806 / 848
第十七章
青年と老人1
しおりを挟む
(これは、百数十年前に起きたこと)
その警戒厳重な刑務所は、地球のとある場所という以外、所在すら明らかにされていない。
収監される囚人もよほどの重要人物に限られ、面会に訪れる者もまれである。
その刑務所に一人の青年が訪れた。
青年が刑務所の面会室に入ると、ガラス壁を隔てた向こうに一人の老人が力なく椅子に座り込んでいた。
一見、哀れな老人に見えるが、この男はかつて一国の独裁者として君臨し、二十一世紀最悪の侵略戦争を実行した男。大統領就任中に国際刑事裁判所から逮捕状が出され、戦争終了後に大統領の座を追われるや、逮捕されて終身刑を言い渡されたのである。
その後十数年ほど、老人はこの牢獄で絶望の日々を過ごしていた。
老人は、自分を訪ねてきた二十代半ばの青年に虚ろな瞳を向ける。
一瞬、美女かと見間違えるほど美形の青年の顔に、老人はまったく見覚えは無かった。
だが、老人が戸惑ったのは、そんな事ではない。
その青年が、にこやかな笑みを自分に向けていた事に戸惑っていた。
ここにいる自分を訪ねてくる人間はけっして多くはないが、訪問者が自分にこのような笑顔を向けることはない。
老人に向けられる顔からは、たいていは憎悪か哀れみの感情が読み取れた。
だが、この青年の笑顔も、けっして友好的なものではない。
老人の長い人生経験の中で、この手の笑顔を向ける者は何人かいたが、たいていは良からぬ事を笑顔の裏に隠していた。
「私に何か用かな?」
青年は着席してから、老人の問いに答える。
「もちろん用があって来ました。その前に自己紹介をさせて下さい。僕の名はレム・ベルキナ。脳科学者です」
「科学者が、独裁者のなれの果てに何の用かな?」
「僕の両親は、あなたが起こした戦争で死にました」
老人は、しばらくの間黙っていた。
一分ほど経過して、ようやく口を開いた老人の発した言葉は……
「そうか」
と、まったく関心のなさそうな一言だけ。
「予想通りの答えですね。もはや、聞き飽きたのでしょう。あなたへの恨み言など」
「ああ。数え切れないほど聞かされた。だが、私に今更どうしろというのだ? 償えと言うのか?」
「もし、償えと言ったら、償う気はありますか?」
「ないな。私は自分のやった事に、後悔などしておらぬ」
一瞬だが、今までにこやかな笑みを浮かべていた青年の顔が怒りに曇った。
だが、それは一瞬の事。
すぐに青年は笑顔に戻る。
「これもまた、予想通りの答えでしたね。僕もあなたに、償ってほしいなどとは思っていない。もし、償う気があるなどと言われたら、どうしようかと思いましたよ」
「で、私になんの用があって来た? 恨み言でも言いに来たのか?」
「いいえ。あなたを恨んでいないなどと言えば嘘になりますが、恨み言を言う気はありません。もちろん、僕はあなたを恨んでいます。でも、あなたに恨み言を言ったところで、僕の両親が生き返るわけではない。だから、僕は恨みをある現象に向ける事にしたのです」
「現象だと?」
「ええ。戦争という現象です」
老人は、しばし呆気に取られた。
そして、突然高々と笑い始める。
「それこそ無意味であろう。戦争を恨んで何になる? 私を恨むなら、私を殺せばいい。戦争を恨んだところでどうしようもあるまい」
「僕は戦争を無くしたいのですよ」
「そんな事は不可能だ」
「確かに、完全に戦争を無くすことは不可能かもしれません。しかし、減らすことはできる」
「ふん! どうやって減らすつもりだ?」
「その方法を知るために、あなたのところへ来たのです」
「はあ? 私から何を聞きたいというのだ?」
「あなたが、なぜ戦争を始めたのかを知りたいのです」
「なぜ戦争を始めたかだと? そんな事は、散々言った。ネオナチの驚異から、我が国を防衛するためと……」
「あなたの戯れ言などに、興味はありません。僕は、あなたの本音が知りたいのですよ」
「戯れ言だと! 私は真実を言っている!」
「あのですね。ネオナチが、どうたらこうたらという戯れ言を、誰が本気で信じるというのですか? まあ、テレビしか見ないおバカな人は騙せるかもしれませんがね。先進国の国民が、あなたの幼稚な嘘で騙せると本気で信じていたのですか?」
「幼稚とはなんだ!」
「幼稚だから幼稚と言ったのです。幼稚だから、戦争なんて愚行を始めるのですよ」
「また、幼稚と言ったな! 言っておくが、私は好きで戦争を始めたわけではない。あの戦争は、私以外の誰が大統領であっても防げなかった」
「そう思うのは、あなたがバカだからですよ」
「なんだと?」
「あんな戦争をやる必要は無かった。あなたがバカだから、戦争になったのですよ」
「若造! 私をバカ呼ばわりするか!」
「ええ言います。あなたはバカです。バカが大統領になったから戦争になった。戦争は悪人が起こすのではない。バカが戦争を起こすのですよ」
「き……貴様……」
怒りのあまり、老人は自分と若者を隔てるガラスの壁を殴りつけた。
刑務官に止められるまで何度も……
その警戒厳重な刑務所は、地球のとある場所という以外、所在すら明らかにされていない。
