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第1部 護衛編
裏切り
しおりを挟む「だけど、それはレインフォード様に直接言われたわけじゃないよね?」
「それは…そうですけど」
「“かもしれない”と思って悩んでしまう気持ちも分かるよ。でもそれは事実ではない。勝手にリオンが思い込んでしまっているだけじゃないかな。認知のゆがみっていうやつだよ」
「認知のゆがみ、ですか?」
認知のゆがみとは、現実を不正確に認識させ、ネガティブな思考や感情を強化させる思考パターンの事である。
大きく10個のパターンがあり、例えば「~すべき思考」というものもある。
これは「学校の先生だったら、生徒のことは全て解決すべきだ」とか「いい大学に入るべきだ」など、自分の中の理想像やこだわりにとらわれてしまう考え方だ。
今回の場合は、「結論の飛躍」というパターンで確認せずに相手の心を深読みして、落ち込んでしまうものである。
「だから、レインフォード様の気持ちを勝手に決めつけるんじゃなくて、あくまで事実を捉えたほうがいいよ。気になるならちゃんと確認したほうがいいし、言ってこないなら気にしない方がいい。事実を歪めて悩むと、気持ちが辛くなっていくから」
スカーレットの言葉に、リオンは虚を突かれたように目を丸くしたあと、おずおずと更に言った。
「でも、本当に辞めさせられたら…」
「それはその時考えればいいんだよ。ボクも出来るだけ力になるから」
「そう…そうですね」
リオンはスカーレットの言葉を咀嚼するように呟く。そして自分の中で整理がついたようで、しっかりと頷いた。
そこには先ほどまでの暗い表情は影を潜め、いつものような花が咲くような明るいものとなっていた。
「スカー様に話を聞いてもらってよかったです!」
元気になったリオンを見てスカーレットも安堵し、つられて微笑んだ。
「そろそろ行こうか?夕飯の時間だし、きっとみんなが宿で待ってるよ」
「はい!」
帰路は行きと違い、リオンとの会話は途切れることはなかった。リオンは楽しそうに城での生活の事や趣味のことなど様々な話をしてくれた。
一つの話題が終わった時、不意にリオンが足を止めた。
「そういえば、この辺にチーズを扱う店があるんです。おつまみにいいでしょうし、買っていきませんか?」
スカーレットもチーズには目がない。
アルベルト達もきっと喜ぶだろう。
「いいね!」
「確かこっちです」
そう言ってリオンは路地へと入っていった。
だが、しばらく歩いてもそれらしい店は見当たらなかった。
「あれ?この辺だって聞いたのですけど…」
同じような建物が続き、路地は迷路のように入り組んでいく。
どう考えても完全に迷ってしまった。
陽は西に傾き、路地裏はどんどんと暗くなっており、進むにつれて柄の悪い人間が立ち話をしていたり、酒を飲んで大声を出していることが多くなっていった。
これ以上奥に行ってはもっと治安は悪くなるだろう。
「チーズはまた今度にして、今日は帰ろうよ」
「…それは困ります」
突然リオンの声が低くなり、スカーレットを見る目が鋭くなった。
「リオン…?」
あまりの豹変ぶりにスカーレットは訝し気に名前を呼んだ。
だが、リオンはスカーレットの言葉には答えず、懐から短刀を取り出した。
突然の行動に戸惑いを隠せなかった。
「どうしたの?」
「スカー様、ここで死んでください」
リオンの言っている言葉の意味が理解できなかった。
薄く笑いながらも冷ややかな目を向け、短刀を構えているリオンを前にして、スカーレットは今起こっている状況が現実のものではないようにも感じられた。
「冗談…だよね?」
動揺で声が震えてしまう。
リオンは突然地面を蹴るとスカーレットに向かって短刀を振り下ろした。
「!」
ナイフを持って襲ってくるリオンの攻撃をスカーレットは身を捻って躱すが、一拍だけ避けるのが遅れたため、僅かに胸元辺りが切られてしまった。
