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五月雨の空だに澄める月影に
お見舞い⑤
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気づくと夕方には止んでいた雨が再び降りだしたようだ。
屋根にあたる雨粒の音が部屋に響いている。
雨によって室内の気温が少しだけ下がったが、出された吸い物を飲むと体の温かさが戻った。
目の前には高遠が用意した膳が置かれ、賀茂家では到底食べられない豪華な食事が乗っている。先ほど高遠が言ったいたしめ鯖と味噌田楽もあった。
一方高遠は、まだ病み上がりだということで高遠の膳は粥と焼き魚と吸い物程度のはあっさりとしてものだ。
(やっぱり体調は万全って感じじゃないんだろうな)
ぱっと見はいつものように悠然とした微笑みを浮かべているが、なんとなく顔色はぱっとしない。
少なくとも最初に部屋に入って基経と三人で話していた時にはそこまで酷い顔色ではなかったが、今は血色が悪く見える。
「大丈夫ですか?」
「何がだい?」
「いえ…体調が。無理されているのではないかと。顔色があまり良くないですし、先ほどから箸が進んでらっしゃらないようなので」
暁がそう言うと高遠は一瞬驚いたように目を見開いたが、直ぐにその表情も消えてにやりと口の端を上げた。
「ふふふ、君にそんなに見つめられていたとは。そんな熱っぽい視線を向けられてしまっては、口説き文句の一つも言いたくなるね」
どうやら高遠節は健在のようである。
(心配して損した)
暁の心配は杞憂に終わった。
これだけ元気であれば事件概要について少し長く話しても問題はないだろう。
「別に熱っぽい目で見てはいません。たまたま目に入っただけです。でも元気なのであれば事件概要を聞ける体力はあるということですね」
「ああ。大丈夫だ。問題ないよ」
「分かりました。では、まず今回発生した怪異は室内で男が突然溺死したというのが事の起こりです」
「室内で溺死…。確かに怪異だね」
「はい、亡くなったのは近江道雄様の付き人の啓治という男です。死ぬ瞬間を目撃した女房と近江様の証言から、両手で首を押さえ呼吸ができないようだったと。水の中で苦しむような素振りを見せた後に口から水を吐いて死亡したとのことでした」
「なるほど。その啓治が妖による呪いを受けたと考えているのかい?」
「いいえ。いろいろありましたが、狙われたのは近江道雄様だと判明しました」
「…そう言えば、近江殿と言えば以前国司をしていたのではないかい?それで恨みを買った…とかかな」
高遠が近江が国司だったことを知っているとは思わなかった暁は驚きつつ高遠に尋ねた。
「近江様をご存じなのですか?」
「あぁ…あの時、国司の除目でちょっと異例なことが起ったんだ」
「除目って、人事異動ってことですか?」
「あぁ。最初、近江殿は国司になるための階級である従五位下ではなかったんだ。それが突然従五位下に昇級された。そして国司候補に挙げられて、仕舞いには国司になった。どう考えても賄賂によってねじ込まれたのだろう」
先程在りが賄賂を使って国司になる人間がいると言っていたが、近江もそうだったという事だろう。
「やっぱりそうなんですね。実は私もそう考えて、国司になれなかった候補者の人が犯人なのではと思っています。幼馴染に依頼したのも候補者を調べてもらって、その人たちが近江様を恨んでいないか確認してもらうことなんです」
もし高遠の話が本当であれば、賄賂によって国司になった近江を他の国司候補が恨む可能性はずっと高くなる。
「近江殿が賄賂で国司になるような人間ならば他にも後ろ暗いこともしているだろう。それに関連して恨みを持っている人間もいるかもしれない。もしよければ私が国司選定で不正を行ったのか、あとは近江殿の裏の顔を探ってみようか」
「本当ですか?それはありがたいです」
状況的に見て近江に恨みを持つとしたら、従五位下以上の官位を持つもの…つまりお偉い人間のごたごたであるわけで、そうなれば暁の手の届かないところでの問題となる。
それを下っ端陰陽師の暁が知るのは困難であるため高遠の申し出はありがたかった。
(なんだかんだ言って力になってくれるんだな。話して良かったかも)
少しだけ高遠を見直したのもつかの間だった。
「ふふふ、お礼は君からの恋文でいいよ」
「…やっぱり自分で調べます」
「冗談だよ。もらえるならそれはそれで嬉しいけどね」
こう言う所も高遠らしい。
依頼を取り下げたくなった。
(せっかく見直したのに…)
渋面になった暁の表情を見た高遠は、心底楽しそうだ。
揶揄いが成功したと思っているのだろう。
「調査は真面目にやるから安心したまえ。それではお詫びに一献どうかな」
「…いただきます」
高遠は軽くそう言った後に、女房に酒を持ってくるように言いつけた。
