騎士様のアレが気になります!

茜菫

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本編

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 シロップをいっぱいに詰めた小さな瓶を三本と、芋と木の実を詰めた編みかごを片手にもち、ヴィヴィアンヌは小屋の外に出た。ほかに荷物はなにもなく、残ったものはすべて置いていく。ヴィヴィアンヌは外で待っていたオリヴィエに駆け寄ると、うれしそうに笑った。

「準備できたよ、騎士さま」

「……もういいのか?」

「うん。ちゃんとシロップ、詰めてきたよ」

「……シロップ……そっか……」

 長年の生活の場を去るというのに持ち物は食料のみ、ヴィヴィアンヌは瓶に詰めたシロップさえあればいいようだ。

 森の外に出たことのないヴィヴィアンヌは当然、旅慣れていない。いまの服装も適したものではないが、ほかに持ち合わせていない。オリヴィエは気にかけておかなければと、改めて認識しなおした。

「じゃあ……」

 オリヴィエは振り返り、小屋を眺めた。ヴィヴィアンヌに助けられてここに運ばれ、大事なものを見られたり、触られたり、無自覚に弄ばれたり、最終的には心身ともに結ばれたりと、濃厚な思い出がある場所だ。ヴィヴィアンヌの祖母はすでになく、最後の主である彼女が去れば、ここはひっそりと朽ちていくのだろう。

「……いこうか、ヴィヴィ」

「うん!」

 歩き出したオリヴィエの少し後ろにヴィヴィアンヌも続く。ヴィヴィアンヌは一度も振り返らなかった。

「シロップ、全部は食べられなかったね」

「さすがに、あの量はちょっと……」

「へへ、たくさん作ったからね」

 シロップをたっぷりかけた木の実と芋が朝食だったオリヴィエは、当分甘いものは食べたくないとげんなりとしていた。置いてきたつぼにたっぷりと余っているシロップも、月日が経てばいずれはなくなるだろう。

 二人は魔女の洞窟に向かい、そこからオリヴィエが辿った道を戻っていくことにした。オリヴィエは魔物を警戒しつつ慎重に先を進んだが、ヴィヴィアンヌの魔法もあってか、一人で森奥に向かったときより比較的楽な道のりだ。

「よく覚えているね、騎士さま」

「目印をつけながら歩いたからね。……ほら」

 オリヴィエは近くにあった、木につけられた傷を指差した。それをまじまじと眺めているヴィヴィアンヌのそばにしゃがみ込むと、根元の土を掘り返す。

「なにしているの?」

「念のため、ここに荷物を埋めておいたんだ」

 埋まっていたのは小さな麻袋だ。口を縛ってある紐を解くと、中には貨幣と宝石が詰められていた。オリヴィエは万が一のために手持ちをわけて埋めておいたのだ。それをのぞき込んだヴィヴィアンヌは目を丸めて驚きの声を上げる。

「わあ、変な石!」

「い、石…………ヴィヴィ、これはお金だよ」

「オカネ?」

「えっと、そうだなあ……物の価値の基準になるものだよ」

「……よく、わかんない」

 金も宝石も、その価値を知らないヴィヴィアンヌにとってはそこらの石となんら変わりがないようだ。

 必要な荷物を回収したオリヴィエはヴィヴィアンヌを連れてやってきた道を戻っていく。二人が協力しながら歩いているうちに、行く先に木々が途切れて開けた場所が見えた。

「私、こんなところまで出てきたの、初めて」

「ヴィヴィ、あそこを見て。あそこまで行けば、森を出られるよ」

「わあっ、すごい!」

 オリヴィエがその方向を指差しながら笑いかけると、ヴィヴィアンヌは視界を遮る木々の向こうに見えた光に目を輝かせた。初めて見る外の世界にはどんな光景が広がっているのか。期待に胸を高鳴らせたヴィヴィアンヌは走り出し、先を歩いていたオリヴィエを追い越す。

「あっ、ヴィヴィ!」

 オリヴィエはヴィヴィアンヌがそのまま外に飛び出してしまうのではと慌てて追いかけた。だがその予想に反し、ヴィヴィアンヌはその一歩手前で足を止める。

「……ヴィヴィ?」

 追いついたオリヴィエは、立ち止まったヴィヴィアンヌの隣に立ってその顔をのぞき込んだ。不安を感じているのか、ヴィヴィアンヌは眉尻を下げてじっと外の光を見つめている。

 けっして森の外に出てはいけない、ヴィヴィアンヌは祖母にそう言い聞かされて育った。いま一歩を踏み出せば、その言いつけに背くことになる。

「……騎士さま……」

 ヴィヴィアンヌはか細い声で助けを求めるかのようにオリヴィエを呼んだ。目の前には、ヴィヴィアンヌの知らない外の世界がある。ヴィヴィアンヌはいまになって、自分の選択に不安を覚えていた。

(……大丈夫かな)

 本当に外に出ていいのか、外の世界で生きられるのか。とめどなく湧き上がる不安がヴィヴィアンヌの足をひっぱる。

「……ヴィヴィ、行こう」

 オリヴィエはヴィヴィアンヌの前に立つと、手を差し出した。ヴィヴィアンヌはその手をじっと見つめた後、上目でオリヴィエの表情をうかがう。

「……出たら、息できなくなったりしない?」

「しないよ」

「……溶けちゃったりしない?」

「しない、しない」

 笑いながらオリヴィエが否定しても、ヴィヴィアンヌは不安でたまらなかった。オリヴィエは手を差し出したまま、ヴィヴィアンヌがその手を取るのを待つ。

「大丈夫だ、ヴィヴィ。僕がずっと、一緒にいるよ」

 オリヴィエの言葉を聞いても、ヴィヴィアンヌの不安は拭えなかった。けれどもヴィヴィアンヌはそっと手を伸ばし、オリヴィエの手を取る。

「騎士さま……オリヴィエ。絶対、絶対だよ。絶対に離さないでね」

「ああ、もちろんだ」

 その言葉を受け、オリヴィエはヴィヴィアンヌの手をしっかりと握った。けっして離さないという意志の表れかのように。

「行こう、ヴィヴィ」

 オリヴィエに誘われ、ヴィヴィアンヌは一歩足を踏み出した。鬱蒼とした森が開け、ヴィヴィアンヌの目になににも遮られない青い空が映る。なだらかな稜線が空を分け、青々とした山々が遠くに見えるその光景に目を奪われ、オリヴィエの手を握りしめて立ちつくした。

