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見てはいけないものだった…②
しおりを挟む毎朝の日課としてアドリアーヌは庭の植物に水やりをするところから一日が始まる。
夏真っ盛りとなり、朝からでも日差しが厳しいのでアドリアーヌはもっぱら早朝に起きて水をやることとしていた。
今日もまだ早朝だったが日課の水やりをしている。
じょうろから出る水はサラサラと植物に降り注ぎ、葉についた水滴は朝日を浴びてキラキラと輝いていた。
「うん。もう少しで食べ頃ね」
きゅうりやトマトなどの夏野菜はぐんぐんと成長し、今では一人では食べきれないほどの野菜が収穫されている。
知り合いの農家の人間と物々交換などもしており、たまにお裾分けに大家や取引先に持っていくことも多い。
つまりは、アドリアーヌはスローライフを楽しんでいるのだ。
(あれから攻略対象の皆さまとも会うことがないし、うん……これぞ私が求めていたスローライフ!ターシャ・デューダの生活!)
にんまりと笑いながら朝食に食べるベビーリーフなどのハーブを摘み意気揚々と家へと戻っていく。
とは言うものの、完全な自給自足は難しく、アドリアーヌは幾つかのコンサルティングの仕事は引き受けていた。
今日もヘイズとの打ち合わせだ。
前回クローディスの提案のおかげでレース業の方も順調に計画が進行し、売り上げも好調だ。間もなく軌道に乗るだろう。
「さて……と。今日も頑張りますか!」
ぐびぐびと特性野菜ジュースを飲み干し、テーブルにグラスを置く。
タンと音を立てたそれを聞いて、アドリアーヌは気合を入れた。
気合十分と街へと行く。
途中すっかり馴染みなった商店街の店主たちと挨拶を交わしながらヘイズの事務所を訪れたアドリアーヌだったが、中には厳しい顔のヘイズがいた。
「こんにちは、ヘイズさん。これ、お裾分けのズッキーニです」
「あぁ……ありがとうございます。そういえば今日は定期チェックの日でしたね」
「そうですね。経営状況の確認をさせていただきます。それより……ヘイズさん難しい顔をしてどうしたんですか?何か問題でも?」
ヘイズはアドリアーヌから籠いっぱいのズッキーニを受け取ると短く礼を言った後に、その曇った顔の原因を話した。
「実は輸入業をしているセギュール子爵が織物業にも目をつけ始めたようで……」
「セギュール子爵……ですか?」
「はい、最近羽振りがよく。なんでも慈善事業などが好調らしくて色々な事業に手を出しているんです。爵位のある方と表立って争うこともできず、知り合いのところも店を格安で買収されてしまい、実質倒産になっているのです」
詳細を聞くとなかなかアコギな商売をしているようだ。
爵位をかさに着て市民たちから金を巻き上げていると言ってもいい所業だった。
言いがかりをつけて経営難の会社を二束三文で買収し、その業界の商品を独占的に買おうとしているらしい。
その魔の手がヘイズにも及ぼうとしているようだった。
「それは脅威にもなりえますが、今のところはヘイズさんのところのレース織はまだ競合がいないので慌てなくても大丈夫ですよ」
「ですが綿事業の方は少しずつあおりを受けて売り上げが減っているのですよね」
そう言って出された四半期の財務諸表を見ると確かに綿事業の売り上げは落ちている。
だが、基盤となっている新興国の輸入業についてはまだそこまでのダメージもなく、また新規事業として始めたレース織の事業も今のところは盤石だ。
「もう少し様子を見るのと、新興国の輸入業についてももう少し目新しい物品がないか調査しておいてください。それを踏まえて新規事業に着手しても遅くないです」
「そうですね……ちょっと不安になりすぎました。あぁ、アドリアーヌさん。今日はランチはいかがですか?妻がこの間いただいたほうれん草でキッシュを作ったんですよ」
「まぁ!それは嬉しいです」
そう言ってヘイズの心配を軽減させたものの、アドリアーヌ自身もセギュール子爵のことは気になった。
一度事業内容と経営状況を調査した方がいいだろう。
そんなことを思いながらアドリアーヌはヘイズの妻が作ったランチに舌鼓を打った。
その後はさっそく行動開始とばかりにセギュール子爵の新規の店へと赴いてみた。
内装は豪華で。さすが貴族が出資しているという店だった。
金がところどころにあしらわれており、ピカピカと目に眩しい。
だからこそ高級感も感じさせて、個人企業で出店していた同じ品物であるにも関わらず。より高級感があるように感じられた。
(なるほど……これはほとんどあのブランドのものそのままだわ。しかもかなり安く売っている。素材は……まあまあね。)
ただどうやって元ブランドと同等のものを安価で売れるかからくりが分からない。
色々と店内を物色し、それとなく店員に聞いてたりしてみたが、売り上げが右肩上がりであること以外は分からなかった。
(うーん……収穫はなしか……)
もう少し人脈などがあればセギュール子爵に探りを入れられるとこだが残念ながら現在は貴族ではないアドリアーヌにはその人脈はない。
ただ唯一はムルム伯爵の伝手が使えれば何とかなるか……と思案しているうちに、外はすっかりと日が暮れてしまっていた。
街灯に少しずつ灯がともり始める。
街は治安がいい方だがそれでも郊外にあるアドリアーヌの家まではこれ以上暗くなると治安的にも問題があるだろう。
(早く帰ろうっと。……あれ、サイナス様?)
帰路に着こうとしたアドリアーヌの視界に一瞬サイナスがいたように見えた。
その時アドリアーヌはこの間サイナスが忘れて行った金時計を思い出した。
この機に返すのが得策だろうとアドリアーヌは考えた。
サイナスのような上流階級の人間とはなかなか会う機会もないし、実際クローディスを迎えに来た時以来顔を合わせていないのだ。
(この機を逃がしたらもうお渡しできないかもしれないし……とりあえず追ってみようかしら)
そう思ってサイナスの後姿を追いかけて行くが、サイナスはどんどんと路地裏へと進んで行く。
見ればサイナスはいつもより黒い服を着て身を隠すようにしていた。そして路地を足早に行くのをアドリアーヌは必死に追いかけた。
だが、一方で少し不安にもなり始めていた。
正直サイナスほどの貴族がこの路地裏に何か用があるのか?
一瞬アドリアーヌは大通りに戻ろうかとも思ったが、正直ここまで路地裏に来てしまうと一人で戻る方が危険な気もしていた。
(にっちもさっちもいかなくなった……タイミングを見計らってサイナス様に時計をお渡ししたら、大通りまで付いて来てもらおう)
不安になりながらもアドリアーヌはある意味楽観的に考えサイナスの後姿を追うと、サイナスは突然足を止めた。
声を掛けようとアドリアーヌが口を開こうとした時だった。
「来たな」
サイナスの前に屈強でいかにも柄が悪そうな男が立ちはだかった。
「おい、お前自分がしたことわかってんのかよ!でも金をくれるなら考えてやってもいいぜ?ほら、痛い目見たくね
ーだろ、貴族様よ」
男はどすの聞いた声でそうサイナスを脅していた。
アドリアーヌはその声を聞くやないなや反射的に物陰に身を隠す。
どう見てもサイナスが男に脅されている。
金品の要求をしているようだ。
手には刃物が握られており、痛めつけるという言葉は本気のようだった。
だがサイナスは黙っていた。
(サイナス様……このままじゃ危険だわ。誰か……人を呼ばなくちゃ!)
アドリアーヌの力ではこの場は収まらない。
せめて早く人を呼べばサイナスも危険な目に合わないかもしれない。
そう思ってそっとその場を離れようとした時だった。誰かが冷たい声で言った。
「馬鹿も休み休み言え。お前みたいな馬鹿にくれてやる金なんてねぇよ」
(え?)
一瞬それを誰が言ったか、アドリアーヌは理解できなかった。
だが、この場にいるのは屈強な男とアドリアーヌ自身とサイナス。
ということは消去法で考えればこの声の主はサイナスに他ならない。
思わず足を止めてその様子を見守っているとサイナスは心底馬鹿にしたような表情で男を見下した。
「だいたい俺が何をしたんだ?言ってみろよ」
「はっ、知らばくれるってのか?のメイドを買収して色々探っていたんだろ?情報が漏れたっダンナはカンカンだ。あいつのせいで俺までとばっちりを受けたんだ。責任取るのが筋だろう?」
「……メイドが情報を漏らしたのは俺のせいじゃない。何か証拠でもあるのか?」
「ロベルトとグルになってあのメイドをたらしこんだんだろ?あいつが泣いて俺に泣きついてきたんだ。可哀そうな女だ」
「たらしこんだとは人聞きが悪い。少し話をしてロベルトに任せた結果、あの女が勝手にべらべらと話したんだろう?」
「そうさせたのはお前だろ!」
男が激昂して大声で怒鳴った。
アドリアーヌはそれを聞いて思わず身をすくませたが、当のサイナスは平然と言い放つ。
「あのメイドに何か特別な感情があるみたいだから言っておくが、あのメイドは自分の意志でロベルトと一夜を過ごした。そして口が軽くなって喋った情報を俺が聞いただけだ。情報を言うようには強要していない」
「あいつはそんな女じゃない!」
「ふん。情報を漏らさないように躾切れなかった責任を俺に押し付けるのはやめろ」
口で負けそうだと悟った男はサイナスに向かって拳を振り下ろした。
だがサイナスはそれを華麗に受け流し、更にバランスを崩した男の喉元にステッキに仕込んでいたサーベルの刃を押し当てた。
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