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脱走! 脱走! 大脱走!!
*金星 ダグー刑務所*
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……やばいなあ、道に迷ったぞ。
岩を掘り抜いただけの簡素な通路には、ほとんど人気がなかった。
最初は、その男にとってそれは好都合なことだったが、今の状況ではそうもいってられない。通路はいくつも枝別れし、曲がりくねっていた。道を聞こうにも誰も通らない。
「まいったなあ。早くしないと、お祈りの時間が終わっちゃうし……強制労働中じゃあ監視の目がきついし……」
金星は、鉱物資源の豊富な惑星であるが、その過酷な自然環境は、容易に人を寄せ付けなかった。
それゆえに、開発は遅々として進まなかったのである。一度は、完全自動機械による開発計画が持ち上がったが、採算が採れない事が分かり、計画はすぐに白紙に戻ったという。その代案として持ち上がったのが、囚人を使っての強制労働であった。
普通に人を雇った場合、給料の他にも、莫大な額の各種保険や各種手当て、福利厚生のための支出があるが、囚人にはその必要がない。また、金星に限らず、地球外環境で暮らす人達の生活施設は、事故に備えて万全の安全対策を取っているが、囚人にそんな必要はないという事で、安全対策は必要最低限なものにできる。
ようは、安全性さえ無視すれば、機械より人の方が安く上がるというわけだ。
もちろん、このような非人道的なやり方には反対もあったが、この当時ほとんどの国で死刑制度が廃止され、一方では犯罪が増加し、刑務所はどこも受刑者で一杯になっているという現状の前に、反対意見は黙殺されたのである。
ダグー刑務所は、金星の十六の刑務所の中でも、特に凶悪犯罪者を集めた所であった。受刑者収容能力は八百人。現在収容されている受刑者は約五百人。その内、終身刑を受けている者は二十人。
だが、例え終身刑ではなくても、この刑務所から生きて出所できる者はいないだろう。
この刑務所ができたのは二〇九五年。
その頃からの統計によると、受刑者の八割は三年以内に死んでいると言う。そして、残りの二割も五年でほとんどいなくなる。
刑務所創設以来、生きて出所できた者は、二一五〇年現在で十八人。すべて、懲役五年以下の受刑者である。
ほとんどの受刑者は懲役五年以上であるが、金星の刑務所で五年以上の懲役は、事実上の終身刑、いや死刑を意味していた。
受刑者の一日は、毎日十時間が強制労働に当てられている。
そして、強制労働の前後一時間は、祈りの時間であった。
この時間に、自分の殺した人達の供養をするのである。
そのために、刑務所内には寺院や教会、モスクなどが設けられていた。
ようやくの事で、男は寺院を見つけた。
この寺院は、岩を掘り抜いて作った三百平方メートルほどの広さの洞窟の中にある。小さいながらも、荘厳な内陣で僧侶が木魚を叩き、その後で三十程の囚人が、畳の上に正座して御題目を唱えていた。
男は、寺院に入ると囚人達を見回し、程なくして目当ての人物を見つける。
その側により、男は正座した。
懐から水晶の数珠を取り出すと、一緒になって御題目を唱えはじめる。ころあいを見計らい、隣の人物に小声で話しかけた。
「ゴーダさんですね?」
ゴーダと呼ばれた男は、自分に話しかけてきた見知らぬ男を怪訝な顔で見た。
「だったら、どうする? 俺に復讐したいなら、他の場所でやってくれないか。ここは、仏様の前だ」
ゴーダは、かつて宇宙海賊であった。
入所前に殺した人間は、それこそ数え切れないほどいる。
その一人一人を覚えていないが、少なくとも自分に復讐したい奴が大勢いるという自覚はあった。
だから、見知らぬ他人が声を掛けて来たら、まず復讐者ではないか考える癖が付いている。
だが、この男は違っていた。
「宮下邦夫をご存じですか?」
「教授か。前によく面会に来たが、最近、来ないな」
「先月、亡くなりました」
ゴーダは一瞬硬直した。もちろん、特に親しかった分けでもない人間が死んだ事が、ショックだったのではない。ただ、ゴーダにとって生きて出所できる唯一つの希望が、教授だったのである。
「そうか。で、お前さんは……」
男は、変装用の付け髭を外した。もちろん、入所する時はこんな物は付けられないが、刑務所内では看守長の特別の許可で、これを付けていたのである。
なぜなら、男はまだ十代の少年だったからだ。
それも、かなりの美形である。このまま、男色の巣窟である刑務所に放り込めば、たちまち同性愛者達の餌食になってしまうため、付け髭で顔を隠す許可を得ていたのである。
いや、許可と言うより、看守長自ら付け髭を付けるよう進めたのである。
もっとも、これは看守長が親切だからではない。
看守長自ら同性愛者であり、自分が目を付けた獲物を、囚人に手を出させないための処置であった。
もちろん、こんな見え見えの変装でだまされる者はいないが、囚人達は知っていたのである。
付け髭を付けている者は、すでに看守長の獲物であり、それに手を出した者が、どういう末路をたどるかという事を……
したがって、付け髭を付けている限り囚人達は襲って来なかったが、その代わり入所してから一週間、看守長のしつこい誘いを断るのに、少年は神経を磨り減らしていた。
