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ヒロインに出会ってしまった①

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「はぁ……」

アドリアーヌは開口一番、そう言ってしまう。

サイナスに脅されるようにして宮廷で働き始めたアドリアーヌだったが、すでに心はすさんでいる。

というのも、サイナスは容赦なく仕事を振ってきており、アドリアーヌは毎日書類の束と格闘する羽目になっていたからだ。

「ため息をつくな、鬱陶しい」

斜め前の執務机に座っているクローディスが執務の手を止め眉をひそめながらそうたしなめてくるが、出てしまうものは仕方がない。

「だってですね……私は新入社員も同然なんですよ。それなのにこの量って酷いと思うのですが……」
「新入社員……あぁ、新人ということか。単なる書類の清書と複写だろう?簡単じゃないか」

(この時代にコピー機があれば……!)

アドリアーヌは現時点ではまだお手伝い要員よろしく簡単な雑務を担当しているが、その雑務でさえかなりの量だった。

近衛兵であるはずのリオネルもまた黙々と作業しているので、いかに人手不足なのかが分かる。

「でもですね……私だって好きで宮廷入りしたんじゃないんですよ。あ、そうだ!!殿下からサイナス様にクビにするように言ってくださいよ!クローディス殿下だって嫌でしょ?」

あの舞踏会での出会いは最悪だったが、3日間の同居(?)生活で関係は改善してきている。

だがクローディスは口を開けば「気の強い女だ!」と文句を言ってくる。

まぁ「気の強くて口の減らないこざかしい女」が長いから略されている気もするが……

それでも文句を言われるのでこうなったらクローディスが解雇してくれないかと期待すらしてしまう。

「いや……俺は別に嫌じゃないが…………って違うからな!お前は口うるさいが、人手がないのは事実だから‼仕方なく……仕方なく‼雇ってるんだからな」
「仕方なくなら雇わなくていいですよ」

ピシッとクローディスが固まったような気がしたのは気のせいだろうか?

「お前はその……俺と一緒にいるのは……嫌か?」
「は?なんで殿下の話になるんですか?私はこの仕事量が辛いだけです。殿下云々は関係ないです」
「そうか……!そうなのか!」

恐る恐る聞いてきたクローディスはアドリアーヌの言葉で何故か満面の笑みを浮かべている。

何か喜ばせるようなことを言ったのかと疑問を持ったが、それよりも目の前の仕事だ。

仕方なく取り組んでいるとサイナスが幾つかの書類を持って執務室に入ってきた

「ふふふ……アドリアーヌ嬢はもう慣れましたか?」
「単純作業ですから……別に私じゃなくてもよかったんじゃないですか?」

「重要書類も扱っていますから、信頼できる人間に頼みたかったのです。ほら、あなただと単純に資料の複写だけではなく色々と欠点や新たな観点で意見もくれるじゃないですか」

「でもたいしたこと言ってないですよ?」

悲しいかな社畜時代の性分で色々と内容をチェックしてしまい、そのたびにサイナスに報告して修正している。

社畜時代には使えない部下の尻ぬぐいもしていたので、この辺りは染みついた社畜魂と言うべきかもしれない。

「まぁ、まぁ。あなたの善意は分かってます。あなたは断れる立場ではないでしょうけど……ね。あぁ、最近は物騒なので帰り道には気を付けてください」

(断ってみろ。殺されても知らねーよ……という言葉が聞こえる気がする……)

「それからあまりお喋りばかりしないで作業に戻りましょう。クローディスにも変なことを言って邪魔してはダメですからね」

(クローディスに告げ口とか下手なこと言ったら……どうなるか分かってるな、という言葉が聞こえる気がする)

サイナスに何かを企んだような笑顔で言われれば従うしかない。

アドリアーヌははぁとため息をついて再び執務に戻った。

サイナスから受け取った書類をさばいていく。

「これ、数値が間違ってます。あとこの予算申請のままやっていったら国の予算額越えますよ?それから管理部門のくせにこんなに予算使うなんて理解できない。管理部門なのですからもう少し出費を減らすべきです」

