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溺愛が止まらない 改

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ガイザール国王太子エリオットの婚約は諸侯を驚かせるとともに、その相手が長年謎となっていた筆頭侯爵の家長女であることが社交界を大いに賑わせた。

そしてエリオットの婚約者となったイリアは王宮に部屋を用意され、そこに住むことになってしまった。

エリオット曰く「婚約前の未婚の女性だから王宮に住めないんでしょ? もう婚約者だからいいよね」とのこと。

また、王太子妃教育を開始するという都合もあり、国王や王妃も王宮に住むことを承諾したのだ。

だがマナーや教養だけではなく、外国語やその文化、法律や数学にも精通しているイリアは、ほぼ王太子妃教育が不要とされてしまい……結局大半の時間を持て余すことになった。

何不自由のない生活ではあるが、部屋でのんびりという性分ではないこともあって、王太子妃となる代わりに王宮の一角に研究室を設けてもらうことで王宮の滞在を承諾した。

(自由にフィールドワークに出れないのは辛いけど……研究室もらえるなら我慢しよう……そう思えば刺繍も耐えられる!)

そうなのだ。王太子妃教育ばっちりのイリアがであったが、唯一悩ませたのが、貴婦人の嗜みである刺繍やレース編みであった。

今も王室教師から指定された課題の刺繍を提出せねばならず、半泣きで格闘しているところだ。

「イリア! 元気? 会いたかったよ!」

突然の来訪者にイリア手が止まる。
見ればエリオットが両手を広げて部屋に入ってきた。
そしてイリアをぎゅうぎゅうと抱きしめた。

「殿下! さっき朝食でお会いしましたよね? というか、お仕事中ではないのですか!?」
「エリオット! 二人の時にはそう呼んでくれるって約束したよね」

「……まぁ、そうですけど。じゃあ、話を戻して……お仕事、どうしたの? アイザックさんに押し付けてきたんじゃ……」

「そんなことはしないよ。ちゃんと今日の分……いや今週の分は終わらせてきたよ! イリアが王宮にいるのに会えない時間があるなんて辛いからね……」

人畜無害そうな笑みを浮かべるエリオットだったがイリアはその実態を知っている。

確かにエリオットは壮絶な勢いで仕事を終わらせたが、逆にスケジュールが狂ってしまい、その後のアイザックの事務処理が一気に降りかかっているのだ。

なんにもしないぼんくら上司も困るが、上司がさっさと仕事を終わらせてしまうと「え? もう!? つ、次の準備できてない!!」と焦るのが部下の性分というものだろう。

「ところでさイリア。王宮にいるのも飽きない?」
「まぁ……飽きたというか……少し外には出たいわよね」
「じゃあさ、イリア、デートしよ!」
「デート?」

イリアは首を傾げる。

デート……言葉として知ってはいるがしたことはない。

まぁ、要は二人で外に出かけようということだろう。

これまでもエリオットとは旅の途中での買い出しなどには行ったことがあるし、特に意識することもない。

ちょうど、刺繍がうまくいかず気分転換もしたいことろだったし、イリアはその提案を快く受けることにした。

だが……恋愛偏差値ゼロのイリアはこの後壮絶な目に合うことになる。


※   ※ ※

目の前に広がるのは王都。
街の広場では花が売られ、さまざまな種類の屋台が出ており、さながらマルシェのようだ。

だが、広場を抜ければ三階建てのバロック風の建物や、煌びやかな装飾が美しい建物が並んでいる。

イリアの隣にはリオに変装したエリオットがいるのだが……

(こ、これは……恋人繋ぎというやつでは!?)

がっちりと手を握られている上に、指が絡められている。

今までも何度か手を繋いだりはしたが、不可抗力であったりマナー的な感じのもので、こうやって指を絡めるのは初めての事だ。

指を絡めつつ、その親指でイリアの手の甲をなぞったりするものだから、イリアは思わず声にならない声を上げてしまう。

「リオ……距離が近いし……恥ずかしいんだけど……。そもそも男女でこういうのって……はしたなくない?」

「そうかな? 恋人同士ならこのくらいの距離は普通だと思うし、まぁ貴族からしたらマナーがないっていう人もいるけど、ほら、今は変装中だから」

確かにエリオットもリオの格好をしており、イリアも町娘風の恰好をしている。

だが、ここまでベタベタするのは庶民でもあまり見かけない気がする。


現に今まで立ち寄った店や、道行く人の何人かには微笑ましいものを見るような目というか……生温かい目で見られている気がする。

「恥ずかしいという気持ちは理解してほしいかな……」
「ふふ、恥ずかしがるイリアも可愛いよ」

そう言ってエリオットは髪にちゅっとキスを落とす。

(もう……無の境地でいよう。そうだ、前世ではこういうカップルなんて腐るほどいたはず……うん……そうよ……)

