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三章 訳知る魔女は、謳う

絵に描いたような絶望

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 クライスの檄が飛んでようやく事態を把握した。私は余波でふらつくフィリアの手を取り、背後をクライスに任せて走り出す。

 風のクラリアだ。先ほど奴の鎌から放たれたのは風の刃だった。

 サイファーを扱う私たちが使えるものが、どうしてセグメントに使役出来ないことがあろうか。その理屈は理解できるし、個体によっては火を噴くものな、報告が上がっている化物セグメントはいる。
 ただし、今回の討伐対象がそうであるとは、聞いていなかった。
 嫌な汗が背中を伝う。
 道はすぐに部屋へと私たちを導いた。

 が、開けた視界に真っ先に飛び込んできたものは。


「――嘘」

 ディルナ・ディアス。

 戦闘でかは分からないが、片方の鎌を失った隻腕の死神がその部屋で待ち構えていた。
 さっきのものとは別個体であり、すなわち――

「挟まれたわね」

 フィリアが私の手をほどいて呟く。
 敵の攻撃の手の内を知ったフィリアは、飛ぶ斬撃にそなえていつでも防御壁を展開出来るように武器を長尺の杖に変えていた。

 複数の強敵と遭遇した場合は速やかに撤退し、別働隊と合流して各個撃破に努めるのが定石だが――

 辺りを確認する。
 この土のドームに出入り口は二つ。一つは今来た道。もう一つは、隻腕の死神が立ちふさがる向こうの道。まるで私たちをここから逃がすまいとでもしているかのような敵の配置だ。

「おい何を止まってる」

 背後からクライスが追いついてきた。緊迫した表情ながらも状況把握は怠らない。彼が着る軍服に二三、鋭利な刃物をかすらせたような裂け目が見える。出血は確認できない。

「……なるほど」

 事態の深刻さを見て取ったクライスがサイファーを浮かせ、空いた右手を懐に突っ込んだ。
 取り出したのは、紫に光る立方体の水晶。
 グラスに入れる氷ほどの大きさのその物体をただちに握り潰す。それは無数の細かい粒子となって空中に霧散し姿を消した。

 救援要請だ。

 『イーラ』と呼ばれるその紫水晶は、ある地点の位置情報を記録した後に結晶崩壊し、別座標で再構築される。記録できる情報は位置情報だけではなく文字や音と様々だ。
 つまり、電波の届かない地下での電子メールのような扱いだ。これで転移の間に居る『番人』に緊急事態が伝わったはずだった。

「この地点ならどれだけ早くても二十分はかかるわね」

 フィリアが見立てを述べたと同時、背後でシャリシャリと金属の擦れ合う音が鳴る。
 一体目が追いついてきてしまった。
 両腕の鎌をいやらしく擦り合わせている。
 無理矢理分類するならセグメントは鉱物と植物の間みたいなものなのだが、目の前のそれからはどこか人間臭さを感じてしまう。それは姿形のみから来るものではない気がした。

「どちらかに集中攻撃して一点突破を図るのはどう?」
 轟、と渦巻く炎とともに私自身の武器を展開した。しっかりと両手で剣を持ち、体を半身にしてどちらからの攻撃にも対応できる構えを取る。
「その案だとどちらか一体に背後を許すことになるわよ」
 フィリアが異議を唱える。
 我が身で命の危険を感じたのだからそれも当然のことだろう。

 先ほどはクライスが居たから良かったものの、もしあれが並のエンジニアだったなら。

 あの時の斬撃は、狭い通路で逃げ場のないフィリアの胴体を両断していた可能性もあった。

「……基本陣形で行こう。隻腕を潰す」
 右手にサイファーを掴み直したクライスが言う。刀は逆の手に逆手で握られたままだ。
「だからそれだともう一体が――」
「背後の斬撃は全て俺が請け負う。話している暇はない。行くぞ」

 クライスが言うと同時、共鳴接続が一時的に強化された。

 二体の鉱物的混合種が発する磁場が共振を阻害する中、この共鳴率をキープできるのは驚異だ。だがそれについての言葉を交わす余裕はない。
 私は覚悟を決め、正面の敵に向かって駆けた。この共鳴接続は長くは続かないと感じていた。

