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第1章 手紙

8 ニコライ司祭

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 雲を掴むような話だった。
 だが酒井の窪んだ眼の奥に、これまで私の脳裏に凝り固まっていた何かを溶かしてくれる力が
 潜んでいると感じた。

 その日以来、私は酒井が訪れる所へ自分から出向いて教えを聞き、納得いかぬことがあれば
 問答を繰り返した。

 知れば知るほど、基督教には世界を救う力があるように思えた。
 武士道の土台の上に基督教を置いたものが世界最善の産物であると考えるようにすらなった。

 明治六年二月、基督教禁制が解かれると、私は酒井と共に布教活動をしたいと願うようになった。
 折しも、ニコライ司祭が函館から東京神田に居を移して布教活動をしていると聞いたので
 洗礼を受けるため酒井に伴われ徒歩で上京した。

 ニコライ司祭は栗色の髭をたくわえており、四十近くに見えた。

 灰色がかった青い目をしており、長身でリャサという修道服を身に纏っていた。

 たたずまいは基督を彷彿とさせる。
 私を見るなり両手を広げ、満面の笑みをたたえながら近づいて来た。

「ようこそおいでになりました。神があなたをここへ導かれた。私は神に深く感謝せねばなりません」

 淀みない日本語に驚いた。
 聞けば来日して十年あまりで、すでに『古事記』や『日本外史』、『法華経』まで読みこなせるという。

 加えて明るい性格で、周囲は笑い声が絶えなかった。
 私はこうした司祭の影響もあり、基督教を広めていくことこそが自分の使命であると強く
 自覚するようになった。

 伊豆野に戻ると布教活動に邁進した。
 義母が亡くなり天涯孤独の身になっていたことも、私の活動を後押しした。

 胸に十字架を下げ、イコンを持って人の集まりそうな所へ赴いた。
 岩を登り沢を渡りながら山上の垂訓を幾度も唱えた。

―心の貧しき者は幸いなり 天国は彼等のものなればなり
 泣くものは幸いなり 彼等は慰めを得んとすればなり
 温柔なる者は幸いなり 彼等は地を嗣がんとすればなり
 義に飢え渇く者は幸いなり 彼等は飽くを得んとすればなり……

 白い眼で見られたり唾を吐きかけられることもあった。
 だがそれら全てが神から与えられた試練に思える。

 教えを乞いたいという者が現れた時にはその者達を坐らせ、自分は一段高いところに坐って
 語りかけた。
 シナイ山で基督が弟子たちに教えを説いた時の表情を思い浮かべながら……。

「神は一人ひとりを愛しておられる。
 祈りを唱えて自分の罪を痛悔し、許しを請いなさい。
 そしてまた祈るのだ。
 祈ることによって我々は神と共にいることができるのです」

 聞く者の中に子どもがいれば頭の上に右手を置き、左手で幼子の手を握って垂訓を唱えた。

―心の清き者は幸いなり 彼等は神を見んとすればなり
 和平を行う者は幸いなり 彼等は神の子と名付けられんとすればなり
 義の為に窘逐せらるる者は幸いなり 天国は彼等のものなればなり
 人我が為に汝らをののしり汝等を窘逐し汝等のことをいつはりて諸の悪しき言葉を言わん時 
 汝等幸いなり
 喜び楽しめよ 天には汝等の報賞多ければなりー

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