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五月雨の空だに澄める月影に

近江邸へ①

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暁達が溺死事件の調査の命を受けた翌日は、雨こそ降ってはいなかったがどんよりとした雲が厚く空を覆っていた。

このような天気で気持ちもどんよりとしているのに、昨日の今日で蒼樹と顔を合わせることになり、更に気持ちが重くなった。

近江邸へは主の近江道雄の都合もあり、夕刻近くに訪れることになったのだが、その道すがらも暁と蒼樹は互いに無言であった。

そのピリピリした空気に耐えかねたのは一緒に近江邸へと向かっている吉平だった。

「えっと…、あ、近江様って国司だった方みたいだね」
「うん、確か資料には尾張の国司で、半年くらい前に赴任先から戻って来たって書いてあったね」

吉平の問いに暁は昨日光義から渡された事件概要の資料を思い出して答えた。

国司というのは中央から地方に派遣される貴族の事で、その土地の税を管理したりその他行政・財政・司法・軍事全般を管理する役職だ。

「尾張への赴任前は民部省少輔で、尾張から戻って来られてからも同じ役職について仕事してるらしいよ」
「はぁ…凄い偉い人だよね。従五位下の方かぁ。偉い方とお話するのは毎回緊張するね」
「確かに」

吉平が胸に手をやり大きく息をついた。

「もしかして超怖い人だったらどうしよう…。突然怒鳴られたりして。はぁ…高遠様が居れば心強いのになぁ」

吉平が項垂れるようにそう呟くのを聞いて暁もまた実はその懸念を抱いていたので黙り込んでしまった。

怪異を解決する関係上、これまでも様々な貴族と会い、話を聞く機会は多かった。
その中にはプライドの高い人物もいる。

無官で年若い暁達が話を聞きに行けば「こんな無官を寄越して陰陽寮はふざけているのか!?」とか「若造に何ができる」とか怒鳴られることもあった。

だが、たいてい高遠が一緒に赴いてくれ、相手との橋渡しをしてくれるおかげで、その結果円滑スムーズに話を聞くことが出来た。
だが、その高遠は現在不在だ。

(確かに女たらしでふらふらしているけど、役には立ってくれてたんだなぁ)

本人は仕事半分、興味+暇つぶし半分といった体であったが、それでもいないよりマシで意外にも役に立っていたことを暁は改めて分かった。

(確かに高遠殿が居れば…)

思わず誰もいない隣を見てしまう。
そこに高遠の姿はない。
その時自分の行動に暁はハッと我に返った。

(って、別に高遠殿が居なくて不安とか寂しいとかそう言うわけじゃないから!)

慌てて自分の考えを否定し、そして吉平の不安を払拭するように明るく言った。

「大丈夫だよ!高遠殿が居なくたって問題ないよ!」

寧ろ揶揄われることもないので事件に集中できるはずだ。
暁が自分に言い聞かせるようにそう思考を切り替えた。

そんなやり取りを暁達よりも一歩後ろを歩いていた蒼樹がため息をつきつつ冷たく言い放った。

「だから妖を引き擦り出して騒速で切れば時間の無駄を省けると言うのに。妖の調査を行うなど、これだから陰陽師は無駄なことに時間を費やす」

ミエの時と同じことをすればいいと言外に言われ再び蒼樹への不快感が呼び覚まされる。

「…蒼樹様。言っておきますが、蒼樹様の仕事は穢れを祓うことですから。たとえこちらが依頼し出向していただいていても陰陽師の方針に従っていただきます」

「あ、暁…ちょっとそんな言い方は…」

暁はクルリと振り向いて蒼樹を見据えてそう言う。

隣では吉平が青い顔をして焦っているが暁は敢えてそれには気づかないふりをした。

暁のこの発言で、蒼樹が陰陽寮を見限って仕事を放棄する可能性もあるが、そんなことは知ったこっちゃない。

そもそもこの出向の話は陰陽頭の光義と神祇官の上層部が決めたことで、たまたま蒼樹がその任に当たっているのだ。

蒼樹の過失でその任を解かれ、神祇官へ戻されることになれば、神祇官内の蒼樹の立場も悪くなるはずだ。

暁が強くそう言えば蒼樹は感情の見えない表情で冷たくこちらを睨むが、鼻を鳴らしたのち、低い声で言った。

「ふん、仕事だからな。このような非効率なことにも付き合おう」

暁は蒼樹の言葉を聞くと、再びくるりと後ろを向いて、そのまま近江邸へと足を進めた。





暁達が近江邸に着くやいなや、名乗る間もなく女房達に連行されるように奥の母屋もやと通された。

部屋に入ると、引っ越したばかりで新しい物を置いたのか高麗縁の畳の真新しい匂いが香っていた。

既に5人ほどの女房と、同じ数の男が一列に座っており、その反対側に薄い鶯色の衣を来た年嵩の男が胡坐をかいて座っている。

明らかに他の人間とは異なっているその態度から、この人物が室内で溺死した啓治のあるじである近江道雄だろう。

近江道雄はずんぐりむっくりとした初老の男という印象だった。
肌は適度に焼けており、体つきは太っているわけではないが全体に丸くてどっしりしている。
太い立派な眉に、ぎょろりとした目。彫が深くて少し脂ぎった顔をしていた。

その黒くふさふさの眉の間に皺を寄せ、難しい顔で道雄は暁達を出迎えた。
暁達はゆっくりと道雄の前に座り深く頭を下げるとそれぞれ名乗った。

「初めまして、私は陰陽寮から派遣されました陰陽師の賀茂暁と申します」
「同じく安倍吉平です」
「神祇官所属、紀蒼樹と申します」

本当は暁達はまだ直丁雑用係なのだが、それを話すと色々と面倒なので陰陽師であると名乗った。
これに対して道雄は気づかないようで、大きく頷いてから話し始めた。

「これはこれは。陰陽頭に縁のある陰陽師殿と名門安倍家の陰陽師殿が来てくれるとは、光義様には礼を弾まないといけないな!
いやぁ、ありがたい!それにしても……このような恐ろしいことが起こってしまった。我が家に穢れが出てしまってどうしたものか。君達、一つよろしく頼むよ」

腹から声を出すような大きな声で道雄はそう言った。

普通ならば穢れが出て震えていてもおかしくはないが、一見するとそう感じさせない様子であった。暁はそんな道雄の様子をまじまじと見た。

(扇子を何度も持ち換えてる。…やっぱり不安があるのかもしれない)

笑顔を浮かべて暁達を迎えた道雄であるが、先ほどから喋るごとに持っている扇子を弄ったり、左右の手で持ち換えながらしゃべっている。

本人に自覚があるかは不明だが、不安から手が勝手に動いるのかもしれない。
普通に考えればそれは啓治が怪死したからだろうが、なんとなくそれだけではないような印象を暁は受けた。

「おい、ぼーっとしているならばさっさと穢れを祓って俺は帰るぞ」

蒼樹が暁に小声で冷たく言い放ったのを聞いてはっと我に返り、暁は事件当時の状況を聞くことにした。

「あ、失礼しました。本日は啓治さんが亡くなった時の様子を聞きたくて伺いました。よろしければ当時の事を教えていただけないでしょうか?」
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