だが、服が切られただけで、スカーレットは傷を負うことはなかった。
リオンはすぐにスカーレットに向き直ると、再び短刀を構えて振り回すように攻撃を繰り返してくる。
それをスカーレットは後ろに下がりながら避けた。
「リオン、一体なんでこんなことをするんだよ!」
「あなたがいると、殿下を殺せないからです」
ということは、本当の狙いはレインフォードの命であることだ。
「それはボクが邪魔だってこと?」
「はい、あなたはいつも僕の計画の邪魔をする。せっかくルーダスの橋を壊して街に足止めをしたのに、刺客を撃退されてしまった。毒を盛ろうとすれば、あなたが銀食器を用意してばれてしまった。本当計画が狂ってばかりですよ。お陰でもっと早くに殿下を殺すつもりだったのに、ドルンストまで来てしまった」
(あの違和感…)
スカーレットはリオンの言葉で今まで感じていた違和感の正体に気づいた。
橋が壊れた時、ザイザルが「雨は結構降ったんだけど、あの程度でこんなに大木が流れるなんて、本当ついてねーよ」と言っていた。
ずっとあの言葉が引っ掛かっていたが、あれは人為的に起こされたことだったからだ。
人目の多いリエノスヴートで襲撃するより、夜に人通りがほとんどないルーダスで襲撃した方が、襲撃も逃走も楽にできるため、ルーダスに足止めしたのだろう。
毒入りの水についても万が一失敗してもリオンが犯人であることをかく乱するための仕込みだったと考えられる。
「刺客を呼び寄せていたのもリオンだったんだね」
「そうです。でも全部あなたに邪魔されてしまいました。ですが、これまでの戦いで分かりましたよ。確かにアルベルト様たちはお強いですが、スカー様が一番強い。あなたさえいなくなれば、彼らを殺すことは容易いでしょう」
そう言いながら薄く笑うリオンを見て、スカーレットはどうしても疑問を持ってしまう。
あんなにレインフォードを慕っていたリオンが、何故その命を狙うのか。
「どうしてこんなことをするの?理由はなに?」
「それが僕に与えられた命令だからですよ」
誰の命令なのか。
それを聞く前にリオンは再び短刀を構える。
「もうお喋りはおしまいです」
そう言うとリオンはスカーレットに迫る。
「やめて、リオン!貴方とは戦いたくはない。何か理由があるなら力になれるかもしれない」
だが、リオンはそれには答えず殺意の籠った目でスカーレットを見ながら攻撃の手を緩めなかった。
しかし、リオンは戦いの訓練を受けているわけでもなく、剣の腕があるわけでもない。だから攻撃は隙だらけで、スカーレットは容易に躱すことができる。
これならばリオンを傷つけることなく、短刀を奪ってリオンを無力化することは可能だ。
スカーレットははそう思って腰に下げていた剣へと手を伸ばした瞬間だった。
ガクリと視界がぶれた。
体に力が入らない。そして猛烈な眠気が襲ってくる。
(焦点が合わない…)
「漸く薬が効いて来ましたね」
膝をついたスカーレットをリオンは冷たく見下ろして言った。
(紅茶に薬を入れられてた?)
そのことに思い至ったスカーレットであったが、もうどうすることもできなかった。
「あの刺客達が殺せないのですから、僕がスカー様を殺せるわけないじゃないですか。でも、これなら簡単に殺せますよね」
薄く笑うリオンはスカーレットの知っているリオンの顔ではなかった。
(足に力が入らない…)
スカーレットはとうとうその場に倒れてしまった。
「さあ、死んでください!」
リオンがナイフを振り下ろす顔が見えた。
(あぁ…私は死ぬのね)
スカーレットは眠気に抗うことができず瞼を閉じた。
だが、これから来る痛みはきっと感じることはないのだろう。
「スカー!」
遠くで羽音と共にスカーレットの名を呼ぶ声が聞えた気がしたが、その時にはスカーレットの意識は闇へと包まれていった。
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