リアナ3 約束の王国

西フロイデ

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4 逃亡、西へ

Drink My Blood ①

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 驚くべきことに、宿泊した次の朝には、ヴェスランは冬山越えに必要なすべての物品をそろえて応接間に立っていた。夜のあいだには気がつかなかったが、広さに比して使用人の数が少ないようにリアナは感じる。豪華な館で、手入れも行き届いてはいるが、どこか寒々しい印象があった。ヴェスランに家族はいるのだろうか。
 客室を見まわしてみる。彼女が起きたのも早朝だというのに、フィルはすでに館内のどこかにいるらしく、姿が見えなかった。

 渡された着替えは、雪山越えにしては軽装だった。「身元がばれないように、タマリスを出るまでは巡礼者の夫婦を装ってくださいね」とヴェスランが説明する。妻が病気にかかっており、その治癒祈願に出たというのが設定で、顔をなかば覆っていても怪しまれない十分な口実になるらしい。田舎の既婚女性がよく身に着けている刺繍入りのスカーフは、日差しも遮ってくれるだろう。
 ヴェスランが中腰になって、スカーフの巻き方を実演してくれた。淡いサーモンピンクに生成りで模様が入っている。縁についたコインのような飾りが、視界のはじでちらついた。
 フィルバートが応接間に入ってきて、リアナの姿を見て一瞬はっと動きを止めた。
「すてきな若奥様でしょう?」
 ヴェスランが声をかける。が、フィルのほうは館の主人を無視して、すぐに荷物をあらためにかかった。夫婦者という設定に気まずさを覚えているリアナに、「……偽装ですから」とわざわざ念を押し、朝のあいさつをするでもなく、さっさと出ていった。

 ――そんなこと、言われなくてもわかってるわよ。

「おやまぁ。〈ヴァデックの悪魔〉が、めずらしく人間味にあふれていることだ」
「あなたにはそう見えるの? ヴェスラン……」
 リアナは青年の背中を見送って、小さくため息をついた。あの嵐の夜から、フィルは人が変わったようによそよそしくなってしまっている。イーゼンテルレで再会したときは、間諜という立場上しかたがなかっただろうが、いまはこうして自分の国にいるというのに、しかもこれから二人旅になるのに、どういうつもりなのだろうかと思う。結局のところ、あの夜のことは亡命のための口実でしかなかったということの、彼の意思表示なのだろうか。彼女の恋人はデイミオンなので、お互いに気まずいというのなら話はわかる。だとしても、ここまでよそよそしくしなくてもいいのになどと身勝手なことをリアナは思う。その身勝手さも自覚はしているので、よけいに思考が空回りしてしまうのだった。

「愛情深い男なんですよ。本当は」
 ヴェスランは、ひざまずいたまま彼女の服の裾などを直していたが、彼女の頭の中をのぞいたかのように言った。
「……」
「でも、われわれ〈ハートレス〉は、一人の男である前に一本の剣たれと生きてきたものですからね。誰かを愛して、自分の刃で傷つけるのが怖いのです」

「一本の剣に幸福はあるの?」リアナは入口のほうに目を向けたまま、沈んだ声で尋ねた。「あなたは幸せ?」

「自分の絶叫と喉の痛みで、夜、目を覚ますことがあります」ヴェスランは刻まれたような笑みを浮かべたまま、淡々と言った。「不安発作に襲われるせいで人ごみに入れなくなることもある。人の動きにつねに警戒しないといけない、戦時中の癖が抜けないのです」

「それでも、幸福になる希望を持っていますよ。いつかは誰かを愛せるのでは、誰かと人生を分かち合えるのではと」
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