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6 あらわになる陰謀
第31話 フィルバートをめぐる冒険 1
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夕刻、教師サラートは城下街を歩いていた。王太子リアナへの講義が終わったところで、史料を包んだ布袋を肩から下げている。街は山の中腹から下る形で広がっており、登城するのは大変だが、帰りはいくぶん楽だった。石畳が敷かれた坂道をゆっくりと下っていくと、建物の合間から、左手側に湖を見下ろすことができる。今の時刻は夕焼けが反射して、湖をバラ色に染めていた。
(美しい城、美しい街だ)サラートは思った。
彼が学を修めたのは、大陸最大の学術都市と言われているアエディクラの〈知恵の塔〉だった。だが詩歌のなかに出てくるような壮麗な場所ではなく、歴史や美観ではタマリスの足もとにも及ばない。もっとも、自分が属していた頃には、あまり風景に気を配る余裕がなかっただけかもしれない。
湖の上を、一羽の竜が旋回している。遠目なので、黒い影のようにしか見えないが、夕食を探しているように見えた。
(力強き竜が守る、もっとも美しい国――)
もっと似つかわしい王位継承者がいればよかったのに。
つい、皮肉気に考えてしまうのは学者の習い性だろうか。
今日も、その王太子リアナは授業の開始時刻を送らせたうえ、まだたっぷり三十分以上ある授業を切り上げると言いだした。教師としては、王となる人物を真に思うなら叱るべきなのだろうが、あいにくそこまでの思い入れを彼女に持っていない。むしろ好都合だったので、「御意に」と退室して今にいたる。
(ケイエからの旅程で亡くなった兵士の葬儀がある――とか言っていたか?)
王太子リアナの現在の政治基盤は、かなり脆弱だ。正式に王位に就く前に舞台から立ち去ってもらいたいと思った者がいても、まったく不思議ではない。
(兵士の葬儀に出席? くだらない。偽善的だ)
たしかに、飲み込みが早い子ではある。五公十家の家系図や、竜騎手議会の重要人物などは、何度も教えるまでもなくきちんと覚えてきた。だが、政策の多くをその五公十家と議会が決めているいま、この国で王に求められるのは、象徴的存在でしかない。つまり、所作や儀礼こそ彼女に必要なものなのだ。サラートが教えようとしているのも、まさにその点なのだが……。
退室する際、王佐のエサル公とすれ違ったことを思いだした。こちらが深くお辞儀をしても意にも留めず、大股で歩いていく。ちらりとうかがうと、リアナとエサル公は真剣な面持ちで何事かを話しあっていた。
――エサル公か……
もう一人の王位継承者であるデイミオン卿と比べて支持基盤が弱いリアナが、補佐役に選んだのが南の辺境フロンテラの領主エサルだったことは、周囲に驚きをもって受け止められている。母の生家であるノーザンの領主メドロートのほうが後見にはふさわしいだろうと目されていたからだ。だが、公の性格からして彼女を全面的に庇護することは明白で、となれば政治的には重要ポジションはもっと効果的に使うほうがよい。そこまで読んでの決定なら、リアナという少女、単なる辺境育ちの小娘とばかりも言えないかもしれない。……
(美しい城、美しい街だ)サラートは思った。
彼が学を修めたのは、大陸最大の学術都市と言われているアエディクラの〈知恵の塔〉だった。だが詩歌のなかに出てくるような壮麗な場所ではなく、歴史や美観ではタマリスの足もとにも及ばない。もっとも、自分が属していた頃には、あまり風景に気を配る余裕がなかっただけかもしれない。
湖の上を、一羽の竜が旋回している。遠目なので、黒い影のようにしか見えないが、夕食を探しているように見えた。
(力強き竜が守る、もっとも美しい国――)
もっと似つかわしい王位継承者がいればよかったのに。
つい、皮肉気に考えてしまうのは学者の習い性だろうか。
今日も、その王太子リアナは授業の開始時刻を送らせたうえ、まだたっぷり三十分以上ある授業を切り上げると言いだした。教師としては、王となる人物を真に思うなら叱るべきなのだろうが、あいにくそこまでの思い入れを彼女に持っていない。むしろ好都合だったので、「御意に」と退室して今にいたる。
(ケイエからの旅程で亡くなった兵士の葬儀がある――とか言っていたか?)
王太子リアナの現在の政治基盤は、かなり脆弱だ。正式に王位に就く前に舞台から立ち去ってもらいたいと思った者がいても、まったく不思議ではない。
(兵士の葬儀に出席? くだらない。偽善的だ)
たしかに、飲み込みが早い子ではある。五公十家の家系図や、竜騎手議会の重要人物などは、何度も教えるまでもなくきちんと覚えてきた。だが、政策の多くをその五公十家と議会が決めているいま、この国で王に求められるのは、象徴的存在でしかない。つまり、所作や儀礼こそ彼女に必要なものなのだ。サラートが教えようとしているのも、まさにその点なのだが……。
退室する際、王佐のエサル公とすれ違ったことを思いだした。こちらが深くお辞儀をしても意にも留めず、大股で歩いていく。ちらりとうかがうと、リアナとエサル公は真剣な面持ちで何事かを話しあっていた。
――エサル公か……
もう一人の王位継承者であるデイミオン卿と比べて支持基盤が弱いリアナが、補佐役に選んだのが南の辺境フロンテラの領主エサルだったことは、周囲に驚きをもって受け止められている。母の生家であるノーザンの領主メドロートのほうが後見にはふさわしいだろうと目されていたからだ。だが、公の性格からして彼女を全面的に庇護することは明白で、となれば政治的には重要ポジションはもっと効果的に使うほうがよい。そこまで読んでの決定なら、リアナという少女、単なる辺境育ちの小娘とばかりも言えないかもしれない。……
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