立派な淑女に育てたはずなのに

茜菫

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「……自分を過大評価してたみたいね」

「えっ、いや、俺はそんなつもりじゃ……!」

「ふふ、私がそう思っただけよ」

 エスガは慌てて否定するが、レアケは笑って首を横に振る。前王に与した魔女は国中の人間に嫌われ、憎まれていると思っていたレアケは、そもそもその魔女の存在が知られていないと思いもしなかった。これを過大評価と言わずしてなんと言えよう。

「フィヨルで魔女のことを知っている人間は……たぶん、俺たち以外いないと思う」

 王がフィヨルを選んだのはそれもあるのだろう。魔女を知るものにレアケの正体に気づかれたり、レアケ自身が必要以上に罪悪感を抱いて余計なことをしないためにも。

「そう……」

 レアケはうつむいてつぶやくと、すぐに顔を上げた。その目によく晴れた青い空と、その下で人々が暮らしているフィヨルの街並みがよく見える。

「……私はここで、レアケ・ラーセンとして生きていくのね」

 魔女ではなく一人の人間として、フィヨルの地で生きていくことになる。レアケがそれを自覚しながら街を眺めていると、エスガが少し不満げな表情を浮かべていた。

「……ラーセンじゃなくて、イェンセンだろ」

 レアケは目を丸くして、むつりと唇を尖らせているエスガに目を向ける。ラーセンはエスガと結婚するために用意された身分であり、結婚してしまえばレアケはイェンセンの姓になる。結婚が延びているが、婚約が解消されてしまわない限り、イェンセンの姓で生きていく時間のほうが長くなるだろう。

「……ふふ、そうだったわ。レアケ・イェンセンとして……エスガの妻としてここで生きていくわ」

 すねた様子のエスガにレアケは笑い、身を寄せて彼の肩に頭をあずけた。エスガはその言葉に満足したようで、上機嫌に鼻を鳴らしてレアケの手を握る。

「俺、がんばるよ。さっきの人にいい領主がきたって言ってもらえるように」

「エスガなら、きっといい領主になれるわ。私は妻として、あなたを支えていく」

「レアケに支えてもらえるなら、もっとがんばれそうだ」

「それなら、私もがんばらないとね」

 二人はくすくすと笑いあい、寄り添いながら街を眺めた。楽しそうに駆け回る子どもの姿や赤子を抱いて並んで歩く男女の姿、商品を並べて呼び込みをしている商人の姿やそれらを眺める客の姿。人々の営みが確かにそこに存在している。

(魔女の力を使わず、私ができることを……)

 領主となりこの地を治め、守っていくエスガを支えて、この地の人々のしあわせを守ること。それが、いまのレアケができる償いだろう。

「レアケ、直接街を歩いて回らないか」

「ええ、そうね」

「あっ…………大丈夫? 歩けるか?」

「しっ、失礼ね! そこまでひ弱じゃないわよ!」

 馬車から降りて坂をのぼり、息を切らしていたレアケだが、さすがに街を歩くくらいで体力が尽きるなんてことはないと思いたい。

「じゃあ、行こう」

「ええ」

 先に立ち上がったエスガが手を差し出し、レアケはその手を取って立ち上がる。二人は寄り添いながら歩き、上りは途中で脱落してしまった坂を下りきると、歩いて街を巡った。

 街には活気があった。前王の息がかかった横暴な領主はいなくなり、重い税は正常化され、人々の表情は明るい。さきほどまで遠目でみていた人々の営みは、いま、レアケのすぐ隣にある。レアケは街の雰囲気につられ、笑顔でエスガと並んで歩いた。

 露店をめぐり、品々を眺め、買い物を楽しんで楽しく会話をする。レアケはそんななにげないひとときにある、ささやかなしあわせをその身で感じていた。

「おや」

 そんな楽しげな二人の前に、先ほどの老婆の姿が映る。

「ああ、おばあさん。こんにちは」

「こんにちは」

「さっきのお二人さんじゃあないかい。こんにちは。ほら、おまえも挨拶なさい」

 レアケが老婆に声をかけると、彼女は目尻の皺を深めてほほ笑んだ。老婆は隣に立つ少年に挨拶を促したが、少年はさっと老婆の後ろに隠れてしまう。

「ああ、すまないねえ。孫なんだけれど、この子ったら照れ屋さんで」

「ふふ、かわいらしい」

 少し警戒するように老婆の後ろから二人をのぞき見る少年の姿にレアケはほほ笑む。その姿は初めて出会ったときのエスタを思い出させた。

「お二人さんは、本当に仲がいいねえ。見ていると、じいさんがいたころを思い出すよ」

 その言葉から察するに、この老婆には仲の良い夫がいたのだろう。過ぎ去った日々を思い出し、懐かしむように目を細めてほほ笑んでいる。エスガもレアケもその言葉にどう答えるべきか迷っていたが、そんな二人に助け舟……というわけでもないだろうが、隠れていた少年が少しだけ顔をのぞかせ、レアケをじっと見つめてつぶやく。

「……ねえちゃん、しろくてきれい。ゆきのようせいみたいだ」

「まあ。ぼうや、ありがとう」

 レアケが口元に手を当ててほほ笑むと、少年はぽっと顔を赤くして老婆の後ろに再び隠れる。そのほほ笑ましい様子にレアケは笑ったが、隣のエスガは笑いながらもわずかに眉間に皺を寄せていた。

「妖精だなんて……ふふっ、初めて」

 女神や妖精は美しさの表現に使われることが多い。少年の言葉はその様子からして、裏なくレアケ美しさをほめたものであろう。

「っ……子どもに先を越された……」

「え?」

「な、なんでもない……」

 エスガのつぶやきが聞き取れずにレアケは首をかしげたが、彼はごまかすだけだ。そんな二人の反応などお構いなく、少年は再び老婆の後ろから顔をのぞかせる。レアケをじっと見つめながら、少年はさきほどよりも衝撃的な言葉をつぶやいた。

「……ようせいさん、おおきくなったらおよめさんになってくれる?」

「まあ」

「なっ……」

 エスガは不機嫌そうな顔になって声をもらしたが、すぐに笑みを浮かべる。しかし残念ながら、その笑顔にはひびが入っていた。レアケは引きつった笑顔のエスガを見てくすりと笑う。

「ごめんね、ぼうや。私は、このお兄さんのお嫁さんになる約束をしているから、あなたのお嫁さんにはなれないの」

「え……」

 少年は驚いた後、悲しそうな表情になって老婆の後ろに隠れた。失恋に涙ぐむ少年と、紳士らしく余裕のある笑みを浮かべようとして残念ににやけているエスガに、レアケも老婆もあきれたように笑う。

「すまないねえ。ちょっとませた子でね」

「いえいえ。こちらは大人気なくて」

「うちの人も似たようなことがあったわ。まったく、大きな子どもだったよ」

 二人の仲は睦まじかったことだろう。老婆の言葉の中には夫への愛が感じられた。夫を語るときに懐かしむ様子や年齢から、すでに夫は天命を全うしたのだろう。

「ふふ、仲が良かったのですね」

 レアケはほほ笑みながら、子どもをあやす老婆と軽い会話をする。その隣でエスガが老婆らを眺めながら少し悲しげな表情をしていたことに、レアケは気づかなかった。
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