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第七章

つかの間の平和

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『ここから、半年分を早送りするよ』
 半年で様子が一変していた。
  
 リトル東京は、十階建てのビル(セントラルタワー)を中心に広がる、ちょっとした町になっていたのだ。
 ただ、セントラルタワー以外は低層の建物しかない。
 再生が始まった時、僕はそんな町の中を歩いていた。
 
 そんな僕の左には、香子が一緒に歩いている。

 デート……なのかな? 

「おかしな気分ね。海斗は、そうは思わない?」
「何が?」
「肌に触れる風の感蝕。空気の匂い。地面を踏みしめる足の裏の感覚。生身の身体があるってだけで、こんなに違うものかしら? 電脳空間サイバースペースでは確かに五感は再現されていたけど、今の感覚とどこか違うわ」
「まあ……そうだな……でも、これが本来の感覚だよ」
「せっかく、二百年ぶりに肉体の身体を得たのに、なんかがっかりだわ。電脳空間サイバースペースでは、いつもフローラルの香りに包まれていたのに、ここはいつも変な臭いがするし」
「潮の香りだよ。僕は、結構好きだな」
「でも、肌がベタベタするのよ」
「いい加減慣れようよ。僕達、再生されて半年も経つのに……」
「そんな事言ったって、私たちはデータを取られてから二百年、ずっと電脳空間サイバースペースで暮らしていたのよ。半年程度では慣れないわ」
「でもさあ、この惑星に降りて、僕達はすぐに戦闘バトルの連続。そんな感傷に浸っているヒマなかったけどな」
「悪うございました。自分は安全な司令部にいながら、海斗やカルルや芽衣ちゃんを危険な最前線に送り出して勝手な事を言っていて……」
「おい……香子……さん」
 香子は往来で立ち止まり、俯いていた。
 そんな香子の様子を見て、僕はすっかり狼狽えている。
 いや、それよりカルルは分かるが、あの大人しい芽衣ちゃんが戦闘に参加していたのか?
「……」
 香子は、か細い声で何かを呟いたが、よく聞き取れない。
「え? なに?」
「心配……だったんだから」
「え?」
「海斗が、戦死するのじゃないかと思って、ずっと心配だったんだから……」

 いきなりの大声で、周囲の人たちが振り返る。

「いや……あのさ……」
「私達は、生身の肉体を得てしまった。もちろん、母船の電脳空間サイバースペースには私達のデータが残っている。でも、一度プリンターから出力されてしまった私達は、二百年間無縁だった死と隣り合わせにあるのよ。電脳空間サイバースペースでは、私たちは何をしても死ぬことはなかった。高い所から落ちても、猛獣に噛まれても、銃で撃たれても、死ぬどころか、痛覚さえ制御できた。でも、ここでそういう目にあったら死ぬのよ」
「香子……後悔しているのかい? 再生された事を」
「そんなんじゃない……ただ、海斗に自覚して欲しいのよ! ここでは、下手をしたら死ぬって事を! もちろん、私は自分が死ぬのが怖い。でも、それ以上に海斗が死ぬのが怖いのよ! だから、戦場で、これ以上無茶な戦いをしないで!」

 僕は、そんなに無茶な戦いをしていたのか?

「買いかぶられたものだな。僕は死を恐れぬ勇者なんかじゃない。自慢にはならないけど、僕は自分の命が惜しくて仕方がない臆病者さ」

『確かに自慢にならんな』
 
 同意するぞ。電脳空間サイバースペースの僕よ。

「それなら、どうして……」
「香子も、思い違いをしている」
「何を?」
「司令部が安全だって思っているのか? 司令部だって、危険なんだよ。外へ出た僕達が、へまをやって敵に攻め込まれたら、リトル東京の人達は皆殺しにされる。僕だってそれが怖い。だから……怖いから戦っているんだよ」
「海斗……」
「僕は、自分が死ぬのが怖い。だけど、自分の好きな人が死ぬのだって嫌だ。僕は欲張りだから、僕の命か、好きな人達の命かなんて選べない。だから、みんなが死なない方法を選びたい。もし、香子から見て僕が自分の命を粗末にしているように見えたのなら、それは見間違いだ。僕は自分が助かるためなら、どんな汚い手段でも使う。そして、香子。君を助けるためなら、もっと汚い手だって使う」
「それ……本当?」
「当たり前だ」

 ううん……良い雰囲気なのだが……こいつら、肝心な事を忘れていないか?

「あのお……北村さん……鹿取さん」

 どこから現れたのか……いや、さっきから群がっている群衆の中から現れたのだろう。芽衣ちゃんが、恐る恐る声をかけてきた。

「め……芽衣ちゃん」「ど……どうかしたのかしら?」
「あのう……そういう会話は、誰も聞いていないお部屋の中でされた方が、よろしいのではないかと……」
 僕も香子も、その時になって慌てて周囲を見回した。
 自分達が天下の往来で注目を浴びている事に、ようやく気が付いたようだ。

 僕と香子は、脱兎のごとく走り出した。

「あ……あの、なぜ私まで……!」

 なぜか、二人とも芽衣ちゃんの手を握っていた。

 いや、僕も香子も条件反射的に、日頃からの保護対象を守る行動に出てしまったのだろう。

「撒いたな?」「撒いたわ」
 
『そもそも、こんなしょうもない事で、追ってくるような物好きなどいない』

 キートン山田か! 電脳空間サイバースペースの僕は……

「あ……あの」

「わ! 芽衣ちゃん!?」「なんで海斗が、芽衣ちゃんの手を握っているのよ?」「いや、香子も握っているが……」「あら……?」
「北村さん、鹿取さん。お二人は付き合っていらっしゃるのですか?」
「え?」「い……いや、その……」
「すみません。お二人は幼馴染だし、そうじゃないかと思っていました。でも、もしかすると、と思って……だから、私も再生されてリトル東京にいけば機会があるかと……でも、父は私が地上に行っても邪魔になるだけだと言って許されなくて……だから、ロボットスーツの出力調整法を調べて……調べて……調べつくして、ようやく私の身体に合うロボットスーツを作り上げて……」

 この娘……ひょっとして天才?

