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姫というより勇者-Sideロベルトー③
しおりを挟むアドリアーヌがサイナスと共にムルム邸に行くのを見送った日からロベルトの心中には複雑な思いが渦巻いていた。
あの後もサイナスがアドリアーヌに執着する様子で、それを知ってからは独占欲が芽生える。
お気に入りのおもちゃを取り上げられるような焦りのような、何とも言えない不愉快さが心を占める。
(お姫様を見つけたのは俺だ。サイナス様にかっさわれるのは癪だな)
アドリアーヌの心を手に入れようとする焦りがジワリとロベルトを責め立てた。
彼女は元公爵令嬢だ。
やはり豪華なドレスとアクセサリー、ディナーに誘えばさすがに優雅に過ごしていた過去のことを思い出して自分に靡くだろう。
幸いにしてサイナスからはたくさんの報酬をもらっており、アドリアーヌに豪華なドレスを送ることも夢のような一夜を提供することもロベルトの財力的には問題がない。
半ば強引にアドリアーヌを飾り立ててディナーへと連れ出す。
今思えば焦りがそうさせたのかもしれない。
最初は戸惑っていたアドリアーヌもディナーを楽しんでいるようだった。
(さて……これでもう一押しすれば……)
そんな簡単な女ではないことは百も承知だったが、もうロベルトには手段がないのだ。
女が自然と自分に寄って来るのであって、自分から恋愛に積極的に手を出そうと思ってなかった。
やれることと言えばこうやって女の自尊心をくすぐって落とすしか方法を知らない。
「ロベルト!その女は誰よ!」
そう叫ばれてそちらを見れば、以前に相手をした女の一人であるサリィが髪を振り乱してロベルトを責め立てる。
そして敵意をアドリアーヌにも向けたのだ。
(困ったな……まさかこのタイミングで修羅場になるなんて……俺らしくないな)
心底参った。
それなりに距離を取ってフェードアウトする気だったし、たいていの女性……特に気位の高い女ほど自分が弄ばれたことを恥と思い、誰にも言わない。
もしくは自分から振ってやったと武勇伝の様に語るのが常なのに。
「ロベルト!どうしてそんな女が!私という恋人がありながら、よくそんなことが言えるわね!」
「恋人……?あぁ、君との時間は悪くなかったけど、君を恋人だって言ったことあったかな?」
「なっ……だって、君が好きだって言ったわよね。一番かわいいねって言ったじゃない!」
「うーん、僕は一番好きっていうのを作らない主義だよ。〝君は一番かわいいものが似合うよ〟とは言ったけど、そういう意味じゃないよ」
敵意をアドリアーヌに向けた時点でロベルトの気持ちは冷めきり、思わず冷たく突き放す言葉を口にすれば、アドリアーヌは逆にサリィを庇い、その場を丸く収めてしまった。
「はぁ……ロベルト、あなたがそんな気はなくても本気になる人はいるの。みんな恋愛をあなたのように捉えていると思わないで。そんな態度は……本気になった人に失礼よ」
アドリアーヌはまっすぐにロベルトを見て言ってきた。
これまでは無邪気な笑顔を向けたり、少し冗談めかして言葉遊びを楽しんできたようなチャーミングな表情はそこにはなかった。
「僕は騙したつもりはないし、本気で好きだとも言っていない。勘違いしてしまうのは僕が悪いっていうの?」
「少なくとも、相手はあなたに本気で向き合っている。それを誤魔化すのはずるいわ。ロベルト……本当はあなた人と深く関わりたくないんじゃないの?」
痛い所を衝かれた。そう思った。
不意に心の傷が疼く。
ロベルトは貴族だった。
だが、父親が事業で失敗し借金を苦に自殺。爵位も奪われてしまった。
実は家族ぐるみで懇意にしていた家に騙されていたこともショックだったし、親友とも思っていた友人にも金がなくなると知ると冷たくされた。
その時の虫けらを見るような彼の目が忘れられない。
その後唯一の肉親となった姉は身を粉にして働き、まだ子供だったロベルトを育ててくれた。
ささやかだけど姉がいるなら自分は一人ではない。
そう思っていたのに、姉は男と駆け落ちをしてロベルトの元から突然いなくなった。
その時援助の手を差し伸べたのがサイナスで、情報を売る契約をしてから彼の影のような働きをするようになった。
過酷な自分の身の上を不幸だと酔いしれるわけではないが、何も知らない貴族の娘であるアドリアーヌがそんな知ったような言葉を吐くのが許せなくなった。
