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それは太陽のような-Sideサイナス-③
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サイナスはこの状況を理解するのに十秒はかかったと思う。
脱税容疑等いろいろ黒い噂の絶えないセギュール子爵の身辺を探っているうちに、ごろつきに目を付けられ脅されてしまっていた。
それをさっさと片付けて帰ろうとしたときにアドリアーヌがそこにいたのだ。
この状況を理解しろと言われてすぐに理解できる脳が欲しいくらいだ。
「お前……」
「えっと……えへへへへ……」
誤魔化そうとしてできないでいるアドリアーヌを、壁際に追い込んですごんでみれば小動物の様に震えている。
穏便な懐柔作戦はすでに破綻している。
そしてこの状況である。
これはもうアドリアーヌを野放しにはしておけない。
そこでサイナスは作戦を脅迫へと切り替えることにした。
今更にこやかな表の顔を取り繕っても仕方ないだろう。サイナスは素のままで見下ろして言った。
「今見たよな……」
「いえ……私は何も見てない……ですよ……はははは」
「…………」
「はい……見ました……」
泣きそうな顔のアドリアーヌに条件を出す。
もちろん選択肢は一つしかないのだが。
「お前が選ぶのは二つ。俺の元で働くという選択肢」
「嫌な予感しかないので聞きたくないですけど……もう一つは?」
「さっきも言っただろう?俺は毒が得意だ。なんの証拠もなく病死で片付けられる案件なんて山ほどやる」
「働く……というのは具体的には?」
「話が早くて助かる。のこのここんなところまでついてきて現場を見るような馬鹿かと思ったが、案外脳みそは詰まっているんだな」
「それはどうも……一応少ないですけど脳みそはあります」
怖がったまま一言「あなたのもとで働きます」と言えばいいものを、アドリアーヌはすでにこの状況に慣れ、更には開き直っている。
毒で殺すと脅してもあまり効いていないようだ。
(普通の婦女子ならビビって泣き叫ぶところだろ?)
若干の腹立たしさを覚えながら、サイナスの本性を口外しないことと監視下に置くことを告げると、アドリアーヌは更に開き直ったように逆に条件を突き付けてきた。
ただでさえ荒事を目撃し、緊迫した状況で男に迫られ、脅されているのだ。
そんな女が今度は堂々と条件を要求してくるにサイナスは内心呆気に取られる。
(条件といったら……金品の要求か、はたまたそれなりの地位か……。まぁ少々の事なら譲歩してもいいか)
そう思ったサイナスだったがアドリアーヌの条件は予想外のものだった。
・一日の勤務時間は八時間。休憩は昼に一時間
・残業は月五十時間。残業代の支払いをすること
・契約更新は月一度。その都度労働条件の見直し
・アドリアーヌが口外しないという信用にたる人間であれば契約の解除
と言ったところだろう。
なぜ脅しているはずの自分がアドリアーヌの条件をのまなければならないだろうとは思いつつ、あまりにアドリアーヌが堂々としているので気づけば思わずその条件をのんでいた。
そして同時にアドリアーヌに更に興味を持った。
型破りだとは思っていたがまさかここまでとは……。
(まぁ契約解除などはさせないが。下僕の様に働いて一生この国に尽くしてもらう)
それからアドリアーヌと共に働くことになったが、その働きぶりは想像以上だった。
仕事を任せているうちに国庫予算の詳細まで開示することになっていたり、その改善についての提案力も一目置くこともあった。
特に驚いたのは輸入量の指摘についてだった。
「あのー、サイナス様」
「なんですか?」
その日アドリアーヌは輸出入に関する資料のまとめをしていたのだが、首を傾げながらサイナスに質問してきた。
ちょうど裏でセギュール子爵の脱税のことを探っていたのだが、それもあってサイナスは色々多忙であり、その仕事を邪魔されて内心どついていた。
「手が離せないけど…………せっかくの貴方の頼みでしたら時間を割きましょうか?(意:うっせーな、急ぎじゃないならあとで言え)」
「お時間を取らせるのは申し訳ないのですが、税に関してはサイナス様が一番詳しいかと思ったのですが。それならば別にいいのです。例え対応が遅れても仕方ないことですから(意:忙しいなら別にいいですよ。どうなっても私には関係ないですからね。親切心で言っているので)」
サイナスも表裏があるが、アドリアーヌもさすが貴族で狸たちの化かし合いを生き抜いていただけある。
嫌味を嫌味で返してくるのだ。
この辺はボンボンで温室育ちのクローディスは気づかないし、貴族社会と縁遠い武人であるリオネルもまた気づかない。
「それで何かな?」
「この輸入量なんですけど、市場に出回っている量と輸入量って合ってます?何か国の備蓄に使っているとか……ないですよね?」
「小麦量……特に備蓄はしてませんよ」
「最近の相場が高くなっているんです。市場では輸入量が減少したから流通量が少なくなっているとか噂が流れているんですよ。あと木材ですね。加工品とか燃料用のものとか高くなってて、全体的に加工物の物価が高くなっています。まぁ……ちょっと気になってる程度ですけど、一応耳に入れておこうかなぁって思いまして」
「ふーん。なるほど。気に留めておきましょう」
「あ、あとサイナス様。お疲れのようですし、あまり無理されないでくださいね。あ、これ差し入れのクッキーです。お時間があるときにでも」
そういってアドリアーヌは今日の分の仕事が終業したこともあり執務室を出て行った。
アドリアーヌを見送ったサイナスははぁとため息をついた。
彼女の指摘は何の気のない指摘だった。
農産物の物価の高騰など天候によって左右されることもままある。
市場の高騰についても噂に過ぎないと切ってしまえばそれまでだ。だが……とサイナスは思った。
アドリアーヌの着眼点は何かしらのヒントになる。
それを踏まえて彼女を雇っているのだ。
(小麦と木材の輸入についてはダンピエール伯爵が増加を進言してたな。……念のためあとでロベルトに探らせてみるか)
アドリアーヌの存在に触発されたのか、とうとうロベルトは女性絡みの案件は断るのだが、それでもまだサイナスの手足となって働いてくれている。
口の軽い女性から情報を引き出した方が早いのでそういう点で彼を変えてしまったアドリアーヌには思うこともあったが、それはそれだ。
(でも……最近クローディスもアドリアーヌに陥落されているというか…………なんなんだあの女。別に取り立てて絶世の美女というわけでもないだろうに?どこがいいんだ?)
クローディスも「気の強い女だ!」とか文句を言いながら彼女に気があるようなそぶりを見せている。
もともと温室育ちで特段女遊びが好きなタイプでもないが、今は庶民である彼女に恋心をいただくなどあまり歓迎したことではない。
その点でもアドリアーヌの存在は諸刃の剣でもある。
同時にサイナス自身も本能的なものが警鐘を鳴らしている。
このままアドリアーヌを傍に置いていいのだろうかと。
(あんなちんくしゃ脳内花畑女。俺の好みじゃねーよな。うん)
アドリアーヌの指摘はかなり的確であるがそれでも正攻法で行っては潰される対応策であった。
また、政務官の一部には改革案がアドリアーヌ発案のものであることや、女官として働いているはずの彼女が政務に関わっていることが漏れている。
アドリアーヌに対する批判もちらほら見えていることを受けてサイナスはそれを握りつぶすために色々と手をまわしているのだ。
つまりサイナスは汚れ仕事を請け負って対応をしている。
(それを知らないで。俺の体の心配かよ)
その体の心配には後ろ暗い所業をしている部分のことも言外に含まれているのだろう。
サイナスは再びため息をついてアドリアーヌが置いていったクッキーを一つ頬張った。
(あの女の脳内と同じ甘さだな……でもまぁ………今日はこれで帳消しだな)
クッキーの甘さを味わいつつサイナスは再び汚れ仕事をするために執務室を出るのだった。
※ ※ ※
それは突然の話だった。
アドリアーヌが息まいて執務室に戻ってきたかと思ったら、乱れる髪もそのままに大きな声で宣言したのだ。
「セギュール子爵をぶっ潰します!」
聞けばムルム伯爵家がセギュール子爵に騙されて全財産と爵位を奪われようとしていること。
コンサル先のクライアントである商会が不当に買収されていること。
知り合ったアイリスという女が借金の方に身売りまがいのことをされそうになっていること。
以上のことからそのような考えに至ったということだった。
(なにもまぁ……他人のためにここまで憤慨して骨を折るなんて……本当に脳に花でも詰まってんじゃないか?)
サイナスが動くのは全て"クローディスのため"と決めている。
そういう意味では他人のために骨を折るということは一緒であるが、その価値観は全く違う。
サイナスに取ってクローディスは命の恩人であり、仕えるべき主人である。
だからクローディスの進む道が最良となることを選ぶ。
だが、アドリアーヌにとっては多少の恩はあるだろうがムルム伯爵の爵位がどうなろうと関係ないことだろうし、残り二件についてはアドリアーヌには何の益もない。
正直そこまでのおせっかいになると理解不能だ。
とはいうものの、セギュール子爵を潰すのは必要だ。
彼は色々と後ろ暗いものを持っている。早めに潰しておいた方がいいだろう。
一つ目、財産を根こそぎぶんどること
二つ目、貴族の称号をはく奪すること
これがアドリアーヌとサイナス、そしてなんだかんだ巻き込まれたリオネル、ロベルト、クローディスの共通目標となった。
どのようにセギュール子爵を潰そうかと話しているとアドリアーヌがとんでもない提案をしてきた。
結論としては次のような展開だった。
まず子爵の商会に対抗する木綿会社の設立して、それを譲渡する
その次にムルム伯爵家が所有する土地の七割を譲渡する提案をする
この二つは、いわばセギュール子爵への餌だ。
予想通りセギュール子爵はこれに食らいついた。
その後アドリアーヌ達は次の一手に出る。
シエルと名づけた希少な布を主にした新規事業を入手し貴族階級にドレスを普及させることだ。
ドレスはクローディスの愛妾という噂を逆手に取ったアドリアーヌの働きぶりによって爆発的に売れ、その結果、子爵の商会の売り上げはダダ下がり。
ムルム伯爵から買収した商会も二束三文どころか赤字負債のものとなり、結果子爵は破産した。
(ある意味怖いな)
まさかあのような手法で子爵を破産させるとは想像していなかったサイナスにとっては、その手法は予想外であり興味深かった。
敵にしたらやはり厄介だったし、他の貴族の手に落ちる前にこちらに懐柔(とは若干言いにくいが)できてよかったと本気で安堵した。
とは言うもののやはりアドリアーヌの方法は正攻法。
裏で色々手を回せる子爵を潰すにはもう一押しだった。
そんなある日、執務室に向かうアドリアーヌと出くわした。
「サイナス様、もしかして徹夜明けですか?大丈夫ですか?」
「お前は俺がこんなのんびりと出勤しているのを見たことはあるか?少しは自分の頭で考えろ、ボンクラ脳みそ人間」
アドリアーヌの策により子爵の破産は確定であったが爵位のはく奪には一歩足りない。
だからサイナスは色々と後ろ暗いやり方で証拠を集め、子爵を追い詰めていく策を練っていた。
お陰で睡眠不足だ。
だがそれを知らないアドリアーヌは暢気に徹夜明けかと心配してくる。
それが妙に腹立たしく感じる。
だが彼女は知らなくてもいい。
アドリアーヌのような影を知らない太陽の下を歩く人間には知らなくてもいいことなのだ。
「何か案件ありましたっけ?」
「ぼんくら脳の奴が気にする案件じゃない。ちょっと夜会が続いただけだ」
「あぁ夜会」
誤魔化しが果たして聞いたのかは分からないが、ともかくアドリアーヌはそれ以上は追求せずにいてくれる。
その時不意に秋風に似た少し涼しい風が吹き抜けていく。
寒そうに肩を震わせているのを見て、季節の移ろいを感じた。
「朝の風が少し冷たくなってきたな。お前でもいなくなると人手がなくなるから風邪ひくなよ。あと万が一風邪をひいても俺たちにはうつすな」
「気を付けます」
「そういえば、そろそろ契約更新の時期だな。何か待遇で言いたいことはあるか?」
こうして更新について話をするのも三回目になる。
毎日顔を突き合わせ、残業もあることから二十四時間中十八時間くらい一緒にいる日々を考えるとかなり濃密な三か月だったかと思う。
待遇について契約更新の話をすると夕食を取りたいという要求だった。
(本当に…………こいつ女か?)
何度となしに思うことだったが、本当にアドリアーヌは欲がない。
というより金品についての欲がない。
実際に働いた金もムルム伯爵家に仕送りをしており、自身は細々と暮らしているのだが、それすらも楽しんでいる節がある。
欲と言えば時間を欲しがるくらいだろうか?
休憩の時間、睡眠の時間、食事の時間、ガーデニングの時間、掃除の時間……とにかく時間を大切にして、一日を丁寧に生きようとしているように感じる。
元公爵令嬢だから優雅な時を過ごしたいのかとも思ったが、体を動かすのも厭わないようなので、やはりそのあたりの貴族の婦女子とは感覚がずれているように感じる。
「じゃあ夕食の支給を要求します。温かい食事が欲しいですし、別にフルコース食べるほどの時間はいらないですがそれなりに夕食を食べる時間は欲しいです」
「……検討してやる」
「それよりも……また契約更新するんですよね」
「そうだからこうやって待遇を聞いてるんだろ?ぼんくら能天気人間」
「ってことはまだ信用されてないってことですよねぇ……はぁ。本当はサイナス様が黒い性格のドS人間だっていうのは誰にも言わないですよ」
不服そうにアドリアーヌが口をとがらせながらそう言う。
どうやら契約を結んだときの条件の一つに、アドリアーヌが口外しないという信用にたる人間であれば契約を解除するという条項が含まれていたからだろう。
「ずいぶんな言いようだな……押し倒されたいのか?」
「えぇ?なんでそうなるんですか?というか押し倒されとかって!」
「それに……信用か……。分からないならお前はぼんくら能天気人間確定だな」
だが……本当は信用などとっくにしているのだ。
共に仕事をして、食事を共にし、両親や家族といるよりも共にいる時間が長いのだ。
それにこれまでの仕事ぶりや一緒にいる時間を過ごしてアドリアーヌは口が軽い女でもなく、無理強いして働かせなくても裏切らないであろう人間であることも分かっている。
なのに何故だろう。
手元に置いておきたい。視界に入れておきたい。そう思うのは。
(こうやってするやり取りも楽しいと思ってしまうほどには毒されている……なんて、俺らしくねーな)
そう一人ごちしていたときに、セギュール子爵に呼び止められる。
子爵の大声を聞いてほくそ笑んだのはサイナスだけではなくアドリアーヌも同様のようだ。
互いに視線で合図をして計画の仕上げをした。
そしてこの後にセギュール子爵を華麗に叩き潰し、アドリアーヌ達は完全勝利を収めることになる。
脱税容疑等いろいろ黒い噂の絶えないセギュール子爵の身辺を探っているうちに、ごろつきに目を付けられ脅されてしまっていた。
それをさっさと片付けて帰ろうとしたときにアドリアーヌがそこにいたのだ。
この状況を理解しろと言われてすぐに理解できる脳が欲しいくらいだ。
「お前……」
「えっと……えへへへへ……」
誤魔化そうとしてできないでいるアドリアーヌを、壁際に追い込んですごんでみれば小動物の様に震えている。
穏便な懐柔作戦はすでに破綻している。
そしてこの状況である。
これはもうアドリアーヌを野放しにはしておけない。
そこでサイナスは作戦を脅迫へと切り替えることにした。
今更にこやかな表の顔を取り繕っても仕方ないだろう。サイナスは素のままで見下ろして言った。
「今見たよな……」
「いえ……私は何も見てない……ですよ……はははは」
「…………」
「はい……見ました……」
泣きそうな顔のアドリアーヌに条件を出す。
もちろん選択肢は一つしかないのだが。
「お前が選ぶのは二つ。俺の元で働くという選択肢」
「嫌な予感しかないので聞きたくないですけど……もう一つは?」
「さっきも言っただろう?俺は毒が得意だ。なんの証拠もなく病死で片付けられる案件なんて山ほどやる」
「働く……というのは具体的には?」
「話が早くて助かる。のこのここんなところまでついてきて現場を見るような馬鹿かと思ったが、案外脳みそは詰まっているんだな」
「それはどうも……一応少ないですけど脳みそはあります」
怖がったまま一言「あなたのもとで働きます」と言えばいいものを、アドリアーヌはすでにこの状況に慣れ、更には開き直っている。
毒で殺すと脅してもあまり効いていないようだ。
(普通の婦女子ならビビって泣き叫ぶところだろ?)
若干の腹立たしさを覚えながら、サイナスの本性を口外しないことと監視下に置くことを告げると、アドリアーヌは更に開き直ったように逆に条件を突き付けてきた。
ただでさえ荒事を目撃し、緊迫した状況で男に迫られ、脅されているのだ。
そんな女が今度は堂々と条件を要求してくるにサイナスは内心呆気に取られる。
(条件といったら……金品の要求か、はたまたそれなりの地位か……。まぁ少々の事なら譲歩してもいいか)
そう思ったサイナスだったがアドリアーヌの条件は予想外のものだった。
・一日の勤務時間は八時間。休憩は昼に一時間
・残業は月五十時間。残業代の支払いをすること
・契約更新は月一度。その都度労働条件の見直し
・アドリアーヌが口外しないという信用にたる人間であれば契約の解除
と言ったところだろう。
なぜ脅しているはずの自分がアドリアーヌの条件をのまなければならないだろうとは思いつつ、あまりにアドリアーヌが堂々としているので気づけば思わずその条件をのんでいた。
そして同時にアドリアーヌに更に興味を持った。
型破りだとは思っていたがまさかここまでとは……。
(まぁ契約解除などはさせないが。下僕の様に働いて一生この国に尽くしてもらう)
それからアドリアーヌと共に働くことになったが、その働きぶりは想像以上だった。
仕事を任せているうちに国庫予算の詳細まで開示することになっていたり、その改善についての提案力も一目置くこともあった。
特に驚いたのは輸入量の指摘についてだった。
「あのー、サイナス様」
「なんですか?」
その日アドリアーヌは輸出入に関する資料のまとめをしていたのだが、首を傾げながらサイナスに質問してきた。
ちょうど裏でセギュール子爵の脱税のことを探っていたのだが、それもあってサイナスは色々多忙であり、その仕事を邪魔されて内心どついていた。
「手が離せないけど…………せっかくの貴方の頼みでしたら時間を割きましょうか?(意:うっせーな、急ぎじゃないならあとで言え)」
「お時間を取らせるのは申し訳ないのですが、税に関してはサイナス様が一番詳しいかと思ったのですが。それならば別にいいのです。例え対応が遅れても仕方ないことですから(意:忙しいなら別にいいですよ。どうなっても私には関係ないですからね。親切心で言っているので)」
サイナスも表裏があるが、アドリアーヌもさすが貴族で狸たちの化かし合いを生き抜いていただけある。
嫌味を嫌味で返してくるのだ。
この辺はボンボンで温室育ちのクローディスは気づかないし、貴族社会と縁遠い武人であるリオネルもまた気づかない。
「それで何かな?」
「この輸入量なんですけど、市場に出回っている量と輸入量って合ってます?何か国の備蓄に使っているとか……ないですよね?」
「小麦量……特に備蓄はしてませんよ」
「最近の相場が高くなっているんです。市場では輸入量が減少したから流通量が少なくなっているとか噂が流れているんですよ。あと木材ですね。加工品とか燃料用のものとか高くなってて、全体的に加工物の物価が高くなっています。まぁ……ちょっと気になってる程度ですけど、一応耳に入れておこうかなぁって思いまして」
「ふーん。なるほど。気に留めておきましょう」
「あ、あとサイナス様。お疲れのようですし、あまり無理されないでくださいね。あ、これ差し入れのクッキーです。お時間があるときにでも」
そういってアドリアーヌは今日の分の仕事が終業したこともあり執務室を出て行った。
アドリアーヌを見送ったサイナスははぁとため息をついた。
彼女の指摘は何の気のない指摘だった。
農産物の物価の高騰など天候によって左右されることもままある。
市場の高騰についても噂に過ぎないと切ってしまえばそれまでだ。だが……とサイナスは思った。
アドリアーヌの着眼点は何かしらのヒントになる。
それを踏まえて彼女を雇っているのだ。
(小麦と木材の輸入についてはダンピエール伯爵が増加を進言してたな。……念のためあとでロベルトに探らせてみるか)
アドリアーヌの存在に触発されたのか、とうとうロベルトは女性絡みの案件は断るのだが、それでもまだサイナスの手足となって働いてくれている。
口の軽い女性から情報を引き出した方が早いのでそういう点で彼を変えてしまったアドリアーヌには思うこともあったが、それはそれだ。
(でも……最近クローディスもアドリアーヌに陥落されているというか…………なんなんだあの女。別に取り立てて絶世の美女というわけでもないだろうに?どこがいいんだ?)
クローディスも「気の強い女だ!」とか文句を言いながら彼女に気があるようなそぶりを見せている。
もともと温室育ちで特段女遊びが好きなタイプでもないが、今は庶民である彼女に恋心をいただくなどあまり歓迎したことではない。
その点でもアドリアーヌの存在は諸刃の剣でもある。
同時にサイナス自身も本能的なものが警鐘を鳴らしている。
このままアドリアーヌを傍に置いていいのだろうかと。
(あんなちんくしゃ脳内花畑女。俺の好みじゃねーよな。うん)
アドリアーヌの指摘はかなり的確であるがそれでも正攻法で行っては潰される対応策であった。
また、政務官の一部には改革案がアドリアーヌ発案のものであることや、女官として働いているはずの彼女が政務に関わっていることが漏れている。
アドリアーヌに対する批判もちらほら見えていることを受けてサイナスはそれを握りつぶすために色々と手をまわしているのだ。
つまりサイナスは汚れ仕事を請け負って対応をしている。
(それを知らないで。俺の体の心配かよ)
その体の心配には後ろ暗い所業をしている部分のことも言外に含まれているのだろう。
サイナスは再びため息をついてアドリアーヌが置いていったクッキーを一つ頬張った。
(あの女の脳内と同じ甘さだな……でもまぁ………今日はこれで帳消しだな)
クッキーの甘さを味わいつつサイナスは再び汚れ仕事をするために執務室を出るのだった。
※ ※ ※
それは突然の話だった。
アドリアーヌが息まいて執務室に戻ってきたかと思ったら、乱れる髪もそのままに大きな声で宣言したのだ。
「セギュール子爵をぶっ潰します!」
聞けばムルム伯爵家がセギュール子爵に騙されて全財産と爵位を奪われようとしていること。
コンサル先のクライアントである商会が不当に買収されていること。
知り合ったアイリスという女が借金の方に身売りまがいのことをされそうになっていること。
以上のことからそのような考えに至ったということだった。
(なにもまぁ……他人のためにここまで憤慨して骨を折るなんて……本当に脳に花でも詰まってんじゃないか?)
サイナスが動くのは全て"クローディスのため"と決めている。
そういう意味では他人のために骨を折るということは一緒であるが、その価値観は全く違う。
サイナスに取ってクローディスは命の恩人であり、仕えるべき主人である。
だからクローディスの進む道が最良となることを選ぶ。
だが、アドリアーヌにとっては多少の恩はあるだろうがムルム伯爵の爵位がどうなろうと関係ないことだろうし、残り二件についてはアドリアーヌには何の益もない。
正直そこまでのおせっかいになると理解不能だ。
とはいうものの、セギュール子爵を潰すのは必要だ。
彼は色々と後ろ暗いものを持っている。早めに潰しておいた方がいいだろう。
一つ目、財産を根こそぎぶんどること
二つ目、貴族の称号をはく奪すること
これがアドリアーヌとサイナス、そしてなんだかんだ巻き込まれたリオネル、ロベルト、クローディスの共通目標となった。
どのようにセギュール子爵を潰そうかと話しているとアドリアーヌがとんでもない提案をしてきた。
結論としては次のような展開だった。
まず子爵の商会に対抗する木綿会社の設立して、それを譲渡する
その次にムルム伯爵家が所有する土地の七割を譲渡する提案をする
この二つは、いわばセギュール子爵への餌だ。
予想通りセギュール子爵はこれに食らいついた。
その後アドリアーヌ達は次の一手に出る。
シエルと名づけた希少な布を主にした新規事業を入手し貴族階級にドレスを普及させることだ。
ドレスはクローディスの愛妾という噂を逆手に取ったアドリアーヌの働きぶりによって爆発的に売れ、その結果、子爵の商会の売り上げはダダ下がり。
ムルム伯爵から買収した商会も二束三文どころか赤字負債のものとなり、結果子爵は破産した。
(ある意味怖いな)
まさかあのような手法で子爵を破産させるとは想像していなかったサイナスにとっては、その手法は予想外であり興味深かった。
敵にしたらやはり厄介だったし、他の貴族の手に落ちる前にこちらに懐柔(とは若干言いにくいが)できてよかったと本気で安堵した。
とは言うもののやはりアドリアーヌの方法は正攻法。
裏で色々手を回せる子爵を潰すにはもう一押しだった。
そんなある日、執務室に向かうアドリアーヌと出くわした。
「サイナス様、もしかして徹夜明けですか?大丈夫ですか?」
「お前は俺がこんなのんびりと出勤しているのを見たことはあるか?少しは自分の頭で考えろ、ボンクラ脳みそ人間」
アドリアーヌの策により子爵の破産は確定であったが爵位のはく奪には一歩足りない。
だからサイナスは色々と後ろ暗いやり方で証拠を集め、子爵を追い詰めていく策を練っていた。
お陰で睡眠不足だ。
だがそれを知らないアドリアーヌは暢気に徹夜明けかと心配してくる。
それが妙に腹立たしく感じる。
だが彼女は知らなくてもいい。
アドリアーヌのような影を知らない太陽の下を歩く人間には知らなくてもいいことなのだ。
「何か案件ありましたっけ?」
「ぼんくら脳の奴が気にする案件じゃない。ちょっと夜会が続いただけだ」
「あぁ夜会」
誤魔化しが果たして聞いたのかは分からないが、ともかくアドリアーヌはそれ以上は追求せずにいてくれる。
その時不意に秋風に似た少し涼しい風が吹き抜けていく。
寒そうに肩を震わせているのを見て、季節の移ろいを感じた。
「朝の風が少し冷たくなってきたな。お前でもいなくなると人手がなくなるから風邪ひくなよ。あと万が一風邪をひいても俺たちにはうつすな」
「気を付けます」
「そういえば、そろそろ契約更新の時期だな。何か待遇で言いたいことはあるか?」
こうして更新について話をするのも三回目になる。
毎日顔を突き合わせ、残業もあることから二十四時間中十八時間くらい一緒にいる日々を考えるとかなり濃密な三か月だったかと思う。
待遇について契約更新の話をすると夕食を取りたいという要求だった。
(本当に…………こいつ女か?)
