立派な淑女に育てたはずなのに

茜菫

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本編

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「陛下のことなど、どうでも良い。それよりエスタ。せっかく用意してくれたというのに、昼を食べられずにすまぬのう」

「……別に。いまから食べればいいし」

「ふむ、そうか。では、夕食をいまから共に食そうか」

 レアケはエスタを部屋から連れ出し、扉を閉める。エスタは汚れたシーツは気になるものの、なぜか急ぐレアケに従った。そのまま二人が階段を下り、ソファのある階まで下りたところで、再び塔の扉が開く音が聞こえる。

「ん? なんだ、あいつら戻ってきたのか?」

「いや、これは……ううん、今回は早いわね……」

「えっ?」

 目を丸くするエスタに対し、レアケは来客に予想がついているのか眉根を寄せてうなった。そうしている間にも、二人の耳には階段を上ってくる足音が届いている。

「エスタ、すぐに部屋に……」

 レアケが指示を出し終える前に、足音を響かせながら部屋に駆け込んでくる者がいた。白の混じる赤毛をきっちりとまとめ上げた、赤地に金の刺繍が施された最高級生地のドレスを身にまとう老齢の女だ。

「……おまえ!」

 女はレアケを目に映した途端、目尻をつり上げながら彼女に駆け寄り、頬をひっぱたく。エスタは頬を叩く音に驚いて身をすくめた。

「魔女さまっ」

 エスタは自分が叩かれたというわけでもないのに、レアケの赤くなった頬を見て痛そうに自分の頬を抑える。レアケは頬を抑えることもせず、ただ冷ややかな目を女に向けた。

「ブリヒッタ……これはこれは、今回はお早いことで」

「はあっ……このっ、アバズレが!」

 息を切らせ、膝に両手をついてレアケを見上げる女、ブリヒッタの目には怒りが宿っている。それを鼻で笑ったレアケはエスタを移動させようと彼女に背を向けた。

「エスタ、部屋に戻っておれ。少々、時間がかかるやも……っ!?」

 怒りで我を忘れたブリヒッタが髪を引っ張り、レアケの髪が何本か抜ける。髪をつかまれたレアケはバランスを崩し、言葉を途中で止めた。

「このアバズレめっ! おまえなど、見た目だけだろうに! 私より、ババアのくせに! この、この……!」

 レアケが痛みに顔を顰めるのが見えて、エスタは慌ててブリヒッタの手をつかんだ。

「おい、なにしてんだババア!」

 エスタがその手を無理やり引き剥がすと、ブリヒッタは怒りのままにエスタの頬を打つ。その衝撃でエスタはその場に倒れ込んだ。

「エスタ!」

「邪魔をするな、小娘が!」

 激昂したブリヒッタはエスタをもう一度打とうと手を振り上げる。その手が下される前にレアケが二人の間に割り入り、エスタを背に庇った。

「アバズレ如きがっ!」

 ブリヒッタは振り上げた手で再びレアケの頬を打った。そのままレアケに罵詈雑言を浴びせながら、まだ足りぬと言わんばかりに何度も彼女に手を振り上げる。エスタはただそれを呆然と見上げるしかできなかった。

(どうして……)

 魔女であるレアケがなぜ、ただの女に逆らわないのか。エスタにはまったく理解できなかった。

「はあっ、……この……!」

 ブリヒッタは肩で息をしながら腫れ上がった手を下ろす。それでも怒りがおさまらないのか、目に怒りを宿したままレアケをにらみつけていた。

「あら、これで……ご満足、なの、かしら?」

 両頬を腫れ上がらせながら、くぐもった声で嘲笑混じりにレアケが問うと、ブリヒッタはさらに怒りを沸き立たせた。しかし彼女も手が限界なのか、それ以上は手を振り上げようとはしない。

「……覚悟していなさいっ」

 肩をわなわなと震わせながら、ブリヒッタはレアケに背を向けて部屋を出ていく。その足音が消えるまで、レアケはエスタを背に隠していた。

 しばらくして塔の扉が閉まる音が聞こえ、レアケはエスタのそばにしゃがみ込む。

「エスタ……すまぬ、のう……」

「……魔女、さま」

 痛々しく真っ赤に腫れ上がった両頬をわずかに上げ、レアケは安心させるように笑みを浮かべる。目の前で起こったことが衝撃的すぎて、エスタの頭は理解ができなかった。

「かわいそうに。頬が、腫れて……」

「こんなの、どうってことないだろ……別に、どうでもいい」

「どうでもいい、ことなどない。女子の顔、だろうに」

 なおのこと、エスタはどうでもよかった。それよりも、正真正銘女性であるレアケの頬のほうがひどいありさまだ。

「そのまま、少々、待て」

 レアケは魔法を使い、そっとエスタの頬をなでる。エスタは腫れ上がった頬からすっと熱が引いていくのを感じて驚きに目を丸めた。

「ふむ。これで、かわいい顔も、元通りだ」

「……魔女さまも、早く自分の頬をなんとかしなよ。あんたの方が、ひどいだろ」

「はは、そう、……だのう」

 レアケは自分の両頬に手を当て、腫れを治す。すっかり元通りの頬になったレアケは、エスタににっこりと笑いかけた。

「エスタ、手も口も出してはならぬと言っただろうに」

「……魔女さまは、王さまと王太子さまが来たときって言っていた」

「むう、屁理屈を。では、次からは王妃が来たときも大人しくしておれ」

「は? ……あれが、王妃?」

 ブリヒッタが王妃であることを知り、エスタは驚きに目を見開いた。

「そうだ」

(……この国、終わってねえか?)

 実際、王の特殊な能力がなければこの国はいつ斜陽になってもおかしくはない。逆に言えば、その能力さえ失ってしまえば王を守るものはなにもなくなる。

「魔女さまは、なんで……」

 エスタはうつむき、震える声でつぶやく。王がやってきた際のレアケの様子や騎士の問い、いまの王妃とのやり取り。エスタは今日見聞きしたことから、レアケが彼らに望んで力を貸しているとは到底思えなかった。

「エスタ、それ以上は言ってはならぬよ」

「……なんでだよ」

「それを聞いてしまえば、私はそなたを追い出さねばならなくなるからのう」

 驚いて顔を上げたエスタの目に、少しさみしそうに笑うレアケの姿が映る。塔に住む魔女に仕えた侍女は、どこかに消えていなくなる。そのうわさを思い出し、エスタは彼女の言葉を理解した。知ってはならぬことを知った侍女は、消えてしまうのだ。

「それにしても」

 レアケは腰に手を当て、深くため息をつく。エスタはそれにびくりと体を震わせて縮こまった。

「エスタ。先に言葉遣いをなんとかせねばならないのう」

「えっ、なんで……」

「王妃は激昂して我を失っていたからよかったものの、首をはねられてもおかしくないぞ?」

「うっ」

 王妃と知らなかったとはいえ、エスタは彼女をババア呼ばわりしたのだ。さすがにエスタもまずいと自覚しているようで、言葉に詰まる。

「明日からは、言葉遣いも厳しく教育していくからのう」

「……うぅ」

 がっくりと肩を落としたエスタの頭をレアケがやさしくなでた。それから二人は今日起きたことに関しては、一切、触れようとしなかった。
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