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本編

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 ヴィヴィアンヌは日が落ちて真っ暗な小屋の中で椅子に座り、机に突っ伏して眠っていた。まだ日の出は遠いが慣れない体勢で眠りが浅かったのか、ふと目を覚まして顔をあげる。

「……ふぁ、寝ちゃってた……ベッド……」

 ヴィヴィアンヌは目をこすりながら小さな魔法の明かりを生み出すと、それを宙に浮かせて立ち上がる。欠伸をしながらベッドに向かい、横になろうと上掛けをつかもうとしたところで先客がいることに気づき、後ずさった。

「うわっ、びっくりした……あぁ、騎士さま? ……そうだった……」

 オリヴィエの姿を確認し、ヴィヴィアンヌは体の力を抜いた。少し捲れた上掛けを正してそっと顔をのぞき込む。オリヴィエの顔は赤く、眉間にわずかに皺を寄せて少し苦しそうだ。

 ヴィヴィアンヌは小屋の中にある桶を取り、魔法で水を満たした。そこに布を浸してぬらし、軽く絞ってオリヴィエの顔と首元を拭う。その刺激に少しみじろいだオリヴィエは小さな声を漏らした。

「…………ジャンヌ……僕が……」

「ジャンヌ?」

 手を止めたヴィヴィアンヌはオリヴィエが呼んだ名を復唱する。それはただの寝言だったようで、オリヴィエは以上なにかを言うこともなく、寝息だけがヴィヴィアンヌの耳に届いた。

(そういえば、大切な方……だっけ? ジャンヌって人が、騎士さまのそれなのかな)

 オリヴィエがこの森にやってきた理由は、大切な方をお救いするため、だ。洞窟を調査することでなぜ大切な方を救えるのか。その理由はわからないものの、ヴィヴィアンヌは小さくうなる。

(……こんなけがをしても諦めないんだから、きっと、すごく大切なんだよね)

 ヴィヴィアンヌにも大切の意味はわかる。ヴィヴィアンヌにとって大切な存在は祖母だった。祖母が亡くなったときは何日も泣いて落ち込み、助けたかったと嘆き、もっとなにか自分にできなかったのかと後悔した。ヴィヴィアンヌはそのことを思い出し、表情を暗くする。

「……よし」

 気合を入れたヴィヴィアンヌはオリヴィエに掛けた上掛けをそっと捲った。ベッドの傍らに膝立ち、オリヴィエがまだ眠っていることを確認して彼の右腕を持ち上げる。

「……早く治りますように」

 ヴィヴィアンヌは一言つぶやいた後、魔法を使った。手のひらに薄っすらと光が集まり、それをオリヴィエの右腕にかざす。そのまま目を閉じたヴィヴィアンヌは集中して魔法を持続させたが、数分ほどして集中が切れてしまい、光が消えた。

「……はぁぁ……全然だめ。やっぱり、これ苦手……」

 ヴィヴィアンヌは腕をそっと離して深く息を吐く。ヴィヴィアンヌが使ったのは治癒魔法だ。治癒魔法はけがや病気を治すための魔法だが、扱いには大量の魔力が必要な上に向き不向きがあるため、魔法を扱えるものは少ない中でも治癒魔法を扱える者はさらに少なかった。ヴィヴィアンヌも治癒魔法の扱いは苦手としていて、いまオリヴィエに使ってみたものの、慰め程度の効果しか得られなかった。

「……やらないよりまし、かなぁ……」

 その程度の効果であっても魔力は大量に消費する。ヴィヴィアンヌはごっそりと魔力を失い、疲労からそのままベッドに顔を預けた。

「……騎士さま、早く良くなるといいね」

 ヴィヴィアンヌはつぶやいたあと、そのまままぶたを落とした。疲労から襲ってきた睡魔に身を委ね、あっさりと眠りについたヴィヴィアンヌは日が昇り始めて小屋の中が少し明るくなっても、その体勢のままぐっすりと眠っていた。

 先に起きたのはオリヴィエで、彼が目を覚ます頃には小屋の窓から光が差し込んでいた。熱はすっかり下がっていたが体は汗でべたついていて、オリヴィエは不快感に眉根を寄せる。右肘をベッドについて上体を起こしたオリヴィエは傍らにヴィヴィアンヌが眠っていることに気づいた。

