立派な淑女に育てたはずなのに

茜菫

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本編

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 冷たいシーツに包まれて夜を明かしたレアケはなにもやる気が起きず、ベッドから出ようとしなかった。食事もせずにだらだらとベッドで日を過ごし、無為に時間が過ぎて、夕暮れどき。

(……今日もすごい音ね)

 レアケのもとに、無遠慮な来客がやってきた。その来客はレアケの予想通り、王妃ブリヒッタだ。

「ああ、いらっしゃい……」

「このアバズレ女!」

 部屋に入ってくるなり、ブリヒッタは罵声を投げつける。レアケは渋々と起き上がり、ベッドから足を下ろした。

 ブリヒッタは乱れた髪のまま立ち上がったレアケの頬を打つ。壊れた人形のように倒れ込み、再びベッドに沈み込んだレアケにブリヒッタは少し動揺したようだ。だがすぐに気を取り直したのか、ゆっくりと顔を上げたレアケをにらみつける。

「また、陛下を誘惑したわね!?おまえなど、見た目だけのくせに!」

 レアケはきいきいと騒ぐブリヒッタを冷ややかな目で見上げていた。そもそもレアケこそ、レイフに誘惑されてだまされた側だ。

 レイフはささやかな願いを魔女に叶えてもらうべく、森の奥に隠れ住んでいたレアケのもとにやってきた。対価を支払って望みをかなえた後も足繁く通い、ブリヒッタを連れてやってきて交流を深めた。

 レイフとブリヒッタは初めてできた愛する人と、心を許す友人だった。レアケの力を利用しようと二人が、彼女を騙すためにつくりあげた虚影だったと知らずに。

(……はあ、アバズレはどっちよ)

 美しかったブリヒッタは性に奔放で、数々の男を虜にしていた。それも若いころのことで、いまではレイフを離すまいと必死にしがみついている。散々見下していたはずのレアケを目の敵にしているさまは、実に滑稽だ。

「なによ、その目は!」

 ブリヒッタはベッドに倒れたレアケにつかみかかり、手を上げる。レアケの真っ白な肌は赤く腫れ上がり、無惨なさまになっていく。ブリヒッタはまだ気がすまないようだが、痛む手を抑えてレアケから離れた。

「……おまえ、また侍女を逃したね?」

 ブリヒッタは辺りを見回し、いつもならレアケのそばに控え、彼女をにらみつける侍女がいないことに気づく。レアケが侍女を逃がすのは初めてのことではない。レイフがそれを知っているように、ブリヒッタもまたそれを知っていた。知っていても、たかが力を持たぬ平民の女一人と侮り、追跡すらしない。

「それが、なに?」

「ふん。まったく、意味のないことを!」

 侍女一人逃したところでなにも変わらない。実際にこの四十年、なにも変わらなかった。魔女を制している限り、魔女を制する契約がある限り、それが彼らの驕りだ。

「そうよ。意味がないってわかっているでしょう。侍女なんてつけなくても、私はあなたたちに逆らったりしない」

 契約の力は絶対だ。初めての恋に盲目になった魔女が、愛する人のために自らの魔力をもって交わした契約。その契約により四十年、レアケは彼らにどんなことをされても逆らえなかった。

(ああ、本当に私ってばかね……)

 レアケはレイフを愛し、信じて体を繋げて契約を結んだ。契約には証が必要となり、証がある限り契約は有効となる。

 逆に言えば、契約を破棄するにはその証を壊さなければならない。レイフと生涯をともにし、彼のためだけに生きようと愚かにも考えたレアケは証を自らの体内に刻んだ。

(なんて愚かなことをしたのかしら……)

 四十年経ったいまでも、レアケは自分の愚かさが恨めしかった。

「だから、あなたからも侍女は不要だとレイフに言っておいてよ。……あなたも、またレイフが若い娘に夢中になったら困るでしょう?」

「おまえっ」

 レアケについた侍女の中で、レイフに見初められた少女がいた。その侍女は望んで王の手つきになり、彼を誘惑して寵愛を受け、妃の座を手に入れようとした。最終的にはブリヒッタが阻止したが、彼女も気が休まらなかっただろう。どこまでも下半身のだらしない男だ。

「ええ、ええ、そうね。陛下には私から言っておくわ」

(……男を見る目のなさだけは、私もあなたも変わらないわね)

 レアケはブリヒッタにもひどい目に合わされたが、男を見る目のなさだけは同情していた。

(あんな男のなにが良かったのかしら。…………顔?)

