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王国編
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しおりを挟む王国海辺の町。
賑わう酒場の奥に、ごくごくと木樽ジョッキを傾けるドナロッテの姿があった。
「ぷっはぁ~! マスター、この甘いのもう一杯!」
「あいよ!」
一ヶ月間の船旅をへて、一行は王国に到着した。
昨今の時事を考慮して、ルビッツは王国士官と一緒に、この都市の総督と面会しに向かっている。
もちろん極秘で、だ。
対処が伺えるまで、子どもは宿屋に住まわし、できるだけ穏便に事をはこぶ。
付き添いでドナロッテとレスコ、そして王国士官の子分二人も下町に残ることになった。
旅疲れもあってか、子どもはすぐに寝静まった。
『あとは自分らに任せて、二人は久々の故郷を回ってみるっす!』
そう言われ、二人は街に出たのだが、急に酒が飲みたい! とドナロッテが言い出して、いまに至る。
「あいよ、追加の酒だ!」
混み合う客をかき分けて、屈強な中年男性が二人の前にやってきた。
ここのマスターだ。
ドンとテーブルの上に新しいジョッキを置くと、マスターは空になった容器をみて、口笛を吹く。
「来たばっかなのに、もう十杯目か。よく飲むなあ、嬢ちゃん。ミードがお気に入りか?」
「ミードっていうの、この発酵酒? スパイスが香ってしょっぱい肉の燻製とよく合うね」
「おう! わかってるなあ、嬢ちゃん! よそでは葡萄の搾りかすを入れるがな、うちはスパイスをふんだんに入れてるんだよ」
「へぇ~、贅沢だね! ……って、このチーズは?」
「サービスだ。ミードとよく合うから、ガンガン飲め」
そう言ってマスターは親指を立ててニカッと笑った。
やったぁ~! とドナロッテはチーズを空高く投げあげると、はむっと口で受けとめた。
それからごくごく喉を鳴らし、秒でジョッキを掲げる。
「もう一杯~!」
「あいよ!」
隣に立っているレスコはさっきから何か言いたげな様子だったが、唇を開いては閉じていた。
やがて見ていられなくなったのか、三十杯目のところで声をこぼす。
「……ちょっとペースが速いぞ、大丈夫か?」
「大丈夫!」
言い切るドナロッテをみて、レスコが大きくため息をつく。
帝国をでた後も、ドナロッテは元気そうに振る舞っていた。
けれど、ふと気づけば暗い顔をする時があった。
何があったか気になるが、『デリケートな問題だから放っておけ』とルビッツに止められて聞けずにいる。
ーーやけ酒するほど嫌なことってなんだ!?
直近で思い当たるものが何もない。
があ~~、と己の頭を掻きむしったところ、
「ほら、レスコもチーズを食べて~」
そう言ってドナロッテはレスコの頬にチーズを押し当てた。
続いてレスコの目と鼻にチーズを押し当てながら、こてんと小首をかしげる。
「あれ、レスコの口が消えたぁ、……?」
「消えるわけねぇだろ! ……はぁ、自分で食うから、よこせ」
いやいやとドナロッテが首をふる。
「レスコにたべさせるのぉ~!」
「わがまま言うな、酔っ払いめ。よこせーーうあぁ!」
急に首を引きよせられて、気づけばドナロッテの熱い鼻先と鼻が触れ合った。
「あーんして~?」
濡れた黒い瞳が、上目遣いでレスコの姿をとらえる。
「…………っ」
思わず固まったところ、ふわっと唇を撫でられた。
「くち、あったぁ!」
「待っーーんん、……!」
細い指先の感触と共に、口の中にチーズが転がり込んでくる。
「おいしぃ~?」
「……っ!」
ふにゃ~と笑うドナロッテと視線が重なり、かあと全身がほてり出す。
慌ててレスコが立ちあがった。
「い、いい加減にしろ! 今日はここまでだ。帰るぞ」
「や~! まだのみたぃ~!」
「飲みすぎだ、行くぞ。……こら、大人しくしろ!」
やだやだ! と暴れるドナロッテを無理やり担ぎあげて、レスコがポケットを探りあてた。
「あっ、やっべぇ! マスター、悪い! いま帝国の金しか持ってねぇや。両替とかできそうか?」
「ああ、マルディチル家の店舗へいけばしてくれるが、……今は手いっぱいのようだな?」
レスコの肩の上で両手足をバタバタさせるドナロッテをみて、マスターがクスクス笑った。
「このまま置いてくれりゃいいよ。釣りは明日取りに来てくれ」
「悪いな、……。つりはいい。迷惑かけた」
「わははっ! いいってこった。可愛い嫁ちゃんだな、大切にしろよ」
「よめっ?! はぁ、ちっ、……!」
否定の言葉が喉のところで引っかかってしまう。
くっ、と熱い顔を隠して、レスコが早足で宿へともどった。
部屋に入るなり、どさりとドナロッテをベッドの上に下ろす。
ーー嫁じゃねぇ。俺の妹だ、……。
拳をにぎったところ、フラフラとドナロッテが立ちあがった。
「歩きまわるな、転ぶだろ!」
「もういっぱいだけぇ、スカッとしたぃの~!」
「だめだ!」
