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四章 気障な道化は、導く
白い天井
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白い天井と蛍光灯。
目が覚めたときに最初に視界に入ってきたものだ。
「……生きてる」
どうやらベッドに横たわっているらしかった。
私の記憶は、戦場で途切れていた。
気を失う間際に見た鮮烈な光景が脳裏にフラッシュバックする。
ぞくりと身震いが走った。
そうだ、二人は――
「起きた? 元気そうね」
ばっと布団をはねのけて上体を起こした私に、一番安心する声が掛けられた。
フィリアだ。
ちょうどこの部屋に入ってきたところらしかった。白のシャツに黒のフレアスカートという、外で見る彼女にしては珍しいラフかつカジュアルな格好。帽子はかぶってはいなかった。
右手には紙コップ。湯気が出ている。
「私の眠気覚ましに買ってきたところなのだけれど。飲む?」
頷いて、コップを受け取る。
少し熱かったが、紅茶の香りと甘味が体を満たしていく。いつもの調子の彼女に、私も落ち着きを取り戻した。
「医務室?」
周りを見る限りそうだろう。二階の病棟の一室だと思った。ただ、個室であるが、時計と椅子くらいしか見当たらない。点滴すら無かった。
椅子の背もたれにはフィリアのいつものマジカル・ハットが掛けられていた。
「ええ。あのあと駆けつけた『番人』が運んでくれたわ。運良く巡回中だった警邏部隊とも合流できたしね」
そういうフィリアの頬には、小さな絆創膏が貼られている。何かで切ったのだろうか。
けれど、逆に言えば目立つ怪我はそれだけだった。通常の潜入よりも負傷が無いくらいだ。
私の体は――問題なく動く。別段痛みも無かった。強いて言えば、軽い頭痛くらいだ。地面に打ち付けたものか、ノックバックの後遺症か。
「……どうして?」
「何が?」
フィリアが調子を変えずに言葉を返す。
「怪我よ。そもそもあの状況から生きて帰れたのが不思議なくらいだわ。幻でも見たのかしら」
頭が働かないのは長時間寝ていたせいだろうか。確かに三部隊集まればなんとかあの二体の死神を倒せたかもしれないだろうけど――
「話したいことはたくさんあるのだけれど話せることがあまりないの……まずは研究本部へ行くことね。私がここにいたのはそのためでもあるのよ」
「サイファーの件よね」
「もちろん、一つはそれ。新しい契約を交わさないとね。破片は回収されているから引き継ぎは楽よ」
「それで、他には何が?」
「行けば分かるわ。それに、まだ余計なことは知らない方がいいわ」
「何があったの?」
「『何か起こったかどうか』は、あなたが決めることよ」
なんとなく違和感を感じる。確かにいつもフィリアはこんな言い回しをするけれど、今日はどことなく上の空であるような、心がここに無いような、そんな印象だった。
「何よそれ……そういえば、あいつは」
「あいつ、って。誰のことかしら」
「とぼけるところじゃないでしょ――生きてるの?」
最悪の想像が頭をよぎった。
不安になりながらも、しかしどうしようもなく気になって、私は躊躇いがちに尋ねる。
「……ええ。生きてる、と思うわ」
フィリアから帰ってきたのは納得のいく答えではなかった。
気絶する寸前の記憶を辿る。
私が見たのは、片腕になって刀を振るうクライスだった。
とても無事で済んだとは思えない。
その惨状を記憶しているからこそ私のほぼ無傷の状態に違和感があったのだ。
彼は、代理詠唱と共鳴強化で私たちの援護をしながら、背後の死神の相手をしていた。
そのせいであの傷を負ったとなると――後味が悪いどころの話ではない。
「あいつ今どこにいるのよ」
かなり間があって、それから避けるようにくるりと背中を向けたフィリアが、小さな声で言葉を返してきた。
「……知らないわ。戻ってきてないのだもの」