その時、目に止まったのはアイ・アンド・ティー商会の経営する宝飾店だった。

「ん? 気になったものあるの? アイ・アンド・ティー商会かぁ。最近台頭してきた宝飾店だよね。僕もここの品は好きだな。上品なデザインが好きだね」

「あ……ありがとう」
「なんでイリアが礼を言うの?」

エリオットもイリアがこの商会の社長であることを知らない。
知っているのはカインとディボだけだ。
だからイリアは曖昧に頷いて、どう返答しようか悩んだ。

「あぁ、そうか。イリアはこの商会に伝手があるんだったね。トロンテル村でも交渉してたもんね……折角だから入ってみる?」

「あぁ……うん……そうね。参考までに入ってみようかしら……」

店内は白壁で、天井には花をモチーフにしたレリーフが施されている。
宝飾店とはいえ、ごてごてした内装ではなく、床には宝飾品が引き立つように深い青の絨毯が敷かれている。

(ショーケースも綺麗に磨かれているし、店内も清潔ね。店員は……うん、上手くお客さんの意見を聞きながら商品を勧めているわね)

さりげなく店内をチェックして、イリアは満足した。

「何か欲しいものでもある? なんなら店ごと買うけど……」
「いやいやいや!! 大丈夫だから!!」
「あ、心配しないで。僕のポケットマネーで税金とかじゃないから」
「それでもそこまで必要ないから……」

「綺麗に着飾るイリアも素敵だから見てみたいなぁ。だって僕の選んだ品物がイリアを飾るんだよ。なんか僕のイリアって感じで嬉しいんだけどなぁ……」

「でも無駄遣いはダメよ。今日は見るだけで十分」

(それに自分の店の売り上げに貢献するってのも変な感じだし……)

それを聞いたエリオットは見るからにがっくりと肩を落とした。
あまりにしょんぼりしているエリオットを見るとなんとなく自分が悪いことをしている気になる。

「じゃあ、交換ってことでどうかしら? 私もエリオットに何かプレゼントさせて」

「わぁ! それはすごく魅力的だね! 僕もイリアから貰ったものを身に着けていれば、いつもイリアを感じられて嬉しいな」

「男性用だと……ペンダントかしら? でも、小ぶりの指輪とかなら衣装にも邪魔にならないかも……」
「指輪かぁ……ペアのはなんかいいね」

恋人同士のペア……なんだか本当に恋人なのだなぁなどとぼんやり思った。

「折角だからオーダーメイドにしようか」

提案されたのをそのまま承諾し、一番シンプルなデザインにして、サイズを測る。
さすがに城に持って来てもらうわけにはいかないので、後日取りに来ることにして宝飾店を後にした。

「ふふふ……またデートできるの、楽しみだなぁ」
「そういえばデザイン決めた後、何か頼んでいたみたいだけど……不備でもあったかしら?」

商会のオーナーとしては不備な点は潰しておきたい。
そう思って確認したのだが、エリオットは唇に人差し指を当ててウィンクしながら答えた。

「うーん、秘密かな。出来上がってからのお楽しみ」

(気になるけど……店の改善が必要なことではなさそうね)

イリアはそれ以上は聞かず、エリオットに手を引かれるままに再び街を歩き出した。

そしてぐいぐいと引かれるまま、今度はオープンテラスのある喫茶店に入ることになった。

そこまでは良い。
問題はこの状況だ。

「ほら、イリア、口開けて」
「え……と……」

イリアとエリオットは現在並んで座っている。
丸テーブルに椅子が四つもあるのに、なぜ隣に座っているのかが分からない。
普通は向かい合わせに座るのではないか……?

そして、目の前には生クリームがたっぷり乗ったイチゴのパフェ。

「ほら。早くしないとアイスクリーム溶けちゃうよ」

そのパフェをスプーンで一つ掬い、エリオットがイリアの口元にそれを寄せる。

(こ、これは……世に言う”あーん”というやつでは……)

「自分で食べるわよ?」
「でも、ほら、イリアは手が塞がってるでしょ?」
「それは貴方が私の手を握っているからよね。放してくれればいいだけだと思うのだけど……」
「ダメだよ。イリアの暖かさを感じてたいし」