 レイフも若いころは美丈夫だった。親から疎まれ、村人からも忌み嫌われ、いつの間にか魔女になり、周りの目が怖くなって森に引きこもったレアケにはレイフはあまりにも魅力的に見えていた。

 レイフは顔がよく、とてもやさしかった。友人だと思っていたブリヒッタもやさしかったが、いまではこのとおりだ。

「もうこんなところに用はないわ!」

「なら、帰ったら?」

 頭から湯気でもでそうなくらいに怒っているブリヒッタが部屋から出ていくのを、レアケはベッドに寝転がったまま見送る。

「ああ、もう……二度と来ないでよね……」

 レアケは腫れ上がった頬をそのままにしてごろりと寝返りをうった。窓の外はすでに赤く染まっている。怒る侍女の姿が思い浮かんで、レアケは笑った。

「……エスタ」

 レアケは自分が目の前から消した少女を思い、その名を呼んだ。返事はなく、そこに少女が存在していたという痕跡すらない。

(……エスタは、うまく逃げられたのかしら)

 エスタがなぜ転移先としてレゼの修道院を選んだのか、レアケにはわからない。エスタがなぜこの塔にやってきたのかも知らないし、最後まで魔法の正体も気づけなかった。エスタがなにを望み、最後にあの言葉を残したのかもわからない。

「……私、エスタのことをちっとも知らないのね」

 わけありでこの塔にやってきた、痩せこけた口の悪い少女。口は悪いけれどもやさしい子。レアケの言いつけを守り、苦しみながらも目を塞ぎ、耳を塞ぎ、口を塞いで耐え、レアケに寄りそっていた。

 いまは立派な淑女であり、魔法使いでもある。レアケが知っているのは、ただそれだけだ。

「……さみしいわ」

 レアケがだらだらと横になっていれば、早く起きてくださいと怒った様子のエスタが起こしにきた。けれど、エスタがやってくることは二度とない。

(……わかっていても、こたえるわね)

 レアケは枕に顔を埋めて涙をこらえる。この塔に閉じ込められるようになったのも、侍女が去っていくのも、すべては自分が招いたことだ。

 何度経験しても別れはつらい。人と接する機会が制限されたレアケにはなおさらだ。

「……はやく、死にたい」

 王に従うという契約により、契約の破棄も自死も禁止されている。契約の証が場所な場所なだけに、他者による破棄は見込みがないが、他者による死は可能かもしれない。

 歴戦の猛者や優秀な魔法使いが、悪政を敷く王を守る魔女の居場所を特定し、魔女に死を与えてくれたのなら。

(そうしたら、私……この塔から出られるのに)

 レアケはふと、エスタの言葉を思い出した。かならず迎えにくる、そういった少女の言葉を。

 エスタなら偉大な魔法使いになれるだろう。それこそ、レアケなど凌駕するほどの魔法使いに。

(……私を殺してくれるの? エスタ)

 エスタに殺されるのなら、最高の終わり方だとレアケは思う。けれどもそれは自分にとってであって、エスタにとっては最悪かもしれない。

「エスタ……」

 迎えにくると言ったエスタが、死をもって塔の外に連れ出してくれるのなら。レアケはその日が待ち遠しくもあり、永遠にこないでほしいとも思う。





 それからレアケに侍女がつけられることはなく、エスタは最後の侍女となった。塔に囚われた魔女は最期のときを夢見て、それから六年の時を一人で過ごしていた。
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