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三章 訳知る魔女は、謳う

不届き者

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「こらー、早く出てきなさーい!」

 どんどんどん。

 インターホンがあるのにも関わらず、私は重厚な扉を乱暴にノックする。

 二十階、六号室。

「集合は十時に窓口前って決めてたんだから、まだ寝ててもおかしくないと思うけど」
 そう言うフィリアも寝ぼけ眼をこすっている。一応いつもの帽子をかぶって服も軍服に着替えてはいるものの、このままミッションをこなせるようなコンディションには見えなかった。

 昨日は結局あのまま眠りに落ちた。
 それから朝一で起床して自分の部屋に戻って支度を調え、さらに七階の窓口で自分の隊員の照会を依頼して部屋番号を入手し、そうしてまたエレベータでこの階まで上がってきた。
 朝とはいえ、男の部屋に一人で上がるわけにはいかないので、当然フィリアを引き連れて。と、急に扉が開いた。

「誰だ朝から」

 この隊舎内には日の光が入らないので、日付感覚どころか時間感覚もないはずなのに、こいつはばっちり体内時計が機能しているらしかった。

 時刻は午前七時ちょっと前。
 こいつは既に起床していたらしく、上着こそ羽織っていないものの制服を着ていた。
 首元のボタンが留まっていない白のカッターシャツに、下はダークグレーのズボン。軍服とは言えど、伸縮性に富んだスーツのようなものである。女性は下が膝丈までのスカートでソックスやタイツを履いているという違いがある。

「お邪魔するわよ」
 私は男の脇をすり抜けて中へと入っていく。
「おい待て待て待ていきなり何の用事だ」

 男の制止が聞こえてくるが構わず靴を脱いで上がる。腕を掴まれたりして物理的に止められることは無かった。

 がちゃっと部屋の扉を開けたとき、玄関のフィリアが小さい声で「お邪魔しまーす」と呟いたのが聞こえてきた。クライスの「何なんだ一体……」という嘆きと共に。
 
   ■
    
「普通ね」

 軍からの支給品で固められた部屋。というか初期装備のままなのではなかろうか。

 黒のシーツをかぶったベッドが一台、小型冷蔵庫が一台、それからエンジニアには必須の、解析用のノートパソコンがデスクの上に置かれている。
 男はその前に置いてある回転式の椅子に不機嫌そうに腰掛けた。

「……一体何しに来たんだ」

 壁に立てかけられた剣を除けば、この男の素性を明かすヒントになるような物は一切無かった。それも不自然な程に。大陸を渡る程の移動であれば生活必需品などは現地調達が基本になるが、それを加味してもこの部屋には何もなかった。

「――あんたに、この国に来た理由を聞きに来たのよ」
「あのね、ネネカ。その質問の仕方で教えてくれるくらいなら昨日教えてくれてたと思うのだけれど」
「わ、わかってるわよそんなこと――」

 当の男はと言えば、いつもの我関せずの清ました顔で座っていた。一人で勝手にコーヒーなど飲んでいる。

「って聞いてる!? あんたの話よ!」

 私の威嚇を意に介した様子もなく、のんびりとカップを机の上に置いて――その時になって漸く、クライスが死角になっている逆の手にサイファーを掴んでいるのに気付いた。

 しまっ――

っ」
 防御する間も無く、直後にピリッとした痛みが私の首筋に走った。それは肩口に浮かんだ私自身のサイファーから発せられた電気信号の刺激だとすぐに分かった。

 ひどく落ち着き払った様子でクライスが口を開く。

「……なんだ、俺がスパイだと思って探りに来たのか」
「――やってくれるわねあんた」

 フィリアも喰らったらしく、首の後ろを手で押さえている。正確には攻撃ではない。共鳴接続時に共振が極められて生じる、同調シンパシーと呼ばれる現象。

 戦闘中にエンジニアが前衛・後衛と意思疎通の手段として行われるもので、要は心を読むものだ。ハイクラスのエンジニアでも発動までに一分以上の準備を要するのが、こいつは一瞬でその強度までサイファーの反応震度を高めたらしい。痛みがフィードバックされたのがその証拠だ。

 油断ならない奴の前で油断をしてしまった自分の愚かしさに腹が立つ。
 クライスは嫌疑がかかっているのにもかかわらずひどく堂々としていた。

「発想の飛躍にも程がある。よく考えろ、そもそも俺の素性はこの採掘場のボスがよく知っているだろう」

 開き直っている風でもあるその表情に、私の不快感が高まっていく。ただ、確かにクライスの言う通りでもあった。受け入れるかどうかも、こちらの判断次第だ。入隊には入国よりも厳しい制限がかかる。身辺調査を行った結果何か不都合が見つかればここにはいられないはずだった。

「それに、そっちの少女が考えてる通りだ」

 一方で水を向けられたフィリアは帽子のつばをぎゅっと握って顔を隠してしまった。

「何よそれ。ちょっとフィリア。何考えてたの」
 クライスのセリフに、先にこちらが気になった。男を追及するのは後回しだ。
「昨日言わなかったことよ。ほら、諜報員じゃない単純な根拠」

 微かに笑っているような口調であったが、見下ろす形になっている私には帽子が邪魔で彼女の表情までは確認できない。
 若干の苛立ちを感じながらも、その矛先は男に向けた。元凶は何もかもこいつだ。

「分からないのか? 諜報とはすなわち隠密だ。何か俺に目的があるのであれば、内々に事を運ばなければならない」

 持って回った言い方をする奴だ。いちいち腹が立ってしょうがなかったが、我慢して先を促す。
 が、次に発せられたクライスの答えにとうとう爆発した。
 
「はあ!? なんですって!?!?」
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