だが、それもすぐに終わる。ようやく、この男、ゴーダに出会えたのだから。
「僕は宮下邦夫の息子、宮下みやした瑤斗たるとです。父の約束を果たしに来ました」
岩を掘り抜いただけの簡素な通路には、ほとんど人気がなかった。
最初は、その男にとってそれは好都合なことだったが、今の状況ではそうもいってられない。通路はいくつも枝別れし、曲がりくねっていた。道を聞こうにも誰も通らない。
「まいったなあ。早くしないと、お祈りの時間が終わっちゃうし……強制労働中じゃあ監視の目がきついし……」
金星は、鉱物資源の豊富な惑星であるが、その過酷な自然環境は、容易に人を寄せ付けなかった。
それゆえに、開発は遅々として進まなかったのである。一度は、完全自動機械による開発計画が持ち上がったが、採算が採れない事が分かり、計画はすぐに白紙に戻ったという。その代案として持ち上がったのが、囚人を使っての強制労働であった。
普通に人を雇った場合、給料の他にも、莫大な額の各種保険や各種手当て、福利厚生のための支出があるが、囚人にはその必要がない。また、金星に限らず、地球外環境で暮らす人達の生活施設は、事故に備えて万全の安全対策を取っているが、囚人にそんな必要はないという事で、安全対策は必要最低限なものにできる。
ようは、安全性さえ無視すれば、機械より人の方が安く上がるというわけだ。
もちろん、このような非人道的なやり方には反対もあったが、この当時ほとんどの国で死刑制度が廃止され、一方では犯罪が増加し、刑務所はどこも受刑者で一杯になっているという現状の前に、反対意見は黙殺されたのである。
ダグー刑務所は、金星の十六の刑務所の中でも、特に凶悪犯罪者を集めた所であった。受刑者収容能力は八百人。現在収容されている受刑者は約五百人。その内、終身刑を受けている者は二十人。
だが、例え終身刑ではなくても、この刑務所から生きて出所できる者はいないだろう。
この刑務所ができたのは二〇九五年。
その頃からの統計によると、受刑者の八割は三年以内に死んでいると言う。そして、残りの二割も五年でほとんどいなくなる。
刑務所創設以来、生きて出所できた者は、二一五〇年現在で十八人。すべて、懲役五年以下の受刑者である。
ほとんどの受刑者は懲役五年以上であるが、金星の刑務所で五年以上の懲役は、事実上の終身刑、いや死刑を意味していた。
受刑者の一日は、毎日十時間が強制労働に当てられている。
そして、強制労働の前後一時間は、祈りの時間であった。
この時間に、自分の殺した人達の供養をするのである。
そのために、刑務所内には寺院や教会、モスクなどが設けられていた。
ようやくの事で、男は寺院を見つけた。
この寺院は、岩を掘り抜いて作った三百平方メートルほどの広さの洞窟の中にある。小さいながらも、荘厳な内陣で僧侶が木魚を叩き、その後で三十程の囚人が、畳の上に正座して御題目を唱えていた。
男は、寺院に入ると囚人達を見回し、程なくして目当ての人物を見つける。
その側により、男は正座した。
懐から水晶の数珠を取り出すと、一緒になって御題目を唱えはじめる。ころあいを見計らい、隣の人物に小声で話しかけた。
「ゴーダさんですね?」
ゴーダと呼ばれた男は、自分に話しかけてきた見知らぬ男を怪訝な顔で見た。
「だったら、どうする? 俺に復讐したいなら、他の場所でやってくれないか。ここは、仏様の前だ」
ゴーダは、かつて宇宙海賊であった。
入所前に殺した人間は、それこそ数え切れないほどいる。
その一人一人を覚えていないが、少なくとも自分に復讐したい奴が大勢いるという自覚はあった。
だから、見知らぬ他人が声を掛けて来たら、まず復讐者ではないか考える癖が付いている。
だが、この男は違っていた。
「宮下邦夫をご存じですか?」
「教授か。前によく面会に来たが、最近、来ないな」
「先月、亡くなりました」
ゴーダは一瞬硬直した。もちろん、特に親しかった分けでもない人間が死んだ事が、ショックだったのではない。ただ、ゴーダにとって生きて出所できる唯一つの希望が、教授だったのである。
「そうか。で、お前さんは……」
男は、変装用の付け髭を外した。もちろん、入所する時はこんな物は付けられないが、刑務所内では看守長の特別の許可で、これを付けていたのである。
なぜなら、男はまだ十代の少年だったからだ。
それも、かなりの美形である。このまま、男色の巣窟である刑務所に放り込めば、たちまち同性愛者達の餌食になってしまうため、付け髭で顔を隠す許可を得ていたのである。
いや、許可と言うより、看守長自ら付け髭を付けるよう進めたのである。
もっとも、これは看守長が親切だからではない。
看守長自ら同性愛者であり、自分が目を付けた獲物を、囚人に手を出させないための処置であった。
もちろん、こんな見え見えの変装でだまされる者はいないが、囚人達は知っていたのである。
付け髭を付けている者は、すでに看守長の獲物であり、それに手を出した者が、どういう末路をたどるかという事を……
したがって、付け髭を付けている限り囚人達は襲って来なかったが、その代わり入所してから一週間、看守長のしつこい誘いを断るのに、少年は神経を磨り減らしていた。
だが、それもすぐに終わる。ようやく、この男、ゴーダに出会えたのだから。
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