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第5章 思い出③
しおりを挟むそんなある日。いつものように仕事を終えたところだった。
「あ、伊藤さん帰るんですか?」
「宮下さんはまだ仕事?」
「そうなんですけど…あの…打ち上げということで今日一緒にご飯行きませんか?」
突然の誘いに孝之は戸惑いつつ、内心嬉しくももいつつ由希子とご飯に行くことにした。
「実は、今日で仕事内容のヒアリングが終わりで。あとは自分の会社に戻っての作業になるんです。伊藤さんには1か月間、仕事をご一緒させていただいて助かりました。」
「いや…こっちこそ。最初は面倒くさがって悪かったな」
「そういえば、最初は思いっきり面倒だって顔してましたよね」
「まぁ。」
思い出してふふふと笑う由希子につられて孝之も思わず笑みが出る。
と同時に、もう由希子と仕事ができないことを寂しく思う自分もいた。
「それでですね。打ち上げもあるんですが、今日何の日でしょうか?」
「…???」
「あー、その顔だと気づいてませんね。」
はい、といって手渡される紙袋の中身を見ると観葉植物のようだった。
「これは?」
「お礼と、誕生日プレゼントです!」
言われて気づいた。今日は自分の誕生日だった。
「誕生日なんて…気づかなかった。その情報ってなんで知ってるんだ?」
「事務のお姉さんに聞いたんです。最近は彼女もいなくて寂しい誕生日を過ごすんじゃないかって笑いながら話してくださって。」
戸惑いながらもお礼を口にする。だが、自分にとって誕生日はあまり嬉しいものではなかった。
“お前なんて生まれてこなければ!!”
そんなことばかり言われ続けていたせいか、孝之にとって誕生日は辛いものだった。
そして家族にも祝われたことがない。ましてやプレゼントなどもらったこともないのだから。
「迷惑でした?」
「いや…こんな風に祝われたことがなかったから。」
「そうなんですか?」
「それにしても何で観葉植物?」
「植物を育てていると、自分の存在意義を感じませんか?この子のために生きようとか思えるし。それに何より癒されませんか?」
由希子の言っている意味はよく分かった。
「生まれてきてよかったなぁって思えるのが誕生日ですよ。次の1年にどんな楽しいことが待っているのか考えるだけでワクワクしません?」
「そんなものか?」
「そうですよ!そう思いません?」
「…。あんまり考えたことないなぁ。自分が生まれてよかったとか、思ったこともない。」
「えー!?そうなんですか?なら、私は、伊藤さんが生まれてきてよかったと思いますよ。」
「え…?」
「こうして一緒に仕事して、食事出来て。伊藤さんが生まれてなかったらできなかったことですからね。それに…その…出会えてよかったと言いますか…」
ちょっと照れながらも由希子は満面の笑みを浮かべてそう言った。
“伊藤さんが生まれてきてよかったと思いますよ”
我ながら単純だと思いつつ、由希子の言葉が嬉しくてたまらなかった。
「ありがとう…」
「どういたしまして」
絞り出すように礼を言う孝之に由希子は満面の笑みでそう言った。
そして、孝之は由希子と付き合うようになった。
職場が異なることもあって、2人でいる時間は少なかったけど、その分会えるのが幸せで。
孝之は由希子がいることで自分が生きていてよかったと実感できた。
やがてどちらからともなく結婚を意識し、孝之は結婚することになった。それは2人で生きていきたいと思ったからだ。
2人で共に歩いていく。それだけで孝之は幸せだった。だが、由希子からの提案を受けた
「子供が欲しい?」
結婚後、孝之は由希子にそう告げられた。
確かに結婚したからにはそういう流れになるのは当然だ。
だが…孝之は由希子がいれば十分だった。それに子供がいる夫婦が必ずしも幸せではないのだ。
自分の両親のように…。
それからいつの間にかぎくしゃくするときが訪れるようになった。
だんだん孝之は由希子が考えていることが分からなくなったし、体の関係を求められても応えることができなくなっていた。
(俺たちは…どうなっていくんだろう)
変わろうとしている夫婦の形を見るのが怖くて、孝之はその問題から目をそむけていた。
いつか向き合う日が来るかもしれない。
だけど、今は由希子と2人でいることが心地よすぎて、それで十分だとしか思えなかったのだった。
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