ドナロッテの両肩を抑えて、ベットの上に座らせる。
いやいやと抵抗されて、仕方なくレスコはドナロッテを押したおした。
ぎしっとベッドが小さく鳴る。
日々訓練を怠らないだけあって、ドナロッテの膂力はかなり強い。
普通の人なら簡単に押し返されてしまうだろう。
怪我する前に動きを封じようと、自分の下に組み敷いたところ、胸板に柔らかな膨らみが当たった。
ドキッとレスコが硬直する。
「あっつ~ぃ。はぁなして、レスコ~!」
「あ、暴れんな、バカめ! へんなとこ当たんだろ! ……くっ」
体をひき、視線を落とせば、乱れてはだけたドナロッテのシャツが視界に飛びこんだ。
汗ばんだ細い首筋。
その上を一滴の露が這い落ちて、胸元の薄い生地を濡らす。
しっとり、とその下から薄赤らんだ肌が浮かび上がってきーーふいにレスコの喉が鳴ってしまう。
その時、むっとしたドナロッテの顔が目に入った。
「あつぃって言ったぁのにぃ~! むぅ、怒ったぁ!」
「うぁ! 抱きついてくんな、おい、……!」
首の後ろに手を回されて、グイッと抱き寄せられた。
はふっとレスコがドナロッテの上に倒れてしまう。
「どぉだ、あっついでぇしょ~!」
「は、離れろ、酔っ払い! お前の身体があっちぃんだよ、……!」
「よってないもぉん! まだぁのめるぅ、……すぅ」
急に瞼が重たくなったのか、ドナロッテはゆっくりと睫毛を閉じあわせて、小さく寝息を立てた。
「はやっ! ってか寝るなら手を離せ!」
「むぅ、やぁ~!」
甘えるように、すりすりとドナロッテがレスコの顔に頬をすり寄せてくる。
「く、くすぐってぇって、おい! まじで離せ、……!」
身体に力を入れた瞬間、ふにゃっと柔らかい感触が全身に広がっていく。
ーーう、動けねぇ~~~~‼︎
結局ドナロッテは手を離してくれず、レスコは一晩中まんじりともできなかった。
*
翌日。
ドナロッテとレスコは子どもの日用品を買い揃うために、中央町にでた。
この都市は王国将軍が統治しているだけあって、市街が区画整然としている。
隣を歩むレスコは寝不足なのか、幾度も大きなあくびをかく。
ドナロッテは今朝起きたら、なぜかそばにレスコがいた。
とてつもなく怖い顔でドナロッテを睨んでいた。
どうやら酔った勢いで抱きついたまま寝てしまったようだが、ここまで怒ることなのだろうか。
ーー子どもの時は川で一緒に水浴びして、そこら辺で寝そべったこともあったのに、……
雑魚寝だったが、この間でも甲板で一緒に寝たばかりである。
ーーあの時は大丈夫だったのに、今回はベッドが小さかったから嫌なのかな、……?
不思議に思いながら中央広場に出ると、賑やかな声が耳に飛びこんだ。
軒を連ねる店の前を、香油やパンを手に持つ町人が行き交う。
繁忙な商店街の中央には、ひらけた空間があった。
「あった、これだ」
何かを探していたレスコは石畳を踏んで、そう声を発した。
目線を落とせば、そこには色とりどりのモザイク床があった。
取り扱う商品の絵と説明。どうやらお店の広告のようだ。
「ここら辺は全部同じお店の広告なんだ? へぇ、中央町の地図までついて、……げっ!」
よくみれば、知っている名前であった。
ぴくりとドナロッテの眉が跳ねてしまう。
「まさか、ここいくの?」
「俺もやだけど、両替はここしかやってねぇってさ。服とかは別の店でもいいが、まずは金がねぇと無理だろ?」
「うぅ、でも行きたくない、……」
「って思ったよ。俺が一人で行くから、お前はここで待ってろ」
そう言ってレスコはドナロッテの前に手を差し出した。
ドナロッテのお金も両替してくれるらしい。
申し訳なく思いながら小さな革袋を手渡して、ドナロッテはレスコの背中を見送る。
マルディチル家は貴族だけではなく、異国の庶民相手にも商売をしている。
名前を広く知られているため、噂の対象にされやすい。
ーーどこ行っても避けられないね、……。
格の違いを改めて見せつけられ、ドナロッテが唇を噛みしめる。
鬱憤をはらすように小石を蹴れば、転がっていくその先から、慌ただしい馬車の音がとどろいた。
総督屋敷のほうから、列を並ぶように馬車が馳せてくる。
馬車が広場の中央に到着した瞬間、耳をつんざく吹奏の音が鳴り響いた。
「アルス将軍だわ、……!」
降りてきたのは、見るからに頑丈そうな初老の男性である。
長身ではないものの、全身がはち切れんばかりの太い筋肉に覆われている。
短く刈り上げた白髪に、もみあげから伸びてくる品のいい顎ひげ。
威厳のある顔つきで、アルス将軍は広場の中央に立った。
「将軍が自らくるってことは大事件だよな?」
「みろ! 犯罪者らしい奴がいるぞ!」
人垣をかき分けて、ドナロッテが顔を覗かせた。
ちょうど荷馬車から一人の男が引っ張り出されるところであった。
首と手に鉄枷をつけられたその人物をみて、ゾッとドナロッテが目をむく。
ーーなんで⁈
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