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2 運命の朝
第9話 黒竜アーダル
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同じころ、王都方面から老竜山脈へ残り十マイルほどの上空では、一柱の古竜が駆けていた。
地上近くを飛べば太陽をさえぎって人々を驚かせ、羽を広げれば家一軒と言われるほど大きな身体は、縞や模様のない漆黒。捕食者の黄色い目と、牙の並ぶ巨大な顎。しかも、巨体とは思えないスピードを持っている、オンブリア随一のアルファメイルだった。名前をアーダルという。
見るものが畏怖の念をおぼえずにはいられないその古竜を、一人の男が駆っている。漆黒の甲冑に身を包んだ、竜の主人にふさわしい偉丈夫だ。目的地を間近に見すえ、滑空しながら降りはじめようという意思を竜に送る。が、アーダルはすぐには承諾しなかった。
もともと、簡単に主人の意に沿う竜ではない。男がひと呼吸おいて、さらに強い念を送ろうとしたとき、前方に竜の集団が見えた。芥子粒のようにしか見えなかったものが、互いの飛行速度でぐんぐんと近づき、すぐにそれとわかった。黒竜は同族の気配を察したらしい。
しかし、さらに距離が近づくと、それが同胞ではないことが男には見てとれた。上半身を包む独特のケープを身に着け、顔は鷺のような細長いくちばし状の突起をつけた仮面で覆っている。まるで悪夢のなかの怪鳥のようだ。
「デーグルモール!」
竜の主人の、その言葉に合わせるように、古竜が喉の奥でカッカッとタンギング音を鳴らして威嚇をはじめた。
純粋な人間は、竜族よりもかなり重い。つまり身体の構造上竜には乗れないので、竜に乗っていれば竜族、つまり同胞とみなすことができる。ただし、例外があった――デーグルモールと呼ばれる半死者の集団だ。
十人程度の小集団で、白や黄色、褐色に縞の入った一般的な飛竜にまたがっているが、しんがりの一頭はアーダルと同じ古竜だった。見ると、一頭の飛竜を囲んで攻撃しており、今にも仕留めようとしているところのようだ。半死者《しにぞこない》たちは、同胞の肉を食らうと言われている――どうするべきか、男は一瞬で決断を迫られた。重要な任務を帯びての走行中だったし、全速力なら飛竜さえ振り切ることのできるアーダルだ。二日前から感じるようになった例の気配が、自分を強く引いているのを感じる。そのまま通り過ぎようかとも思ったが、相手にすでにこちらの姿を見られている。任務の性質を考えれば、あの半死者たちに知られるわけにはいかなかった。
主人の意図が伝わり、アーダルの興奮が強まったのを感じる。
〔行け!〕男は短く命じた。〔蹴散らせ、アーダル!〕
黒竜は狩りの喜びに巨体をくねらせながら、驚くべきスピードでデーグルモールの集団に突っ込んでいった。一瞬遅れて前方から銃撃が来るが、お互いの速度でまともに当たらない。どのみち、黒竜の固い鱗は銃弾をはじいてしまうのだ。
「散れ!」
主人の声とともに、黒竜が火を吐いた。飛竜たちが怯えて羽をばたつかせ、その上でバランスを取っていた射手たちがよろめいた。
「黒色の古竜! 〈黒竜大公〉デイミオンか!」
男が叫ぶ。仮面のせいでくぐもっているが、はっきりと聞こえるのは、竜術で互いの声を増幅しているのだろう。
「単騎とは、これは僥倖だな。貴殿を撃てばオンブリア軍は総崩れだろう」配下に続ける、「撃てぇっ」
前方から銃撃。デイミオンと呼ばれた男は竜の背に体を倒して防ぐ。まっすぐに彼を目指して飛んできた銃弾が、竜の背鰭に弾かれて、ちゅいんと軽い音を立てた。
「詠唱なし。ヒトの銃だな。話には聞いていたが」
半死者たちが、あれを使うとは。
アーダルの鱗は鉄の弾などものともせず、そのまま豪速で直進して尻尾を振り上げた。体の軽い飛竜にとってみれば、古竜との体格差はそのまま致命的で、尻尾といっても動く尖塔から体当たりされたようなものだった。二頭がもろともになぎ倒され、騎手がくるくると旋回しながら落ちていった。さっと散った残りの竜の、一頭にはしたたかに炎を吹きつけてやったはずが、風前の蝋燭のごとく吹き消えて、頭らしき男ともう一人の竜はするりとかわした。後ろを振り返ることもなく全速力で逃げていくのを、デイミオンはあえて追わなかった。格下の古竜一柱に飛竜の集団など敵ではないと言いたいところだが、コーラーがいれば炎での攻撃はお互いに千日手になりかねないし、詠唱なしの銃については、まだあまり情報がないのだ。
騎手の青年は飛竜の背にもたれかかって、絶命寸前だった。
アーダルが近づいても飛竜は逃げず、心細げに尻尾を振っている。安心させるように低い声で話しかけながらさらに近づくと、飛竜の背からどろりと流血しているのが見えた。竜は落ちていないから、騎手の血だろう。
アーダルに乗せかえてやったが、出血がひどく、もはや助かるまいと思われた。麦の穂のような金髪、日に焼けた顔、まだ少年の域を抜けきってもいないような若い男だった。
「どこの村の乗り手だ? 名前は?」