■
黒の塔は兵隊が集う軍部であるのに対し、白の塔は研究者が集まるラボだ。
五十階建ての二つの建物は、六つの連結路によって繋がれている。八の倍数階ごとに設置されたその通路は、移動のために特別な許可証と身分確認が必要とされる。関税ゲートを通過するがごとく。
それぞれは互いに、文字通り外国となる。
軍部はリリ=ステイシア公国の組織であるが、研究本部には世界機関から人的にも物的にも援助が出ている。WiiGが設立され、公認鉱区というものが設定されて以後、研究施設は全てそのWiiGに属するものとなった。その目的は研究成果の共有のためとも資源の有効活用とも言われているが、内部で何が行われているかは一般の人間の知るところにはない。
兵士である私たちでも、サイファーの所有者登録のために一度立ち入ったことがあるくらいだ。
世界各地の国々から様々な人が集まり未知の研究を繰り返すその建物を、『悪魔の花園』と呼ぶ者が居るのは無理からぬことだろう。
私は、自分の本拠地である司令本部七階の窓口の奥に案内されて階段を上り、ゲートを通過して白の塔に渡ってからさらにエレベータで四十八階まで昇る。階層パネルはところどころ表示が抜けていた。
研究本部長直々の御用達だ。
ラボからやってきたであろう白衣の二人に左右を挟まれるようにしてここまでやってきた。彼らは、フィリアが病室を出ていった直後に入れ替わりで入ってきた。二人とも初めて見る顔だった。
そんな考え事を色々としているうちに、くねくねと曲がりくねった通路を経て、最奥へと辿り着く。
そこには白く無機質な壁以外には何もなかった。
いや、肩の高さくらいにカメラとタッチパネルが埋め込まれている。
そこに白衣の一人がIDカードと思しきものをかざすと、埋め込みカメラの横のランプが黄色に灯った。
今度はカードを扱ったのと別の男がカメラに向かう。
必要以上に顔を近づけると、今度は黄色のランプが緑に変わった。
あれだけ接近すれば相貌の確認どころではないだろう。虹彩認証だろうか。
直後、何の変哲もない壁――埋め込まれた認証機器を除けば――が、重厚な機械音とともに左右に割れた。
現れたのは、部屋ではなく階下へと続く階段であった。薄暗い中に橙色の灯りが埋め込まれたその通路は地下坑道を思い起こさせた。
Uターンするようにねじれた階段を三人で歩き、ついに木の両開きの扉へと至った。無機物の中に突如現れた茶色のそれは明らかに浮いていた。
男が軽く三回、扉をノックする。
「入りたまえ」
老人であろう人物の声が響いた。
拡声器を通したかのような、ノイズ混じりの音が耳に入ってくる。それはドアの向こうからではなく、どこかのスピーカーから発された音であった。
そして、なぜか、自動で扉が開いた。
薄暗い通路から一転せず、その部屋もまた薄暗かった。
が、目には無数の明かりが飛び込んでくる。
一歩踏み込んでの感想は、まるで艦橋だった。
その部屋をぐるっと囲むように一面にモニターが設置されている。
そのいくつかは監視カメラの映像のようにどこかの部屋を映していて、いくつかは何かのチャートが表示されていて、またいくつかには何かの数字が羅列されていた。その下には、ボタンやらレバーやらが色々付いた複雑な操作盤が、バックライトに照らされて確認できた。
宇宙船のコックピットのような、はたまた潜水艦の操舵室のような光景。
まさに此処こそが『指令室』と呼ぶに相応しいと思った。
黒の塔に棲む指令本部長のアナログな執務室とは雲泥の差だ。格の違い、というよりも資金力の違いを感じる。
それが確認できたのも束の間、モニターの表示が真正面の巨大なものを残して全て消えた。直後、部屋の明かりが付く。白で統一されているはずの壁面がモニターのせいで真っ黒だった。
そして、先程はブラックアウトして見えなかったのだが、立方体のガラスケースが目に飛び込んできた。それは部屋のちょうど真ん中、赤い台座の上に設置されている。
