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🍀本章🍀
第六話『 The Hermit / U 』 上
しおりを挟む法雨が雷の初恋報告を受けてから一週間ほどが経過したその日もまた、京は法雨の店へと訪れていた。
だが、その一週間の間に、雷が店に現れる事はなかった。
「雷さん……こないだ、開いてないドアに衝突してたっす……」
「……重症ね」
「っす……」
そして、そんな雷の様子を逐一報告してくれるのが、彼の助手を務めている京だった。
― ロドンのキセキ-翠玉のケエス-芽吹篇❖第六話『The Hermit/U』 ―
「最近ずっといらっしゃってないし……相当お悩みなのかしら」
以前は二、三日に一度のペースで店に来ていた雷だが、実は京から初恋報告を受けたその少し前から、雷はこの店に来なくなっていた。
「そうなんですよ。今日も姐さんに傷心を癒してもらいましょうよって誘ったんすけど、コレだけ持たされて、自分はいいってまた仕事しだしちゃって」
いつも通りカウンター席で酒を楽しむ京は、“コレ”と言って、その日に持たされたらしい菓子折りを指し示した。
それは季節ものの和菓子で、偶然にも法雨のお気に入りの品だった。
「ううん……」
そんな和菓子の入った紙袋を見やりつつ、別に雷はまだ失恋すらしていないのだから傷心ではないだろう、というツッコミは放棄して、法雨は唸る。
「ほんと、誰なんすかね~……雷さんをあんな風に骨抜きにしちゃうくらいの魔性のヒトって……」
「さぁねぇ、……悪魔なんじゃない?」
「え、あ~なんか名前忘れましたけど……あのエロい悪魔っすか?」
「……そうかもね」
恐らく、京が言いたいのはインキュバスあるいはサキュバスの事だろう。――とはいえ、雷の相手は男女のどちらかすら分かっていないから、その悪魔がどちらかなのかもわからないわけだが。
「いいなぁ~……俺もエロい悪魔に骨抜きにされてぇ……」
カウンターで悶々と都合の良い想像をしているのであろう京に、法雨は言った。
「骨抜きねぇ……でももしかしたら抜くどころか、アナタは後ろから棒通して串刺しにされるかもしれないわよ?」
すると京は青ざめた様子で言った。
「ええっ……お、俺の後ろは一生純血がいいっす……」
そんな京に悪戯心を刺激された法雨は、目を細めて笑み言った。
「ふふ、一生純血は無理だと思うわよ? アナタは」
「えぇ!? なんでっすか!?」
「だってアナタ……男の方により人気がありそうだもの」
「えぇえ~……それ抱かれる方でってことっすよねぇ……それは嫌っす~どっち相手でも抱く方がいいっす~……」
そうして嘆く彼に、法雨はまた笑う。
むしろタチとしてはそういう反応をされるからこそそそられるのだが。
年下や愛嬌のあるタイプ、その他スレンダーなイケメンは抱きたい派な法雨は、そんな事を思った。
だが、そう思い至ったところで、もう一つ思う事が出来た。
(でも……雷さんはあれだけ面倒見の良いヒトだし……、もうしかしたらちょっとおバカな子とかが可愛く見えるタイプなのかもしれないわよね……)
とすると――である。
(もしかして、やっぱり雷さんは京を好きに……?)
あの真面目そうな雷の事だ。
恋をしてはいけない相手の枠に、やはり仕事仲間は入っているだろう。
となれば、京もまた、恋をしてはいけない相手となる。
それに京はこうして恋人が欲しいと嘆いては、抱く方がいいのだという。
そして、どう考えても雷は彼相手では抱かれる方ではないとも思う。
となれば、告白すらできるはずもない。
(……もしそうなら……京がここにこうして来てるのも、雷さんは寂しいんじゃないかしら)
もしも、雷が本当に京に恋をしているなら、恋をしている相手が別の男に懐いているとなれば、やはり嫉妬心を抱いたり、悲しい気持ちにはなるはずだ。
「ねぇ京。アナタ、雷さんと居る時、アタシの名前結構出してる?」
「へ? あ、はい。そうっすね。今日も飲みに行きましょ~って言ったり、姐さんと話した事とかを話すんで……そういう時には姐さんの名前結構出してますよ?」
「そう……」
法雨はそこで、少し申し訳ない気持ちになった。
好きなヒトの口から別の男の名前が出るというのはそれなりに辛いはずだ。そして、その男と楽しそうに過ごしたなどという話など聞かされたら、それは最早心労に近い。
「――なら、アタシの名前を出すのはちょっと控えてあげた方がいいかもしれないわ」
「え? どうしてっすか?」
そんな法雨の言葉に、京は不思議そうにして訊き返す。
だが、京が疑問に思うのも当然だ。彼には法雨の意図など分かるはずがないのだから。
「えっと、それは……」
だが、その意図を伝えてしまっては雷に迷惑がかかる。