「なるほどなるほど。それでどうすれば?」

「まずは備品の出費を抑えましょう。紙の無駄づかいとか無駄な残業が多すぎます。この間覗いたのですが重役出勤して仕事しない人間が多すぎ。一方でいつも同じ人に仕事が集中している。もう少し計画的に仕事を進めるべきですね」

「……分かりました。ではそうなるように改善しましょう」

と……結局はコンサルのようなことをしてしまっていることに気づくが、もう諦めの境地だった。

(労働条件は守られているし……仕方ないか……)

ただ宮廷で仕事をして分かったことがある。

メイナードの国の財政があまり芳しくないのだ。サイナスもそれに気づいているようだった。

だが、まだクローディスは王太子という立場であるし、サイナスも次期宰相候補といだけでまだ宰相ではない。

国を抜本的に改革するほどの力はないのだ。

(多分今後のことを考えて色々策を練っている最中なんだろうなぁ)

さすがクローディスの片腕だろう。

アドリアーヌが進言したものについては一応は検討してくれているようだし、新人は貴族子弟中心で、情報部も貴族の有力者で占めているこの現状についても何かしら改善しようとは考えているようだった。

(後は……この財産をたらふくため込んでいる貴族から税収という形でぶん取れればもうちょっと国庫も潤うってもんなのだけどね)

この国の財政逼迫の要因は5つある


・腐った国政の体質
・一部の貴族に富が集中していること
・その割に税収は少ないこと
・財力があるために発言力を付けすぎている一部の有力貴族がいること

そしてグランディアス王国との戦争があったため、これまで軍事費の出費がかさんでいた付けが回ってきていることだった。

軍事費は急には削減できない事情もアドリアーヌはサイナスから教えられていた。

ダンピエール伯爵の存在だ。

彼は伯爵ながらかなりの財力を持ち、今は侯爵をもしのぐ発言力を持っている。

そんな彼は軍事拡張の推進派で、グランディアス王国との停戦にも反対しているようだった。

そのためすぐに友和政策に舵を切ることは難しく、現時点で停戦条約がせいぜいな段階でいる。

「おや……もうお昼ですね」
「今日は執務室で昼食ですか?それとも天気もいいので温室の方で召し上がりますか?」

サイナスが昼を告げたので、アドリアーヌは昼食の場所を確認した。

アドリアーヌが王宮で働くのは表向きムルム伯爵の遠縁を預かって王太子付の女官だとしている。

でなければ執務室に女が滞在しているのは不自然だからだ。

この世界は身分が上であればあるほど男尊女卑だ。

女性が国政に関わるなど言語道断。

唯一、女性ながらに国政に関与できるのは王妃くらいだろう。

「今日は温室で食べることにする。正直もう疲労が限界だ……」
「では、女官長に言って準備をさせます」
「頼んだぞ」

クローディスは大きく伸びをしたのちに、アドリアーヌに頼む。

アドリアーヌは一応承知を意味する礼をして執務室を出た。

その後女官長に話を伝えて昼食の準備を始めてもらった。

最初は女官の端くれとして手伝いを申し出ていたのだが、アドリアーヌのあまりの疲労ぶりに女官長は仰天したようで手伝いはしなくていいと言われてしまっている。

お陰でアドリアーヌは政務だけをこなすことに集中できている。

(あの時はちょっと残業酷かったから顔色悪かったしなぁ。今日も〝そんな土気色の顔色で!クローディス殿下があまり無理を言うのであれば私に相談してね〟なんて優しいこと言ってくれるから泣きそうだわ)

心配してくれた女官長の顔を思い浮かべ、アドリアーヌは脳内で合掌してしまっていた。

すると突然自分の名前が耳に入り、思わずそちらに顔を向けた。

「あぁ、アドリアーヌっていう女だろう?」
「そうそう、そいつが諸悪の根源だって聞いたぜ」
「そう言えば聞いたか?また人事院と城内管理院当たりの予算が減らされたらしいぜ」