「ロボットスーツ隊のメンバーに加えてもらって、ようやく再生されて、北村さんと一緒に戦えるようになったのですけど、ダメでしたね」
「海斗! いつ芽衣ちゃんを口説いたのよ!?」
「ご……誤解だ! 僕はやっていない」

『僕は本当にやっていない。信じてくれ』

 ああ、信じる。僕にそんなコミュ力がないという事は、自分が一番知っている。

「やめて下さい! 鹿取さん! 私、口説かれてなんかいません。ただ、私が勝手に北村さんを好きになってしまったのです」

「芽衣ちゃん。あなた……」
「私は、北村さんと一緒に戦えただけで十分幸せです。もし、北村さんが危なくなったら、私が盾になってお守りします。その時は鹿取さん。私の分も幸せになって下さい」
「お……重いわ。芽衣ちゃん。お願いだから、他の男を好きになって……」  

『とまあ、しばらくはこうして平和な日々が続いていたのだけど、それも長くなかった』

 そうだろうな。

『三年後に態勢を立て直した帝国軍は、戦略目標を変更し、南方諸国侵略に切り替えたのだ。南方諸国へはリトル東京から遠過ぎて、ヘリでは飛んでいけない。だから、帝国領内に秘密の補給基地を作ることになったんだ』

 
 場面が変わった。
 僕はヘリコプターに乗っている。

 いったい、どこへ向かっているのだろう?

 操縦しているのは、香子。
 僕の他には、三名ほどの男女が乗っていた。
 この中で顔を知っているのは、芽衣ちゃんだけ。
「北村さん、本当に大丈夫でしょうか?」
 芽衣ちゃんは不安そうに言う。
「ん? 何が?」
「これから私たちが行く補給基地って、帝国領のど真ん中にあるというじゃないですか?」

 補給基地へ向かっているようだな……まさか? いや、まだそうと決まったわけでは……

「そうだよ。それが何か?」
「何かって? 敵に見つかったら、どうするのです?」
「大丈夫だよ。そのために僕らが行って守るのだから」
「守るって? 私達二人だけでですか?」
「無人の防衛施設もあるよ」
「だったら、私達がいなくても……」
「一応、人間の戦闘員もいた方がいいという事になって、ロボットスーツ隊から二人、ここの防衛に回すことになったんだな」
「そうでしたか。それでは仕方ないですね」
「それに、帝国軍が間抜けにも、補給基地の存在にずっと気が付かなければ、危ないことは何もない」
「そうですね」
「娯楽だって、ゲームも漫画も小説もお菓子も酒も一杯あるから」
「え?」
 意外そうに言ったのは、操縦席の香子。
「ゴメン。言い忘れたけど海斗。お酒は積んでないから」
「ええ!?」
 今まで呑気に構えていた僕が、突然素っ頓狂な声を上げた。
 そして、操縦席に詰め寄る。
「嘘だろ?」
「本当」
「一ビンもないの?」
「うん」
「僕が酒好きなのは、知っているだろ」
「それは知っているけど、海斗の健康診断結果も知っているから」
「うぐ」
「ちょうどいい機会だし、禁酒しましょ」
「いや……他の人も飲めなくなるのは気の毒たし……なあ、芽衣ちゃん」
「私、お酒飲みません」
 僕は他の二人の技師に聞いたが、二人とも酒は飲まないそうだ。
「それに海斗が酔っぱらって、芽衣ちゃん襲ったら大変だし」
「襲わないよ」
「どうだか。海斗だって、男だからね」
「酷いなあ。芽衣ちゃん、僕が一度だってセクハラをやった事あるかい?」
「い……いえ……私じゃ魅力ないですから」
「そんな事ないって。芽衣ちゃんは可愛いわよ。ただ、海斗は私の男だから」
「あのお……北村さんと、鹿取さんの仲って今どうなっているのですか?」
「ふふふ……ジャーン!」
  香子が、左手をかざした。
  薬指に指輪が着いている。
   
  まさか!?

「出発前に海斗が、やっとプロポーズしてくれたのよ」

  とうとう、やってしまったのか……

「わあ! おめでとうございます。北村さん、なんて言ってプロポーズしたのですか?」
 「それは……言えない」
 「いいじゃないですか、教えて下さいよ」
 「減るからダメ」
 「ええ!」
 「二百年前から好きだった」
  香子が僕の代わりに答えた。
 「おい……香子」
 「戦争が終わったら結婚してくれって……」
 「え? 北村さん、それ、死亡フラグでは?」
 「いや……言ってから気が付いたんだけどね。まあ、気にすることないよ」

 『この時は僕も軽く考えていたのだと思う。まさか、この後、あんなことになるなんて』

  どういう事だ? あんな事って? 
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