50 / 80
6 あらわになる陰謀
第31話 フィルバートをめぐる冒険 1
しおりを挟む
夕刻、教師サラートは城下街を歩いていた。王太子リアナへの講義が終わったところで、史料を包んだ布袋を肩から下げている。街は山の中腹から下る形で広がっており、登城するのは大変だが、帰りはいくぶん楽だった。石畳が敷かれた坂道をゆっくりと下っていくと、建物の合間から、左手側に湖を見下ろすことができる。今の時刻は夕焼けが反射して、湖をバラ色に染めていた。
(美しい城、美しい街だ)サラートは思った。
彼が学を修めたのは、大陸最大の学術都市と言われているアエディクラの〈知恵の塔〉だった。だが詩歌のなかに出てくるような壮麗な場所ではなく、歴史や美観ではタマリスの足もとにも及ばない。もっとも、自分が属していた頃には、あまり風景に気を配る余裕がなかっただけかもしれない。
湖の上を、一羽の竜が旋回している。遠目なので、黒い影のようにしか見えないが、夕食を探しているように見えた。
(力強き竜が守る、もっとも美しい国――)
もっと似つかわしい王位継承者がいればよかったのに。
つい、皮肉気に考えてしまうのは学者の習い性だろうか。
今日も、その王太子リアナは授業の開始時刻を送らせたうえ、まだたっぷり三十分以上ある授業を切り上げると言いだした。教師としては、王となる人物を真に思うなら叱るべきなのだろうが、あいにくそこまでの思い入れを彼女に持っていない。むしろ好都合だったので、「御意に」と退室して今にいたる。
(ケイエからの旅程で亡くなった兵士の葬儀がある――とか言っていたか?)
王太子リアナの現在の政治基盤は、かなり脆弱だ。正式に王位に就く前に舞台から立ち去ってもらいたいと思った者がいても、まったく不思議ではない。
(兵士の葬儀に出席? くだらない。偽善的だ)
たしかに、飲み込みが早い子ではある。五公十家の家系図や、竜騎手議会の重要人物などは、何度も教えるまでもなくきちんと覚えてきた。だが、政策の多くをその五公十家と議会が決めているいま、この国で王に求められるのは、象徴的存在でしかない。つまり、所作や儀礼こそ彼女に必要なものなのだ。サラートが教えようとしているのも、まさにその点なのだが……。
退室する際、王佐のエサル公とすれ違ったことを思いだした。こちらが深くお辞儀をしても意にも留めず、大股で歩いていく。ちらりとうかがうと、リアナとエサル公は真剣な面持ちで何事かを話しあっていた。
――エサル公か……
もう一人の王位継承者であるデイミオン卿と比べて支持基盤が弱いリアナが、補佐役に選んだのが南の辺境フロンテラの領主エサルだったことは、周囲に驚きをもって受け止められている。母の生家であるノーザンの領主メドロートのほうが後見にはふさわしいだろうと目されていたからだ。だが、公の性格からして彼女を全面的に庇護することは明白で、となれば政治的には重要ポジションはもっと効果的に使うほうがよい。そこまで読んでの決定なら、リアナという少女、単なる辺境育ちの小娘とばかりも言えないかもしれない。……
(美しい城、美しい街だ)サラートは思った。
彼が学を修めたのは、大陸最大の学術都市と言われているアエディクラの〈知恵の塔〉だった。だが詩歌のなかに出てくるような壮麗な場所ではなく、歴史や美観ではタマリスの足もとにも及ばない。もっとも、自分が属していた頃には、あまり風景に気を配る余裕がなかっただけかもしれない。
湖の上を、一羽の竜が旋回している。遠目なので、黒い影のようにしか見えないが、夕食を探しているように見えた。
(力強き竜が守る、もっとも美しい国――)
もっと似つかわしい王位継承者がいればよかったのに。
つい、皮肉気に考えてしまうのは学者の習い性だろうか。
今日も、その王太子リアナは授業の開始時刻を送らせたうえ、まだたっぷり三十分以上ある授業を切り上げると言いだした。教師としては、王となる人物を真に思うなら叱るべきなのだろうが、あいにくそこまでの思い入れを彼女に持っていない。むしろ好都合だったので、「御意に」と退室して今にいたる。
(ケイエからの旅程で亡くなった兵士の葬儀がある――とか言っていたか?)
王太子リアナの現在の政治基盤は、かなり脆弱だ。正式に王位に就く前に舞台から立ち去ってもらいたいと思った者がいても、まったく不思議ではない。
(兵士の葬儀に出席? くだらない。偽善的だ)
たしかに、飲み込みが早い子ではある。五公十家の家系図や、竜騎手議会の重要人物などは、何度も教えるまでもなくきちんと覚えてきた。だが、政策の多くをその五公十家と議会が決めているいま、この国で王に求められるのは、象徴的存在でしかない。つまり、所作や儀礼こそ彼女に必要なものなのだ。サラートが教えようとしているのも、まさにその点なのだが……。
退室する際、王佐のエサル公とすれ違ったことを思いだした。こちらが深くお辞儀をしても意にも留めず、大股で歩いていく。ちらりとうかがうと、リアナとエサル公は真剣な面持ちで何事かを話しあっていた。
――エサル公か……
もう一人の王位継承者であるデイミオン卿と比べて支持基盤が弱いリアナが、補佐役に選んだのが南の辺境フロンテラの領主エサルだったことは、周囲に驚きをもって受け止められている。母の生家であるノーザンの領主メドロートのほうが後見にはふさわしいだろうと目されていたからだ。だが、公の性格からして彼女を全面的に庇護することは明白で、となれば政治的には重要ポジションはもっと効果的に使うほうがよい。そこまで読んでの決定なら、リアナという少女、単なる辺境育ちの小娘とばかりも言えないかもしれない。……
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
【完結】捨てられ正妃は思い出す。
なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」
そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。
人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。
正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。
人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。
再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。
デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。
確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。
––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––
他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。
前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。
彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。
義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました
さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。
私との約束なんかなかったかのように…
それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。
そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね…
分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
【完結】22皇太子妃として必要ありませんね。なら、もう、、。
華蓮
恋愛
皇太子妃として、3ヶ月が経ったある日、皇太子の部屋に呼ばれて行くと隣には、女の人が、座っていた。
嫌な予感がした、、、、
皇太子妃の運命は、どうなるのでしょう?
指導係、教育係編Part1
【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる