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第二章 時空穿孔船
女神リゲタネル
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研究所の最上階にそれはあった。
直径十メートル、全長八十五メートルの先の尖ったシリンダー状の金色に輝く物体がドックの中に鎮座している。プラズマエンジンらしき物を装備しているという事は宇宙船のようだ。
「あたしはワームホールを開くための装備だと聞いていたけど、宇宙船だったの?」
慧はうなずく。
「宇宙船でもあるんだ。船首を見てくれ。時空穿孔機がついてるのが分かるかい?」
船首を見ると確かにワームホールにエネルギーを注入する装置。時空穿孔機が装備されているのが分かった。《楼蘭》で使ってるものよりずっと小型だが。
「この船は単独でワームホールを開く装備を搭載した工作船だよ。空間に穴を掘る船、時空穿孔船さ」
横から親父さんが面白くなさそうに茶々を入れる。
「何が時空穿孔船だよ。このガラクタに使ったエキゾチック物質で一万五千Rの時空管が十本は作れるんだぞ」
うわ! そりゃ親父さんも怒るはずだわ。
船首の方に平仮名で《りげたねる》と船名らしきものが書かれている。
リゲタネル? どういう意味だろう?
あたしは携帯端末を取り出し単語を打ち込んでみた。
これは!?
「なあ、美陽ちゃんよ。本当にこいつを宇宙省が買い取ってくれるのか?」
幾島社長は心配そうに言う。
「ええ。あたしが見て使い物になるなら長官は予算を組むと言ってました」
「しかしなあ、言っちゃなんだがこいつは高いぞ。俺としても古巣の宇宙省には便宜を図ってやりたいのは山々だが、幾島時空管の代表取締役としては、安売りして会社に損害を与えるわけにも行かないんだ」
「分かってます。だから、買い取りが無理な場合はリースという事にしてもらえないでしょうか? 潰すのはその後でも」
「ううむ。今は時空管の注文がワンサカ来てるからな。使えるエキゾチック物質は少しでも欲しいとこだが……まあ、他ならぬ美陽ちゃんの頼みだ」
社長は慧の背中をドンと叩く。
「ちゃんと美陽ちゃんに説明しとけよ。俺はもう本社に帰るからな」
「もうお帰りですか?」
「おお! もう少しゆっくりしたいところだが、俺も忙しい身でな」
幾島社長は出て行った。
あたしは慧と二人だけ取り残される。
「ハア。死ぬかと思った」
慧は安堵の息をつく。
「馬鹿ねえ。なんでお父さんに本当のこと言わなかったのよ?」
「本当のこと?」
あたしは船を指差す。
「これを作った本当の理由」
「別に。ただの遊び心さ」
「じゃあリゲタネルってどういう意味?」
「マーシャル諸島の神話に出てくる女神の名前だよ」
「それは今。調べたわ」
あたしは携帯端末を見ながら朗読を始めた。
「あるとき、リゲタネルの息子達は星の世界の王を決めることになりました。息子達は舟の競争で勝った者が王になることに決めたのです。そのときに母のリゲタネルは息子達に自分と七つの道具と一緒に乗せてくれと頼みますが、舟が重くなるのを嫌った息子達は断ります。しかし、末っ子のジュプロは母の頼みを聞き入れ母と七つ道具を舟に乗せました」
慧は黙ってあたしの朗読を聞いている。
「競争が始まりましたがジュプロの舟は母の七つ道具を据え付けるのに時間がかかって出発できません。ところが母の指示したとおりに七つ道具を据え付けると、舟は漕いでもいないのに進みだしたのです」
「七つ道具というのは帆具の事なんだ。つまりこの神話は帆走航海の始まりを伝えているんだよ」
慧はようやく口を開いた。