収監される囚人もよほどの重要人物に限られ、面会に訪れる者もまれである。
その刑務所に一人の青年が訪れた。
青年が刑務所の面会室に入ると、ガラス壁を隔てた向こうに一人の老人が力なく椅子に座り込んでいた。
一見、哀れな老人に見えるが、この男はかつて一国の独裁者として君臨し、二十一世紀最悪の侵略戦争を実行した男。大統領就任中に国際刑事裁判所から逮捕状が出され、戦争終了後に大統領の座を追われるや、逮捕されて終身刑を言い渡されたのである。
その後十数年ほど、老人はこの牢獄で絶望の日々を過ごしていた。
老人は、自分を訪ねてきた二十代半ばの青年に虚ろな瞳を向ける。
一瞬、美女かと見間違えるほど美形の青年の顔に、老人はまったく見覚えは無かった。
だが、老人が戸惑ったのは、そんな事ではない。
その青年が、にこやかな笑みを自分に向けていた事に戸惑っていた。
ここにいる自分を訪ねてくる人間はけっして多くはないが、訪問者が自分にこのような笑顔を向けることはない。
老人に向けられる顔からは、たいていは憎悪か哀れみの感情が読み取れた。
だが、この青年の笑顔も、けっして友好的なものではない。
老人の長い人生経験の中で、この手の笑顔を向ける者は何人かいたが、たいていは良からぬ事を笑顔の裏に隠していた。
「私に何か用かな?」
青年は着席してから、老人の問いに答える。
「もちろん用があって来ました。その前に自己紹介をさせて下さい。僕の名はレム・ベルキナ。脳科学者です」
「科学者が、独裁者のなれの果てに何の用かな?」
「僕の両親は、あなたが起こした戦争で死にました」
老人は、しばらくの間黙っていた。
一分ほど経過して、ようやく口を開いた老人の発した言葉は……
「そうか」
と、まったく関心のなさそうな一言だけ。
「予想通りの答えですね。もはや、聞き飽きたのでしょう。あなたへの恨み言など」
「ああ。数え切れないほど聞かされた。だが、私に今更どうしろというのだ? 償えと言うのか?」
「もし、償えと言ったら、償う気はありますか?」
「ないな。私は自分のやった事に、後悔などしておらぬ」
一瞬だが、今までにこやかな笑みを浮かべていた青年の顔が怒りに曇った。
だが、それは一瞬の事。
すぐに青年は笑顔に戻る。
「これもまた、予想通りの答えでしたね。僕もあなたに、償ってほしいなどとは思っていない。もし、償う気があるなどと言われたら、どうしようかと思いましたよ」
「で、私になんの用があって来た? 恨み言でも言いに来たのか?」
「いいえ。あなたを恨んでいないなどと言えば嘘になりますが、恨み言を言う気はありません。もちろん、僕はあなたを恨んでいます。でも、あなたに恨み言を言ったところで、僕の両親が生き返るわけではない。だから、僕は恨みをある現象に向ける事にしたのです」
「現象だと?」
「ええ。戦争という現象です」
老人は、しばし呆気に取られた。
そして、突然高々と笑い始める。
「それこそ無意味であろう。戦争を恨んで何になる? 私を恨むなら、私を殺せばいい。戦争を恨んだところでどうしようもあるまい」
「僕は戦争を無くしたいのですよ」
「そんな事は不可能だ」
「確かに、完全に戦争を無くすことは不可能かもしれません。しかし、減らすことはできる」
「ふん! どうやって減らすつもりだ?」
「その方法を知るために、あなたのところへ来たのです」
「はあ? 私から何を聞きたいというのだ?」
「あなたが、なぜ戦争を始めたのかを知りたいのです」
「なぜ戦争を始めたかだと? そんな事は、散々言った。ネオナチの驚異から、我が国を防衛するためと……」
「あなたの戯れ言などに、興味はありません。僕は、あなたの本音が知りたいのですよ」
「戯れ言だと! 私は真実を言っている!」
「あのですね。ネオナチが、どうたらこうたらという戯れ言を、誰が本気で信じるというのですか? まあ、テレビしか見ないおバカな人は騙せるかもしれませんがね。先進国の国民が、あなたの幼稚な嘘で騙せると本気で信じていたのですか?」
「幼稚とはなんだ!」
「幼稚だから幼稚と言ったのです。幼稚だから、戦争なんて愚行を始めるのですよ」
「また、幼稚と言ったな! 言っておくが、私は好きで戦争を始めたわけではない。あの戦争は、私以外の誰が大統領であっても防げなかった」
「そう思うのは、あなたがバカだからですよ」
「なんだと?」
「あんな戦争をやる必要は無かった。あなたがバカだから、戦争になったのですよ」
「若造! 私をバカ呼ばわりするか!」
「ええ言います。あなたはバカです。バカが大統領になったから戦争になった。戦争は悪人が起こすのではない。バカが戦争を起こすのですよ」
「き……貴様……」
怒りのあまり、老人は自分と若者を隔てるガラスの壁を殴りつけた。
刑務官に止められるまで何度も……
0
お気に入りに追加
139
あなたにおすすめの小説

冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない
一本橋
恋愛
女子の体操着を盗んだという身に覚えのない罪を着せられ、僕は皆の信頼を失った。
クラスメイトからは日常的に罵倒を浴びせられ、向けられるのは蔑みの目。