「……世界って、とても広いんだね」

 ヴィヴィアンヌの空はいつも狭かった。見上げても、見渡してもかならず木々が映る。世界から一歩外に踏み出しただけなのに、いままで見たことのない光景が広がっていた。

(すごい……)

 ヴィヴィアンヌはその光景に感動していた。この先にもまたヴィヴィアンヌの知らない世界が広がっているのだろう。

(……なんだか、怖いな)

 だが、それと同じくらいに怖かった。自分がどれほど狭い世界で生きていたのかを知り、広すぎる世界にヴィヴィアンヌは足がすくむ。

(……ううん、大丈夫。騎士さまが、いるもん)

 つないだ手から感じられる温もりが、ヴィヴィアンヌにほんの少しの勇気を与えた。オリヴィエと共に一歩足を踏み出し、さらにもう一歩足を進める。ヴィヴィアンヌは青々とした草を踏みしめ、そよぐ風を受けながらオリヴィエを見上げた。

「ねえ、騎士さま。これからどこに行くの?」

「まずはここから一番近い、小さな集落に向かおう。最終的には……あの山の向こうだ」

 オリヴィエは遠くに見える山を指差した。山を越えた先には海に面し、山に囲まれた都がある。その都には王が住まい、呪われた王妃もそこいる。

「あの山の向こうに、王妃さまがいるの?」

「ああ」

 いまもなお呪いにより意識を失っている王妃。その呪いを解くことがオリヴィエの悲願であり、彼の願いを叶えることがヴィヴィアンヌの願いだ。二人の願いと未来のために、ヴィヴィアンヌは意気込む。

「そっか。へへ、じゃあ、がんばって歩かないとね」

「ああ。でも、ヴィヴィ。疲れたらすぐに言ってくれ」

「うん!」

 元気よく笑い、うなずいたヴィヴィアンヌはオリヴィエの手をしっかりと握り返した。二人はゆっくりと、王都へ向かっていた足を進める。ヴィヴィアンヌは開けた世界に進んでいき、後ろは振り返らなかった。



 二人の王都への道中には、さまざまな困難が待ち受けていた。一番に問題になったのは食事だ。長年木の実や芋、山菜ばかり食べていたヴィヴィアンヌは調味料で味つけされた料理を食べておいしいと感動し、思うままに食べたあと腹を下した。ヴィヴィアンヌの胃腸には刺激的過ぎて、耐えられなかったようだ。

「痛い……痛いよぉ……」

「ヴィヴィ……!」

 オリヴィエはその日、一晩中痛い痛いとすすり泣くヴィヴィアンヌの隣で腹を擦って慰めた。

 そんなできごとは一度では済まず、道中さらに三度ほどあった。食べる前は目を輝かせていたのに、虚ろな目でもう一生なにも食べたくないと涙するヴィヴィアンヌがあまりにもかわいそうで、オリヴィエまで泣きそうになった。泣かなかったが。



 次に問題だったのが、ヴィヴィアンヌの好奇心だ。初めて訪れた人の集落で、初めてオリヴィエ以外の人を見て、ついその股間に目を向けたヴィヴィアンヌはオリヴィエに目を塞がれて止められた。

「……ヴィヴィ。相手に失礼だから、人の……その、大事なものがあるところは見ちゃいけない」

「えっ、でも、気になるの」

「……僕のは見せてあげるから、我慢して」

「……うん、わかった」

 相手がその視線に気づかなかったことと女性であったことが幸いだったが、今後は人の股間を不用意に見ないようにとヴィヴィアンヌは約束した。少し不満そうだったが、オリヴィエの股間は見ていいと許可を得たので、一応は納得しているようだ。



「ヴィヴィ、ちょっとここで待っていて」

「うん! ……あれ、なんだろう?」

「よし、ヴィヴィ。次はあっちに行くよ……あれ!? ヴィヴィ!? ヴィヴィアンヌ!?」

 ほかにも、オリヴィエが少し目を離した間にヴィヴィアンヌが歩き回って迷子になったり。



「あれ、騎士さまどこいったの?」

「お嬢ちゃん、君の連れならあっちで見たよ」

「えっ、どこ?」

「よし、一緒に行こうか。ついておいで」

「うん、おじさんありがとう!」

 人攫いに騙されてついていったヴィヴィアンヌをオリヴィエが助け、犯罪集団を拘束することになったり。



「オリヴィエ! 会いたかった!」

「うわっ、ルネ……!?」

「……ちっ」

「やだ、騎士さまから離れて! 騎士さまは私とケッコンするの!」

「はっ? なに、この女!?」

「おい、ルネ。オリヴィエには婚約者がいるみたいだし、離れなよ」

「嫌よ! オリヴィエ、婚約ってなに!?」

「ちょっ……勘弁してくれ!」

 リュシアンとルネと再会してひと悶着があったりと、二人はさまざまな問題を引き起こしながらも王が住まう都へとたどり着いたのだった。
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