女が危機を感じた瞬間にデイミオンが飛んできてもおかしくないし、実際にそんなことも何度もあった。でも、リアナはいまその力を、できるだけ閉じるようにしていた。理由は単純なことだった。
「だって、いまデイを呼んだりしたくないです。……ほかの女の子と楽しそうに踊ったりしてるのに」
「それが繁殖期というものですよ、陛下。着飾って踊って、相手を見さだめて。華やかで楽しそうに見えるでしょうが、それも子どもをなすための竜族の大切なつとめです」
グウィナはそう言うと、どこか甥のフィルにも似た、どうとでもとれる微笑みを浮かべた。それでも、彼女はあの場に参加できるはずだし、してきたはずだ。リアナはいま、誰もかれもに子ども扱いされることに、心底うんざりしていた。デイミオンにも、メドロートにも、グウィナにも。
「……成人して次の歳からしか繁殖期に入れないなんて、だれが決めたの? どうして今じゃだめなの? わたしがデイミオンを好きなのは、来年じゃなくて、いまなのに」
それが、リアナの目下の悩みなのだった。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【完結】王太子妃の初恋
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。
王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。
しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。
そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。
★ざまぁはありません。
全話予約投稿済。
携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。
報告ありがとうございます。
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。
江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。
だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。
十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。
ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。
元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。
そして更に二年、とうとうその日が来た……
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」
そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。
彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・
産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。
----
初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。
終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。
お読みいただきありがとうございます。
この裏切りは、君を守るため
島崎 紗都子
恋愛
幼なじみであるファンローゼとコンツェットは、隣国エスツェリアの侵略の手から逃れようと亡命を決意する。「二人で幸せになろう。僕が君を守るから」しかし逃亡中、敵軍に追いつめられ二人は無残にも引き裂かれてしまう。架空ヨーロッパを舞台にした恋と陰謀 ロマンティック冒険活劇!
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる