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🍀本章🍀
第四話『 The Moon / R 』 上
しおりを挟む「あ、そういえば……すっかり忘れてたわね……」
若いオオカミたちとの密会が終わりを告げてから数か月経ったその日。
無事に梅雨が過ぎ、亜人たちの尾の毛並みもやっと湿気から解放されたその頃は、やや夏を思わせる気候となっていた。
そして、いよいよやってくるであろう夏に備え、ワインセラーとしても設けてあるとある倉庫の鍵を取り出した法雨は、ふとその引き出しにしまってあった小さな紙を目にした。
それは、法雨が雷と初めて会った日に手渡された、彼の名刺だ。
その名刺には、雷の名や連絡先の他に、“雷探偵事務所”と書かれている。
その名刺によれば、雷は探偵業を営んでいるという事だ。
そして、そんな彼にこの名刺を手渡された理由を、法雨は今しがた思い出したのだった。
「修理代ねぇ……」
法雨は名刺を手に取り、雷の名前を眺めながらそう呟いた。
― ロドンのキセキ-翠玉のケエス-芽吹篇❖第四話『The Moon/R』 ―
法雨は、その雷の名刺を渡されて以降、雷への連絡はとっていない。
実のところ、常連とまではいかないが、あの日以前は法雨のいない日に雷は何度か店には訪れていたらしい。
しかし、あの日以降は一切顔を見ていない。
だが、雷の話は京たちから度々聞いている。
どうやら彼らはあの日以降もまた雷とはよく会っているようで、店に来る度に彼らは雷を絶賛するのだった。
――雷さん、マジかっこいいんすよ!
という彼らの決まり文句から始まる様々な彼の話題は、日々絶えない。
だが当の本人はといえば、やはり一向に顔を見せる気配はない。
(私立探偵っていうのが、あの子達にはかっこよく見えるのかしら……?)
一度、しかも会話もいくつかしただけの雷だが、その間に見ただけでも、雷の容姿が端麗である事は法雨も感じていた。
また、がっしりとした体つきに高身長とくれば、外見的な魅力は文句なしと言ったところだった。
そして、オオカミ族には珍しい黒の毛並みは、そんな彼によく映えていた。
(修理代なんて請求するつもりは一切なかったけれど……お礼はちゃんと伝えたいのよね……――それと、お詫びも……)
法雨はそう思い、いざ連絡してみようかと思ったものの、ひとつ考えスマートフォンから手を離す。
法雨は、あの時の事を思い出す度に後悔するのだが、実にこの上ないほど酷い態度をとってしまった。もしかしたら気分を害しているままかもしれない。
そしてもしそうならば、いきなり連絡をするのは更に迷惑だろう。
(せめて、アタシが連絡しても失礼じゃないかだけ、あの子達に訊いてもらおうかしら……)
法雨はそう思い、再び雷の名刺を見る。
オオカミ族の彼。
法雨の元へ、頑丈な扉を蹴破ってまで駆けつけてくれた救世主。
そういえば、子供の頃に読んでいた絵本では、囚われの姫にはそんな姫を救うべくやってくる勇敢な王子様や勇者がつきものだった。
そして、そんな勇敢な者たちにはライオンやオオカミが充てられる事が多かった。
(でも……あのヒトのイメージは……王子様でも勇者でもないわねぇ……――どっちかっていうと、狩人かしら……?)
法雨はふとそんな事を考え、くすりと小さく笑んだ。
(狩人……オオカミにはピッタリね)
「失礼いたします」
「あぁ、ありがとうございます」
季節の移り変わりは随分と早いもので、法雨が雷の名刺と再会してからすっかり多忙になり、連絡の事も手につかずに三カ月ほどが好きた頃。
その多忙さも少し和らいだその日に、そのバーの常勤スタッフであるユキヒョウ族の桔流は、妙に見覚えのある顔立ちの客へと水を運んでいた。
「ご注文はお決まりですか?」
「そうですね、じゃあコチラを」
「かしこまりました。――以上でよろしいですか?」
「えぇ、とりあえずそれでお願いします」
桔流は、そうして男が指し示した季節限定のクラフトビールの注文を受け取り、一礼してテーブルを離れようとした。
すると、そんな桔流を呼び止めるように男がひとつ声をかけた。
「あの、ひとつよろしいですか?」
「はい。なんでしょう?」
桔流は不思議に思いながらも、笑顔で男の問いに応じる旨を示す。
すると男はそこでひとつ、とある事を尋ねたのだった。
「あの~、法雨さん」
桔流はその後、店の裏に入り、法雨が仕事をする事務所にやってきた。
そして桔流がそう声をかけると、法雨はノートパソコンから目を離し、首を傾げるようにして答えた。
「ん? なぁに?」
「んと、さっきお客様がお一人いらっしゃったんですけど――法雨さんは元気にされてますか? ――って訊かれて~……」
「え、アタシ?」
「はい。で、お呼びしますか? って言ったんですけど、それは断られたんでー……一応伝えるだけ伝えておこうかな~と~……」
「そ、そう……」
法雨はそんな桔流の言っている事は理解できたが、その間どうやら何か別の事を考えているらしい様子を見受け、何とも言えない返事をした。
「う~ん……」
そして、桔流がいかにも悩んでいますとばかりの唸りを発した為、法雨は率直に尋ねる事にした。
「どうしたのよ、さっきから。何か思い出せない事でもあるの?」