「今までのワームホールが手漕ぎの舟なら、この《リゲタネル》は帆掛け舟といったところかな。そういう意味で命名したんだよ」
「もう一つ意味があるわね。マーシャル諸島の人達がリゲタネルと呼ぶ星」
慧は無言であたしを見ている。
「ぎょしゃ座のカペラ」
カペラへのワームホールが圧壊したとき、慧のお母さんもむこうに取り残されてしまった。その後、幾島社長は慧を育てる事ができず、慧はあたしの母が引き取った。
つまり、あたしは慧と十年間、姉弟のように過ごしたのだ。
「これを作ったのはカペラへ行くためでしょ。なぜ、お父さんにそう言わないの?」
「それは……卑怯だからさ」
「卑怯?」
「親父は母さんや仲間達をカペラに置き去りにした事を今でも悔やんでいる」
「置き去りにしたわけじゃないわ。あれは事故よ」
「そんなこと分かってるさ。でも、それじゃ親父は納得できないんだよ。親父はあの事件を思い出す度に自分を責めるんだ」
「それは……」
「カペラへ行くため、母さんを探すためにこれを作った。そんな事言ったら、親父はもう何も言い返せなくなるんだ。そんな親父を見たくないんだよ」
「まあ……それは分かるけどね」
「それに、あまりぬか喜びもさせたくないしね」
「え?」
「《リゲタネル》は今までより効率よくワームホールを開くことができる。でも、どこにつながるか分からないところは、今までと変わらないんだ」
「なんだ。やっぱりそうなのか」
「美陽の方はどうなの?」
「え?」
「美陽だって、カペラに行きたいんだろ。行きたいから今の仕事に付いたんだろ」
「確かにね」
カペラの事故以降、無数のワームホールが開かれた。
だが、どれ一つとしてカペラ付近につながったワームホールはない。自分がワームホールを開く仕事をしていればいつかはカペラへの道が見付かる、なんて事も考えていたのは確かだ。
ところが実際は銀河の反対側や、アンドロメダ星雲にまでつながるワームホールもあるというのに、たった四十二・二光年先の星につながるワームホールがなぜか開かない。
「ところで、そろそろ説明してもらっていいかしら」
「そうだね。親父も帰ったことだし。先生! 出てきて下さい」
え? 先生って。
ギギキ。
《リゲタネル》のハッチが、ゆっくりと開き始めた。中から、誰か出てくる。
「もう、帰ったかい?」
ドイツ語? 七十代ぐらいの白衣を来た白人の爺さんが出てきた。爺さんはボサボサの白髪頭をボリボリと掻く。
ウワー! フケをこぼすな!
「ちょっと誰よ? この人」
あたしは慧の耳に口を近づけて小声で言った。
「ハンス・ラインヘルガー教授だよ。《リゲタネル》の設計者さ」
「どこで知り合ったの?」
「大学で僕は教授の研究室にいたんだよ」
「じゃあ、慧の恩師ってわけ?」
「そうだよ」
「《リゲタネル》を設計したって言ったけど、まさかこの爺さんにそそのかされたんじゃないでしょうね?」
「違うよ。先生には僕の方から頼んで来てもらったんだから」
慧は否定するが怪しいものだ。
そもそも、このおとなしい草食系男子が自らの意思で、あの恐ろしい親父さんを怒らせるような事をするとは思えない。
きっとこの爺さんに何か良からぬことを吹き込まれたんだな。
「これこれ幾島君」
教授が手招きをしている。
「いつになったら、そこの美女を紹介してくれるんじゃ」
「すみません。先生。彼女は宇宙省の時空調査官、佐竹美陽さんです。僕の幼馴染です」
「幼馴染とはこういう事か?」
教授は右手の拳を前に出し小指を一本立てる。
「いえ、そういう関係ではないですけど」
慧は慌てて否定する。
「ふむ。違うのか」
教授はあたしの方を向いてイヤラシイ笑みを浮かべた。
「なあ、お嬢さん。ワシの愛人にならんか?」
「お断りします」
なんなのよ! このセクハラジジイは!
「そんな思いっきり嫌がらなくても、ジョークで言っただけなのにな」
ジョークでも言って良い事といけない事がある。
つーか、あんたの母国の方がそういう事に厳しいんじゃないのか。
まあ、ここは冷静になって。
「教授。《リゲタネル》の説明をそろそろお願いできますか?」
あたしは勤めて冷静に声を絞り出した。
「うむ。そうじゃった」
教授は不意に真顔になる。
「さて、現在使われているワームホールはジョン・ホイーラーの虫食い穴に膨大なエネルギーを注ぎ込んで開いている。そうやって開いた穴に筒状に成型したエキゾチック物質を差込み、ワームホールを安定させ、そうして初めて我々はエキゾチック物質の筒の中を通って何十光年、何万光年も離れた星へ一瞬して行くことができるのじゃ」
「はあ」
まあ、いつもやってることだから、今さらそんな事を説明されても……
「しかし、そのやり方は非常に効率が悪い。 そう思わんかね? お嬢さん」
ええっと、急にそんなことを言われても困るんですけど……
「さあ、特に効率が悪いとは……これが普通かなと……」
「やれやれ、現場の人間というのは、仕事に慣れてしまうと何の疑問も抱かんのだな」
悪かったわね。
「いいかね。ホイーラーの虫食い穴を人の通れるワームホールに広げるには、膨大なエネルギーが必要になる。そうなるとワームホールステーションは常に、エネルギーを確保できる場所に限定されてしまう。太陽の近くとか、月の大核核融合炉地帯とか、天然縮退炉惑星とか。お嬢さんの赴任先はどこじゃ?」
「《楼蘭》です」
「なるほど。ではなぜ《楼蘭》にワームホールステーションが作られたと思う?」
「なんでって、天然縮退炉があるから……」
「そうではない。月のワームホールステーションが満杯になり、他にステーションを作る必要があったからだ」
「そんな事わかりますよ。だからエネルギーの確保ができる《楼蘭》に……」
「エネルギーの確保ができんから、《楼蘭》のような遠隔地に作らざるを得なかったのじゃ」
なんか《楼蘭》が馬鹿にされてるみたいでムカつく。
「現在太陽系の天然縮退炉は《楼蘭》を含めて七つある。《楼蘭》はまだ良いほうだ。月のワームホールステーションから行けるからな。だから、お嬢さんはあまり不便さを感じないのかもしれないが、他のところは宇宙船で何日も何ヶ月もかかるようなところにある」
「はあ」
まったく何を言ってるんだか、この爺さんは。
宇宙船で何日もかかるようなところに、わざわざワームホールステーションを作るような奴らは、エネルギー問題というより他に理由があってやっているというのに。
国連の干渉を受けないで好き勝手に宇宙開発をやるには、交通の不便なところにワームホールステーションを作るのが一番。
国連の査察もそんな遠くまで簡単にこれないからね。
日本の宇宙省だって表向きは『国連に協力してますよ』って顔をして、実際は小惑星帯や土星の衛星に独自のワームホールステーションを持っている。
もちろんアメリカやユーロ、中国、ロシアも当然、独自のワームホールステーションを持っている。CFCのような私企業だって持っていると聞く。
そう言えば、前にニュースで東トロヤ小惑星群にあったロシアのワームホールステーションを、CFCの私設軍隊が襲撃したとかいう話を聞いたけどどうなったかな?
それはともかくとして。
「つまり、地球の近くにワームホールステーションがないのは不便だと言いたいのですか?」
「そういう事じゃ」
「でもそれなら発電所を増設すればいいだけではないですか? 現にラグランジュ3に、ワームホールステーションのための対消滅炉《弥勒》が建設中です」
「そして何年か過ぎると、その発電所の周囲はワームホールで飽和状態になる。そしてまた新しい発電所を作る。いたちごっこじゃ。そこでワシは考えた。時空穿孔機、エネルギー源、時空管を一つのシステムにまとめてしまえば、どこでも好きな場所にワームホールを開けるのではないかとな」
「一つにまとめる? それがこれですか?」
あたしは《リゲタネル》を指差す。
「そうじゃ。この船の船殻にはエキゾチック物質がふんだんに使われている。つまりこの船自体が動く時空管なわけじゃ」
なんつう贅沢な船!!
