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エリオット視点 その2 改

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ドニエ男爵の家から逃げ出したイリアと合流するところまでは良かったが、彼女が傷つけられ崖から落ちたのはエリオットにとっても予想外だった。

崖で伸ばした手がほんの少しだけ届かなかった。

落下するイリアがこのまま失われるのではないかという恐怖だけでエリオットは地を蹴り、落下するその手を掴んだ。

長く続くという雨のせいか、川の流れは速く、水は冷たかった。
何とか岸へと逃れた時にはイリアの体温は急速に失われ、呼吸も次第に弱くなっていた。

(絶対に……逃さない!)

その思いでエリオットはイリアに口づけた。
口から魔力を吹き込み、その体に巡らせた。

初めてのキスをこのような形にするのも味気ない気もするし色気もない。しかも彼女は意識を失っている……

だがそんなことは言っている場合ではない。

金の長いまつ毛がふるふると震えて若草色の瞳がゆっくりと現れた時にはエリオットは心の底から安堵した。

それからの自分はタガが外れたとしか言いようがなかった。

想いをすべてぶつけてしまった。

アイザックが聞いていたら「徐々に距離を詰めるんじゃなかったんですか?」と白い目で見られそうな気もする。

ただ、あれだけの思いをぶつけてもイリアは拒絶することもなかった。

なんなら真っ赤な顔をしながらこちらを上目づかいで慌てている様子も可愛らしく、もう誘ってるのではないかと逆に勘違いしそうだった。

「わ、私は……その、守ってもらうような柄の女ではないわ。ほら、気も強いし……カインにはじゃじゃ馬って言われているし、お淑やかでもないし……!!」

イリア自身は自分を可愛げがないとかじゃじゃ馬だとか女らしさがないと卑下しているが実際は全然違う。

大きなペリドットの瞳はいつも輝いていて、生命力に溢れている。

金の巻き毛も美しいし、立ち振る舞いや所作も貴族のご令嬢と言っても差し支えないほどだ。

それに普通の貴族とはそもそもの成り立ちが違うとエリオットは思っている。

真っ直ぐに背筋を伸ばし、人の目をしっかりと見て、そしてよく話を聞く。その上で意見を述べる。

確かに貴族のご令嬢とは毛色が違うかもしれないが、王太子妃としてはただ笑って傍にいる能無しでは勤まらない。

将来エリオットが王になった際には、王妃として人の上に立たなければならない。
王が不在の時には采配を振るうこともあるだろう。

そういう意味でもイリアは王太子妃として相応しいと思っているし、現にアイザックもそれを認めているのだ。

(まぁ……だからこそ気が気じゃなかったんだけどね……焦ってる自分が……子供っぽいよな……)

ザクレの街でのイリアの評判もかなり良かった。むしろイリアを狙っていた街の男は多かった。

だがカインがいたため虫除けになっていたおかげで変な虫が付くことはなかった。
それだけはカインを褒めたいし感謝している。

実はエリオット自身もこの恋慕の気持ちは昔の初恋にしがみついているのではと思ったりもした。
でも旅を続けて来て共に時間を過ごし、更に好きになった。

弱いものを守ろうとする姿も、少しお節介ながらも困っている人を放っておけない性格も、自ら立案し、行動する力も、不可能なことを変えようとする努力も。

「このヒスイを使って事業を起こそうと思うの」

川辺で一夜を過ごした帰り道、イリアは興奮しながらそう言った。
それは一見すると突拍子もない話だとエリオットも思った。

だが話を聞けば聞くほど現実的に考えられていた。

予算確保から人の手配、流通網、販売戦略、それに付随する法の問題の解決法……

さっきまで足の治癒で口づけたときには真っ赤になっていたはずなのに、今はエリオットの手を握りながら熱弁している。

迎えに来たカインにそれを指摘されたときにようやく我に返ったようだった。

「チッ」

(せっかくイリアと手をつないで堂々と歩けていたのに……カインの奴……)