何度となしに思うことだったが、本当にアドリアーヌは欲がない。
というより金品についての欲がない。
実際に働いた金もムルム伯爵家に仕送りをしており、自身は細々と暮らしているのだが、それすらも楽しんでいる節がある。
欲と言えば時間を欲しがるくらいだろうか?
休憩の時間、睡眠の時間、食事の時間、ガーデニングの時間、掃除の時間……とにかく時間を大切にして、一日を丁寧に生きようとしているように感じる。
元公爵令嬢だから優雅な時を過ごしたいのかとも思ったが、体を動かすのも厭わないようなので、やはりそのあたりの貴族の婦女子とは感覚がずれているように感じる。
「じゃあ夕食の支給を要求します。温かい食事が欲しいですし、別にフルコース食べるほどの時間はいらないですがそれなりに夕食を食べる時間は欲しいです」
「……検討してやる」
「それよりも……また契約更新するんですよね」
「そうだからこうやって待遇を聞いてるんだろ?ぼんくら能天気人間」
「ってことはまだ信用されてないってことですよねぇ……はぁ。本当はサイナス様が黒い性格のドS人間だっていうのは誰にも言わないですよ」
不服そうにアドリアーヌが口をとがらせながらそう言う。
どうやら契約を結んだときの条件の一つに、アドリアーヌが口外しないという信用にたる人間であれば契約を解除するという条項が含まれていたからだろう。
「ずいぶんな言いようだな……押し倒されたいのか?」
「えぇ?なんでそうなるんですか?というか押し倒されとかって!」
「それに……信用か……。分からないならお前はぼんくら能天気人間確定だな」
だが……本当は信用などとっくにしているのだ。
共に仕事をして、食事を共にし、両親や家族といるよりも共にいる時間が長いのだ。
それにこれまでの仕事ぶりや一緒にいる時間を過ごしてアドリアーヌは口が軽い女でもなく、無理強いして働かせなくても裏切らないであろう人間であることも分かっている。
なのに何故だろう。
手元に置いておきたい。視界に入れておきたい。そう思うのは。
(こうやってするやり取りも楽しいと思ってしまうほどには毒されている……なんて、俺らしくねーな)
そう一人ごちしていたときに、セギュール子爵に呼び止められる。
子爵の大声を聞いてほくそ笑んだのはサイナスだけではなくアドリアーヌも同様のようだ。
互いに視線で合図をして計画の仕上げをした。
そしてこの後にセギュール子爵を華麗に叩き潰し、アドリアーヌ達は完全勝利を収めることになる。
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右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
悪役令嬢はモブ化した
F.conoe
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乙女ゲーム? なにそれ食べ物? な悪役令嬢、普通にシナリオ負けして退場しました。
しかし貴族令嬢としてダメの烙印をおされた卒業パーティーで、彼女は本当の自分を取り戻す!
領地改革にいそしむ充実した日々のその裏で、乙女ゲームは着々と進行していくのである。
「……なんなのこれは。意味がわからないわ」
乙女ゲームのシナリオはこわい。
*注*誰にも前世の記憶はありません。
ざまぁが地味だと思っていましたが、オーバーキルだという意見もあるので、優しい結末を期待してる人は読まない方が良さげ。
性格悪いけど自覚がなくて自分を優しいと思っている乙女ゲームヒロインの心理描写と因果応報がメインテーマ(番外編で登場)なので、叩かれようがざまぁ改変して救う気はない。
作者の趣味100%でダンジョンが出ました。
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
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(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革
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八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。
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加筆修正しました。
お手に取って頂けたら嬉しいです。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
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ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
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「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
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