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1 雪と灰のなかの婚姻
オペレーション ②
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治療師の術衣を着たアーシャは、デイミオンの寝台の前に立った。
義父エンガスと、その竜サフィールによって失血は止められ、呼吸と脈拍が一定に保たれるよう監視されている。
〔サフィア〕アーシャは自分の竜を召んだ。〔損傷部位を、できる限り詳しく示して〕
〔イエス、マム〕若い雌竜は、彼女だけが使う奇妙な言葉で応答した。
竜の力が脳に流れこみ、イメージを立ちあがらせる。淡いブルーの臓器、血液、それに破裂部分から漏れ出した汚染物質……
義父と治療師の一団も、すでに同じことを済ませているはずだ。そのうえで、すでに手の施しようがないと判断している。
だが、彼らは腹を開いていない、とアーシャは思った。青竜の偉大なる力は傷んだ臓器を修復できるが、外部からの治療には限界がある。これほど広範に臓器が損傷している場合は、本来、外科的治療が第一選択になるはずだ。
とはいえ、彼女がその知識を得たのはほとんど古文書と言えるほど古い研究書からなので、はなはだ不安ではあった。同じ治療師である伯父に比べると、実技の経験にも乏しい。
(やってみる価値はあるのかしら?)
成功すれば、王太子の生命を救った功労者として、恩赦が期待できる。失敗すれば、エンガス卿ともども政治的に葬り去られるだろう。そうはいっても、これほど困難な治療をやり遂げようと決意するほど、アーシャは自由を渇望しているわけでもなかった。むしろ、自分を取り囲むあらゆることに飽きて退屈していたと言ってもいい。
だが、こうして大手術が必要な患者を目の前にすると、理屈抜きに治療の方法を組み立てている自分がいる。
そんな自分の心の動きが興味深くもあったが、アーシャはひとまずそれを脇に置き、この手術に注力することに決めた。――まずは、損傷部位を同定しなければ。
「アーダルの、この男の次の後継者を呼んでちょうだい」
アーシャは治療を手伝う呼び手の一人に命じた。しばらくしてコーラーが連れてきたのは、デイミオンと同じタイプの、つまり細身の熊のような壮年男性だった。
「お名前は?」
「……ヒュダリオンと申します、アスラン卿」
アーシャは鼻にしわを寄せてうなずいた。叔父クローナンが彼女につけた名前は、古式ゆかしすぎてあまり好きではないのだ。「では、ヒュダリオン卿、アーダルとをお願いします」
「アーダルを相続すると?!」ヒュダリオンは真っ青になった。「甥は、それほど悪いのですかっ!? もう助からないのでしょうかっ!?」
アーシャは顔をそむけて手をかざした。聞き間違いもそうだし、デイミオンそっくりの暑苦しい男の唾がとびそうで嫌だったのだ。
「まだ生きておられます」いやいやながら、そう説明した。
「生かしておきたいとお思いなら、アーダルに命じて、デイミオン卿の生体反応の管理と、損傷個所の同定をしてください。わたくしが指示したとおりに」
「はい、姫!」なんらかの希望を得たのか、ヒュダリオンは喜色満面になった。アーシャの手を握る勢いだ。「なんのことかわかりませんが、とにかく恩に着ます、姫! 甥を助けていただけるのですなっ!?」
暑苦しい、顔が近い、あの男そっくり、とアーシャは不快を感じた。
義父エンガスと、その竜サフィールによって失血は止められ、呼吸と脈拍が一定に保たれるよう監視されている。
〔サフィア〕アーシャは自分の竜を召んだ。〔損傷部位を、できる限り詳しく示して〕
〔イエス、マム〕若い雌竜は、彼女だけが使う奇妙な言葉で応答した。
竜の力が脳に流れこみ、イメージを立ちあがらせる。淡いブルーの臓器、血液、それに破裂部分から漏れ出した汚染物質……
義父と治療師の一団も、すでに同じことを済ませているはずだ。そのうえで、すでに手の施しようがないと判断している。
だが、彼らは腹を開いていない、とアーシャは思った。青竜の偉大なる力は傷んだ臓器を修復できるが、外部からの治療には限界がある。これほど広範に臓器が損傷している場合は、本来、外科的治療が第一選択になるはずだ。
とはいえ、彼女がその知識を得たのはほとんど古文書と言えるほど古い研究書からなので、はなはだ不安ではあった。同じ治療師である伯父に比べると、実技の経験にも乏しい。
(やってみる価値はあるのかしら?)
成功すれば、王太子の生命を救った功労者として、恩赦が期待できる。失敗すれば、エンガス卿ともども政治的に葬り去られるだろう。そうはいっても、これほど困難な治療をやり遂げようと決意するほど、アーシャは自由を渇望しているわけでもなかった。むしろ、自分を取り囲むあらゆることに飽きて退屈していたと言ってもいい。
だが、こうして大手術が必要な患者を目の前にすると、理屈抜きに治療の方法を組み立てている自分がいる。
そんな自分の心の動きが興味深くもあったが、アーシャはひとまずそれを脇に置き、この手術に注力することに決めた。――まずは、損傷部位を同定しなければ。
「アーダルの、この男の次の後継者を呼んでちょうだい」
アーシャは治療を手伝う呼び手の一人に命じた。しばらくしてコーラーが連れてきたのは、デイミオンと同じタイプの、つまり細身の熊のような壮年男性だった。
「お名前は?」
「……ヒュダリオンと申します、アスラン卿」
アーシャは鼻にしわを寄せてうなずいた。叔父クローナンが彼女につけた名前は、古式ゆかしすぎてあまり好きではないのだ。「では、ヒュダリオン卿、アーダルとをお願いします」
「アーダルを相続すると?!」ヒュダリオンは真っ青になった。「甥は、それほど悪いのですかっ!? もう助からないのでしょうかっ!?」
アーシャは顔をそむけて手をかざした。聞き間違いもそうだし、デイミオンそっくりの暑苦しい男の唾がとびそうで嫌だったのだ。
「まだ生きておられます」いやいやながら、そう説明した。
「生かしておきたいとお思いなら、アーダルに命じて、デイミオン卿の生体反応の管理と、損傷個所の同定をしてください。わたくしが指示したとおりに」
「はい、姫!」なんらかの希望を得たのか、ヒュダリオンは喜色満面になった。アーシャの手を握る勢いだ。「なんのことかわかりませんが、とにかく恩に着ます、姫! 甥を助けていただけるのですなっ!?」
暑苦しい、顔が近い、あの男そっくり、とアーシャは不快を感じた。
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