今日もまた高遠に揶揄われたことが腹立たしくも、恨めしくも思ったが、滅多に飲めない酒と共にその苛立ちを飲み下すことにしたのだった。
屋根にあたる雨粒の音が部屋に響いている。
雨によって室内の気温が少しだけ下がったが、出された吸い物を飲むと体の温かさが戻った。
目の前には高遠が用意した膳が置かれ、賀茂家では到底食べられない豪華な食事が乗っている。先ほど高遠が言ったいたしめ鯖と味噌田楽もあった。
一方高遠は、まだ病み上がりだということで高遠の膳は粥と焼き魚と吸い物程度のはあっさりとしてものだ。
(やっぱり体調は万全って感じじゃないんだろうな)
ぱっと見はいつものように悠然とした微笑みを浮かべているが、なんとなく顔色はぱっとしない。
少なくとも最初に部屋に入って基経と三人で話していた時にはそこまで酷い顔色ではなかったが、今は血色が悪く見える。
「大丈夫ですか?」
「何がだい?」
「いえ…体調が。無理されているのではないかと。顔色があまり良くないですし、先ほどから箸が進んでらっしゃらないようなので」
暁がそう言うと高遠は一瞬驚いたように目を見開いたが、直ぐにその表情も消えてにやりと口の端を上げた。
「ふふふ、君にそんなに見つめられていたとは。そんな熱っぽい視線を向けられてしまっては、口説き文句の一つも言いたくなるね」
どうやら高遠節は健在のようである。
(心配して損した)
暁の心配は杞憂に終わった。
これだけ元気であれば事件概要について少し長く話しても問題はないだろう。
「別に熱っぽい目で見てはいません。たまたま目に入っただけです。でも元気なのであれば事件概要を聞ける体力はあるということですね」
「ああ。大丈夫だ。問題ないよ」
「分かりました。では、まず今回発生した怪異は室内で男が突然溺死したというのが事の起こりです」
「室内で溺死…。確かに怪異だね」
「はい、亡くなったのは近江道雄様の付き人の啓治という男です。死ぬ瞬間を目撃した女房と近江様の証言から、両手で首を押さえ呼吸ができないようだったと。水の中で苦しむような素振りを見せた後に口から水を吐いて死亡したとのことでした」
「なるほど。その啓治が妖による呪いを受けたと考えているのかい?」
「いいえ。いろいろありましたが、狙われたのは近江道雄様だと判明しました」
「…そう言えば、近江殿と言えば以前国司をしていたのではないかい?それで恨みを買った…とかかな」
高遠が近江が国司だったことを知っているとは思わなかった暁は驚きつつ高遠に尋ねた。
「近江様をご存じなのですか?」
「あぁ…あの時、国司の除目でちょっと異例なことが起ったんだ」
「除目って、人事異動ってことですか?」
「あぁ。最初、近江殿は国司になるための階級である従五位下ではなかったんだ。それが突然従五位下に昇級された。そして国司候補に挙げられて、仕舞いには国司になった。どう考えても賄賂によってねじ込まれたのだろう」
先程在りが賄賂を使って国司になる人間がいると言っていたが、近江もそうだったという事だろう。
「やっぱりそうなんですね。実は私もそう考えて、国司になれなかった候補者の人が犯人なのではと思っています。幼馴染に依頼したのも候補者を調べてもらって、その人たちが近江様を恨んでいないか確認してもらうことなんです」
もし高遠の話が本当であれば、賄賂によって国司になった近江を他の国司候補が恨む可能性はずっと高くなる。
「近江殿が賄賂で国司になるような人間ならば他にも後ろ暗いこともしているだろう。それに関連して恨みを持っている人間もいるかもしれない。もしよければ私が国司選定で不正を行ったのか、あとは近江殿の裏の顔を探ってみようか」
「本当ですか?それはありがたいです」
状況的に見て近江に恨みを持つとしたら、従五位下以上の官位を持つもの…つまりお偉い人間のごたごたであるわけで、そうなれば暁の手の届かないところでの問題となる。
それを下っ端陰陽師の暁が知るのは困難であるため高遠の申し出はありがたかった。
(なんだかんだ言って力になってくれるんだな。話して良かったかも)
少しだけ高遠を見直したのもつかの間だった。
「ふふふ、お礼は君からの恋文でいいよ」
「…やっぱり自分で調べます」
「冗談だよ。もらえるならそれはそれで嬉しいけどね」
こう言う所も高遠らしい。
依頼を取り下げたくなった。
(せっかく見直したのに…)
渋面になった暁の表情を見た高遠は、心底楽しそうだ。
揶揄いが成功したと思っているのだろう。
「調査は真面目にやるから安心したまえ。それではお詫びに一献どうかな」
「…いただきます」
高遠は軽くそう言った後に、女房に酒を持ってくるように言いつけた。
今日もまた高遠に揶揄われたことが腹立たしくも、恨めしくも思ったが、滅多に飲めない酒と共にその苛立ちを飲み下すことにしたのだった。
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