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二章 その日の前の日

その日の前の日【五】

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 その後の夕食の場で、最終的に世界を渡るメンバーを確定させたことを報告した。
 
 向こうに行くのは僕とメア、セリナさん、それからシュナの四人だ。
 
 ルルコットとリックとコノハさんが残ってくれるなら、ダンジョン運営に関して心配はなかった。リメリーさんに依頼したイベントのスケジュールと仕込みの共有、宝物プライズの生産状況の確認と配置に関する意識合わせ、モンスターの在庫管理を指示するだけで引継ぎは終わった。
 明日のダンジョンのオープン時間は王都側の警備兵の朝の規制時間を延ばすことで調整した。十一時に繰り下げになったことをそれぞれの勇者ギルドにはリメリーさん経由で連絡済みだ。

 食器を下げに来たシェフのドレメルに少し不在にするからみんなをよろしくと伝えると、恭しく頭を下げて了解の意を僕に示した。

  何もないと思うけれど、万が一何かあった時のためにルルコットに魔導装身具の準備だけお願いして、明日に備えるために自室に戻った。

「朝は十時だからそこまで早くない時間だけど、メアはちゃんと起きれるのかな……」

 シャワーを浴びて、伸びた髪がなかなか乾かないから頭にタオルをかけたまま寝室に戻る。

「うきゃっ!」
「うわっ、びっくりした」
「びっくりしたはこっちだから! 急に裸なんか見せないでよ!」

 ベッドに寝転がったままメアが叫んだ。そのまま枕に顔をうずめるようにする。

「いや、ちゃんと履いてるけど」
「上の話だから。なんで裸なの!」

 枕越しのこもった声でメアが言う。

「なんでって、髪の毛がなかなか乾かなくって。ルルコットが変身トランスを解いてくれなかったんだよ」

 パジャマが濡れて寝るときに気持ち悪くなりそうだったから、乾くまでタオルでしのごうとしていた。身体を洗うのはまだいいとして、長い髪がこんなにシャワーの邪魔になるとは思わなかった。オーバーライドの姿で浴室に入ることなんて今までなかったから。

「――お兄ちゃんのばか! いいから早くシャツでもなんでも着て!」

 そおっと顔をずらしてこっちを見たメアが僕の姿を見てまたぼふっと枕に戻った。

「なんなの急に……」

 言われた通りシャツを着る。普段オーバーライドを発動したときに服が破れ散らないようにオーバーサイズしか持っていないから、今は着心地がよかった。

 暑い日なんかはお風呂上りにこの格好でしばらくいることもあるのに今日はいつになく理不尽だった。面倒だけど仕方ないからぐしゃぐしゃと髪を乾かしはじめる。

「お兄ちゃん、今の自分のカッコ分かってる?」

 すごく大きなため息をついたメアが言う。

「部屋の中なのに……もう着たけど」

「私がいるんだよ?」

「分かってるよ。だからちゃんと履いてたでしょ」

「上も着なきゃだめ――年頃の若い男の人が自分の部屋に裸でいるのは女の子からするとすごくドキドキすることなの」

「――血のつながった兄だよ?」

「今は普段と違うじゃん! とにかく、そのカッコで裸は絶対だめ」

 背の低い僕のままなら許されるけど、ここまで成長した僕の姿だと許されないみたいだった。

「わかったよ」
「それからそのカッコでその言葉遣い、やっぱりすっごく変。またディアに魔法かけてもらえば」

 セリナさんのことをメアはディアフォールから取ってディアと呼ぶ。


 ところで、今聞き流せない言葉が聞こえた。


「やっぱり何か魔法かけられてたんだ……」

 自分でも気付かないくらいに性格も言葉遣いも変わるなんて、さすがに姿と気分が変わったくらいじゃありえない。おかげでコノハさんの前で少し恥ずかしい思いをさせられた。

「ディアは『針を刺した』って言ってたけど」
「そんなの僕にかけてたの!?」

 ディア――セリナさんの言う針は、脳に差して電気信号をハイジャックする魔法の楔のことだ。外から働きかけるんじゃなくて、中から強制的に体の動きまで制御することができてしまう。

「あ――でも明日はそれでもいい気がしてきた」

 セリナさんの電気信号の針は、オーバーロードと違って脳構造が書き換わったり戻ったりするわけじゃないから、記憶があとになってもちゃんと残ってくれる。気兼ねなく研修と外交に集中するためにはそれでもいいかもしれない。明日ルルコットとセリナさんに相談してみよう。もしかしたらもう決まってることかもしれないけど。

「そういえば、コノハちゃんじゃなくてシュナちゃんが来ることになったんだね」

 メアが体を起こして自分のベッドに座り直す。お風呂に入ったあとだから、今はふわもこのピンクのパジャマを着ていた。

「うん。コノハさんがどうしても『うん』って言ってくれなくて。ホントのところを言うと、断られると思ってなかったんだけど」

「うわ、お兄ちゃんが思い上がってる」

「仕事での話だよ!? せっかくまじめに相談しようとしてるのに」

 コノハさんは、僕がお願いすると結構な無茶でもこれまでずっと聞いてくれてきた。今回も研修の一環で仕事には変わりないから、ついてきてくれるものだと思っていた。

 そんな事を考えながら、バスルームにタオルを戻して、また寝室に戻る。
 僕はメアの向かい側、自分のベッドに腰かける。

「コノハさんはシュナに成長の機会をあげたかったのかな」

 コノハさんの周りには何人かの魔導士や召喚士が補佐としてついている。僕はこれまであまり気にかけたことはなかったけど、コノハさんはそのあたりの弟子の育成に特に熱心だったのかもしれない。