カインはそんなエリオットを一瞥したのち、イリアと肩を並べて行ってしまった。

イリアとカインは十二年もの間共に生活している。
つまりカインの方がイリアに近く、イリア自身もカインに全幅の信頼を置き、距離がかなり近い。

エリオットはその点ポッと出なためなかなかその間には入れず悶々としているのだった。

イリアはブランシェの屋敷に着くと、疲れているにも関わらずブランシェのために事業案を寝ずに書いている。

エリオットはそんなイリアの姿を見て、ぼーっとしてはいられないと行動を起こした。

それはドニエ男爵を破滅させるために動くことだ。

愛する人を傷つけられたのだ。
下手をすれば死んでいたかもしれない。それ相応の罰は受けてもらうつもりだ。

ミレーヌからの報告を受けてドニエ男爵邸でのことを把握した。
エリオットはアイザックに指示して翌日にはドニエ男爵の屋敷にカチコミを行うことにした。

ドニエ男爵の屋敷は、ミレーヌの報告にあったように破壊し尽くされ、屋根はほぼ吹き飛び、屋敷の半分以上が焼失している。

改めてイリアの凄さを垣間見た瞬間だった。

「イリア様は……なんというか……規格外ですね……」
「凄いっすよね! あたし、感動しちゃいましたよ!」

唖然としているアイザックと興奮して語るミレーヌだったが、その間にもドニエ男爵の手下と思われる男どもや殺し屋が何人か襲ってきた。

それを笑いながらミレーヌは平然と倒していった。
そのうちの一人を捕獲して、エリオットが腹を蹴飛ばして尋ねた。

「あいつはどこだ?」

ドニエ男爵の手下は皆、金で雇われたごろつきや殺し屋たちだ。
そのため男爵に忠誠を尽くす者はいなかった。
少し痛めつければあっさりと居場所を白状した。

ぼろぼろの屋敷の一室……そこには壁に穴が開き、陽気で温められた風がひゅーひゅーと吹きすさぶ、もはや部屋とも言えない場所で、男爵が誰かに縋るように訴えていた。

「お願いします! 石の効果は話したではありませんか! トロンテルを抑えるための資金を援助ください」

男爵が必死に訴えている人物はフードを目深に被り、顔は見えなかったものの、長身で痩せ型の人物だった。薄紫の長い髪が少しだけ見えるが、男性とも女性とも分からなかった。

「男爵」

エリオットが声を掛ければドニエ男爵はびくりと体を震わせ、もう一人の人物の後ろに隠れた。

だが、フードの人物は何やら男爵に一言告げると、そのまま男爵をエリオットの方へと突き放し、壁であった場所に無残に空いた穴から身を翻して逃げて行った。

「仲間か?待て!」

エリオットは一瞬追うか迷ったが、今はドニエ男爵を優先させることにした。
突然現れたエリオット一行に戸惑いを覚えながらも、男爵は精いっぱいの虚勢を張ることにしたようだ。

「な、なんだ貴様!」
「ドニエ男爵、貴殿には色々と聞きたいことがある」
「あの女の仲間か!」

その言葉にエリオットのこめかみがピクリと動いた。

「お前ごときにイリアをあの女呼ばわりされる覚えはない」
「なにを! お前こそ何様だ! 私はドニエ男爵だぞ!」
「知っている」
「なら……何をしに来た!」
「ドニエ男爵。私がわかるかな?」

ドニエ男爵は一瞬憎々しげにこちらを見たが、エリオットの顔を見て目を見開いた。

「王太子……殿下? まさか……こんなところに?!」
「ドニエ男爵。私の顔を覚えていてくれてありがたい。なら話は早い」
「話……ですか?」
「貴殿が起こした一連の犯罪についてだ」
「な、なにを……何かのお間違えではないでしょうか?」

