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第1章:蒼天の神子
第18話:困惑と妄信
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――少し、困りましたね。
狩衣の青年、「影」こと源満仲は腕を組んだまま空を仰ぐ。普段は命令を言われたとおりにできる範囲で完璧かつ冷徹に遂行する彼が、命令自体に疑問を持つなんてことはそうはない。ただ、己の実力と立ちはだかる障害の足し引きで理論値をたたき出す――それが彼のポリシー。今回も、それは同じであった。
同じではあった――が、少し状況が違っている。
――今回の任務、どう考えても困難が過ぎるのではないでしょうか…
繰り返しになるが、実頼の暗殺は無理難題だ。現役公卿である彼の警護は相当厳重であり、その上最近は御所にこもりっぱなしで政務にあたっている。こんな状況では隠密行動での暗殺は不可能に近い。結局、正面からの戦闘になる。
そして彼との対決は、彼の弟である彩天の神子のみならず、父親である関白太政大臣、そして彼を信任する神裔の神子との直接対決と地続きだ。彼らは、神子でも何でもないただの凄腕契神術師であるだけの満仲が相対できるような相手ではない。仮に実頼の殺害がなったとしても、満仲の死はほぼ確約されているようなもの。いくら戦闘狂の満仲といえども、敗北が明らかな勝負などまっぴらごめんだ。
「まだこんなところで死んでるわけにはいかないのですけどねぇ…」
満仲が力なく息を吐いた、丁度その時だった。
「東宮大夫殿」
彼の官名を呼ぶ声がする。姿は見えない。が、満仲が動揺する気配もない。当然だ。その声の主は満仲の従者である。
満仲は、落ち着いた様子でそのまま振り返った。
「丙さんですか。どうしましたか?」
しかし、そんな満仲とは対照的に、丙の心中は穏やかではなさそうだ。息遣いは荒く、その声は震えている。その様子に、満仲は眉をひそめて怪訝な表情を見せた。
「――…さきほど、甲より知らせがあり…、平城京から派遣された四千の兵が、山城国府を陥とし平安京に向かっているとのこと」
「――…は?」
いつも飄々としていて表情を崩さない満仲の顔を、動揺の色が染めていく。渾身の一撃を師忠に封殺された時ですら見せなかった冷汗が、彼の頬を伝った。
「…東宮大夫…?」
滅多に見せない彼のそうした表情に、丙は、ただならぬ事態を察する。
満仲にとって、今回の派兵は完全に寝耳に水だった。まさか、陽成院の側近であるはずの彼に何の事前の知らせもなく軍事行動を起こすとは思ってもみなかったのである。
そして、その狙いも理解しがたい。敵方には、常備兵五千、文字通り一騎当千の戦力を誇る神子が四人、そして彼らに準ずるもの数名、さらに陽成院派を阻む六重の結界。生半可な戦力では平安京の制圧はおろか、入京すらかなわない。四千人程度の兵で、皇都平安京が陥とせるはずがないのだ。
さらに、満仲が理解しがたいのはそのタイミングである。今は、満仲の破壊工作が結実を迎えんとしているばかりか、その集大成ともいえる実頼暗殺をまさに実行しようという時だ。そんな時に派兵されてしまっては、満仲のしばらくの努力が水の泡となってしまう。
それに、上皇は今回の満仲への命令の際に、蒼天の初陣を同時に行うといった旨のことを彼に述べていたが、「蒼天」の初陣が負け戦となるのもいかがなものか。
確かに蒼天は強い。単独で「神裔の神子」に迫る実力を発揮できる人間など彼をおいてほかにはそういないだろう。しかし、それでも流石に厳しすぎる。
彼が主と崇める上皇は、平安京を陥とす準備はすでに整っていると言った。なら、なおさらこの派兵に何の意味があるのか。まさかこの派兵で平安京を攻略するつもりではあるまい。「灼天の神子」が参加しているなら少し話は変わってくるだろうが、それも十年前に無理だと分かったはず。
――…陛下のお考えになることが、私にはよく分かりません…
上皇はいつもそうだ。特に説明もなく、突拍子もない行動をとる。彼が廃位された原因もそれにあるようだが、本人は特に気にする様子はない。ただいつも、これでよい、とだけ家人に告げる。