「――ネネカ・ノイエン・ブランデンベルクに相違ないな」
目が覚めたときに最初に視界に入ってきたものだ。
「……生きてる」
どうやらベッドに横たわっているらしかった。
私の記憶は、戦場で途切れていた。
気を失う間際に見た鮮烈な光景が脳裏にフラッシュバックする。
ぞくりと身震いが走った。
そうだ、二人は――
「起きた? 元気そうね」
ばっと布団をはねのけて上体を起こした私に、一番安心する声が掛けられた。
フィリアだ。
ちょうどこの部屋に入ってきたところらしかった。白のシャツに黒のフレアスカートという、外で見る彼女にしては珍しいラフかつカジュアルな格好。帽子はかぶってはいなかった。
右手には紙コップ。湯気が出ている。
「私の眠気覚ましに買ってきたところなのだけれど。飲む?」
頷いて、コップを受け取る。
少し熱かったが、紅茶の香りと甘味が体を満たしていく。いつもの調子の彼女に、私も落ち着きを取り戻した。
「医務室?」
周りを見る限りそうだろう。二階の病棟の一室だと思った。ただ、個室であるが、時計と椅子くらいしか見当たらない。点滴すら無かった。
椅子の背もたれにはフィリアのいつものマジカル・ハットが掛けられていた。
「ええ。あのあと駆けつけた『番人』が運んでくれたわ。運良く巡回中だった警邏部隊とも合流できたしね」
そういうフィリアの頬には、小さな絆創膏が貼られている。何かで切ったのだろうか。
けれど、逆に言えば目立つ怪我はそれだけだった。通常の潜入よりも負傷が無いくらいだ。
私の体は――問題なく動く。別段痛みも無かった。強いて言えば、軽い頭痛くらいだ。地面に打ち付けたものか、ノックバックの後遺症か。
「……どうして?」
「何が?」
フィリアが調子を変えずに言葉を返す。
「怪我よ。そもそもあの状況から生きて帰れたのが不思議なくらいだわ。幻でも見たのかしら」
頭が働かないのは長時間寝ていたせいだろうか。確かに三部隊集まればなんとかあの二体の死神を倒せたかもしれないだろうけど――
「話したいことはたくさんあるのだけれど話せることがあまりないの……まずは研究本部へ行くことね。私がここにいたのはそのためでもあるのよ」
「サイファーの件よね」
「もちろん、一つはそれ。新しい契約を交わさないとね。破片は回収されているから引き継ぎは楽よ」
「それで、他には何が?」
「行けば分かるわ。それに、まだ余計なことは知らない方がいいわ」
「何があったの?」
「『何か起こったかどうか』は、あなたが決めることよ」
なんとなく違和感を感じる。確かにいつもフィリアはこんな言い回しをするけれど、今日はどことなく上の空であるような、心がここに無いような、そんな印象だった。
「何よそれ……そういえば、あいつは」
「あいつ、って。誰のことかしら」
「とぼけるところじゃないでしょ――生きてるの?」
最悪の想像が頭をよぎった。
不安になりながらも、しかしどうしようもなく気になって、私は躊躇いがちに尋ねる。
「……ええ。生きてる、と思うわ」
フィリアから帰ってきたのは納得のいく答えではなかった。
気絶する寸前の記憶を辿る。
私が見たのは、片腕になって刀を振るうクライスだった。
とても無事で済んだとは思えない。
その惨状を記憶しているからこそ私のほぼ無傷の状態に違和感があったのだ。
彼は、代理詠唱と共鳴強化で私たちの援護をしながら、背後の死神の相手をしていた。
そのせいであの傷を負ったとなると――後味が悪いどころの話ではない。
「あいつ今どこにいるのよ」
かなり間があって、それから避けるようにくるりと背中を向けたフィリアが、小さな声で言葉を返してきた。
「……知らないわ。戻ってきてないのだもの」
■
黒の塔は兵隊が集う軍部であるのに対し、白の塔は研究者が集まるラボだ。
五十階建ての二つの建物は、六つの連結路によって繋がれている。八の倍数階ごとに設置されたその通路は、移動のために特別な許可証と身分確認が必要とされる。関税ゲートを通過するがごとく。