汗をかきながらも精いっぱいの笑みを浮かべるドニエ男爵に対し、エリオットは冷ややかな目で彼を見つめた。

「君はトロンテル領主に法外な額を貸付、その借金の方に彼女を誘拐した」
「誘拐などと……私はお茶をしないかとお誘いしただけです……」

「ではそのお茶に毒を盛るのが貴殿のもてなしなのか? その上で女性を拘束、監禁等……どうあがいても罰せられる罪だろう?」

「そ……それは。ブランシェ殿が気分を悪くしたので……介抱したまでで……」

あまりにもつたない言い訳にエリオットはため息をつき、ミレーヌを前に出るように促した。

「あー、あたしが証人っすよ。分かりますよね? 言い逃れできないって」
「お……お前は……」

ミレーヌを見て男爵は腰を抜かしていた。
もう言い逃れはできないだろう。

「ブランシェ嬢を拘束しただけではなく、我が婚約者にまで害をなし、あまつさえ実験台としてその命を奪おうとした罪は重い」

エリオットが毅然と告げる後ろで、アイザックが「まだ婚約者どころか交際もしてないじゃないですか」と小声で言っていたが、エリオットはスルーした。

幸いにして脳内が混乱の極みである男爵はその言葉を聞くことができなかった。
ただ驚愕の表情でこちらを見て青ざめている。

「婚約者……? まさか……あの女が?」

「口を慎め。お前の罪状に不敬罪も追加するか? 彼女の名はイリア・トリステン。筆頭侯爵家の直系の御令嬢だ。彼女の命を奪おうとした罪は、王家のみならずトリステン家をも敵に回したのだ。お前を助ける人間は一人もいない」

ドニエ男爵は自分が既に貴族としては再起不能であることを悟ったようだった。

いや、王族と侯爵家を敵に回し、死罪にもなりかねない状況を突きつけられているに等しい。
茫然自失となり視線が空を見つめて呆けた顔をしている。

「貴殿の身柄を拘束し、王都へ後日連行する」
「ああああ……」

エリオットの言葉に崩れ落ちた男爵を素早くミレーヌが縛り上げると、外に待機させていた騎士団へと引き渡していった。

これでイリアが救おうとしたトロンテル村を脅かすものは排除できたし、万が一イリアを逆恨みしても彼女を害することはできない。

ただ、エリオットには一つ気になる点があった。
ミレーヌが見たという毒を持つ魔石を生成する魔術。
これは異端のものと言ってよいし、禁忌に近い代物だ。

「アイザック、彼を尋問するときに一つ確認してほしいことがある」
「なんでしょうか?」

「今回の魔法石の件、男爵の悪趣味なのか、それともその魔石を生み出そうと画策する組織があるのか。……その辺りも調べて欲しい」

「承知しました」

とは言え、こうしてトロンテル村を守ることが出来た。
イリアも一安心してくれるだろう。

後はエリオットの懸念と言えばイリア自身の気持ちだ。
旅程も残りわずか。なんとしてでも彼女の心を射止めたい。

「さて、帰るか」

村に帰るころには夕闇が迫ることになるだろう。

出がけに隈を作っていたイリアはもう疲れは取れただろうか? いや、イリアのことだからその後もブランシェのためにヒスイ事業の実行を行っているかもしれない。

エリオットは早くイリアの顔が見たくなり、帰路を急いだ。

「ただいま」

ブランシェの屋敷に着けば、丁度イリアが階段を降り、エントランスへと足を踏み入れるところに出くわした。

今朝もエントランスで会い、送り出してくれたのだが、帰りも迎えてくれているようなタイミングでエリオットは嬉しかった。

「お帰り」と告げてくれることを期待したエリオットだったが、その期待は無残に打ち砕かれた。
イリアはエリオットを認めると、ふいと顔を背け、足早に部屋へと戻ってしまったのだ。

「え? なんで?」

戸惑うエリオットの背後でアイザックが声を掛けてくる。

「殿下……またぐいぐい迫って嫌われるようなことでもしたんじゃないですか?」

アイザックの白い視線を感じつつ、心当たりがありまくるエリオットは固まってしまったのだった。
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