騎士様のアレが気になります!

茜菫

文字の大きさ
上 下
1 / 52
本編

1

しおりを挟む
 鬱蒼とした木々に囲まれながら、一人の女が立ち尽くしていた。女の名はヴィヴィアンヌ、歳の頃は十代後半だろう。夕暮れどきの空のような茜色の目が特徴的で、背の中ほどまで伸びた赤髪は邪魔にならないように後ろでひとつに束ねている。動きやすい服の上から簡素な外套を羽織り、片手にさげた編みかごにはいくつかの草葉が詰められていることから、森の奥深くに採集にきていたのだろう。

「あ、ぁ……っ」

 か細い声を漏らしたヴィヴィアンヌの顔からは血の気が引き、代わりに驚愕が彩られていた。ヴィヴィアンヌの大きく見開かれた両目はある一点を見つめていて、その視線の先には大きな塊があった。

「どうして……こんなところで、ひっ、人が……死んで……?」

 塊をよくよく見ると、それは人であった。うつ伏せに倒れているためはっきりとはわからないが、体格からして成人男性だろう。ざんばらな金髪は砂埃に汚れ、身にまとっている服はところどころ裂けて破れて真っ赤に染まっていた。土砂を被り、体の下には折れた枝葉が敷かれ、地には血がにじんでいる。

「……う……」

 ヴィヴィアンヌはあまりのことに思考を停止していたが、うめき声がきこえてはっとした。その声はヴィヴィアンヌのものではなく、彼女が死体だと思っていた男のものだ。ヴィヴィアンヌは慌てて男に駆け寄ると、男が息をしていることを確認する。

「大丈夫……ではなさそうだけど、じゃなくて、ええっと、あなた、私の声が聞こえる!?」

 ヴィヴィアンヌの呼び掛けに、男は反応しなかった。軽く揺すってみても反応はなく、ただ呼吸による僅かな体の動きだけが男の生を証明している。

(反応ないけど……この人、生きている……!)

 ヴィヴィアンヌは男の状態を確認するため、男をゆっくりと仰向けにした。男の服は汚れ、右腕のあたりが特に大きく裂けて血がにじんでいる。

(まさか……ここから落ちたの……?)

 男のすぐそばには崖があった。けがや状況から見て、男は足を踏み外して落下した可能性が高い。木に引っかかったことで多少は衝撃が抑えられたのか、命は助かったものの到底無事とはいえない状態だ。

 ヴィヴィアンヌはナイフを取り出すと、羽織っていた外套を脱いで裂く。裂いた外套を右腕の脇の下に布を回して縛り上げて、男に応急処置を施した。

(どうしよう……このままここに置いていくわけにはいかないよね。私じゃあ、抱え上げられないし……)

 男の意識があれば肩を貸すことくらいはできたかもしれない。だがヴィヴィアンヌの細腕では、男を抱えて運ぶことは不可能だ。かといってこのまま放っておくと、血の匂いを嗅ぎつけた獣に襲われる可能性がある。

(ううん……命は、大事よね)

 ヴィヴィアンヌにとって、これからしようとしていることは人に知られてはいけないことだ。しかし人命には代えられないと、ヴィヴィアンヌは覚悟を決める。

(ほかに人は……いない、よね、うん)

 ヴィヴィアンヌは念のため辺りに人がいないかを確認した。木々の隙間に人影はなく、ここにはけがをした男が転がっているだけだ。

「うん……よしっ」

 ヴィヴィアンヌは両手を握りしめて気合を入れると、集中してつぶやくようになにかを唱えた。途端、うっすらとした光が男を覆い、体がふわりと宙に浮く。

「やった! 魔法、ちゃんとできた!」

 魔法は魔力という、生物ならばかならず持つ力を用いてさまざまな現象をおこす技術だ。保持する魔力量には種の差や個体差がある。人間のほとんどは自力で魔法を扱えるほどの量はなく、魔道具と呼ばれるものを使うことにより簡単な魔法を扱える程度だ。

 しかし稀に常人よりも多くの魔力を保持し、魔道具を用いずにさまざまな魔法を扱える者がいる。人々は彼らのことを魔法使いと呼んだ。ヴィヴィアンヌはこの世界では稀少である、魔法使いだ。

(他人に使うのは初めてだったけれど……よかった、失敗しなくて!)

 ヴィヴィアンヌは胸をなでおろし、男の様子をうかがう。男はさきほど一度うめいただけで動きはなく、意識は戻りそうになかった。

(……ひとまず、移動しなきゃ)

 ヴィヴィアンヌが歩きだすと、つかず離れずの位置に浮いた男が追従するように動く。それを確認して満足気にうなずくと、そのまま住まいとしている小屋へと向かった。

 小屋の前までたどり着くと、ヴィヴィアンヌは男をその場に浮かせたまま先に一人小屋の中へと入る。中は簡素なもので、小さなテーブルと椅子が二つ、寝台が一つしかなかった。ヴィヴィアンヌは寝台の上においてあったものを雑に机の上に移動させ、敷いてあるリネンを整えてから男を中に引き入れる。

「うーん……」

 ヴィヴィアンヌは意識のない男を寝台に横たえると、まじまじと男を眺めた。年齢はヴィヴィアンヌより少し上か、二十代前半と思われる。

「……おばあちゃん以外の人、初めて見た」

 ヴィヴィアンヌの男を見つめる目は、興味津々といったように輝いていた。

 ヴィヴィアンヌが育った環境は少し特殊だ。物心つく頃にはすでに森の奥深くにあるこの小屋で、祖母と二人で住んでいた。ヴィヴィアンヌは祖母から魔法を教わり、森で暮らすための知識を教わった。

 祖母はヴィヴィアンヌが十四歳の頃にこの世を去ったが、彼女に常日頃からけっして森の外に出ないようにと言い聞かせていた。ヴィヴィアンヌはその言いつけを守り、けっして森の外に出ることなく、小さな畑で食物を育て、山で恵みを採り、自給自足で一人暮らしていた。そのため、ヴィヴィアンヌは祖母以外の生きた人間を一度も見たことがなかった。

(髪の色、すごくきれい。こんな色もあるんだ。目はどんな色かな? 開けてくれないかな……あっ)

 そこでようやく、ヴィヴィアンヌはこのままではいけないと気づいた。けがを負い、意識を失った男を放ってはおけないと運んできたものの、これからどうすべきかわからずにうなる。

(どうしよう。けがしているし……まずは、手当て? 服は……脱がすしかないかな)

 悩んだ末、ヴィヴィアンヌは部屋の端に積んであった衣類を探った。その中から比較的大きめな前開きのシャツと大判のリネンを一枚手に取る。それらをベッドの近くにある椅子に引っ掛けると、横たわった男の服に手をかけた。

「……えっ。なにこれ、どうなっているの?」

 ヴィヴィアンヌは服を脱がせようとしたが、男の服は彼女が見たことのない形状のものばかりだった。意識を失った男の体は重く、思う通りに脱がすことができない。ヴィヴィアンヌは眉間に皺を寄せ、不満そうな声を上げる。

「……もう!」

 嫌になったのか、ヴィヴィアンヌは大胆にも魔法で上の服の前を切り裂いた。男に意識があれば、悲鳴の一つや二つ上げていたかもしれない。

 ヴィヴィアンヌは男の服を背中側も真っ二つに切り裂き、左右に引っ張って上の服を脱がせた。同じ要領で男の履いているブーツも、穿いているズボンもぱっくりと裂いて脱がせる。

「これでよし!」

 すべてを脱がし終えると、ヴィヴィアンヌはすぐに魔法を使って裂いた部分をつなぎ合わせる。それは一度真っ二つに裂かれたと思えないほど、見事に接合されていた。ただしもともと破け、ほつれていた箇所はそのままだ。

「あとは体を拭いて……っと……あ、あれ、まだ残っていたの?」

 ヴィヴィアンヌは男の最後の砦であった下着に目を向ける。男の意識があれば全力で拒否していただろうが、ヴィヴィアンヌは無情にも男の下着まで裂いてしまった。ただの布切れとなったものがはらりと落ち、同時にそこに秘されていたものがぼろんと零れ出てしまった。
しおりを挟む
感想 29

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない

かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」 婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。 もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。 ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。 想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。 記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…? 不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。 12/11追記 書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。 たくさんお読みいただきありがとうございました!

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない

ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。 既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。 未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。 後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。 欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。 * 作り話です * そんなに長くしない予定です

片想いの相手と二人、深夜、狭い部屋。何も起きないはずはなく

おりの まるる
恋愛
ユディットは片想いしている室長が、再婚すると言う噂を聞いて、情緒不安定な日々を過ごしていた。 そんなある日、怖い噂話が尽きない古い教会を改装して使っている書庫で、仕事を終えるとすっかり夜になっていた。 夕方からの大雨で研究棟へ帰れなくなり、途方に暮れていた。 そんな彼女を室長が迎えに来てくれたのだが、トラブルに見舞われ、二人っきりで夜を過ごすことになる。 全4話です。

嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道

Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道 周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。 女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。 ※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※

処理中です...