「そして、船首には時空穿孔機が装備されている。この時空穿孔機のビームでワームホールを開き、船ごとそこを通り抜けるという仕組みじゃ」
「通り抜けるんですか?」
「そうじゃ」
「通り抜けた後、ワームホールは閉じてしまいますけど、どうやって戻るんです?」
「心配無用じゃ。ワームホールを通り抜ける時に船尾からマーカーを残していくんじゃ。帰りはマーカーにビームを打ち込めばよいだけじゃ」
「そうですか。もう一つ大きな疑問があるんですが」
「なんじゃ?」
「エキゾチック物質を大量に使ってるんですよね。この船」
「そうじゃ」
「なんで浮かび上がらないんです? エキゾチック物質を使っているなら、地球の重力に逆らって飛び出していくと思いますが」
「よい質問じゃ。おっしゃるとおり、この船には大量のエキゾチック物質が使われておる。普通ならその斥力によって重力圏からはじき出されてしまうじゃろう。だが、この船にはそれと同じ量の通常物質も使われている。引力と斥力が、プラスマイナスゼロになっているのじゃ」
「はあ」
「まあ、乗り込む人間や荷物で多少は質量の増減はあるがな。他に質問はあるかね?」
「この船の時空穿孔機のエネルギー源はなんです」
「マイクロ・ブラックホールじゃ」
「じゃあ、この中にマイクロブラックホールが入っているんですか!?」
「そうじゃ。かなり小さな奴だが、この船のバラストの役割をしている」
「危ないじゃないですか!! マイクロブラックホールを地球上に持ち込むなんて!! 爆発したらこのあたり一帯跡形もなく吹っ飛びますよ」
「科学省の許可なら取ってあるよ」
さっきから黙っていた慧が、携帯端末に許可証を表示させてあたしに見せる。
「よく許可がおりたわね」
「こう見えても、僕はマイクロブラックホール取り扱い資格を持ってるから」
「そんな資格制度いつできたのよ?」
「美陽が《楼蘭》に行ってる間に」
たった三年の間にそんな資格制度ができたのか。ちょっとした浦島太郎の気分だわ。
直径十メートル、全長八十五メートルの先の尖ったシリンダー状の金色に輝く物体がドックの中に鎮座している。プラズマエンジンらしき物を装備しているという事は宇宙船のようだ。
「あたしはワームホールを開くための装備だと聞いていたけど、宇宙船だったの?」
慧はうなずく。
「宇宙船でもあるんだ。船首を見てくれ。時空穿孔機がついてるのが分かるかい?」
船首を見ると確かにワームホールにエネルギーを注入する装置。時空穿孔機が装備されているのが分かった。《楼蘭》で使ってるものよりずっと小型だが。
「この船は単独でワームホールを開く装備を搭載した工作船だよ。空間に穴を掘る船、時空穿孔船さ」
横から親父さんが面白くなさそうに茶々を入れる。
「何が時空穿孔船だよ。このガラクタに使ったエキゾチック物質で一万五千Rの時空管が十本は作れるんだぞ」
うわ! そりゃ親父さんも怒るはずだわ。
船首の方に平仮名で《りげたねる》と船名らしきものが書かれている。
リゲタネル? どういう意味だろう?
あたしは携帯端末を取り出し単語を打ち込んでみた。
これは!?
「なあ、美陽ちゃんよ。本当にこいつを宇宙省が買い取ってくれるのか?」
幾島社長は心配そうに言う。
「ええ。あたしが見て使い物になるなら長官は予算を組むと言ってました」
「しかしなあ、言っちゃなんだがこいつは高いぞ。俺としても古巣の宇宙省には便宜を図ってやりたいのは山々だが、幾島時空管の代表取締役としては、安売りして会社に損害を与えるわけにも行かないんだ」
「分かってます。だから、買い取りが無理な場合はリースという事にしてもらえないでしょうか? 潰すのはその後でも」
「ううむ。今は時空管の注文がワンサカ来てるからな。使えるエキゾチック物質は少しでも欲しいとこだが……まあ、他ならぬ美陽ちゃんの頼みだ」
社長は慧の背中をドンと叩く。
「ちゃんと美陽ちゃんに説明しとけよ。俺はもう本社に帰るからな」
「もうお帰りですか?」
「おお! もう少しゆっくりしたいところだが、俺も忙しい身でな」
幾島社長は出て行った。
あたしは慧と二人だけ取り残される。
「ハア。死ぬかと思った」
慧は安堵の息をつく。
「馬鹿ねえ。なんでお父さんに本当のこと言わなかったのよ?」
「本当のこと?」
あたしは船を指差す。
「これを作った本当の理由」
「別に。ただの遊び心さ」
「じゃあリゲタネルってどういう意味?」
「マーシャル諸島の神話に出てくる女神の名前だよ」
「それは今。調べたわ」
あたしは携帯端末を見ながら朗読を始めた。
「あるとき、リゲタネルの息子達は星の世界の王を決めることになりました。息子達は舟の競争で勝った者が王になることに決めたのです。そのときに母のリゲタネルは息子達に自分と七つの道具と一緒に乗せてくれと頼みますが、舟が重くなるのを嫌った息子達は断ります。しかし、末っ子のジュプロは母の頼みを聞き入れ母と七つ道具を舟に乗せました」
慧は黙ってあたしの朗読を聞いている。
「競争が始まりましたがジュプロの舟は母の七つ道具を据え付けるのに時間がかかって出発できません。ところが母の指示したとおりに七つ道具を据え付けると、舟は漕いでもいないのに進みだしたのです」
「七つ道具というのは帆具の事なんだ。つまりこの神話は帆走航海の始まりを伝えているんだよ」
慧はようやく口を開いた。
「今までのワームホールが手漕ぎの舟なら、この《リゲタネル》は帆掛け舟といったところかな。そういう意味で命名したんだよ」
「もう一つ意味があるわね。マーシャル諸島の人達がリゲタネルと呼ぶ星」
慧は無言であたしを見ている。
「ぎょしゃ座のカペラ」
カペラへのワームホールが圧壊したとき、慧のお母さんもむこうに取り残されてしまった。その後、幾島社長は慧を育てる事ができず、慧はあたしの母が引き取った。
つまり、あたしは慧と十年間、姉弟のように過ごしたのだ。
「これを作ったのはカペラへ行くためでしょ。なぜ、お父さんにそう言わないの?」
「それは……卑怯だからさ」
「卑怯?」
「親父は母さんや仲間達をカペラに置き去りにした事を今でも悔やんでいる」
「置き去りにしたわけじゃないわ。あれは事故よ」
「そんなこと分かってるさ。でも、それじゃ親父は納得できないんだよ。親父はあの事件を思い出す度に自分を責めるんだ」
「それは……」
「カペラへ行くため、母さんを探すためにこれを作った。そんな事言ったら、親父はもう何も言い返せなくなるんだ。そんな親父を見たくないんだよ」
「まあ……それは分かるけどね」
「それに、あまりぬか喜びもさせたくないしね」
「え?」
「《リゲタネル》は今までより効率よくワームホールを開くことができる。でも、どこにつながるか分からないところは、今までと変わらないんだ」
「なんだ。やっぱりそうなのか」
「美陽の方はどうなの?」
「え?」
「美陽だって、カペラに行きたいんだろ。行きたいから今の仕事に付いたんだろ」
「確かにね」
カペラの事故以降、無数のワームホールが開かれた。
だが、どれ一つとしてカペラ付近につながったワームホールはない。自分がワームホールを開く仕事をしていればいつかはカペラへの道が見付かる、なんて事も考えていたのは確かだ。
ところが実際は銀河の反対側や、アンドロメダ星雲にまでつながるワームホールもあるというのに、たった四十二・二光年先の星につながるワームホールがなぜか開かない。
「ところで、そろそろ説明してもらっていいかしら」
「そうだね。親父も帰ったことだし。先生! 出てきて下さい」
え? 先生って。
ギギキ。
《リゲタネル》のハッチが、ゆっくりと開き始めた。中から、誰か出てくる。
「もう、帰ったかい?」
ドイツ語? 七十代ぐらいの白衣を来た白人の爺さんが出てきた。爺さんはボサボサの白髪頭をボリボリと掻く。
ウワー! フケをこぼすな!
「ちょっと誰よ? この人」
あたしは慧の耳に口を近づけて小声で言った。
「ハンス・ラインヘルガー教授だよ。《リゲタネル》の設計者さ」
「どこで知り合ったの?」
「大学で僕は教授の研究室にいたんだよ」
「じゃあ、慧の恩師ってわけ?」
「そうだよ」
「《リゲタネル》を設計したって言ったけど、まさかこの爺さんにそそのかされたんじゃないでしょうね?」
「違うよ。先生には僕の方から頼んで来てもらったんだから」
慧は否定するが怪しいものだ。
そもそも、このおとなしい草食系男子が自らの意思で、あの恐ろしい親父さんを怒らせるような事をするとは思えない。
きっとこの爺さんに何か良からぬことを吹き込まれたんだな。
「これこれ幾島君」
教授が手招きをしている。
「いつになったら、そこの美女を紹介してくれるんじゃ」
「すみません。先生。彼女は宇宙省の時空調査官、佐竹美陽さんです。僕の幼馴染です」
「幼馴染とはこういう事か?」
教授は右手の拳を前に出し小指を一本立てる。
「いえ、そういう関係ではないですけど」
慧は慌てて否定する。
「ふむ。違うのか」
教授はあたしの方を向いてイヤラシイ笑みを浮かべた。
「なあ、お嬢さん。ワシの愛人にならんか?」
「お断りします」
なんなのよ! このセクハラジジイは!
「そんな思いっきり嫌がらなくても、ジョークで言っただけなのにな」
ジョークでも言って良い事といけない事がある。
つーか、あんたの母国の方がそういう事に厳しいんじゃないのか。
まあ、ここは冷静になって。
「教授。《リゲタネル》の説明をそろそろお願いできますか?」
あたしは勤めて冷静に声を絞り出した。
「うむ。そうじゃった」
教授は不意に真顔になる。
「さて、現在使われているワームホールはジョン・ホイーラーの虫食い穴に膨大なエネルギーを注ぎ込んで開いている。そうやって開いた穴に筒状に成型したエキゾチック物質を差込み、ワームホールを安定させ、そうして初めて我々はエキゾチック物質の筒の中を通って何十光年、何万光年も離れた星へ一瞬して行くことができるのじゃ」
「はあ」
まあ、いつもやってることだから、今さらそんな事を説明されても……
「しかし、そのやり方は非常に効率が悪い。 そう思わんかね? お嬢さん」
ええっと、急にそんなことを言われても困るんですけど……
「さあ、特に効率が悪いとは……これが普通かなと……」
「やれやれ、現場の人間というのは、仕事に慣れてしまうと何の疑問も抱かんのだな」
悪かったわね。
「いいかね。ホイーラーの虫食い穴を人の通れるワームホールに広げるには、膨大なエネルギーが必要になる。そうなるとワームホールステーションは常に、エネルギーを確保できる場所に限定されてしまう。太陽の近くとか、月の大核核融合炉地帯とか、天然縮退炉惑星とか。お嬢さんの赴任先はどこじゃ?」
「《楼蘭》です」
「なるほど。ではなぜ《楼蘭》にワームホールステーションが作られたと思う?」
「なんでって、天然縮退炉があるから……」
「そうではない。月のワームホールステーションが満杯になり、他にステーションを作る必要があったからだ」
「そんな事わかりますよ。だからエネルギーの確保ができる《楼蘭》に……」
「エネルギーの確保ができんから、《楼蘭》のような遠隔地に作らざるを得なかったのじゃ」
なんか《楼蘭》が馬鹿にされてるみたいでムカつく。
「現在太陽系の天然縮退炉は《楼蘭》を含めて七つある。《楼蘭》はまだ良いほうだ。月のワームホールステーションから行けるからな。だから、お嬢さんはあまり不便さを感じないのかもしれないが、他のところは宇宙船で何日も何ヶ月もかかるようなところにある」
「はあ」
まったく何を言ってるんだか、この爺さんは。
宇宙船で何日もかかるようなところに、わざわざワームホールステーションを作るような奴らは、エネルギー問題というより他に理由があってやっているというのに。
国連の干渉を受けないで好き勝手に宇宙開発をやるには、交通の不便なところにワームホールステーションを作るのが一番。
国連の査察もそんな遠くまで簡単にこれないからね。
日本の宇宙省だって表向きは『国連に協力してますよ』って顔をして、実際は小惑星帯や土星の衛星に独自のワームホールステーションを持っている。
もちろんアメリカやユーロ、中国、ロシアも当然、独自のワームホールステーションを持っている。CFCのような私企業だって持っていると聞く。
そう言えば、前にニュースで東トロヤ小惑星群にあったロシアのワームホールステーションを、CFCの私設軍隊が襲撃したとかいう話を聞いたけどどうなったかな?
それはともかくとして。
「つまり、地球の近くにワームホールステーションがないのは不便だと言いたいのですか?」
「そういう事じゃ」
「でもそれなら発電所を増設すればいいだけではないですか? 現にラグランジュ3に、ワームホールステーションのための対消滅炉《弥勒》が建設中です」
「そして何年か過ぎると、その発電所の周囲はワームホールで飽和状態になる。そしてまた新しい発電所を作る。いたちごっこじゃ。そこでワシは考えた。時空穿孔機、エネルギー源、時空管を一つのシステムにまとめてしまえば、どこでも好きな場所にワームホールを開けるのではないかとな」
「一つにまとめる? それがこれですか?」
あたしは《リゲタネル》を指差す。
「そうじゃ。この船の船殻にはエキゾチック物質がふんだんに使われている。つまりこの船自体が動く時空管なわけじゃ」
なんつう贅沢な船!!
「そして、船首には時空穿孔機が装備されている。この時空穿孔機のビームでワームホールを開き、船ごとそこを通り抜けるという仕組みじゃ」
「通り抜けるんですか?」
「そうじゃ」
「通り抜けた後、ワームホールは閉じてしまいますけど、どうやって戻るんです?」
「心配無用じゃ。ワームホールを通り抜ける時に船尾からマーカーを残していくんじゃ。帰りはマーカーにビームを打ち込めばよいだけじゃ」
「そうですか。もう一つ大きな疑問があるんですが」
「なんじゃ?」
「エキゾチック物質を大量に使ってるんですよね。この船」
「そうじゃ」
「なんで浮かび上がらないんです? エキゾチック物質を使っているなら、地球の重力に逆らって飛び出していくと思いますが」
「よい質問じゃ。おっしゃるとおり、この船には大量のエキゾチック物質が使われておる。普通ならその斥力によって重力圏からはじき出されてしまうじゃろう。だが、この船にはそれと同じ量の通常物質も使われている。引力と斥力が、プラスマイナスゼロになっているのじゃ」
「はあ」
「まあ、乗り込む人間や荷物で多少は質量の増減はあるがな。他に質問はあるかね?」
「この船の時空穿孔機のエネルギー源はなんです」
「マイクロ・ブラックホールじゃ」
「じゃあ、この中にマイクロブラックホールが入っているんですか!?」
「そうじゃ。かなり小さな奴だが、この船のバラストの役割をしている」
「危ないじゃないですか!! マイクロブラックホールを地球上に持ち込むなんて!! 爆発したらこのあたり一帯跡形もなく吹っ飛びますよ」
「科学省の許可なら取ってあるよ」
さっきから黙っていた慧が、携帯端末に許可証を表示させてあたしに見せる。
「よく許可がおりたわね」
「こう見えても、僕はマイクロブラックホール取り扱い資格を持ってるから」
「そんな資格制度いつできたのよ?」
「美陽が《楼蘭》に行ってる間に」
たった三年の間にそんな資格制度ができたのか。ちょっとした浦島太郎の気分だわ。
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残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
天使
平 一
SF
〝可愛い天使は異星人(エイリアン)!?〟
異星人との接触を描く『降りてきた天使』を、再び改稿・改題しました。
次の作品に感動し、書きました。
イラスト:
『図書館』 https://www.pixiv.net/artworks/84497898
『天使』 https://www.pixiv.net/artworks/76633286
『レミリアお嬢様のお散歩』 https://www.pixiv.net/artworks/84842772
『香霖堂』 https://www.pixiv.net/artworks/86091307
動画:
『Agape』 https://www.youtube.com/watch?v=A5K3wo5aYPc&list=RDA5K3wo5aYPc&start_radio=1
奇想譚から文明論まで湧き出すような、
素敵な刺激を与えてくれる文化的作品に感謝します。
神や悪魔は人間自身の理想像や拡大像といえましょう。
特に悪魔は災害や疫病、戦争などの象徴でもありました。
しかし今、私達は神魔の如き技術の力を持ち、
様々な厄災も自己責任となりつつあります。
どうせなるなら人間は〝責任ある神々〟となって、
自らを救うべし(Y.N.ハラリ)とも言われます。
不安定な農耕社会の物語は、混沌(カオス)の要素を含みました。
豊かだが画一的な工業社会では、明快な勧善懲悪が好まれました。
情報に富んだ情報社会では、是々非々の評価が可能になりました。
人智を越えた最適化も可能になるAI時代の神話は、
人の心の内なる天使の独善を戒め、悪魔をも改心させ、
全てを活かして生き抜く物語なのかもしれません。
日本には、『泣いた赤鬼』という物語もあります。
その絵本を読んで、鬼さん達にも笑って欲しいと思いました。
後には漫画『デビルマン』やSF『幼年期の終わり』を読んで、
人類文明の未来についても考えるようにもなりました。
そこで得た発想が、この作品につながっていると思います。
ご興味がおありの方は『Lucifer』シリーズ他作品や、
エッセイ『文明の星』シリーズもご覧いただけましたら幸いです。
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Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!
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シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。
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一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった!
これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!
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