それぞれは互いに、文字通り外国となる。
軍部はリリ=ステイシア公国の組織であるが、研究本部には世界機関から人的にも物的にも援助が出ている。WiiGが設立され、公認鉱区というものが設定されて以後、研究施設は全てそのWiiGに属するものとなった。その目的は研究成果の共有のためとも資源の有効活用とも言われているが、内部で何が行われているかは一般の人間の知るところにはない。
兵士である私たちでも、サイファーの所有者登録のために一度立ち入ったことがあるくらいだ。
世界各地の国々から様々な人が集まり未知の研究を繰り返すその建物を、『悪魔の花園』と呼ぶ者が居るのは無理からぬことだろう。
私は、自分の本拠地である司令本部七階の窓口の奥に案内されて階段を上り、ゲートを通過して白の塔に渡ってからさらにエレベータで四十八階まで昇る。階層パネルはところどころ表示が抜けていた。
研究本部長直々の御用達だ。
ラボからやってきたであろう白衣の二人に左右を挟まれるようにしてここまでやってきた。彼らは、フィリアが病室を出ていった直後に入れ替わりで入ってきた。二人とも初めて見る顔だった。
そんな考え事を色々としているうちに、くねくねと曲がりくねった通路を経て、最奥へと辿り着く。
そこには白く無機質な壁以外には何もなかった。
いや、肩の高さくらいにカメラとタッチパネルが埋め込まれている。
そこに白衣の一人がIDカードと思しきものをかざすと、埋め込みカメラの横のランプが黄色に灯った。
今度はカードを扱ったのと別の男がカメラに向かう。
必要以上に顔を近づけると、今度は黄色のランプが緑に変わった。
あれだけ接近すれば相貌の確認どころではないだろう。虹彩認証だろうか。
直後、何の変哲もない壁――埋め込まれた認証機器を除けば――が、重厚な機械音とともに左右に割れた。
現れたのは、部屋ではなく階下へと続く階段であった。薄暗い中に橙色の灯りが埋め込まれたその通路は地下坑道を思い起こさせた。
Uターンするようにねじれた階段を三人で歩き、ついに木の両開きの扉へと至った。無機物の中に突如現れた茶色のそれは明らかに浮いていた。
男が軽く三回、扉をノックする。
「入りたまえ」
老人であろう人物の声が響いた。
拡声器を通したかのような、ノイズ混じりの音が耳に入ってくる。それはドアの向こうからではなく、どこかのスピーカーから発された音であった。
そして、なぜか、自動で扉が開いた。
薄暗い通路から一転せず、その部屋もまた薄暗かった。
が、目には無数の明かりが飛び込んでくる。
一歩踏み込んでの感想は、まるで艦橋だった。
その部屋をぐるっと囲むように一面にモニターが設置されている。
そのいくつかは監視カメラの映像のようにどこかの部屋を映していて、いくつかは何かのチャートが表示されていて、またいくつかには何かの数字が羅列されていた。その下には、ボタンやらレバーやらが色々付いた複雑な操作盤が、バックライトに照らされて確認できた。
宇宙船のコックピットのような、はたまた潜水艦の操舵室のような光景。
まさに此処こそが『指令室』と呼ぶに相応しいと思った。
黒の塔に棲む指令本部長のアナログな執務室とは雲泥の差だ。格の違い、というよりも資金力の違いを感じる。
それが確認できたのも束の間、モニターの表示が真正面の巨大なものを残して全て消えた。直後、部屋の明かりが付く。白で統一されているはずの壁面がモニターのせいで真っ黒だった。
そして、先程はブラックアウトして見えなかったのだが、立方体のガラスケースが目に飛び込んできた。それは部屋のちょうど真ん中、赤い台座の上に設置されている。
「――ネネカ・ノイエン・ブランデンベルクに相違ないな」
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