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二章 異国の兵士は、騙る

BKなんじゃないの

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 七階の窓口の横に設置されているセキュリティゲートで、サイファーと登録者であるユーザーの一致、さらに隊士が全員揃っていることが確認されると、下に降りる階段へと案内される。
 それから窓口の奥にいた軍服を羽織る男二人に連れられ、六階。
 ビルに設置されたエレベータはこの階には停まらない。先の階段が唯一の連絡道となっている。
 ここに設置された十台の『転移魔床』に乗って、それぞれ目当ての階層に向かうのだ。
 各階層二台ずつ割り当てられており、私たちは真ん中右のものに歩みを進める。

 それは、文字通り床である。

 五メートル四方の銀板の四隅にはこれまた銀色の私の身の丈ほどの支柱が立っており、頂端には加工されて綺麗な球になったカルディアが乗っかっている。
 
 この乗り物に転落防止の柵はない。そもそも必要ないのだ。

 『転移魔床』が四方の壁に沿うようにして変形しながら移動するので、落ちる隙間が存在しない。
 かといって、端に立つのは危険ではあるが。

 そうして三人とも乗り込んだのを確認すると、二人の係りの男は目を閉じ、それぞれ手に持った自身のサイファーに意識を集中させた。


 これが、『エンジニア』と呼ばれる所以だ。


 元は兵士ではなく、特定の職務従事者を呼称したものであった。
 発電所にしろ工場機械にしろ、カルディアを動力として扱うには必ず操作主を必要とする。
 その操作を担当する男たちをエンジニアと呼んだのだ。

 当時は、加工された魔石に意思を伝えて波動をコントロール出来る人間はごく僅かしかいなかった。
 というのも、カルディアを巡る権益はほとんど全て貴族が独占しており、自分達の波長に合わせた魔石を研究者達に作らせていたからだ。

 カルディアは、血に共鳴する。

 それを特定の血族にのみ適合するように加工してきたのだ。
 サイファーを作り出す技術こそまだ無かったものの、魔法石を人間と共鳴させるという手法は古い時代から確立されていた。

 とかくこの国の歴史上、良家の長兄が魔石とも奇跡の結晶とも呼ばれるカルディアを支配してきた。隊のエンジニアが皆揃って男であるのはその名残でもある。

 がくん。と、いつもの振動。

 彼らのサイファーが『転移魔床』との共鳴に成功したのだ。
 それからゆっくりと、安定した降下を始めた。
 操作する二人のエンジニアの姿が、上方へと消えていく。

 降下が始まってすぐに、指令本部棟のコンクリートの壁が途切れ、茶褐色の岩肌が現れる。
 地下に潜ったことを示していた。
 所々から鋭利な石や橙色の光を放つ水晶が突き出ている。
 床は自動で形を変えて回避するから良いものの、生身の人間はそうはいかない。

 時速六十キロメートルで迫るこの凶器に直撃すれば地下迷宮で戦う前に致命傷を負う。

 私たちは床の真ん中に固まって立っていた。

 下に着くまでの三分間、誰も一言も発さなかった。
 なんとなく居心地が悪く、目で横にいるフィリアに合図を送ったのだが、困ったような複雑な表情をもって返された。

 これまでに何度も新しいエンジニアが配属されてきたが、向こう側が矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくることばかりだったので私たちから何か話しかけるということをしてこなかった。
 エンジニアは、私たちと連携するにあたって事前に確認しておかなければならないことが非常に多い。
 武器の種類、特性、能力、技、陣形、その他もろもろ。

 どうせエンジニアに期待はしていないので、男のその態度に不安を覚えるというよりは、気味が悪いという感覚に近かった。

 昇降機の速度が緩やかになり、体にわずかに重力を感じた直後、眼の前が急に明るくなった。
 何人かの人が立っているのが目に入ってくる。
 昇降機が完全に静止した後、四隅の支柱の球が銀色の輝きを失った。
 エンジニアが共鳴接続を切ったことが分かる。
 そうして第三階層の転移の間に着くなり、その黒髪の男は目の前の通路をスタスタと歩き始めた。
 驚いた『番人』の一人が「待て待て待て」と制止をかけた。その『番人』は、男。彼と同じエンジニア職であるのでまず真っ先に声が出たのだろう。