「――しゅ、な?」


 メアが、細い嫌な目をして、じっとりした視線を僕に向ける。

「え、なに」
「シュナって、なに」
「なにって、友達じゃないの? シュナの方はメアとよく話すって言ってたけど」

 正しくはシュナエラだから、聞き馴染みがないのかなと思ったけど、メアもコノハさんもシュナの愛称で呼んでいるはずだからそんなこともなかった。

「なんで『シュナ』って、しかも呼び捨て?」

  じっと僕を見るメア。何も悪いことをしてないつもりだけど、あまりの視線と迫力少したじろいでしまう。

「……な、なんでって言われても。僕ルルコットもリックも呼び捨てで呼んでるじゃ――」
「それは別だから」メアがばさっと切り捨てる。「コノハちゃんのことだってさん付けで呼んでるのに、シュナちゃんのことなんで『シュナ』って呼ぶの?」
「お、お願いされたんだよ」
 本当のことを話すのに、なぜか言い訳をする気分にさせられてしまった。
「コノハさんがシュナって呼ぶから、僕も合わせてシュナさんって呼んでたんだけど、『ご主人さまにそんな風に呼ばれるのは嫌だ』って――」


「『ごしゅじんさま』ぁ!?」


 メアががばっと立ち上がって大きな声を上げた。

「シュナちゃんになんて呼ばせ方してんの!? お兄ちゃんの変態!!」

「僕が呼ばせたんじゃないから! シュナ――さんが勝手にそう呼んだの! それに僕の方もさすがにそう呼ばれるのはダメだと思って別の呼び方に直してもらったんだから」

「別、って。どんな」

「……クレフ様」

 嘘はつけなかった。だってどうせ明日になったらバレるし。

「っ――こっ――はぁ……」

 またもう一度叫ぶかと思ったら、何かを呑み込んだようで結果小さくため息をついただけだった。メアの中で何かが自己完結したらしかった。

「シュナちゃんだったらそうだよね……これ以上は『お兄様』とか言い出しかねないし」

 どくんと心臓が大きく跳ねる。顔に出てしまわないように頑張る。

「寝よ」

 メアが電気を消した。

 目が慣れていないので何も見えなくなる。布団に潜り込む音だけが聞こえた。明日の準備はもう終わっていてやることもない。仕方ないので僕も寝ることにする。
 最近は、一日がすごく長く感じる。

 ただ、日々ダンジョンの運営をこなすだけじゃなく、色んな人と話す機会が増えた。一人だけで考える時間が減った。そして明日からは別世界のダンジョンの勉強が始まる。
 
 何か大きな変化を感じながら、僕は真っ暗な天井をじっと見つめていた。
 時計の針の音もない、じっと静かな部屋。
 メアの吐息が、ほんとうに微かに聞こえる。
 もう寝たのかも知れない。

「僕は、コノハさんにもダンジョンを持ってほしいと思ってるんだ」

 ベッドであおむけになりながら呟く。

「あれだけの努力と才能があったら、僕の下になんかいなくてもダンジョンマスターとしてやっていけるんじゃないかって。だから、今回の世界渡りでまた違ったダンジョンの運営をコノハさんに見てもらいたかったんだ。新しい刺激を受けて、コノハさん自身に新しい世界に目を向けてもらいたくて」

 僕の中で感情が大きく揺れ動くのを感じながら、ゆっくりと息を吸って、吐く。誰に向けるでもない言葉を続ける。

「リックには、コノハさんがいない間、ダンジョンの全体運営に目を向けてもらいたかったんだ。そのあたりはルルコットがうまく教えてくれるはずだから、すぐは無理でも、コノハさんがいなくなった時の穴埋めをできるようにって――」

「コノハちゃん、お兄ちゃんの考えてることくらい気付いてると思うよ」

「メア? 起きてたの」

「お兄ちゃんがうるさいから」

「寝てたと思ってた」それにそんなに大きな声も出していないつもりだった。「え、気付いてるっていうのは?」
「お兄ちゃん、察しがいいときは心の中読んでるんじゃないかってくらい当てるのに。鈍感な時はホント鈍感」
「鈍感でもなんでもいいから。気付いてるって、じゃあそれでなんで今回の誘いを断るの?」
「だからこそじゃん」

「どういうこと?」

「鈍感。お兄ちゃんホント鈍感。まだお兄ちゃんと離れたくない、ってコノハちゃんは思ってるってこと。今回付いて行ったらダンジョンマスターにさせられてお兄ちゃんと別々になるってわかってて、行くわけないじゃん」

 僕はメアの言葉を飲み込んだ。そんなこと、考えもしなかったし、実際メアに言われた今も、それが理由で断るなんて信じられなかった。

「いや、そんなわけないでしょ。僕なんかのところいるより絶対ダンジョンマスターとして自立する方がいいに決まってる」

「それはお兄ちゃんの考えでしょ? コノハちゃんは違うの。それについて議論する気は私無いから」
「そ――」
「私がこんな話したっていうの、絶対コノハちゃんに言わないでね。おやすみ」

 メアが一方的に話を終わらせ、暗闇の中で寝返りを打つような音だけが聞こえた。その後は僕が何を話しかけても答えてくれなかった。

 僕はしばらく寝付けなかった。
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