「……ヴィヴィアンヌ?」

 ヴィヴィアンヌはベッドの傍らに座り込んで頭を預け、薄っすらと開いた口からよだれを垂らしながら、そんな体勢でも気持ちよさそうに眠っていた。オリヴィエは小屋の中を見回し、ベッドが一つしかないことに気づく。

(……あぁ、そうか……僕がベッドを占領していたから……)

 オリヴィエは申し訳なさに眉尻を下げ、右手をヴィヴィアンヌに伸ばした。ベッドの上に散った赤い髪を一房指ですくうと、ヴィヴィアンヌは目を閉じたまま笑う。

「……へへ、騎士さま……」

「……!」

 オリヴィエはびくりと体を震わせ、さっと手を引っ込めた。ヴィヴィアンヌはオリヴィエに反応したわけではなく、いまのはただの寝言だったようだ。

「夢……見ているのか? ……僕の……」

 オリヴィエはヴィヴィアンヌの夢をのぞき見ることはできないが、寝言で自分の名が呼ばれて胸を高鳴らせていた。知り合ってたった一日でオリヴィエの目には涎を垂らし、にやけて眠っているヴィヴィアンヌが無性にかわいく見えている。

(……いやいや、ヴィヴィアンヌだ。僕のことなんて、男として見ていな…………そもそも、男ってわかっているのか? ……いや、いないだろうな……)

 ヴィヴィアンヌはオリヴィエのあれをみて、なに、と問うくらいだ。父親の存在を認識しているため男という言葉自体は知っているかもしれないが、男女の性差は理解していないだろう。

 ヴィヴィアンヌはあまりにも無知だ。たった一人、オリヴィエと接するだけでも問題は多い。

(……ヴィヴィアンヌの祖母は、一生外に出さないつもりだったのか? 一人きりになるとわかっていても……)

 祖母なのだから当然、ヴィヴィアンヌよりも歳上だ。なにかが起きない限りはヴィヴィアンヌより先に寿命がくる。実際いまのヴィヴィアンヌはこの森に一人きり、祖母の姿はない。

(……あんまりじゃないか)

 オリヴィエが釈然としない気持ちで考え込んでいると、ようやくヴィヴィアンヌが目を覚ました。むくりと体を起こして目を擦りながら辺りを見回し、オリヴィエの姿を目に映してほほ笑む。

「あ、騎士さま。おはよう」

「……おはようございます。申し訳ありません、ベッドを占領してしまって」

「あっ、気にしないで。ベッドで寝ても床で寝ても大差ないし……私、たまに床で寝ちゃったりしているしね」

 ヴィヴィアンヌはまったく気にした様子もなく、立ち上がって裾を手ではらった。ベッドは木でできており、その上に何枚か布が敷かれているだけのものだ。

「騎士さま、熱はどう?」

「だいぶ、下がりました」

「本当?」

 自然な動作でヴィヴィアンヌは顔を近づけ、額を合わせて熱を確認する。オリヴィエはヴィヴィアンヌの接近に胸を高鳴らせていたが、しれっとした顔でそれを受け入れていた。オリヴィエの言う通りに熱が下がっていることを確認すると、ヴィヴィアンヌは良かったと笑う。

「騎士さま、汗かいて気持ち悪いよね……でも、まだ歩けそうにないかな」

「そう、ですね……」

「うーん、じゃあ川まで行くのは無理か。それじゃあ、騎士さま。体拭こうか」

 そこでふと、オリヴィエはある疑問が湧いた。オリヴィエが昨日小屋の前で倒れた際、ヴィヴィアンヌに支えられてなんとかベッドに戻ることができた。オリヴィエの意識がある状態で小屋の扉からベッドに運ぶだけで、ヴィヴィアンヌは疲れ果てていた。

(ヴィヴィアンヌはどうやって僕をここまで運んだんだ?)

 小屋から出て見える範囲にオリヴィエが落ちた崖はなかった。引きずったようなあともなく、台車などの道具も見当たらない。オリヴィエが考え込んでいると、ヴィヴィアンヌはオリヴィエの顔をのぞき込んだ。突然間近に見えた顔に驚いたオリヴィエは考えを中断する。

「騎士さま。服、脱がせるよ?」

「はい、…………えっ?」

 まったく話を聞いていなかったオリヴィエは反射的に答えたが、ヴィヴィアンヌはそれを聞いて、早速彼の服を脱がせにかかった。
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