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イトカワジンカイ

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一歩② ~エピローグ~

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三ツ輪自動車との共同プロジェクトも終わりを迎えた。
というより、あとは開発がメインになり、企画や予算調整などの私の仕事はいったん終わりとなったのだ。
第一フェーズの完了ということでその夜は飲み会になった。
周りのおじさんたちは酔いつぶれて寝ている人もいれば、一気飲みをして騒いでいる人もいた。
そんな雑然とした中でたまたま私と水谷は隅の方に追いやられ、ちびちびとお酒を飲んでいた。
ここだけ喧噪が聞こえないような異空間のように感じられた。

「あの夜は……」

口火を切ったのは水谷だった。だがそれを打ち消すように私は言葉を重ねた。

「見ちゃったんだ。」
「え?」
「メール入っていたでしょ。待ち受け、奥さんだったね。」
「……あぁ。」
「私は仕事で傷ついて、水谷は夫婦関係で傷ついて。きっとだから幸せだった大学時代に戻りたかったんじゃない?」
「そうかも……な」
「だから、お互い前を向かなきゃ。」
「はぁ……昔からお前はそうやって人を前向きにさせるよな。本当……俺にはもったいないいい女だ。」
「ふふ、今頃気づいた?」
「お前がそういうか?」

冗談とも本気とも呼べる駆け引き。そんなことができるようになったのもお互い歳を重ねたせいだろうか。

「でも、奥さんを選んだのはあなた。奥さんをちゃんと話し合って。逃げないで。」
「あぁ。」

私はコップに入ったビールを一気に飲み干して立ち上がった。

「どこ行くんだ?」
「帰るの。私、やらなきゃいけないことあるから。」
「じゃあ、見送る。」
「ん。」

水谷は席を立って居酒屋の出口まで送ってくれた。
思い切り息を吸う。たぶん、この言葉を言うのは最後。
そして8年前に言いたかったけど言えない言葉を。

「最後に、8年前愛してくれてありがとう。ずっと大好きだったよ」
「過去形なんだな」
「当たり前でしょ!!ほら!笑って!」

強がりでもなく、私は心からそう思っていた。夏の夜は灼熱の暑さから少し涼しくて、心地よい熱を帯びていた。



打ち上げから1週間後。私は意を決して課長の机に歩み寄った。

「どうした?森本さん。」
「課長、お話が。」

私は上司にそっと書類を手渡した

「これは?」

上司は少し動揺し、そして怪訝な顔をした。突然のことで思考回路が停止していることが目に見えてわかった。

「退職届けです。申し訳ありませんが、会社を辞めます。引継ぎについてはもう課の皆さんに少しずつ振っておいたので私のタスクはありません。有休を消化するので本日で退職します」

実は人事や同僚などには根回しをしており、あとは課長に退職届を提出すればすべて完了という段取りをしていたのだ。
あとは事務処理なんかで呼び出されるかもしれないが、とりあえず私は一歩を踏み出した。




一人くらい、こんな人生を歩む人間もいていいかもしれない。私はきっと物語の主人公になれないかもしれない。でも、脇役がいないと主人公は映えないのだ。


「先輩!!」

バタバタとエントランスに足音が響き渡る。

「足立君」

振り返って彼を認める。息を弾ませて、呼吸を整えようと頑張っている。

「辞めるって……本気ですか?」
「うん」
「だってもうプロジェクトは第二フェーズに入って水谷さんに会うことないじゃないですか!」
「それは別の話。もう一度自分の人生を生きようと思って」
「え?」
「私、大学院に戻ろうと思うの。そこで逃げていた研究と向き合って、昔の夢、現実にしようと思うの。」

まっすぐに足立君を見つめる。

「先輩、あの日の答え、ずっと待ってます。今じゃなくていいんです。落ち着いたら……返事、ください」

足立君の好意が嫌なわけではない。でも、ここで恋愛に逃げてしまったら、また同じことの繰り返しになるような気がした。

「……ありがとう。でも、答えはノーよ。」
「俺じゃ頼りないですか?」
「ううん。私の中で足立君がいなかったらきっと私はずっとウジウジ悩んでた。でも足立君がいたから一歩が踏み出した」
「じゃあ……!!」
「私みたいに後悔して欲しくないから。人生は一度きり。学生時代の思い出を引っ張って欲しくないし、足立君には幸せになってほしい。私はもう子供も望めない。なによりもう自分の生きる道を決めたから。」
「……参ったなぁ。先輩に二度目の失恋ですよ。最後に、ハグいいですか?」

そういって私を抱きしめる足立君。本当に軽いハグ。

「じゃあ……ね」

今日は私の34歳の誕生日
10年務めた会社のエントランスを出る。

私は、私のための人生を生きる。

そうして踏み出した一歩。ビル風が私の髪を揺らす。
心は晴れやかだった。




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