 きょとんとした彼のその顔に思わず吹き出しそうになる。

「……わざとやってるの?」
「なんだ? 何か忘れていたか」

 腑に落ちないといった表情に変わる。
 張り倒してやろうか。

「いや、違うんだけど。あんたエンジニアのくせに何私の前歩いてんのよ」

 あのジジイ、またとんでもないエンジニアを寄越してくれたわね。
 レベルさえ高ければ良いと言ったかもしれないけどそれはそういう意味じゃない。
 男はまだピンときていない顔をしていた。

 私はフィリアに目線をやるものの、ふいと目を逸らされてしまった。
 
 予想を裏切らない対応ありがとう。
 
 男は「用がないならさっさと行くぞ」みたいな顔をしている。
 良くないわよ待ちなさいよ。
 でも何から説明すればいいのかが分からない。
 まるで素人か子供と相対しているような感覚すら覚える。

 そうして私が困っているところに、思わぬところから助け舟が出された。
 
「この国の現場は初めてらしいな」
 
 聞き覚えのある声の主は、番人の一人、白く輝く甲冑に身を包んだ女性だった。
 肩口に浮かぶのは、火属性であることを示す赤のサイファー。
 私の深く重たい色とは違い、燃えるように鮮やかな朱色。

 まさか、第三階層で出会えるとは思っていなかった。
 死角にいたせいか気配が消されていたせいか、私は今その存在に気付く。
 思わず背筋がぴんと伸びた。

「――ああ」
 男が返事をした。
 誰だお前は、と言葉を続けそうなぶっきらぼうな物言いに、私は心臓が止まりそうになる。
「ちょ、ちょっと!」

 慌てて男の腕をぐいっと引っ張った。こいつ、本当に何にも知らないの!?

「サクヤ・ウィンザー様よ。レベル5の前衛で……っと、とにかくすごい人なんだから!」

 小声で急いで教えてやる。
 どう凄いかは、言葉に窮した。
 一度に伝えきれない程の情報が私の脳と胸とを埋め尽くしたからだ。

 一つの隊である以上、番人の中にも前衛・後衛・エンジニアの役割が存在する。

 この女性は中でも一番危険な前衛であり、なによりレベル5の統括官も務めているのだ。
 それはすなわち現場での指揮権限の全てを有していることを示し、かつその地位は最強の兵士であることの証でもある。かつては偵察部隊の一員として活躍しており、現在判明している五階層目のマップはほとんど全て彼女の功績である、という逸話があるほどにすごい人なのだ。

 私の憧れの女性でもあった。

 サクヤ様の存在は、ここまで上り詰めることができたなら、自らの力で制度を変えることができることの証明そのものでもあったからだ。

 そしてワンテンポ遅れて、男が口を開いた。

「……誰だお前は? 俺を知っているのか?」
「こらあんたぁ! 今私が止めたじゃないの!」

 馬鹿なんじゃないの!?

「すみません彼、隊の合流は今日が初めてで――」

 この現場のことはおろか口の利き方も何も知らない馬鹿なんです。

 許してやってください。

 幸いにもサクヤ様は男の無礼を気にした風はなく、うっすらと笑みすら浮かべていた。

「ああ。話は入っているぞ、クライス=フォン=アンファング」
「――え?」

 声を上げたのは私だった。
 対照的に男の方は表情すら変えなかった。
 サクヤ様がレベル5とはいえ一介のエンジニアを気に掛けるなんて全く考えられないことだ。
 私でも名前を覚えてもらっているかどうか分からないのに。

「そうか」

 特に興味がなさそうに男が言った。
 私はこいつのことが一気に嫌いになった。
 そして、笑みを浮かべながら続けられたサクヤ様の言葉に私はいよいよ耳を疑った。

「見ているぞ、お前のことはな。まずは戦果を期待している」

 規律を重んじ、何より自らの武を誇る彼女が、他人に、しかもエンジニアなんかに武功を期待するなんて――

 終始表情に感情を出さなかった男の目の奥が、わずかに黒く濁ったのを私は見逃さなかった。

 けれども男は別段返事を返さないまま踵を返し、三つに枝分かれした道の真ん中を選んで歩き去っていった。毒気を抜かれた私はそれをただぼーっと眺めていた。

「……追わなくていいのか?」
 さっき男を制止した番人エンジニアに声を掛けられ、はっと我に帰った。

 奴を野放しにしてはおけない。
 どこかで再起不能状態で発見されるなんて事態が起きてしまってはせっかく上がった私の位がすぐに降格なんてことにもなりかねない。

 フィリアはすでにクライスを追うように歩き始めていた。

 私は小走りで二人を追った。

 なんなのよ、もう!
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