上 下
17 / 37
アルゴルの事情―ペルセウス座―

02

しおりを挟む
 月が地球に落ちてくるとか、私の理解を超える出来事はたくさんある。それでも今この目の前の状況もまったくもって不可思議だった。

 どうして店を荒らされそうになった人と、盗みを働こうとした人が一緒に食卓を囲もうとしているのか。そして私たちはなぜここに同席しているのか。

 今、谷口商店の前には本格的な七輪が用意され、被害者と加害者は協力し合い、そこに穂高も加わって火おこし中だ。

 無事に炭に火がついたもののこれで終わりではないらしい。ご主人が支持する形で、穂高と男性が風を送ったり、炭を動かしたりしている。意外と手際がいい。

 私と健二くんはその様子をぼんやり眺めて待っていた。七輪の周りを囲むように簡易な折り畳み椅子が適当に並べられ、そこに腰を下ろしている。

 店の前は車が横付けできるほどの幅があり、それなりに広い。補整されていない剥き出しの土や砂利なので椅子は安定せずにぐらぐらするが、あまり気にならない。

 空はまだ明るく時刻は午後五時を過ぎている。曇ったりしていたけれど西の空が綺麗なオレンジ色の夕焼けなので、明日の天気もどうやらよさそうだ。

 ご主人の名は谷口たにぐち正志まさしさん。ミケを探していた谷口健二くんの母方の祖父らしい。

 火力が強くなったのを確認し、網に肉を並べていく。鮮やかな色をしたお肉だった。まさに血が通っているとでもいうような。

「ほら、しっかり食えよ、今日割ったばかりの新鮮な牛だ」

「俺、ウインナー食べたい。牛飽きた」

「贅沢言うな!」

 すかさず手を上げて自己主張した健二くんを谷口さんは一喝する。

 庭で作ったという茄子やピーマンも用意されたが、七輪の上はほぼ肉のみが占拠している状態だ。次第に煙が落ち着き、いい香りが漂いだす。

 タレはたくさんあるそうで、健二くんがお酌するかのように勢いよく紙皿に注いでいく。谷口さんは肉を焼きながら、誇らしげに話してくれた。

 昔から牛を育て、近くにある屠畜場とちくじょうで牛を処理するところまで自分でしてきたのだという。だから味も安全性もお墨付きだと。

 肉の大半を業者に卸しながらも自ら焼肉店を経営し、自慢の牛をお客さんに食べてもらっていたらしい。

 なのでさっきのスタイルは昔かららしく、理恵さんの話の出所にも合点がいた。冗談抜きにすごい迫力だったので、本気でジェイソンと勘違いしそうになったのをこっそり心の中で謝る。

 今は卸す業者もないので、自分のところで食べるしかない。

 網の上で焼かれている肉も谷口さんが大事に育ててきて、昨日まで生きていたのだと思うと簡単に口に運べない。

 知識だけなら知っていても、自分の育てた牛を自分で処理するというのは私には考えられなかった。どうしたって情が湧いてしまうだろうし、つらくなると思う。

 当たり前のようでいて、こうして命を処理する人がいるから、私たちは肉を口に運べるんだ。どうして『いただきます』というのか。谷口さんの話を聞いて改めて考えさせられた。

