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一件落着!…ですよね?ねっ?②

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アドリアーヌがいつものように登城すると執務室へ行く道すがらサイナスと出くわした。

登城には早くもないが遅くもない時間であったがサイナスがこの時間に廊下で会うのは珍しい。

というのもサイナスは誰よりも早く出勤しているのだ。

サイナスは王太子の右腕ともなる人間なので、クローディスより先には必ず出勤すべきというものであるのだろうが、誰よりも一番早く執務室にいるのが常だ。

「サイナス様、おはようございます。今日は遅い登城ですか?」
「相変わらず能天気で羨ましいもんだな」

(今日は黒仕様だわ……)

通常は白仕様のサイナスではあるが人目の少ない場所では度々黒仕様の性格になる。

なのに人が現れれば突然白性格になる変わり身の姿はさすがである。

そんな不機嫌そうなサイナスの顔を見ると、何故か疲労の色が濃い。

目の下にはうっすらとクマが見えるのは気のせいだろか?

「サイナス様、もしかして徹夜明けですか?大丈夫ですか?」
「お前は俺がこんなのんびりと出勤しているのを見たことはあるか?少しは自分の頭で考えろ、ボンクラ脳みそ人間」

ということはやはり徹夜なのだろうか?

最近執務が立て込んでいるという状況でもないのに徹夜なのは珍しい。

「何か案件ありましたっけ?」
「ぼんくら脳の奴が気にする案件じゃない。ちょっと夜会が続いただけだ」
「あぁ夜会」

貴族であれば当然の様に参加する夜会。

しばらく貴族社会から離れていたから忘れていたが、貴族の夜会などしょっちゅうあるもので現宰相の家であるガディネ家ともなると夜会の誘いはひっきりなしなのだろう。

普通の貴族であればのんびりと起きて休みたい時には休めばいいほど緩い仕事事情ではあるが、そこはちゃんとしているサイナスのこと。

クローディスを放っておいて仕事に遅刻するなんてことはできないのだろう。

「殿下を一人にしておけないからな」
「でも殿下も子供じゃないですし……それに常々サイナス様もお休みを取ってほしいと言っていたじゃないですか」
「うるさい。俺がどうしようと勝手だろう」
「まぁ……そうですけど……」

コツコツと二つの靴音が廊下に響く。

まだ何人か政務官とすれ違い挨拶をされるのを白サイナスがにこやかに対応しながら、小声でアドリアーヌと喋るときには黒になるサイナスと会話を続けながら執務室へと向かう。

以前までの出勤時間は早朝から汗ばんでくるような陽気だったが、現在は少し秋風を感じさせるももとなっており、アドリアーヌは思わず身震いをした。

少し薄着だったのかもしれない。

「朝の風が少し冷たくなってきたな。お前でもいなくなると人手がなくなるから風邪ひくなよ。あと万が一風邪をひいても俺たちにはうつすな」
「気を付けます」
「そういえば、そろそろ契約更新の時期だな。何か待遇で言いたいことはあるか?」

気づけばサイナスとの契約更新ももう三度目となっている。

時間が過ぎるのは早いもので政務に携わってからの三か月は怒涛のようだった。

更にセギュール子爵の件も絡んでいるので忙しさは加速している。

まさに光陰矢の如しだろう。

「待遇の件ですが……そうですね……労働時間がもう少し少ないといいのですが。正直休みが欲しいです」
「却下だ。ちゃんと時間外労働として残業手当も出している。」
「お金じゃないんですよ。休みがないと生産性が低下します。集中力もなくなって作業効率も落ちますから」
「俺は落ちねー」
「そりゃサイナス様は……そうかもしれませんが」

確かにサイナスはアドリアーヌの倍の執務をこなし、休暇らしい休暇も取らず仕事をしている。

まさに企業戦士というところだろう。

「じゃあ夕食の支給を要求します。温かい食事が欲しいですし、別にフルコース食べるほどの時間はいらないですがそれなりに夕食を食べる時間は欲しいです」
「……検討してやる」
「それよりも……また契約更新するんですよね」
「そうだからこうやって待遇を聞いてるんだろ?ぼんくら能天気人間」
「ってことはまだ信用されてないってことですよねぇ……はぁ。本当はサイナス様が黒い性格のドS人間だっていうのは誰にも言わないですよ」

サイナスの元で仕事をする条件としては永久的に奴隷の様に働くのは嫌だからせめてサイナスが自分を信用してくれたらこの労働契約を解除してほしいと言っていたのだ。

だがまた更新となると、サイナスには信用に値する人間にはなっていないということだろう。

「ずいぶんな言いようだな……押し倒されたいのか?」
「えぇ?なんでそうなるんですか?というか押し倒されとかって!」
「それに……信用か……。分からないならお前はぼんくら能天気人間確定だな」
「どういう意味ですか?訳が分からない」
「一生悩んでろ」

またこれから一か月城で激務をこなすことを考えると少しげんなりしてしまう。

そろそろ作り置きしておいたエナジードリンクもとい様々な生薬を集めに集めまくって作った疲労回復ドリンクが底をつく。

(新しく仕込まないと……。あれないとさすがに疲労感が半端ない)

そんなことを心の中で算段しながら歩いていると背後から突然大声が聞こえてきてアドリアーヌ達は反射的に後ろを振り返った。

「おのれ小娘ぇぇぇ!騙したなぁぁぁ」

そこには顔を真っ赤に染め、憤怒の表情を浮かべたセギュール子爵がいた。

憤怒の表情を浮かべたセギュール子爵を見たアドリアーヌはサイナスを見上げた。

すると、彼もまたアドリアーヌを見て小さく頷いた。

先ほどまでの表情とは打って変わって真剣な表情がそこにはあった。

(計画は上手くいったようだわ……)

ここ二か月半かけて巻いた罠がようやく成果を出したようだ。

ここが最後の正念場。

ここで子爵をコテンパにしなくてはこれまで地道に営業活動等々をした意味がない。

(私を怒らせたこと、後悔させてやる!)

鼻息を荒くして、アドリアーヌは仁王立ちになった。

とは言うものの、ここは冷静に対応しなくては。

自分に言い聞かせるように一つ呼吸を整えるとアドリアーヌはにこやかに笑みを浮かべた。

「あら、おはようございます。セギュール子爵。お早い登城ですが何か御用がおありですか?」
「私は子爵ではない!!爵だ!」
「それは失礼しました。セギュール伯爵、どうされたのですか?」
「は!お前が……お前が私を騙したのだろう!!どうしてくれるんだ!このままでは全財産がなくなる!」
「騙した……とは?私が何かしましたか?」
「ムルム伯爵家の件だ。全て負債だらけではないか!厄介ごとを押し付けおって、ちゃんと借金を返してもらおう!」
「意味が分かりませんね。貴方への借金は全て支払いました。何を根拠にそうおっしゃるのか理解できません」

冷静に返すアドリアーヌに反してセギュール子爵は青筋を立てて今にも掴みかかろうとするのを、サイナスがやんわりと押し留めた。

「子爵。まずは少し落ち着いてください。ご立腹のご様子ですが何に対してお怒りになっているのか。ゆっくりとひとつずつご説明なさっては?」
「だから私は伯爵だ!……こいつが私を騙したのだ。あんな土地を押し付けて」
「騙したとは穏やかな話ではないですね?土地とは何ですか?」

「譲ってきたムルム伯爵領はほとんどが荒地ではないか!あれじゃあ税の取り立てもできやしない。それに不作だぁ?そんな話聞いてないぞ!お前達に温情をかけて渡した残りの一割を出せ」

まずは第一の主張は子爵に譲った領地の件だった。

子爵が言う様に譲ったムルム伯爵領の九割は税収の見込めない荒地がほとんどだ。

農地もあったが事情を説明してほとんどの村人は伯爵領の一割に仮移住させているから農地を耕す人員もいない。

わずかながらに残った農民たちも、子爵にやれ「橋が壊れて作物が運べないから橋の修理をしてくれ」だのやれ「井戸がかれて水が引けないから作物が育てられないので何とかしてくれ」だの散々ごねているようだった。

また確かにムルム伯爵領は不作だ。それこそ今期の不作のせいで税収が極端に少なくなっている。

逆に子爵に渡さなかった一割の領地は豊かなもので、伯爵家のほとんどの収入がここから得ているといっても過言ではないくらいに潤っている地域だ。

「証文にありますように、九割を譲ることに合意しましたよね。押収できる土地の面積だけに捉われて税収までチェックしなかったそちらの落ち度であって、私は契約通りに土地を渡しただけです」
「確かに……それはアドリアーヌ嬢の言う通りですね。リオネルが立会人のサインをしたと聞きましたしね」

納得したという様にサイナスが同意する。

それを見て分が悪くなると感じたセギュール子爵は慌てて次の話を出してきた。

「ま……まだあるぞ!株式会社も負債があると知って押し付けたな!」
「これはまた面妖なことをおっしゃいますね。ちゃんと売り上げと資産評価額を出したじゃないですか?」
「だが今はその資産もほとんど無いではないか。資産評価が嘘だったのではないか!!」

「私はちゃんと申し上げましたよ。〝現時点での〟資産評価だと。あの段階ではあれだけの資産評価がついていたのは事実です」

契約時、アドリアーヌが提示したのはその時点での資産評価額だ。

持っている在庫の評価額や工場などの資産は確かにその時点では資産として十分な価値があった。

だが、現在はそれが二束三文である上に、負債に逆転している。

それは何故かというと……

「今となってはその在庫には何の価値もない!」

そうなのだ。

現在は何の価値もない。

あの株式会社は木綿製品……しかもその主力は衣服、特に貴族層の衣装をメインに扱う会社だ。

だが今はその対抗馬として新しく設立したヘイズ商会の会社がある。

あのシエルを扱う会社だ。

「新しいシエルとかいう布のせいで全くドレスが売れなくなった!あの綿商品も対して価値はなくなったし生産ラインも不要だ。いまは稼働すれば稼働するだけ赤字だ」

「それはお気の毒に……。あれだけの在庫を保管する倉庫の維持管理も大変でしょうし、生産ラインも人手も維持できませんでしょう。だって人がいらっしゃらないのでしょう?管理にもお金がかかりますでしょうに」

憐みの表情で、大げさにアドリアーヌは言った。

それを聞いて悲壮感を露わにしながらも憎々し気に子爵が言葉を吐いた。

「あぁまさかあんなに職人が一気に辞めるとは思わなかった……あんな大きな工場……人が集まらなければ動かせない。職人たちめ……図ったように辞めやがって。しかもヘイズ商会の工場に再就職だと!?ふざけるな!」

職人が低賃金で働かされてきた職人たちは、アドリアーヌの元々の計画通りある程度子爵が株式会社で稼ぎ、油断した段階で大量の在庫を作ったうえで辞めた。

これが職人たちの仕返しの一端だった。

「聞けば子爵は行き場のない職人たちを低賃金で働かせていたとのこと。条件の良い働き口があれば自然とそちらに行きますわ。職人を大切にされていればこのようなことにならなかったのでは?」

「ぐう……だが……まさか株式会社への投資が一切なくなるとは思わないだろう!」

「それは子爵が株式会社の成り立ちをご存じないからです。ちゃんとその申し送り事項も書いておきましたわよね。株式会社は株主がいて初めて成り立つということを」

「株式会社については僕も聞きたいところですね」

黙って聞いていたサイナスがにやにやしながらそう尋ねてきた。

周りに人が集まってきたこともあって、より納得感のある説明を周囲にも聞かせるという効果を狙ったからだろう。

「株式会社は出資会社です。複数人が出資をして一つの会社を作る。利益が出た際には分配する、大株主はその権利が大きいということです」
「だから私はお前の株を譲ってもらった!それがどうしてこうなるんだ!」
「今回、ムルム伯爵が貴方にそうしたように株を他人に譲渡してその差額を利益として得ることもできるのです」

「そうだな。会社を担保として譲ってもらった」

「そう、一つの会社となれば譲渡可能ですがこれはあくまで株式会社であり、たまたま伯爵は大株主だっただけ。先行きが見えない事業となった場合には株主は出資を停止できます。その権利を他の株主が行使し、ゆえに株主があなただけになり、貴方の会社となった。利益について大株主が得るのと同様に負債もまた株主が負う。貴方が株を売却しなかったからであり、負債の責任もまた貴方にあるのです」

今回、アドリアーヌが設立して子爵に譲渡した株式会社で、子爵以外の株主が一斉に撤退した。

もちろんこの株式会社の株主は子爵以外、子爵に恨みを持つ商会のメンバーだった。

そのためアドリアーヌが言ったタイミングで皆株を放棄して株式会社から撤退したのだ。

あとは先ほどの説明通りである。

そしてアドリアーヌはダメ押しの一言を言い放った。

「証文にもサインをいただきましたが、今後に関してはこの会社には一切関与しないことを明言させていただきました。したがってこの会社の負債については貴方が請け負うことになりますので念を押させていただきますね」
「あの……シエルさえなければ!お前がシエルを貴族の間で流行させなければ!……あっ」

その時子爵はすべてを悟ったようだった。

この一連のすべてがアドリアーヌの策略であることを。

セギュール子爵はガクリとその場に崩れ落ちた。

「全て失っただと……私の財産が……すべて……。くそ……小娘め!小癪な真似をしおって、許さんぞ!」

そして急に立ちあがりアドリアーヌに拳を振り上げた。

それが振り下ろされる瞬間にサイナスが間に入り、華麗に取り押さえる。

「衛兵!」
「はっ!」

騒ぎを聞きつけてやってきた衛兵がサイナスの代わりにセギュール子爵を取り押さえる。

ぎりりと歯ぎしりしながら睨みつけてくるセギュール子爵の視線をよそに、更にサイナスは目の前に紙を置いて言った。

「暴行の現行犯ですよ。それから貴方には聞きたいことがあります」
「この資料は……あっ!なぜこれが!」
「身に覚えありのようですね。輸出入業をしている貴方の会社経営の裏帳簿の写しです。関税をだいぶ騙くらかしているようですね」
「それは……」
「言い訳は後でゆっくり聞きます。衛兵、暴行の現行犯および脱税疑惑として連行してください」
「承知いたしました!」

衛兵が子爵を引きずって行こうとした時に、サイナスは思い出したように言った。

「あぁ、そういえば。爵位の譲渡についてはご存じのように書類の手続きに二か月はかかります。まだ爵位の譲渡は終わっていないのですよ、セギュール〝子爵〟」

事業の失敗により全財産を失い、更に脱税について罪人となり、更には爵位まで得られなかった男は、がっくりとうなだれて衛兵に連行されていった。

こうしてアドリアーヌ達の子爵への報復作戦は無事に完了となったのだった。
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