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エピソード2:父親を待つ男の場合

歩き出す

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耳に鳥のさえずりが聞こえて来た。
そしてゆっくりと意識が覚醒する。

「あれは…夢だったのか?」

俺は寝起きの頭でそんなことを考えた。

今までお洒落なカフェバーで親父と話していたと思っていたのに、気づいたら実家の自室だった。

もう何年も前に実家を出たので殆ど物はなく、今もベッドにシーツだけ掛けて寝ていた。

時計を見ればまだ五時五十分。
早朝ではあるが、夏のために外はもう明るくなっていた。
俺はのっそりと起きるとまず和室に入り、仏壇の前にドカリと座った。

「んったく、お盆って言ったら普通、向こうからこっちに来るもんじゃないのか?」

お盆は死者の魂があの世から現世に里帰りすると相場が決まっている。
だから思わずそう独り言していた。

あのカフェは多分あの世とこの世の狭間なのではないかと思った。

仏壇に飾られた親父の写真は、昔記憶していたいつも怒っているような表情ではなく、温厚になった後の笑顔の写真だ。

「あら、もう起きていたの?」
「母さん、おはよう。ちょっと親父の夢見てさ」
「あらあら。心配で出てきたのかしら?あの人、結構子煩悩なところがあったから」

その言葉に俺は苦笑してしまう。
確かに先ほどカフェバーで話した内容だと、俺の事を心配していたことが重々理解できた。
だがそれを表現できない親父は本当に不器用だと思った。
そういえば、と思った。

「俺、なんだかんだ、あんたに褒められたくて頑張ってきたのかな?」

思えば、俺がライターになったのは、子供の頃に父に作文を褒められたからだ。

俺には関心がなかったはずの親父が、酔っぱらって帰って来た時に、珍しく褒めてくれた。

「お前には文才がある」と。

それが無性に嬉しくて、それがあったから物書きの仕事をしたいと思ったのだった。

だが一念発起して転職してフリーランスになったものの、正直将来の事は不安だった。

病気になったら金はどうすればいいのか、依頼が無かったら路頭に迷ってしまう。

不意に親父の反対した時の言葉が思い出されるときもあった。

だが、親父は言ってくれた。
『お前なら大丈夫だ』と。

心の中のわだかまりがなくなり、今まで抱えてた不安が一気に晴れた気がする。

「しかたないから一足先にお高い酒でも供えてやるよ」

俺は仏壇の親父にそう言うと、部屋を出た。

※    ※ ※

普通の人間は訪れることができないカフェバー。

先に逝ったものが後に来る人間を待つためのそこは、たまにそれ以外の目的で訪れる客もいる。

カウンター席で老年の男性が一人で日本酒を飲んでいた。

麻のジャケットを椅子の背もたれに掛けて、淡いレモンイエローのYシャツを来た男はちびちびと、この店に相応しくないホッケの焼き物をつつきながら、安酒を口に運ぶと、ふうと息を付いた。

「いやぁ、子供ってのは知らないうちに大人になるもんだな」

男は誰に言うともなしにぽつりと呟いた。

その言葉にマスターの男は、使い終わったサイフォンを拭き上げながら頷いた。

「そうですね。でもいい息子さんに成長なさったようです」
「あぁ。自慢の息子なんだ」

仕事にかまけて家族を顧みなかった男は、幼い息子にも関心がなかった。

むしろ引っ付いてくる息子が嫌で、遠ざけていたきらいもあった。

やがて男は仕事に余裕ができ、初めて家族と過ごす時間が持てると思った時には、逆に息子には男への関心が無くなっていた。

声を掛けても帰ってくるのは生返事だけ。
その時初めて男は息子と自分の間に溝があることに気づいた。

男は慌ててその溝を埋めようと、家族旅行に行ったり、共に酒を飲んだりと息子との時間を取るように努力した。

ある意味贖罪だったのかもしれない。

その息子は、気づけば大人になっていて、一流大学を出て一流企業に勤めた。

会社の仲間は口々に息子を褒め、それが誇らしかった。

だが、息子が会社を辞めると行った時、一番最初に浮かんだのは裏切られたという気持ちだった。
だから感情に任せ怒鳴り、結果、再び息子とは溝ができてしまった。

「最初に裏切って溝を作ったのはこっちだったのにな。勝手なもんだ」

病気に冒され男の余命が尽きようとしていた時、あんなことがあったにも関わらず、息子は遠方から二時間もかけて毎週病院に顔を出してくれていた。

それは男にとって嬉しく、そしてありがたいと思っていた。だが、素直になれない性格からか、それに感謝を伝えることなく、男は旅立ってしまった。

彼が悩み苦しんでいる今、男は心の底から息子を思った。
今度こそ溝を埋めようと。息子の力になろうと。

だからこうして少しでも息子の背中を押せたなら、これに勝る喜びはない。

「また、酒を酌み交わしたいね」
「いずれはできると思いますよ」
「そうだな。でもなるべくなら遅い方がいいな」

男は、小さく笑ってから徳利をひっくり返したが、出てきたのはほんの数滴だった。
もう時間なのだろう。

「さて、そろそろ行く。ご馳走様」
「はい、ありがとうございます」

マスターはドアを開けて店を出て行く男の後姿を見送ると、今度は入れ替わりのように新しい客が入って来た。

「いらっしゃいませ。何がよろしいですか?コーヒーでもお酒でも、貴方の望むものをご提供できますよ」

マスターはそう言って次の客を迎える。
今日も店内は人を待つ客で賑わっていた。
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