 それにしても肉自体口にするのは久しぶりだ。それ以前にこうして大人数で食事するのはいつぶりだろう。

 『いただきます』としっかりと手を合わせ、紙皿に置かれた肉を口にした。

 口の中に広がる肉の美味しさに頬が緩む。味の違いがわかるような味覚は持ち合わせていないけれど、柔らかくてジューシーな肉本来の旨味が舌から伝わってくる。

 一切れでほくほくと私が幸せを感じている間、店を襲った男性は一心不乱に焼かれていく肉を次々に口に頬張っていた。

「で、おめぇはなんであんなことしたんだよ」

 一段落したところで、谷口さんが問いかける。あんなにひどい形相をしていた男性は今は憑き物が落ちたかのようだった。

 箸を置き、ぽつぽつと自分の話を始める。

 彼の名前は宮脇みやわき五郎ごろうさん、二十九歳。大学を卒業して全国的に有名な大手企業に就職したが、そこでの激務に体を壊し、退職して実家に戻ったんだという。

 西牧村のさらに東にある町出身らしい。療養を終えフリーターという立場で、気が向いたときに働きに出たものの基本的には家に引きこもりがちだったとのこと。

「そこで、あの月の落下騒動だよ。両親は変な宗教にハマって家に帰って来なくなった。家の食料もつきて頼れる人間もいないから、ふらふらしてたんだ」

 ばつが悪そうな顔をして宮脇さんは言い捨てた。スーパーは閉店している中、谷口商店の存在を思い出してやってきたのだという。

 空腹もあり、こんな状況だから店のものを手にするのに罪悪感はあまりなかったらしい。しかし今はそうでもないようだ。

 改めて宮脇さんを見ると、顔は怖いが雰囲気はそこまで尖っていない気がする。

「まぁ、民家襲ったり、誰かを傷つけようとしなかったのは立派だ。生きようとしたのものな」

 谷口さんは肉を焼きながら静かに告げた。そしてなにか言葉を続けたとした瞬間。

「あのー、お店ってもう閉まってますか?」

 不意にかけられた声の主に全員の注目が向く。鳥籠を持った女性の姿に私は反射的に叫んだ。

「理恵さん!?」

「あら、ほのかちゃんに穂高くん? どうしてここに? あ、猫が見つかったの?」

「えっと……」

「色々あったんです。体調は大丈夫ですか?」

 説明するのは難しく、言いよどんでいた私の代わりに穂高が答えた。相変わらずこういうところはそつがない。理恵さんはかすかに笑う。

「ええ、少し横になって楽になったわ。ここに来たのは、この子の餌になるようなものがないか探そうと思って」

 理恵さんが鳥籠の中に視線を送ると、インコは小さく鳴き声をあげてわずかに羽ばたいた。

「ミケ!」

 そしてどういうわけか、それを見た健二くんが弾かれたようにやってくる。辺りを見回したけれど猫の姿はない。しかし健二くんは迷わずに鳥籠にへばりついた。

「よかった、ミケ無事だったんだ!」

「え、健二くんの探してたのは猫じゃないの?」

 尋ねると彼は目を爛々とさせて元気よく答える。

「そうだよ。庭先に吊るしていた籠に猫が飛びついて、ミケをさらって行ったんだ。それが茶色いぶちの大きな猫でさー」

 なんと、私はとんでもない勘違いをしていたらしい。それは穂高も同じだったようで目を丸くしている。だって……。

「インコなのにミケって名前なの?」

「うん。ミケランジェロから取ったんだ」

「お前、ミケランジェロが誰なのかわかっているのか?」

 穂高が苦笑しながらツッコんだ。小学生にしてはなかなかマニアックなところを突いている。

「知ってるって。あの裸でポーズを決めてる兄ちゃんの名前だろ」

 残念ながらそれはダビデ像で、ミケランジェロはその製作者の名前だ。私と穂高が吹き出すと健二くんは『なんだよー』と怒りはじめる。

「そっか。ちゃんと飼い主がいたのね」

 私たちのやりとりを聞いていた理恵さんは、安堵の声を漏らした。籠の中のインコと健二くんを交代に見る。

「この子、君に返すね」

「お姉さん、本当にありがとう!」

 感動の再会。でも私は信じられない気持ちだった。

 猫にさらわれたという時点で絶望的なのに、ミケは理恵さんに保護され、こうして元の飼い主である健二くんの元に戻ってきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いた詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

シリウスの本音を君に

くろのあずさ
ライト文芸
間山孝太。俺はお前が大っ嫌いだ! たとえ直接お前にもう言えないとしても、この気持ちだけは変わらない。 百合に対する気持ちほどに。 間山孝太が嫌いでライバル視し、百合に想いを寄せる彼の思いの先には――?

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

看取り人

織部
ライト文芸
 宗介は、末期癌患者が最後を迎える場所、ホスピスのベッドに横たわり、いずれ訪れるであろう最後の時が来るのを待っていた。 後悔はない。そして訪れる人もいない。そんな中、彼が唯一の心残りは心の底で今も疼く若かりし頃の思い出、そして最愛の人のこと。  そんな時、彼の元に1人の少年が訪れる。 「僕は、看取り人です。貴方と最後の時を過ごすために参りました」  これは看取り人と宗介の最後の数時間の語らいの話し

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

崩れゆく世界に天秤を

DANDY
ライト文芸
罹ると体が崩れていく原因不明の“崩壊病”。これが世に出現した時、世界は震撼した。しかしこの死亡率百パーセントの病には裏があった。 岬町に住む錦暮人《にしきくれと》は相棒の正人《まさと》と共に、崩壊病を発症させる化け物”星の使徒“の排除に向かっていた。 目標地点に到着し、星の使徒と対面した暮人達だったが、正人が星の使徒に狙われた一般人を庇って崩壊してしまう。 暮人はその光景を目の当たりにして、十年前のある日を思い出す。 夕暮れの小学校の教室、意識を失ってぐったりとしている少女。泣き叫ぶ自分。そこに佇む青白い人型の化け物…… あの時のあの選択が、今の状況を招いたのだ。 そうして呆然と立ち尽くす暮人の前に、十年前のあの時の少女が現れ物語が動き出す。

処理中です...