正直、ついていけないとこぼす廷臣も多い。それもそうだろう。そうした上皇の策が吉と出たと分かることは少ない。ただただ、負けとも勝ちとも判然としない結果だけが残る。意図の分からぬ命令に従い続けるのは苦痛だ。そのうえ、結果まで出ないとくれば人心が離れていってもおかしくはない。
しかし、それでも曲りなりに政権が35年も続いているのは彼のカリスマ性ゆえだ。彼の言うことに従っていれば、いつか必ず良い方向へ導いてくれる、そう思わせる何かが彼にはある。
だから、満仲は考えることを止めた。いかに困難で理不尽でも、彼に上皇は道を示した。なら、それに従うまで。
――いつも通り。そう、いつも通りにやればいいだけの話だ。
満仲はふう、と息を吐く。そして、後ろを振り向き、にこりと笑った。
「ふふ、取り乱してすみません。ええ、事態は把握しました。なら、急がなくてはいけませんね」
*************************************
「――叩き潰せ」
「彩天」、藤原師輔は短くそう言い放った。即座に数人の公卿が賛同し、近衛の陣はにわかに騒がしくなる。そして陣定は急遽軍議へと様相を変え、武官が続々と招集されてきた。一気に空気が物々しくなる。
そんな様子を、「再臨」こと高階海人(仮)は頭が高速で空転するのを感じながら眺めていた。そんな彼の横に、例の優男風の公卿が音もなく立つ。
「神子様、先ほどは突然お呼びして申し訳ありませんでした。せめて犬麻呂、仁王丸には伝えておこうと思ったのですが、やむを得ない事情がありそれも叶わず」
「えっ?あ、ああ…まぁ事情があったなら…しかし事情って…」
どう考えても空気の読めてないタイミングで謝罪を口にした師忠に若干困惑しつつも、海人はその謝罪を受け入れた。しかし、事情とはなんなのか――師忠はそんな疑問に対し、いつも通りの笑みを浮かべて
「少し、準備が要りまして…ね」
「準備って、何の…」
師忠は、指を唇に当てて、少し考えるようなそぶりをした後、ふっ、息を吐いた。
「それは――ちょっとした悪巧みですかね」
突如動き始めた事態。殺気立つ公卿たちの中で、師忠だけが平然と、いつも通りのにこやかな笑みを浮かべていた。
狩衣の青年、「影」こと源満仲は腕を組んだまま空を仰ぐ。普段は命令を言われたとおりにできる範囲で完璧かつ冷徹に遂行する彼が、命令自体に疑問を持つなんてことはそうはない。ただ、己の実力と立ちはだかる障害の足し引きで理論値をたたき出す――それが彼のポリシー。今回も、それは同じであった。
同じではあった――が、少し状況が違っている。
――今回の任務、どう考えても困難が過ぎるのではないでしょうか…
繰り返しになるが、実頼の暗殺は無理難題だ。現役公卿である彼の警護は相当厳重であり、その上最近は御所にこもりっぱなしで政務にあたっている。こんな状況では隠密行動での暗殺は不可能に近い。結局、正面からの戦闘になる。
そして彼との対決は、彼の弟である彩天の神子のみならず、父親である関白太政大臣、そして彼を信任する神裔の神子との直接対決と地続きだ。彼らは、神子でも何でもないただの凄腕契神術師であるだけの満仲が相対できるような相手ではない。仮に実頼の殺害がなったとしても、満仲の死はほぼ確約されているようなもの。いくら戦闘狂の満仲といえども、敗北が明らかな勝負などまっぴらごめんだ。
「まだこんなところで死んでるわけにはいかないのですけどねぇ…」
満仲が力なく息を吐いた、丁度その時だった。
「東宮大夫殿」
彼の官名を呼ぶ声がする。姿は見えない。が、満仲が動揺する気配もない。当然だ。その声の主は満仲の従者である。
満仲は、落ち着いた様子でそのまま振り返った。
「丙さんですか。どうしましたか?」
しかし、そんな満仲とは対照的に、丙の心中は穏やかではなさそうだ。息遣いは荒く、その声は震えている。その様子に、満仲は眉をひそめて怪訝な表情を見せた。
「――…さきほど、甲より知らせがあり…、平城京から派遣された四千の兵が、山城国府を陥とし平安京に向かっているとのこと」
「――…は?」
いつも飄々としていて表情を崩さない満仲の顔を、動揺の色が染めていく。渾身の一撃を師忠に封殺された時ですら見せなかった冷汗が、彼の頬を伝った。