さらに、信じていた初恋だった女友達でさえ僕を見限った。
両親からは拒絶され、姉からもいないものと扱われる日々。
……だが、転機は訪れる。冤罪だった事が明かになったのだ。
それを機に、今まで僕を蔑ろに扱った人達から次々と謝罪の声が。
皆は僕と関係を戻したいみたいだけど、今更仲直りなんてできない。
※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。
タイムワープ艦隊2024
山本 双六
SF
太平洋を横断する日本機動部隊。この日本があるのは、大東亜(太平洋)戦争に勝利したことである。そんな日本が勝った理由は、ある機動部隊が来たことであるらしい。人呼んで「神の機動部隊」である。
この世界では、太平洋戦争で日本が勝った世界戦で書いています。(毎回、太平洋戦争系が日本ばかり勝っ世界線ですいません)逆ファイナルカウントダウンと考えてもらえればいいかと思います。只今、続編も同時並行で書いています!お楽しみに!
200万年後 軽トラで未来にやってきた勇者たち
半道海豚
SF
本稿は、生きていくために、文明の痕跡さえない200万年後の未来に旅立ったヒトたちの奮闘を描いています。
最近は温暖化による環境の悪化が話題になっています。温暖化が進行すれば、多くの生物種が絶滅するでしょう。実際、新生代第四紀完新世(現在の地質年代)は生物の大量絶滅の真っ最中だとされています。生物の大量絶滅は地球史上何度も起きていますが、特に大規模なものが“ビッグファイブ”と呼ばれています。5番目が皆さんよくご存じの恐竜絶滅です。そして、現在が6番目で絶賛進行中。しかも理由はヒトの存在。それも産業革命以後とかではなく、何万年も前から。
本稿は、2015年に書き始めましたが、温暖化よりはスーパープルームのほうが衝撃的だろうと考えて北米でのマントル噴出を破局的環境破壊の惹起としました。
第1章と第2章は未来での生き残りをかけた挑戦、第3章以降は競争排除則(ガウゼの法則)がテーマに加わります。第6章以降は大量絶滅は収束したのかがテーマになっています。
どうぞ、お楽しみください。

異世界帰りの元勇者、日本に突然ダンジョンが出現したので「俺、バイト辞めますっ!」
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
俺、結城ミサオは異世界帰りの元勇者。
異世界では強大な力を持った魔王を倒しもてはやされていたのに、こっちの世界に戻ったら平凡なコンビニバイト。
せっかく強くなったっていうのにこれじゃ宝の持ち腐れだ。
そう思っていたら突然目の前にダンジョンが現れた。
これは天啓か。
俺は一も二もなくダンジョンへと向かっていくのだった。
月が導く異世界道中
あずみ 圭
ファンタジー
月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。
彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。
これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
漫遊編始めました。
外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく舞踏会編をはじめる予定ですー!

2回目チート人生、まじですか
ゆめ
ファンタジー
☆☆☆☆☆
ある普通の田舎に住んでいる一之瀬 蒼涼はある日異世界に勇者として召喚された!!!しかもクラスで!
わっは!!!テンプレ!!!!
じゃない!!!!なんで〝また!?〟
実は蒼涼は前世にも1回勇者として全く同じ世界へと召喚されていたのだ。
その時はしっかり魔王退治?
しましたよ!!
でもね
辛かった!!チートあったけどいろんな意味で辛かった!大変だったんだぞ!!
ということで2回目のチート人生。
勇者じゃなく自由に生きます?
男装の麗人と呼ばれる俺は正真正銘の男なのだが~双子の姉のせいでややこしい事態になっている~
さいはて旅行社
BL
双子の姉が失踪した。
そのせいで、弟である俺が騎士学校を休学して、姉の通っている貴族学校に姉として通うことになってしまった。
姉は男子の制服を着ていたため、服装に違和感はない。
だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。
その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。
女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。
もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。
周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか?
侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる