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比翼の囀りは琴の音に乗せて

・幕間①

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森の奥深く。

そこは人が足を踏み入れることがない。薄暗く空気は冷ややかだ。

人が住む世界にしてそうであらず。

現世うつしよ常世とこよの入り乱れる世界である。

その妖は木にもたれるようにして座り込み、荒い息を整えていた。
錆びた銅のような赤く長い髪が頬に掛かるのをそのままに妖は目を閉じた。

「あと…一人…」

あと一人で全てが終わる。そう思った矢先に出会ったあの陰陽師の存在は妖――楊月にとっては誤算だった。

まだ年端もいかない少年であるあの陰陽師が追ってくるとは…あまつさえ調伏しようとしてくるとは思わなかったのだ。

それよりも楊月にとって想定外だったのは陰陽師よりもそれを守護している式神の存在だ。

使役している陰陽師の力量以上の力を感じたからだ。

「あいつらは何者なのだ…?」

だが何者なのかは楊月にとっては問題ではない。次の計画を邪魔されることが問題なのだ。

(今回は逃れることができたが、かなり妖力を消耗してしまった)

楊月は強力な力を持つ妖というわけではない。

協力者の存在があったからこそ三人もの人間を殺めることができたのだ。
鬱蒼とした森の中にチリンという鈴の音が一つ鳴った。

「随分消耗してるな、楊月」
「…護摩堂」

何もない空から現れた少年は、タンという軽い音と共に楊月の前に降り立った。

妖にとって外見は必ずしも年齢とは一致しないが、目の前の少年は幼くまだ十を少し過ぎたくらいに見える。

青い空色の髪から覗く双眸は金淵で彩られており、彼が単なる妖ではないことを物語っていた。

「せっかくオレが力を分けてやったのにもうこんなに消耗して…妖力の無駄遣いってのは勘弁してほしいな」

「あと一人なのだ。主のためにアイツを…殺せば全ては終わるのだ。…だから…また力を貸して欲しい」

護摩堂が単なる親切心で自分に協力し、妖力を分けてくれているわけではないことは楊月にも分かっていた。
護摩堂の目的は分からない。

だが、たとえ命を差し出すよう要求されたとしても、主人のために人を殺せるのであれば本望である。

「そうだなぁ…そろそろオレの言うこと、聞いてもらおうかな」

にんまりと悪戯を思いついたような表情で護摩堂は言った。
すたすたと音もなく歩き、楊月に近づくと、その顔を覗き込んでくる。

「要求はなんだ?」
「アンタさぁ、暁に会ったんだろ?」
「暁?」
「アンタの妖力を削り取った陰陽師だよ」
「あぁ…それが何か?」
「アイツを…殺してくんない?」

命を差し出せと言われるものかと思っていた楊月にとって、護摩堂の依頼は予想外のものであった。

護摩堂はその不思議な瞳に愉悦の色を浮かべている。

「何故だ…?」

楊月は妖であり、人間とは相容れない存在である。

それに基本的に人間が好きなわけではない。だが、無意味な殺戮をしたいわけでもないのだ。

思わず護摩堂に聞き返したが、その答えは楊月の求めているものとは若干違うものだった
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