「…東宮大夫…?」
滅多に見せない彼のそうした表情に、丙は、ただならぬ事態を察する。
満仲にとって、今回の派兵は完全に寝耳に水だった。まさか、陽成院の側近であるはずの彼に何の事前の知らせもなく軍事行動を起こすとは思ってもみなかったのである。
そして、その狙いも理解しがたい。敵方には、常備兵五千、文字通り一騎当千の戦力を誇る神子が四人、そして彼らに準ずるもの数名、さらに陽成院派を阻む六重の結界。生半可な戦力では平安京の制圧はおろか、入京すらかなわない。四千人程度の兵で、皇都平安京が陥とせるはずがないのだ。
さらに、満仲が理解しがたいのはそのタイミングである。今は、満仲の破壊工作が結実を迎えんとしているばかりか、その集大成ともいえる実頼暗殺をまさに実行しようという時だ。そんな時に派兵されてしまっては、満仲のしばらくの努力が水の泡となってしまう。
それに、上皇は今回の満仲への命令の際に、蒼天の初陣を同時に行うといった旨のことを彼に述べていたが、「蒼天」の初陣が負け戦となるのもいかがなものか。
確かに蒼天は強い。単独で「神裔の神子」に迫る実力を発揮できる人間など彼をおいてほかにはそういないだろう。しかし、それでも流石に厳しすぎる。
彼が主と崇める上皇は、平安京を陥とす準備はすでに整っていると言った。なら、なおさらこの派兵に何の意味があるのか。まさかこの派兵で平安京を攻略するつもりではあるまい。「灼天の神子」が参加しているなら少し話は変わってくるだろうが、それも十年前に無理だと分かったはず。
――…陛下のお考えになることが、私にはよく分かりません…
上皇はいつもそうだ。特に説明もなく、突拍子もない行動をとる。彼が廃位された原因もそれにあるようだが、本人は特に気にする様子はない。ただいつも、これでよい、とだけ家人に告げる。
正直、ついていけないとこぼす廷臣も多い。それもそうだろう。そうした上皇の策が吉と出たと分かることは少ない。ただただ、負けとも勝ちとも判然としない結果だけが残る。意図の分からぬ命令に従い続けるのは苦痛だ。そのうえ、結果まで出ないとくれば人心が離れていってもおかしくはない。
しかし、それでも曲りなりに政権が35年も続いているのは彼のカリスマ性ゆえだ。彼の言うことに従っていれば、いつか必ず良い方向へ導いてくれる、そう思わせる何かが彼にはある。
だから、満仲は考えることを止めた。いかに困難で理不尽でも、彼に上皇は道を示した。なら、それに従うまで。
――いつも通り。そう、いつも通りにやればいいだけの話だ。
満仲はふう、と息を吐く。そして、後ろを振り向き、にこりと笑った。
「ふふ、取り乱してすみません。ええ、事態は把握しました。なら、急がなくてはいけませんね」
*************************************
「――叩き潰せ」
「彩天」、藤原師輔は短くそう言い放った。即座に数人の公卿が賛同し、近衛の陣はにわかに騒がしくなる。そして陣定は急遽軍議へと様相を変え、武官が続々と招集されてきた。一気に空気が物々しくなる。
そんな様子を、「再臨」こと高階海人(仮)は頭が高速で空転するのを感じながら眺めていた。そんな彼の横に、例の優男風の公卿が音もなく立つ。
「神子様、先ほどは突然お呼びして申し訳ありませんでした。せめて犬麻呂、仁王丸には伝えておこうと思ったのですが、やむを得ない事情がありそれも叶わず」
「えっ?あ、ああ…まぁ事情があったなら…しかし事情って…」
どう考えても空気の読めてないタイミングで謝罪を口にした師忠に若干困惑しつつも、海人はその謝罪を受け入れた。しかし、事情とはなんなのか――師忠はそんな疑問に対し、いつも通りの笑みを浮かべて
「少し、準備が要りまして…ね」
「準備って、何の…」
師忠は、指を唇に当てて、少し考えるようなそぶりをした後、ふっ、息を吐いた。
「それは――ちょっとした悪巧みですかね」
突如動き始めた事態。殺気立つ公卿たちの中で、師忠だけが平然と、いつも通りのにこやかな笑みを浮かべていた。
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