そういった事から、京にはどのように伝えようかと悩んだ果てに、法雨はなんとか嘘の理由を作りだした。
「ほら……ここは色んなお客様が多いけど……恋人同士のお客様も結構多いでしょう? だから、アタシの名前を聞いて、恋人の集まりやすいここの事を思い出したら、お辛いんじゃないかしら。雷さんの恋は、実るのが難しいみたいだから……尚更ね」
だがそんな法雨の言葉に対し、京は難儀であると申し出た。
「えぇ~……でも、名前出さないのは無理っすよ~」
「どうしてよ」
「だって……、俺が姐さんの名前出さないようにしても、雷さんが出してきますもん」
「……え?」
法雨はそんな意外な事実に少しだけ目を見開いた。
雷は法雨に対しては嫉妬心を抱かないのだろうか。
そういえば、雷は随分と法雨の身を案じていた。
やはり、この振舞いのせいで、女っぽい印象が強いのだろうか。――それならそれで良いのだが。
だが、京は更にこんな事を言った。
「もちろん俺が姐さんの話出すことは多いっすけど……でもそれと同じくらい、雷さんも姐さんの事訊いてくるんですよ?」
「……訊いてくるって、どんな事を?」
「ん~例えば~……風邪とか体調が悪そうだったりはしないか~とか、変な輩に絡まれたりはしてないかとか、何か困ってそうなら教えてくれとか……」
「あぁ、そう言う事」
法雨はそこでなるほど、と思った。
つまり、雷にとって法雨は依頼人と同じ枠にいるのだろう。
きっと、あの日の事が印象的で、未だにああいった事に巻き込まれてないかなどを案じてくれているのだ。
それならば、嫉妬心は抱かないはずだ。
そして、そう結論づけようとした法雨は、京の次の言葉で困惑した。
「あ、あとは何が好きか~とかも聞かれますよ。食いもんとか、酒とか……こないだは好きな色とか訊かれましたね」
「………………」
(どういう事……?)
更に添えられた京の言葉によれば、雷はまるで法雨の好みを知ろうとしているようである。
「今日のこの和菓子も、姐さんが好きなんですよ~って俺がこないだ言ったから買ったんだと思いますよ」
「え? これ、どこかに行ってらしたお土産とかじゃないの?」
「へ? 違いますよ? 姐さんに会いに行けてないから、せめて~って」
「………………」
法雨は京の言葉を聞く度に雷の事が分からなくなっていった。
どうやら、全く店には顔を出さなくなった割に、京には随分と法雨の事を訊いているし、更には法雨の事を知ろうとしている様子だ。
法雨はすっかり避けられているのかと思っていたが、法雨の好みを訊いているという事は、悪い印象を持っているわけではない。――となれば、法雨を避ける理由が見つからない。
(でも……、自意識過剰に考えて、もしアタシに好意を抱いてくれていたのだとしても……変な話ね)
相手の好みを知る。
これは、相手を好きになってしまった時には必ずと言っていいほどする事だ。
だがそもそも、法雨は“恋をしてはいけない相手”ではないはずだ。
法雨は勿論親族でもなければ、誰かの婚約者でも恋人でもない。そして、仕事仲間でも、依頼人でもない。
また、法雨は恋ができないわけでもないし、恋人にはつきものの性的干渉すらも問題はない。
そして、それは雷にも伝えてある事だ。
もしも雷の言っていたように、法雨があの日の事をトラウマとして抱えており、雷がそれをフラッシュバックさせる起因になっているのだとすれば、話は別だ。
だがそうですらもない。
――貴方は、“オオカミ”が、お嫌いなんですか……
「………………」
「姐さん? さっきから黙ってますけど、どうかしたんですか?」
「え? あぁ、いえ。なんでもないわ」
法雨はふと、雷と出会ったあの日に尋ねられたその言葉を思い出した。
そして、それに対して自分がどんな回答をしたのかも鮮明に思い出した。
――えぇ……嫌いよ
大嫌いなオオカミに恋をされたとしたら――。
(……まさかね)
法雨はその事を思い出し、今一度謝りたい気持ちになった。
だが、その事実を思い出したからこそ、法雨は雷に好かれる理由がひとつもないという結論に至った。
(あるわけないわ。あんな酷い事を言ったんだもの。――いずれにしても、ちゃんと謝らなきゃね)
「あの……姐さん」
「ん?」
法雨がしばしあの日の事を思い出していると、少し控え目の声で京が言った。
それに対し法雨が問い返すと、少しだけ不安げな表情をした京は続ける。
「今、雷さんから訊かれた事話しててちょっと思ったんすけど……俺、こうやって姐さんと話してて、大丈夫すか」
そんな彼の言葉の意図がとれず、法雨は問う。
「……どういう事?」
「その……俺が姐さんにした事って……普通なら許される事じゃないです。俺がこうして普通にしてられるのも、姐さんが届出とか何もしないでいてくれたからです……」