だがアドリアーヌは続けて言う。
「そう。あのね……人と関わっていたら絶対に傷つくこともある。でも……だけどそれを恐れていたら後には人は残らないし虚しさだけが残っていくと思うの」
「僕が孤独に見える?君には虚しいように見えるの?」
「今はまだ見えない。でも、寂しそうには見えている」
アドリアーヌは言葉を選ぶように一つ一つ言葉を紡ぎ始める。
「これは持論だけど……友人を多く作る必要はないけど、どうしてもって時に助けてくれるような人を一人は作っておくと、心が安定するわ。拠り所っていうのかしら。とにかく一人じゃないって心強いわ」
「でも、そいつに心を預けて、それを裏切られたら傷ついて終わりじゃないのかな?」
「それは自分の見る目がなかったのよ。でもね……人を信じられたという自分自身を否定する必要はないわ。縁は巡るものだから、別れる時はあなたにとってその縁は必要ないものになったってこと。またあなたに必要な新たな縁があるはずよ」
「そんなこと、自分のことでも言えるの?だいたい君は傷ついたことあるの?」
突き放すように言ったロベルトの一言に、アドリアーヌは一瞬息をのんだように見えた。
そして寂しそうにぽつりと呟いた。
「うん、そうね。どうかしら。あった……かもしれないわ」
そう言えばと思い出した。
それはサイナスに言われてアドリアーヌを調査した時に知ったのだが、彼女はグランディアス国の公爵令嬢だった。
しかも第一王子ルベールの婚約者でのちの王妃になる人物だった。
なのにルベールの心変わりにより国外追放の憂き目にあっていた。
それでも彼女はまっすぐに生きてきた。
「ごめん」
はっとして思わず謝罪の言葉を言った。
自分は周囲を呪うしかできなかったのに、アドリアーヌは毎日を前向きに捉えて生活してきたのだ。
周囲に幸せを撒くように明るく。それにロベルト自身も惹かれたのかもしれない
謝罪を口にしたロベルトにアドリアーヌは切なげな微笑みを浮かべそして、それを払拭するように言った
「とにかく!もう少しあなたはちゃんとした人間関係を築くべきよ!」
自分にそれができるだろうか?
アドリアーヌと居れば自分は変われるのではないか、そう思えるようになっていた。
※ ※ ※
後日ロベルトはサイナスに依頼されてとある情報を得る仕事をしていた。
傍らには女の裸体が横たわっている。
いい気分にさせて自白剤を飲ませ情報を得る。
事に及べば自白もスムーズだ。
だが、そんな自分が穢れているように思えて、アドリアーヌの前に出るためにはもうこの仕事はしたくないと思ってくる。
だから情報を渡すために会った時にサイナスに切り出した。
「これが情報だよ」
「ロベルト、いつも悪いな」
「それで、サイナス様。もう俺はこの情報屋から足を洗おうと思う」
「急にどうした?」
ロベルトはアドリアーヌと向き合うために、そして過去に区切りをつけるためにサイナスと袂を分かつと決めた。
「契約はどうする?」
サイナスとの契約は姉の所在を探ること、そして爵位を復活させることの二点。
それはこれまで自分を蔑んできた貴族へ復讐する第一歩でもあった。
貴族の汚点を探れば、それを強請って彼らより高みに上り、場合によっては蹂躙することができるからだ。
「もういいよ。自分の人生を恨みで進むのはやめにする」
「……そうか。まぁ王家への反勢力についてはあらかた調べたし、……気になっていたセギュール子爵の件も情報は揃ったしな」
その日迎えた朝日はすがすがしいもので、朝がこんなに爽やかな空気で満ち溢れていることに気づかされた。
これでアドリアーヌに向き合える。
少なくとも恋愛感情抜きにしても人間としてアドリアーヌと共に時間を過ごしても良い対等な人間になれたと思ったのだった。
が……そうは問屋が卸さないというのがこの世の理だ。
あろうことかセギュール子爵邸のメイドに手を出したことが下っ端の男にばれてしまい、その黒幕であるロベルトの存在まで情報を掴まれてしまった。
セギュール子爵に情報が行く前に対処することにした。
「あの下っ端の男は、僕達のことをまだセギュール子爵には言っていないみたいだよ。こっちについた方が利があると吹き込んでおいたから今度接触してきたら返り討ちにでもしてやって」
「分かった。はっ、本当にセギュール子爵のところの人間は馬鹿だな。じゃあ、こっちはこっちで対処する」
そして忠告して翌日には下っ端男はサイナスに喧嘩を吹っかけて、返り討ちにされていた。
自分の仕事はその下っ端を川にでも吊り下げ、買収した警官に捕縛させることだ。
なのに……その現場にアドリアーヌがいた。
(なんで……お姫様が⁉)
動揺しつつも事の成り行きを見守っていると、案の定サイナスはアドリアーヌを脅してこちらに引き入れる作戦に出た。
だが、そこはアドリアーヌ。ただでは起きなかった。
「労働条件の協議を申し入れます!」
その時のサイナスの顔を見ものだった。
更にあれよあれよとアドリアーヌのペースで条件が決められてしまう。
久しぶりのアドリアーヌの型破りな行動で荒んでいた気持ちも一気に払拭され、心の中で大爆笑をしてしまった。
そしてその帰り道、護衛を兼ねて家まで送る道すがらロベルトは聞いてみた。
「なんでお姫様はあそこにいたの?」
「サイナス様に時計を返そうと思って」
「でも危ないって思わなかったの?」
「そうだけど、尋常じゃない雰囲気だったしサイナス様が危険な目に遭わないか心配だったのよ。いざとなれば走って助けを呼ぶとかできるかもしれないし」
「身の危険を感じたら悲鳴をあげて逃げるのが御令嬢なんじゃない?」
「そうしたらサイナス様が危険な目に遭っちゃうでしょ?」
話が噛み合わない。
普通はやばそうだったら逃げるし、万が一その現場にいたら腰を抜かして泣くのではないか?
それなのに走って助けを呼ぼうと見守っているというアドリアーヌの心境は、ある意味適切な判断だが、普通の女性の反応ではない気がする。
「もし、あれが俺でも助けてくれた?」
アドリアーヌが自分以外の男の窮地を必死になって救おうとするのが少し気に入らない。
できたら必死になるのは自分だけにして欲しいのだ。
まぁ、アドリアーヌの性格上は見捨てるって選択肢はないだろうが。
「あなたなら少しは痛い目見るといいかもしれないわ」
「酷いな。少しは僕にも気を配って欲しいな」
「でもロベルトなら実際上手く躱すと思うしね」
思わず乾いた笑いが出てしまう。
アドリアーヌにとっては所詮自分の存在はその程度なのかと若干傷つく。
「でもさ、もしこんな状況になって、僕も君も窮地に立ったら、こんなクズな男は助けない?」
アドリアーヌの言う通りだ。
今まで恨みをたくさん買ってきて、まともな人生は歩めないだろう。
危険な目に遭って殺されるかもしれない。
そんな自虐的な気持ちで呟く。
優しいアドリアーヌのことだ。きっと助けると言うだろう。
そう思ったのに、アドリアーヌの言葉はまたロベルトの斜め上を行った
「えっ?逃げるわよ」
「それは……流石にそれは酷くない?」
「だってあんな状況になったら腕力もないもの助けられないわ」
至極真っ当な意見だった。が、やはりショックは隠せない。
でも次の瞬間アドリアーヌはこう続けた。
「でも、もちろん二人で逃げる術を考えるの」
「考える?」
「そう、戦力がないなら智略を巡らせるわ。私は頭がいいわけじゃないけど、あなたには生きて欲しいし、私も死にたくない。だから必死に考える」
「でも二人で助かろうなんてそれは……欲張りじゃ」
「あら多少でも欲がなかったら人間生きていけないわよ。欲は生きる原動力だもの」
「くくっ……確かに」
「それにね、二人で生きることに意味があるんだから。一緒に生きましょう!」
アドリアーヌはただ守られるだけのお姫様ではない。
その知恵をフルに活用して、きっと自分を守りながら戦ってくれる。
あの親友だと思ってたのに裏切った貴族とは違い仲間を見捨てない。
「それは勇敢なお姫様だね」
「そう?まぁ、いざとなったらスカート破いて全速力で逃げるから心配無用よ」
お互い顔を見合ってくすりと笑い合う。
スカートを破り捨てて走る姿が想像できてしまうのがアドリアーヌだろう。
彼女は強くて逞しい。
仲間を見捨てず共に生きようと言ってくれる。
それは姫というより勇者のあり方に近いように感じた。
「本当にお姫様って人は……」
どこまで自分の心を奪えばいいのか。
最初は遊びだったのに気づけば本気にさせられたのは自分で。
(あぁ、この気持ちは……きっと恋心ってものなのかもしれない)
でもその敗北さえ心地いいと思いながらロベルトはアドリアーヌとの夜道を歩くのだった。
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