すると、そんな法雨の言葉に対し、相変らず考えながら言葉を返した。
「ん~実はですね……そのお客様の顔……俺、どっかで見たことがあるような気がしまして……」
「“どっかで”? アタシのこと訊くくらいなんだから常連さんでしょ?」
「いや~……実は店じゃないとこで見た覚えがある感じなんですよね~」
「何よもう、アタシまで気になるじゃない……思い出してよ」
「う~……ん……」
法雨に背を押されるも、どうにも思い出せないらしい桔流に溜め息を吐き、法雨は言った。
「しょうがないわね。いいわ、手伝ってあげる。そのお客様はどんな方なの?」
「え? あぁえっと、オオカミ族の方で~結構かっこよくて、体つきもがっしりしてる感じですね。多分、毛並みは黒です。――オオカミ族で黒って珍しいですよねぇ~」
この時間帯の店内は、照明が少しだけ暗く、橙のトーンが強く映えるようになっている。
その為、明確な色を判断しにくい状態になっているのだが、恐らく桔流ほどのスタッフともなれば、色味の判断は間違えないだろう。
そして、そんな桔流の回答を聞き、法雨ははっとした様子で更に問う。
「え? オオカミ族……? ――身長は?」
「身長ですか? え~と、とりあえず俺よりは全然高かったです。多分190くらいあるんじゃないですか?」
「……まさかそれ――」
「あーっ!!」
法雨が己の予想を口にしようとしたところで、何か思い当たったのか、桔流が突然声をあげた。
だが、それに対し驚いた法雨はすぐに桔流を窘めた。
「や、やだもう何よ! びっくりするじゃない! お客様に聞こえたらどうするの!」
「あ、す、すいません……」
そこでやや反省した様子を見せた桔流にまったく、と言い、法雨は続ける。
「それで? 思い出せたの?」
そして、法雨は法雨でその客の事が気になっていた為、できれば早く回答を聞きたいという気持ちもあり、やや急かすようにそう言うと、桔流がすっきりしたような表情で言った。
「警視庁主催の講演会ですよ!」
「……はぁ? 講演会?」
法雨はその桔流の返答を聞き、一気に脱力した。
桔流の回答からして、つまりはそのオオカミ族の客は警察関係者か、講演会のスタッフか何かなのだろう。
そして、そうであれば私立探偵である彼とは一切関係がない。
そう思い、意気揚々と話す桔流の言葉に気の抜けたまま耳を傾ける。
「そうなんです。実はこないだ、事務所にもお知らせが来てて、一応参加してきたんですけど――」
桔流の云う“事務所”というのは、彼の所属する芸能事務所の事だ。
桔流はこのバーのスタッフであると共に、兼業としてモデルでの仕事もしているのだった。
「――その講演で、犯罪の対策とか心理についてオオカミ族の警視正が講壇に立ってたんですよ」
「け、警視正……!? やだ、そんなお偉い様がこんな庶民的なバーに来るわけないでしょ。ソックリさんよ」
彼らの世界において、警察関係者や学者は、社会階級が上位の者とされている。その為、その警察機関の中でも警視正などという階級をもつ者ならば、お忍びでもない限り、街中に一人でやってくるものではない。
「そうですかねぇ~……でもほら、意外とお忍びとか……」
そう。確かにお忍びであればありえなくもない。
「そうねぇ……でも、お一人なんでしょ?」
「はい」
ただ、もし本当のお忍びであるならば逆に、一人で出歩く事はないだろう。
法雨はそう思い、改めて言葉にした。
「じゃあないわよ。そんな王子様の下町へのお忍びじゃないんだから……警視正なら、ちゃんとお付きの方を付けてるでしょ」
「え~、でもめっちゃ似てますよ?」
「強情ねぇ。きっと曖昧な記憶だから補正されてるだけよ。――ま、でももしそうだったとしても尚の事騒ぎたてたらご迷惑よ。いずれにしても、変に気にしないでおきなさい」
「あ、はい……それはそうですね。――でも、もし本物だったとしたら、法雨さん、王子様に名前知られてますよ?」
そう言われ、法雨は眉間に皺を寄せて言った。
「ヤダやめてよもう……何もやましい事なんてしてないんだから……」
すると桔流はおかしそうに笑いつつ、首を傾げた。
「アハハ、王子様なんですから、イイ話なんじゃないんですか?」
「やぁよ。その王子様、憲兵が本職なのよ? そんなの息苦しくて願い下げよ」
すると、やっと法雨の意図を理解したのか、桔流はまた笑った。
「はは、なるほど。それは確かに」
それから少しだけ冗談を言い合った後、法雨は何気なく気になったので、自分の目でもフロアを確認してみる事にした。
そして、己の目を疑った。
実はあの後、桔流にその講演のパンフレットを見せて貰ったのだが、そこに掲載されていた警視正の顔は、なんと本当にあの雷にそっくりだったのだ。
更にはその名前まで同じだった。
だからこそ驚いたのだが、今店内にいるそのオオカミ族の客も、恐らく雷に違いなかった。
(嘘でしょ……)
法雨は一体どれが真実なのかすらも分からなくなってしまったのだが、いずれにしても今来店しているあの雷には、しっかりと伝えなければならないことがある。
そして法雨は、ちょうど雷からの注文があった為、次のドリンクを自分で運ぶことにした。
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