よく分からない理屈でエリオットは手を放してくれない。

ほらほらというエリオットの圧に屈したイリアは腹を括ってそのスプーンをパクリと口に含んだ。

本来なら甘く濃厚なクリームと、牛乳のコクがするであろうアイスクリームだが、羞恥心と緊張からそれを感じられなかった。

「美味しい?」
「恥ずかしくて……味どころじゃなかったわ……」
「じゃあ、もう一口」
「うううう……」

もう一度も二度も変わらない。
イリアは餌を食べる雛のようにパフェを口にした。
だがこの試練はまだ終わらなかった。

「じゃあ、イリアも」
「私も?」
「僕に食べさせて?」
「……無理」

「えー、イリアだけ美味しい思いをするんだ……。そっか、僕はこのパフェを食べれないんだ……有名でなかなか予約が取れなくて、王宮でも滅多に味わえないと言われるパティシエが作ったパフェで、僕はすごく楽しみにしてたんだけどね」

ふっと視線をそらし、その瞳には悲壮感が漂っていた。

イリアは罪悪感から、一匙イチゴソースを絡めた生クリームを掬い、エリオットの口元に運んだ。

「ふふ……美味しいよ。イリアが食べさせてくれたからもっと美味しく感じる」
「そ、そう? 味なんて変わらないと思うけど」

「気持ちの問題だよ。僕……イリアとこうやってデートしてみたかったんだよね。街の恋人たちが幸せそうに見えてね。イリアと結婚できなかったら誰かと政略結婚することになるだろ? そうしたらもう僕には縁のない話かと思ってた。だから街中をデートする恋人たちが羨ましくて仕方なかった……」

道行く人を見ながらエリオットはぽつりと漏らした。
往来の人々には恋人と思わしきカップルもちらほら見える。それを眩しそうにエリオットは見ていた。

「だけど今はこうやってイリアと過ごせる。本当に僕は幸せだよ。ありがとう」
「……また一緒に街に来ましょうね? あ、……スキンシップはほどほどにして欲しいけどね……」
「善処するよ」

二人で顔を寄せてふふっと笑い合う。
こうして王都でのデートが終わることになった。

流行のカフェに行けただけではなく、古書店や魔道具店を覗くなど、イリアの趣味も織り込んでくれたデートはイリアも満足のいくものだった。

歩き疲れた少しの疲労感を感じつつ、心は充足感で満たされている。

そのまま二人で並びながら王宮への帰り道を歩いていると、イリアの視界に一人の老人の姿が目に入った。そしてその光景に反射的に駆けだしていた。

「イリア!?」
「リオ、ちょっと待ってて! ……大丈夫ですか?」

イリアの前方からやってきた老紳士が突然胸を押さえてしゃがみこんだのだ。
明らかに体に異常をきたしている。

老紳士の元に駆け寄り声を掛けると、老紳士は浅い呼吸を繰り返し、脂汗をかいていた。
顔色は真っ青で血の気が失せている。

(喘息? 呼吸器系の疾患かしら?)

気が乱れているものの、明確な疾患を探ることは出来なかった。
対処法が分からず、イリアは老紳士の背中をとりあえずさする。

「なるべくゆっくり……大きく息を吸ってください」
「……ありがとう、お嬢さん。もう大丈夫だよ」
「そうですか? お薬など持っているようであればお水をもらってきますよ?」

「いや、薬はないんだ。最近呼吸がうまくいかなくてね……医者も原因は分からないというものだから……多分年のせいだよ」

老紳士はパリッとしてしっかりしたスーツを身に着けている。

持っているステッキも持ち手が銀細工でできており、その先端にサファイアがあしらわれているのを見ると、貴族だと思われた。

自分で言うように、彼の顔には深い皺ができており、シルクハットの下に見える髪は真っ白であった。

「お嬢さん、迷惑をかけてすまなかったね」
「いいえ。それより貴族の方とお見受けします。従者の方を呼んで参りましょうか?」
「いや……そこに馬車を待たせているから問題ないよ。心配、ありがとう」

よろよろと立ち上がる老紳士の介添えをしようとするが、そう断られたので見送ることにした。

老人の後ろ姿を心配しながら見送っていると、少し遅れてリオがやってきた。

「イリア! ……今のはダンシュ伯爵かな?」
「やっぱり貴族の方なのね。一通りの貴族の方は知っているつもりだったけど……」
「彼はもう引退していて社交界から遠ざかっているから……イリアも知らなかったのかもね」

「まぁ、全員を覚えているわけじゃないし……。それよりあの方病気かもしれないわ。呼吸がうまくいかないようなの。気を見たんだけど乱れていることしか分からなくて治療までできなかったわ……。本人はお年だって言っていたけど」

「確かにお年を召してらっしゃるからね。ちょっと心配だね」
「そうね……」

二人でダンシュ伯爵が馬車に乗り込む姿を見守り、馬車がゆっくりと駆け出したのを見届けると、イリアたちは今度こそ王宮へと帰るのだった。
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