「あぁなんでも無駄の廃止とか言って備品の簡素化とかあと禄も減らされたりさぁ……そのうち役職も見直されるとかいうぜ」
「これまで登城するだけで良かったのに……税の納付も上がるし……困ったぜ」

「それもこれもアドリアーヌって女官が来てからだ。クローディス殿下は甘言とかされてるんじゃないか?最悪だな、その女」
「きっとブスで太った性悪女だぜ」

その後もアドリアーヌの罵詈雑言を言っている男二人に腹が立つ。

色々と言いたいことはある。

だが所詮無能の戯言だろうし、ここで自分が出てもなんの解決にもならないのでぐっと我慢だ。

思わず拳を握りしめたが我慢していると、あろうことか男達が掃除をしていた女官のバケツを蹴ったのだ。

「きゃっ」
「おっと……こんなところにバケツなんて置いてたらたら掃除してんじゃねーよ」

明らかに八つ当たりだ。

だが男は女の顔を見るとにやりと笑って近づいていく。

「ほら見ろよ。濡れちゃったよなぁ。詫びくらい仕方分かるよな」
「す……すみません」
「聞こえないなぁ」
「すみません……」
「あーなら俺達と一緒に来てくれるよな。もちろん弁償は体ってことで」
「!!」

女が息をのんだ。

男二人が女を囲み迫っていく。これでは女も怖くて反撃もできないだろう。

それに相手の男達は割と上級貴族だ。

「は……離してください……」
「キスくらいいーじゃねーか。減るもんじゃないだろう!?」

いくら何でも酷い。

アドリアーヌはとうとう耐え切れず、女を庇って男たちの前に立ち塞がった。

「ちょっと止めなさいよ!」
「はぁ?お前に関係ないだろう!」
「私見てたんですからね。彼女は何も悪くない。あなたたちがバケツを蹴ったんでしょ?言いがかりはやめなさいよ!」
「女だと思ってりゃ痛い目を見たくなかったら、その女を引き渡せ。お前……誰にものを言っているか分かってんだろーな」

その男の顔を見てアドリアーヌはフンと鼻で笑ってしまった。

「ライデン伯爵とサルコ伯爵のご子息ですよね」

突然名前を呼ばれて二人は驚いた表情だったが、すぐに気を取り直したようで下種な笑みを浮かべる。

「わ……分かってんじゃねーか。それなら話は早い。どこの女か分からないが、命令だ。その女をよこせ」
「ライデン伯爵のご子息。あなた婚約者がいるのに娼館の女に入れ込んで子供までできたとか。慰謝料要求されて困っているのよね」
「な……なんでそれを」

こんなこともあろうかと自分に反感を持っているであろう貴族の顔と名前は全部覚えている。

いつ難癖付けられたり脅されたりしないとも限らない。

その時に対応できるように弱みを握るための情報をロベルトから貰っていたのだ。

アドリアーヌは更に畳みかける。

「サルコ伯爵のご子息。あなたの家は実は奥方の散財によって経済的に困窮して納税を先延ばしにしているわよね」
「そ……それは!!」

これはサイナスの情報から得た内容だ。

この間書類を複写していて気になっていたので覚えておいて良かった。

「さぁ、この話……社交界で流してもいいんですけど……私サイナス様とも懇意にしてますし」
「う……」
「くそっ!……覚えてやがれ!」

男たちは尻尾をまいて逃げて行った。

全くおととい来やがれってもんだ。

「あの……ありがとうございます……」

背後からおずおずと女の声がしてアドリアーヌは振り返った。

「いいんですよ。あんなの見過ごせませんから……って!!」

そうしてその女を見てアドリアーヌは息をのんだ。

そこには「悠久の時代の中で2」のヒロイン――アイリス・ミッドフォードがいたのだった。
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