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第十七章
青年と老人1
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(これは、百数十年前に起きたこと)
その警戒厳重な刑務所は、地球のとある場所という以外、所在すら明らかにされていない。
収監される囚人もよほどの重要人物に限られ、面会に訪れる者もまれである。
その刑務所に一人の青年が訪れた。
青年が刑務所の面会室に入ると、ガラス壁を隔てた向こうに一人の老人が力なく椅子に座り込んでいた。
一見、哀れな老人に見えるが、この男はかつて一国の独裁者として君臨し、二十一世紀最悪の侵略戦争を実行した男。大統領就任中に国際刑事裁判所から逮捕状が出され、戦争終了後に大統領の座を追われるや、逮捕されて終身刑を言い渡されたのである。
その後十数年ほど、老人はこの牢獄で絶望の日々を過ごしていた。
老人は、自分を訪ねてきた二十代半ばの青年に虚ろな瞳を向ける。
一瞬、美女かと見間違えるほど美形の青年の顔に、老人はまったく見覚えは無かった。
だが、老人が戸惑ったのは、そんな事ではない。
その青年が、にこやかな笑みを自分に向けていた事に戸惑っていた。
ここにいる自分を訪ねてくる人間はけっして多くはないが、訪問者が自分にこのような笑顔を向けることはない。
老人に向けられる顔からは、たいていは憎悪か哀れみの感情が読み取れた。
だが、この青年の笑顔も、けっして友好的なものではない。
老人の長い人生経験の中で、この手の笑顔を向ける者は何人かいたが、たいていは良からぬ事を笑顔の裏に隠していた。
「私に何か用かな?」
青年は着席してから、老人の問いに答える。
「もちろん用があって来ました。その前に自己紹介をさせて下さい。僕の名はレム・ベルキナ。脳科学者です」
「科学者が、独裁者のなれの果てに何の用かな?」
「僕の両親は、あなたが起こした戦争で死にました」
老人は、しばらくの間黙っていた。
一分ほど経過して、ようやく口を開いた老人の発した言葉は……
「そうか」
と、まったく関心のなさそうな一言だけ。
「予想通りの答えですね。もはや、聞き飽きたのでしょう。あなたへの恨み言など」
「ああ。数え切れないほど聞かされた。だが、私に今更どうしろというのだ? 償えと言うのか?」
「もし、償えと言ったら、償う気はありますか?」
「ないな。私は自分のやった事に、後悔などしておらぬ」
一瞬だが、今までにこやかな笑みを浮かべていた青年の顔が怒りに曇った。
だが、それは一瞬の事。
すぐに青年は笑顔に戻る。
「これもまた、予想通りの答えでしたね。僕もあなたに、償ってほしいなどとは思っていない。もし、償う気があるなどと言われたら、どうしようかと思いましたよ」
「で、私になんの用があって来た? 恨み言でも言いに来たのか?」
「いいえ。あなたを恨んでいないなどと言えば嘘になりますが、恨み言を言う気はありません。もちろん、僕はあなたを恨んでいます。でも、あなたに恨み言を言ったところで、僕の両親が生き返るわけではない。だから、僕は恨みをある現象に向ける事にしたのです」
「現象だと?」
「ええ。戦争という現象です」
老人は、しばし呆気に取られた。
そして、突然高々と笑い始める。
「それこそ無意味であろう。戦争を恨んで何になる? 私を恨むなら、私を殺せばいい。戦争を恨んだところでどうしようもあるまい」
「僕は戦争を無くしたいのですよ」
「そんな事は不可能だ」
「確かに、完全に戦争を無くすことは不可能かもしれません。しかし、減らすことはできる」
「ふん! どうやって減らすつもりだ?」
「その方法を知るために、あなたのところへ来たのです」
「はあ? 私から何を聞きたいというのだ?」
「あなたが、なぜ戦争を始めたのかを知りたいのです」
「なぜ戦争を始めたかだと? そんな事は、散々言った。ネオナチの驚異から、我が国を防衛するためと……」
「あなたの戯れ言などに、興味はありません。僕は、あなたの本音が知りたいのですよ」
「戯れ言だと! 私は真実を言っている!」
「あのですね。ネオナチが、どうたらこうたらという戯れ言を、誰が本気で信じるというのですか? まあ、テレビしか見ないおバカな人は騙せるかもしれませんがね。先進国の国民が、あなたの幼稚な嘘で騙せると本気で信じていたのですか?」
「幼稚とはなんだ!」
「幼稚だから幼稚と言ったのです。幼稚だから、戦争なんて愚行を始めるのですよ」
「また、幼稚と言ったな! 言っておくが、私は好きで戦争を始めたわけではない。あの戦争は、私以外の誰が大統領であっても防げなかった」
「そう思うのは、あなたがバカだからですよ」
「なんだと?」
「あんな戦争をやる必要は無かった。あなたがバカだから、戦争になったのですよ」
「若造! 私をバカ呼ばわりするか!」
「ええ言います。あなたはバカです。バカが大統領になったから戦争になった。戦争は悪人が起こすのではない。バカが戦争を起こすのですよ」
「き……貴様……」
