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快晴①

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明けない夜はない。

そんなよくある言葉を痛感する。
カーテンを開けると昨日の雨がウソみたいに晴れていて、でもそんな天気とは裏腹に私の心は晴れなかった。
(あんなことがあっても……仕事には行かなきゃいけないよなぁ)
大学時代は失恋すると休んでさめざめと泣いていたこともあった。
友人はそんな私を理解してくれて、笑いながら講義のノートを写させてくれたものだった。
でも私はもう大人だ。
熱いシャワーを浴びる。排水溝に流れるお湯を見る。もう一つ深呼吸をすると暖かい空気が肺に入っていく。
昨日のことが洗い流されるように体が軽くなった気がした。
コンタクトをして、メイクをする。パリッとしたスーツを身に着けて、ヒールを履く。
これが私の戦闘戯だった。
よく男性はネクタイを締めると仕事モードになるなんて言うけど、私はこの一連の動作が仕事モードになる魔法だった。



「おはようございます」

いつものようにオフィスに入るといつもの足立君の笑顔があった。

「香澄先輩、おはようございます。昨日のプレゼン成功だって話聞きました。さすがですね」
「そんな難しいプレゼンでもないよ。」
「いやいや……あんなふうに的確にまとめる技能はなかなかないっすよ」
「ま、先輩だしね。」

軽口をたたくとまるで昨日のことがウソみたいなだった。あれは……夢だったのでは。そう思えるように。

「あ、朝一で課内ミーティングですよね」
「そうか!忘れてた。」

慌ててモバイルパソコンと手帳を持って足立君と並んで会議室に移動する。
と、向かい側から水谷が歩いてきた。

「あ……。」

水谷は何か言おうと口を開けた。私は視線を外す。でも怖くて一歩が踏み出せなかった。
そんな私と水谷の微妙な雰囲気は一瞬だったと思う。
だけどそれを足立君が破ってくれた。

「香澄先輩、行きましょう!!……水谷さん、失礼します!」

有無を言わさぬように足立君は私の腕を掴むと半ば強引にその場から連れ去ってくれた。




オフィスの屋上。屋上には最近の流行りのせいか、屋上緑化なんかされていて、一息つくにはもってこいの場所だった。
お昼に私は一人ベンチに座ってぼーっとしていた。
平然を装いたいのに、水谷を見るとどうしていいか分からず、胸をかき乱されていた。
私は……まだ彼を好きなのだろうか。でも彼は既婚者で、結婚生活が破綻しているとはいえまだ奥さんのことを未練に思っている。
そんな曖昧な関係でどうしていいのか分からない。
一歩を踏み出すのは簡単だった。でもそれじゃダメな気もする。
そんなことを悶々と考えて、私は軽く頭を振った。

「香澄先輩」

名前を呼ばれてはっと我に返る。覗き込むように足立君が立っていた。

「あ……足立君……」
「ここ、座っていいですか?」
「うん。」

だけど足立君は一向に話を始める様子はない。

「どうしたの?何か仕事で問題あった?」
「いや……そうじゃないんですけど。」

意を決したように切り出した。

「……なんかあったんですよね。あの雨の日に。」
「……。」

何か言わなくちゃならないって思ったのに。このまま無言でいたら肯定になってしまう。
口を開くと同時に足立君が喋った。

「実は……あの夜。先輩を見たんです。辛そうに雨に打たれてて。声をかけようとしたんですけど……」
「そう。」
「で、物は相談ですが……デートしましょう!」

あまりのことで今まで地面を見ていた視線を足立君に向けて私はぽかんと口を開けた。

「は?」

デート……デート!?

「ほら、気分転換に」

きっとあの夜のことにさっきの水谷との微妙な空気感と雨の日を目撃したことで気を配ってくれたのだろう。
目ざとい足立君のことだ。後輩にこれ以上心配をかけるわけにはいかない。

「私は大丈夫だから」
「全然!!大丈夫じゃないですか!!無理に笑わないでください。俺のこと、嫌いじゃなかったらデートしてください。」

無理に笑っていただろうか。もうそんなことも分からなくなっていた。
ただ今は一人は寂しかった。

「……分かった」

そう答えたときの満面の笑顔の足立君を見て正直心が癒された。


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