「………………」
この話題のタイミングが合ってしまったのは偶然か。
京が言っているのは、彼がまだ“普通の客”ではなかった時の彼らの事だ。
「俺らはあの時、姐さんの優しさに甘えてましたけど……もしかしたら、今もそうなのかなって。償いとか言っても、何かあったら読んでくださいとしか言えないし、後は客として飲み食いするくらいしかできてなくて……」
酒のせいだろうか。それとも、秋という季節が近付いているからだろうか。
彼は長い事触れてこなかったあの当時の事を口にしている。
そしてそんな京は、いつもの彼ではなく、あの当時の彼の面影を思わせる。
「時々、思うんです……姐さんは今もずっと耐えてんのかなって。俺らの事受け入れてくれる為に、あの時の事、わざと忘れてくれてんのかなって……」
「京……アタシは別に」
「オオカミが……嫌いなんすよね……」
「……え?」
法雨は京のその言葉に驚いた。
もしかして雷がそう伝えたのかとも思ったが、雷がわざわざそのような事を伝えるようには思えない。
だが、法雨がその気持ちを他人に吐露したのは、あの日だけだ。
それ以外は、無二の親友である菖蒲くらいでしか言った事はない。
だがその菖蒲もまた、誰かにそんな事を伝えるようなヒトではないし、京とは一切関係を持ってはいない。
「どうして……それを……」
「……あん時……少ししてから俺だけあそこに戻ったんです……。雷さんが何者なのかも分からなかったんですけど……最悪警察に通報されるかもって……そうなったら本気で逃げないとって思って……俺らが逃げた後どうするのかだけ、どうしても確認しておきたくて、ちょっとだけでしたけど……俺もあそこで話聞いてたんです」
「………………」
京の言葉によればつまり、あの時、仲間を逃がした京は今一度あの場に戻り、法雨と雷の会話を途中から聞いていたという事になる。
そして、そこで京は法雨のあの言葉を聞いた。
京はずっと、それを知っていながら、法雨を慕い続けていたのだ。
「でも、それでも、あんな事した俺らとも……こうして普通に接してくれて、本当にありがとうございます……」
「京――」
「でも……」
法雨が口を開こうとすると、それを静かに遮るようにして京は顔を上げた。
「――でも、姐さん。姐さんがもし無理してるなら、俺らはもう絶対に近付かないようにします。これ以上、姐さんに何か我慢させるのは嫌です」
酒のせいで、少しだけしまりのないその瞳で、京は法雨を見た。
そんな彼の瞳には、様々な感情が含まれていた。
そんな視線を受け、法雨は苦笑しながら言った。
「京……アタシは我慢なんて何一つしてないわ。それと、オオカミが嫌いだと言った事……アナタはずっと抱えてたのね……。ごめんなさい。そうとも知らず、ずっとそのままにしてしまってたわね」
すると、京は慌てるようにして言った。
「ち、違います。姐さんが謝る事じゃないっす。だってそれは――」
「いいえ。謝る事よ。だって――」
法雨はオオカミが嫌いだと言った。
だが、法雨が嫌いなオオカミは彼の事ではないのだ。
「オオカミであるアナタの事を、嫌いだと思った事はないもの」
「え……?」
「でも、それなのにずっとその言葉で傷つけてしまっていたの。だから、ごめんなさい。この謝罪はどうぞ受け取ってちょうだい」
「……でも、俺は」
「えぇ、オオカミね。そしてアタシを餌にしていたわ。でもね……それはアタシがそうなる事を許したから。ごめんなさいね。……アタシが嫌いなオオカミは……別に居るの。でも、そのオオカミの事がつい色濃く残ってて……あんな風に言ってしまったの」
法雨は、目の前のオオカミに向かい、苦笑しては今一度謝罪した。
そんな彼は、法雨を制し、言った。
「じゃあ……俺らは……こうして姐さんに会いに来ても……大丈夫なんですか」
「えぇ、もちろん」
「そっか……良かった……」
法雨の言葉を聞き、随分と幼げな笑みを零した京は、法雨に心からの礼を言った。
そして、すっかり人が少なくなった閉店間際の店内で交わされたその会話は、そこで終幕となった。
やはり随分と酒が回っていたのか、そのままカウンターで寝てしまった京に苦笑しつつ、そっとブランケットを掛けてやった。
京はまた、店を出る時にでも起こしてやろう。
法雨はそう思い、唯一店に残っていた桔流と共に手早く店仕舞いを始めることにした。
「法雨さんをエサにできるとか……随分な犬ッコロですよね」
「ふふ、そうね……もう二度とないわね」
そうして店仕舞いをする中、桔流が静かに言った。
実はあれ以降、桔流だけはとある日をきっかけに、法雨と彼らの密会の事実を知ることとなったのだった。
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