 距離にして二十メートルほど。風の斬撃がある敵に間合いなどあってないようなものだ。一気に懐に飛び込んでしまう他ない。

 奴の右腕が振り上げられ、斜めに振り下ろされた。陽炎の如く空間がゆらりと歪む。斬撃が飛んでくるのを予感して、体の正面に地面に水平になるように剣をかざす。

「『レドナ』!」
 
 背後からフィリアの詠唱の声が飛ぶ。
 死神と私を結ぶ直線上に、淡いブルーの透き通った氷壁が立ち上る。
 視界は塞がることなく、透過して向こう側が確認できる。

 それは見事に緩衝材の役目を果たした。

 ディルナ・ディアスが放った風の刃はフィオナが生み出した氷に遮られる。が、完全に受け止めることはかなわなかった。ガリガリガリガリと細かいひびを形成して、対角線上に亀裂が走る。
 十分な効果だ。
 見えない斬撃に対抗するには点でも線でもなく面で迎えてやればいい。

 私に一瞬の時間を与えたその防壁は直後に千々に崩壊する。飛び込み前転の要領で地面すれすれにその破片の雨を突っ切った。

 三つ。確認できたことがある。

 一つは、奴が放つかまいたちは、それほど速くはない。せいぜいキャッチボールで投げられるボールのスピード程度だ。
 二つ目。その太刀筋は、奴が振るった鎌の軌道と寸分違わない。見極めればそれだけで回避することは可能だった。
 最後に、風の刃の長さには限界があり、攻撃力は全てに一定でない。『レドナ』に入った亀裂は真ん中を中心に約二メートル。端に行く程ひびが小さくなっていた。
 直撃さえ避ければ、致命傷にはならない。

「『地に堕つ翼、荘厳な調べを奏で、虚空に祈れ』! 荒れ狂え、『アギラ』!!」

 握る剣に、小さな炎の台風が巻きついていく。我が身に触れる炎が服の一部を焦がす。
 そうして先の転がる姿勢から起き上がり、遠心力のまま体を捻ってジャイアントスイングの如く二回転しながら焔を纏ったバスターソードを振り切った。
 その二度目の回転斬りの最中、剣先がギリギリ敵の腹部をかすめる。
 体の勢いは、自重で沈んだ剣が地面を大きく抉って大量の土砂を斜め後方に撒き散らすことでようやく止まった。

――浅い。

 舌打ちを一つ。
 死神は、物理的な射程距離に入ってきた私を迎撃するべく片腕の鎌を構えた。

 が、その鎌が私を捉えることはない。

 ディルナ・ディアスは一瞬の硬直のあと、全身を襲った波動を受けて背後の壁まで吹き飛んだ。

 先の技は、殺傷力ではなく衝撃力を極めたものだ。刃のみならず炎に対象がヒットするだけで発動する。
 岩壁に死神がぶち当たった衝撃はこの部屋全体を揺らした。見かけによらず体重はあるようだ。鉄や鉛の類を吸収しているのだから当然ではある。

「――レゼッタ・フェイ・クィ・ラ・ロ・ベンデ――『ラドーリ・ヒルノシエラ』!」

 直後、フィリアの追撃が漆黒の四肢を襲う。いや、四本足にプラスすることの片腕の鎌で五肢だ。ちょうど五本の槍が飛んできてそれぞれピンポイントで五肢の付け根に刺さる。

 私は渦巻く焔を剣を掲げ、再び敵に突進していた。逸る気持ちをなんとか抑えながら。

 刹那、脳にクライスの意思が流れ込んでくる。ぞっとした。代理詠唱完了の合図だ。別個体を一体相手にしながらこのノイズの中共鳴による強化のみならずここまでやってのけるなんて。それでも私に後方を確認する余裕はない。全身全霊を眼前の敵に集中させる。

「これで終わりよ! 『エラトス・ブラス――」
 

 ガギギギギギギ、と連続した不協和音が響く。
 
 何が起こったのか分からなかった。

 フィリアの叫び声が聞こえた。

 術式を展開しながら真っ直ぐ振り下ろした剣が静止していた。

 
 身動きを封じた筈の敵が、その姿を異なるものへと変えていた。

 ディルナ・ディアスの体を覆っていた黒い鉄のローブが開き、隠されていた無数の鋭利な肋骨のようなものが露わになっている。突如現れた巨大な口は、左右から噛み付くようにして私の剣を貫いていた。

 先の音は、これだった。
 鎌のような槍のような、腹から飛び出た牙に、私の剣が幾重にも串刺しにされている。
 上体を大きく反らした死神は、笑っているようでもあった。


 ああ――

 直後、雷に打たれたような強烈な衝撃が全身を襲った。
 
 サイファーの破壊による、使役者へのノックバック。運の悪いことに強力な術式を展開中に。

 そのまま真後ろに倒れ込んだ私は、気を失う前に逆さの光景を見た。
 何かを叫びながら巨大なランスを魔法陣とともに展開するフィリアと。

 それから背後の別個体と一人で戦い抜くクライスと。

 彼の腕は、攻撃を受けてか、片方が失われていた。
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