抱え起こしてそう尋ねた。せめて、後で故郷に知らせてやろうと思ったのだが、男はひゅうひゅうと空気の漏れるような音を立てたのち、小さな声で女の名を呟いた。
それで、終わりだった。
地上近くを飛べば太陽をさえぎって人々を驚かせ、羽を広げれば家一軒と言われるほど大きな身体は、縞や模様のない漆黒。捕食者の黄色い目と、牙の並ぶ巨大な顎。しかも、巨体とは思えないスピードを持っている、オンブリア随一のアルファメイルだった。名前をアーダルという。
見るものが畏怖の念をおぼえずにはいられないその古竜を、一人の男が駆っている。漆黒の甲冑に身を包んだ、竜の主人にふさわしい偉丈夫だ。目的地を間近に見すえ、滑空しながら降りはじめようという意思を竜に送る。が、アーダルはすぐには承諾しなかった。
もともと、簡単に主人の意に沿う竜ではない。男がひと呼吸おいて、さらに強い念を送ろうとしたとき、前方に竜の集団が見えた。芥子粒のようにしか見えなかったものが、互いの飛行速度でぐんぐんと近づき、すぐにそれとわかった。黒竜は同族の気配を察したらしい。
しかし、さらに距離が近づくと、それが同胞ではないことが男には見てとれた。上半身を包む独特のケープを身に着け、顔は鷺のような細長いくちばし状の突起をつけた仮面で覆っている。まるで悪夢のなかの怪鳥のようだ。
「デーグルモール!」
竜の主人の、その言葉に合わせるように、古竜が喉の奥でカッカッとタンギング音を鳴らして威嚇をはじめた。
純粋な人間は、竜族よりもかなり重い。つまり身体の構造上竜には乗れないので、竜に乗っていれば竜族、つまり同胞とみなすことができる。ただし、例外があった――デーグルモールと呼ばれる半死者の集団だ。
十人程度の小集団で、白や黄色、褐色に縞の入った一般的な飛竜にまたがっているが、しんがりの一頭はアーダルと同じ古竜だった。見ると、一頭の飛竜を囲んで攻撃しており、今にも仕留めようとしているところのようだ。半死者《しにぞこない》たちは、同胞の肉を食らうと言われている――どうするべきか、男は一瞬で決断を迫られた。重要な任務を帯びての走行中だったし、全速力なら飛竜さえ振り切ることのできるアーダルだ。二日前から感じるようになった例の気配が、自分を強く引いているのを感じる。そのまま通り過ぎようかとも思ったが、相手にすでにこちらの姿を見られている。任務の性質を考えれば、あの半死者たちに知られるわけにはいかなかった。
主人の意図が伝わり、アーダルの興奮が強まったのを感じる。
〔行け!〕男は短く命じた。〔蹴散らせ、アーダル!〕
黒竜は狩りの喜びに巨体をくねらせながら、驚くべきスピードでデーグルモールの集団に突っ込んでいった。一瞬遅れて前方から銃撃が来るが、お互いの速度でまともに当たらない。どのみち、黒竜の固い鱗は銃弾をはじいてしまうのだ。
「散れ!」
主人の声とともに、黒竜が火を吐いた。飛竜たちが怯えて羽をばたつかせ、その上でバランスを取っていた射手たちがよろめいた。
「黒色の古竜! 〈黒竜大公〉デイミオンか!」
男が叫ぶ。仮面のせいでくぐもっているが、はっきりと聞こえるのは、竜術で互いの声を増幅しているのだろう。
「単騎とは、これは僥倖だな。貴殿を撃てばオンブリア軍は総崩れだろう」配下に続ける、「撃てぇっ」
前方から銃撃。デイミオンと呼ばれた男は竜の背に体を倒して防ぐ。まっすぐに彼を目指して飛んできた銃弾が、竜の背鰭に弾かれて、ちゅいんと軽い音を立てた。
「詠唱なし。ヒトの銃だな。話には聞いていたが」
半死者たちが、あれを使うとは。
アーダルの鱗は鉄の弾などものともせず、そのまま豪速で直進して尻尾を振り上げた。体の軽い飛竜にとってみれば、古竜との体格差はそのまま致命的で、尻尾といっても動く尖塔から体当たりされたようなものだった。二頭がもろともになぎ倒され、騎手がくるくると旋回しながら落ちていった。さっと散った残りの竜の、一頭にはしたたかに炎を吹きつけてやったはずが、風前の蝋燭のごとく吹き消えて、頭らしき男ともう一人の竜はするりとかわした。後ろを振り返ることもなく全速力で逃げていくのを、デイミオンはあえて追わなかった。格下の古竜一柱に飛竜の集団など敵ではないと言いたいところだが、コーラーがいれば炎での攻撃はお互いに千日手になりかねないし、詠唱なしの銃については、まだあまり情報がないのだ。
騎手の青年は飛竜の背にもたれかかって、絶命寸前だった。
アーダルが近づいても飛竜は逃げず、心細げに尻尾を振っている。安心させるように低い声で話しかけながらさらに近づくと、飛竜の背からどろりと流血しているのが見えた。竜は落ちていないから、騎手の血だろう。
アーダルに乗せかえてやったが、出血がひどく、もはや助かるまいと思われた。麦の穂のような金髪、日に焼けた顔、まだ少年の域を抜けきってもいないような若い男だった。
「どこの村の乗り手だ? 名前は?」
抱え起こしてそう尋ねた。せめて、後で故郷に知らせてやろうと思ったのだが、男はひゅうひゅうと空気の漏れるような音を立てたのち、小さな声で女の名を呟いた。
それで、終わりだった。
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