怒りのあまり、老人は自分と若者を隔てるガラスの壁を殴りつけた。
刑務官に止められるまで何度も……
その警戒厳重な刑務所は、地球のとある場所という以外、所在すら明らかにされていない。
収監される囚人もよほどの重要人物に限られ、面会に訪れる者もまれである。
その刑務所に一人の青年が訪れた。
青年が刑務所の面会室に入ると、ガラス壁を隔てた向こうに一人の老人が力なく椅子に座り込んでいた。
一見、哀れな老人に見えるが、この男はかつて一国の独裁者として君臨し、二十一世紀最悪の侵略戦争を実行した男。大統領就任中に国際刑事裁判所から逮捕状が出され、戦争終了後に大統領の座を追われるや、逮捕されて終身刑を言い渡されたのである。
その後十数年ほど、老人はこの牢獄で絶望の日々を過ごしていた。
老人は、自分を訪ねてきた二十代半ばの青年に虚ろな瞳を向ける。
一瞬、美女かと見間違えるほど美形の青年の顔に、老人はまったく見覚えは無かった。
だが、老人が戸惑ったのは、そんな事ではない。
その青年が、にこやかな笑みを自分に向けていた事に戸惑っていた。
ここにいる自分を訪ねてくる人間はけっして多くはないが、訪問者が自分にこのような笑顔を向けることはない。
老人に向けられる顔からは、たいていは憎悪か哀れみの感情が読み取れた。
だが、この青年の笑顔も、けっして友好的なものではない。
老人の長い人生経験の中で、この手の笑顔を向ける者は何人かいたが、たいていは良からぬ事を笑顔の裏に隠していた。
「私に何か用かな?」
青年は着席してから、老人の問いに答える。
「もちろん用があって来ました。その前に自己紹介をさせて下さい。僕の名はレム・ベルキナ。脳科学者です」
「科学者が、独裁者のなれの果てに何の用かな?」
「僕の両親は、あなたが起こした戦争で死にました」
老人は、しばらくの間黙っていた。
一分ほど経過して、ようやく口を開いた老人の発した言葉は……
「そうか」
と、まったく関心のなさそうな一言だけ。
「予想通りの答えですね。もはや、聞き飽きたのでしょう。あなたへの恨み言など」
「ああ。数え切れないほど聞かされた。だが、私に今更どうしろというのだ? 償えと言うのか?」
「もし、償えと言ったら、償う気はありますか?」
「ないな。私は自分のやった事に、後悔などしておらぬ」
一瞬だが、今までにこやかな笑みを浮かべていた青年の顔が怒りに曇った。
だが、それは一瞬の事。
すぐに青年は笑顔に戻る。
「これもまた、予想通りの答えでしたね。僕もあなたに、償ってほしいなどとは思っていない。もし、償う気があるなどと言われたら、どうしようかと思いましたよ」
「で、私になんの用があって来た? 恨み言でも言いに来たのか?」
「いいえ。あなたを恨んでいないなどと言えば嘘になりますが、恨み言を言う気はありません。もちろん、僕はあなたを恨んでいます。でも、あなたに恨み言を言ったところで、僕の両親が生き返るわけではない。だから、僕は恨みをある現象に向ける事にしたのです」
「現象だと?」
「ええ。戦争という現象です」
老人は、しばし呆気に取られた。
そして、突然高々と笑い始める。
「それこそ無意味であろう。戦争を恨んで何になる? 私を恨むなら、私を殺せばいい。戦争を恨んだところでどうしようもあるまい」
「僕は戦争を無くしたいのですよ」
「そんな事は不可能だ」
「確かに、完全に戦争を無くすことは不可能かもしれません。しかし、減らすことはできる」
「ふん! どうやって減らすつもりだ?」
「その方法を知るために、あなたのところへ来たのです」
「はあ? 私から何を聞きたいというのだ?」
「あなたが、なぜ戦争を始めたのかを知りたいのです」
「なぜ戦争を始めたかだと? そんな事は、散々言った。ネオナチの驚異から、我が国を防衛するためと……」
「あなたの戯れ言などに、興味はありません。僕は、あなたの本音が知りたいのですよ」
「戯れ言だと! 私は真実を言っている!」
「あのですね。ネオナチが、どうたらこうたらという戯れ言を、誰が本気で信じるというのですか? まあ、テレビしか見ないおバカな人は騙せるかもしれませんがね。先進国の国民が、あなたの幼稚な嘘で騙せると本気で信じていたのですか?」
「幼稚とはなんだ!」
「幼稚だから幼稚と言ったのです。幼稚だから、戦争なんて愚行を始めるのですよ」
「また、幼稚と言ったな! 言っておくが、私は好きで戦争を始めたわけではない。あの戦争は、私以外の誰が大統領であっても防げなかった」
「そう思うのは、あなたがバカだからですよ」
「なんだと?」
「あんな戦争をやる必要は無かった。あなたがバカだから、戦争になったのですよ」
「若造! 私をバカ呼ばわりするか!」
「ええ言います。あなたはバカです。バカが大統領になったから戦争になった。戦争は悪人が起こすのではない。バカが戦争を起こすのですよ」
「き……貴様……」
怒りのあまり、老人は自分と若者を隔てるガラスの壁を殴りつけた。
刑務官に止められるまで何度も……
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