突然、天才令嬢に転生してしまった ③ 【南の国編】【西の国編】

ぷりりん

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三度目の正直

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********【ニロ・ブルック・ジュリアス】


「……もう起きてよろしゅうございますの、叔父様?」

 そう疑問を口にしながら、キャサリンは気づかわしげな表情で余の居室に入ってきた。

「ふむ、案ずるな。10日も安静したのだ。もう大事ない」

 とこのうえに座り、新条約の草案に目を通しながらキャサリンに答えた。

 キウスに蹴られた部位はまだ痛むが、まったく動けないほどではなくなったのだ。

 長年の付きあいで、キウスはフェーリに心を奪われたことを知っていた。

 ゆえに最悪を想定して、キウスの反乱にそなえ余は着々と布石をうってきたのだ。が、まさかあの場でキウスが暴力沙汰をおこすとは慮外であった。

 キウスはこの貴族社会の君子とよぶに相応しい人物。
 なにより、本件は4家の体面と信義がかかっているゆえ、もうちと分別があるものだと……否。

 申しひらきはよそう。
 もとより、その乱心を目算に入れなかった余の不出来。

 ことに、ヒューズ卿があのような提案をすると考慮しなかったのが失策であった。

 王国の損得勘定をしてドナルド卿が言葉をひるがえしかねない。
 そう恐れて不覚にも度を失ってしまい、ヒューズ卿に余の本心を知られてしまった。

 ジュリアス家の利益より余はフェーリを優先する。
 そう分かれば、その弱点を突こうと、フェーリが利用されるかもしれない。

 まさに千慮の一失だ。

 ドナルド卿は大目にみてくれたとはいえ、セデック家の信頼が失墜しっついしたのは事実。

 フェーリを確実に手に入れるまで、余の威信を維持しなければならないというのに……はあ。

 おのれの不手際をかえりみながらため息をこぼせば、キャサリンの不安げな声がひびいた。

「……まだ痛うございましょう、叔父様。ご無理なさらずに、横になったほうがよろしゅうございます」

「ふむ。そう案ずるな、キャサリン。余の傷なら、すでに全癒しているぞ」

 笑顔でそうなだめたが、

「嘘つかなくてよろしゅうございます。叔父様の怪我は内出血の深手と老師様がおっしゃいました。この短期間で全快することはございません……」

 キャサリンは悲しげにそう言ってから、気色ばんだ目で訴えるように余を見すえてきた。

「……叔父様は一国の王となる貴い御方でございます。いかような事情がございましても、叔父様に痛手を負わせるのはあるまじき所業。やはり私は黙過もっかできのうございます」

「キャサリン、その話ならこの間したばかりであろう? 権力と暴力を勘違いしてはならない。今般の騒動は余の手ちがいによるものでもある。君主たるもの、些細なぶしつけに目くじらをたてるのは極めて浅慮せんりょな行為だぞ」

「……些細な不躾? いいえ、叔父様は3日も意識を失ったのでございます! 王国の最有力貴族とはいえ、このような野蛮な行為を容認するのは可笑しゅうございます。断頭をまぬかれても、やはり何かしらの罰を与えるべきでございましょう」

 悲憤するキャサリンを困ったように眺めて、たしなめるように言った。

「一時の情に流されて大局を見失うな、キャサリン。家臣の支持なくして君主たりえない。いささか横暴なふるまいであったとはいえ、セデック家は王国4家のなかでも1番の軍事力を有している。その次期当主に罰を与える負の影響くらい、お前も分からなくはなかろう?」

「……わ、私は叔父様の威厳を心配して申しあげたのに、……むっ。損したのでございます」

「案じてくれたのはありがたいが、キャサリン。いまのお前はプロテモロコの女王だ。断頭など、軽々しく口にするでない。是非の判断はおのれの尊厳と権威に関わるもの。今後より慎重に言葉を選びたまえ」

 念をおすようにそう伝えれば、キャサリンは「……選びます、選ぶのでございますっ!」とおかんむりの様子で、ぷいとそっぽを向いた。

 それで何かを発見したらしく、書類をのせた机に手をのばしたのだ。

「……ブルックお爺様からのお手紙。開封しなくてよろしゅうございますの?」

 余の今生こんじょうの父上、ブルック王の手紙か。
 そういえば、届いていたな。

「ああ、重要な書簡であれば、陛下の侍従が直にとどけたはず。これはおそらく余の不調を案ずる礼儀上の辞であろう。急いで読まなくてよいのだ」

 書類に目を落としながらそう説明すれば、突然キャサリンが頬を膨らませて、余の顔を覗きこんできた。

「ブルックお爺様はニロ叔父様のお父様でございます。陛下など、いつまでそんな他人行儀な呼び方をするおつもりでございますの?」

「……他人行儀ではなく、礼節を重んじての称呼だ」

 そうしらを切れば、

「むっ! ニロ叔父様は嘘ばかりでございます。ブルックお爺様は叔父様を常から気にかけてー…」

 とキャサリンは延々と余への不満を口にしはじめたのだ。
 
 その小言を聞きながら、黙々と文字を目で追った。

 4家の代表という地位をえるために、ジュリアス家はプロテモロコ王家との政略結婚を約束した。

 ただし、厄介なことに旧帝国の血は非常に混濁しやすく、一度でも別の血筋が入れば、黒髪黒眼ではなくなるのだ。

 血の純度の高いもの同士で清めようとしても、3世代はかかると言われている。

 それで王国は1代にプロテモロコから王妃を迎え、もう1代にはプロテモロコに王妃を送りだすのをくり返してきた。

 その理由は単純だ。
 帰するところ、プロテモロコから王妃を迎えない代は、ジュリアス家は己の分家のものと契りをむすび、これにより旧帝国の血統を護持しようとしたのだ。

 余の外見は、ブルック王とおなじ金髪になると予想されていた。が、かろうじてまなこの色を保持すると期待されていた。

 しかしその心願とは裏腹に、余は世の大半をしめす碧眼でもなく、黒と反対の銀眼だ。

 これは血筋を裏切った祟り。

 そうして、余の目を直視すれば死ぬという虚聞きょぶんがたちまち広がったのだ。

 風聞は風聞でうち消すしかない。

 それでブルック王はコンラッド家に助力をもとめて、この銀目をタレントの影響にしようとした。のだが、不運にも、余は特出した才能がない。

 それゆえ、長年にわたり好かないバイオリンの猛稽古を強いられたのだ。
 
 余の特徴的な外見で、ブルック王はかなり葛藤して、苦労したことは否めない。

 そのためか、赤ん坊の時から、ブルック王が余をみるたび、『穢れたもの』という響きとともに、失望とわずらいの心情が絶えなくつたわってきたのだ。

 まあ、思いかえせば、あれは余のタレントの影響によるもの。
 ブルック王がじきじきに余に怨言を放ったことはなかったのだ。
 
 くだらぬ血筋への強い執着は、換言かんげんすれば王国の平和と存続を苦慮しての結果。

 そう理解することはできても、余は彼のことが多少不得手だ。

 そして当然だが、余は王座を確約された王子。
 いついかなる時も、貴族の社交場は余の噂で充満している。

 祟り。ああ、しかり。
 これは余への天罰だと、その時は確信していたのだ。

 どこへ行っても一身に注目をあつめ、囁かれる。
 ことに饗宴は余にとっては苦痛でしかない。

 したがって、王国内の小宴に列座することを断固として拒否したのだ。

 唯一の例外は、9才の時、穀物欲しさで参加した演奏会。
 みごとにドナルド卿の策略にはまったとはいえ、そこで余はフェーリと出逢えた。

 余の唯一の癒し。同じ魂をもつもの。

 最初はその運命的なつながりを喜び、余は単純にフェーリの気を惹きたかった。
 だが、フェーリから幕府の終焉をしらされ、思わぬ形で余は安らぎをえたのだ。

 それからフェーリの過去を知り、損ばかりする彼女を護りたいと強く思うようになった。

 視線を絡ませるたびに伝わってくるフェーリの温もり、優しさ、余をいたわり、愛する気持ち。

 それらが時間とともにつみ重ねて、いつしか余はフェーリなくしては日々の生活もままならなくなっていた。
 いかなる手段を用いても、余はフェーリを手に入れたい。

 とはいえ、フェーリは、産まれた時からキウスの許嫁となる運命。

 以来の苦心の結果、ドナルド卿がセデック家との関係回復に成功した。
 その功績で4家が次第にまとまり、水面下でチャールズ公爵と手をくむことができたのだ。

 コンラッド家に協力して、王国が損することなく条約改正を実現できれば、フェーリを余にゆずる。

 8年まえドナルド卿が余にそう口約したのだ。が、それはただの空言であるとその瞳をみて知った。

 ジュリアス家の軍事力は王国全体の3割ほどある。

 ただ、コンラッド家に強引な手法をとれば、セデック家もだまることはなかろう。
 そして当時のガールド家はいうまでもなく、セデック家の味方だ。

 プロテモロコの親戚に借りをつくり、歯向かっても、勝算はないに等しい。
 
 なにより、王国の経済はほぼコンラッド家とその分家に頼っているのだ。

 軍事力のないコンラッド家が、4家のなかで最も大きな発言権を有しているのはそのわけだ。

 人目をしのび余がフェーリを連れて逃げだすことはできない。
 ……否。できたとしても、余とフェーリの外見では無理がある。3日とたたず居場所を把握されてしまうであろう。

 余とフェーリが結ばれる未来は絶望的であった。
 それでも、余は背水の陣でのぞむしかなかったのだ。

 ドナルド卿をみならい、寸暇すんかを惜しみ、公務と並行して煩雑はんざつな算段を立ててきた。
 どうにかドナルド卿の信認をえるのに余は必死であったのだ。

 その間もフェーリがセルンやキウスに魅惑されないよう、細心の注意をはらった。

 フェーリと知りあった当初、虚栄心でおのれの過去を美化してフェーリに伝えてしまった。
 そしてそれがきっかけでフェーリは余に恋慕の念を抱いてくれるようになった。

 余がフェーリにうち明けなければ、真実は露呈しない。

 卑怯にもそう思い、余は沈黙をたもった。
 されど、心底余を信じて、気づかうフェーリの藍色の瞳と目があうたび、余は羞恥と悔恨に胸をしめつけられた。

 特にナックたちと飯を食したあの夜が1番苦しかったのだ。

 このまま黙りこむことはできない。
 フェーリの愛情を失うかもしれないが、覚悟を決めて、余はすべてを告白した。

 それが正解であった。

 いっさいの偽りなく、フェーリは真の余を愛してくれる。
 どこまでも余に付き添ってくれると、そう言ってくれた……。

 深慮遠謀しんりょえんぼうをめぐらしてきた甲斐もあって、ドナルド卿と他の2家の信用を勝ちえた。

 あと一歩で、フェーリが余のものになる。

 キウスに愛を告白されて、フェーリが余を見捨て、彼を選ぶことはまずなかろう。それでも、油断はできない。

 キウスは余と異なり、手ごわい才能と軍事的権力にめぐまれている。

 かりにキウスが力づくでフェーリを奪い、既成事実をつくれば、セデック家は全面的に彼をかばうであろう。

 ただ以前とちがって、ドナルド卿とアンジェロの好意と同情は余のほうにかたむいている。

 万が一キウスがまた暴走すれば、コンラッド家とガールド家の援護に甘んじて、セデック家と最後まで戦うつもりだ。

 とはいえ、フェーリは暴力を嫌忌けんきする。
 その身と心を守るためにも、そのような結末は避けたい。

「──じさま、聞いてらっしゃいますの、叔父様? コンラッド侯爵様がおみえでございます」

 ふいと顔を向けた時、いつとはなくドナルド卿が傍に立っていた。
 
「改めてこんばんは、ニロ様」

 相変わらず和やかな笑顔で、ドナルド卿が優雅に辞儀をした。

「ああ、すまない。ドナルド卿。条約の草案は読んだ。すぐに捺印するゆえ、もうちと待ちたまえ」

 腹部の痛みに耐えながら、床から出た。

「はい、ゆっくりでいいですよ。体調のほうはいかがですか? 娘も大変心配しています。まだ回復していないなら、無理せずもう少し休んでもいいのですよ」

「ふむ、大事ない。それと、これ。関税引きあげの素案を書いた。後ほど読みたまえ」

 そう言って余がドナルド卿に書類の束を手渡せば、キャサリンは意外そうな様子をみせた。
 
「……ニロ叔父様自筆の素案でございますの?」

「ふむ。余が提案したのだ、当然であろう?」

「……当然、でございますの? ……あの、侯爵様。それを私にもみせていただきとうございます」

「いいですか、ニロ様?」

「ふむ、よかろう」

 と余がうなずけば、ドナルド卿は素案をキャサリンに渡した。

 そうして、対象貴族の名をみて、キャサリンは予想どおりと言わんばかりの満足げな笑みをたたえた。

「うふふっ。ええと、これはフェーリ嬢に酒を勧めた夫人たちの家、……だけではなくて、縁戚の家まで……?」 

 と紙をめくり、数枚つづく一覧表を指でたどりながら、キャサリンは目を瞬かせた。

「……えっ、親族総員でございますの……⁇」

「ふむ。取引価格の変動で、王国はおのれの産業保護の対策をしなければならない。それが関税引きあげだ。いずれはプロテモロコ貴族全員が対象となる。いまはその1部に限られているゆえ、他の貴族はこの文案に随喜ずいきして受けいれるであろう」

 そう解釈すれば、キャサリンは当惑げな表情で、やり過ぎではないか、という眼差しをドナルド卿に向けた。
 が、無言でただただ温厚な笑みを浮かべるドナルド卿をみて、キャサリンはやや怯んだ様子で、ふたたび余のほうを向いた。

「……叔父様、いっときの情に流されて、大局を見失ってはならないのではございませんの……」

「ふむ、その通りだぞ。をみて、判断するんだ、キャサリン。よいか?」

 頭をなでてそう諭すと、キャサリンは放心したように、無表情でコクコクと小さくうなずいた。

 キャサリンはプロテモロコの女王だ。

 まだ幼いとはいえ、情勢の現実を知り、立ちむかうことは必定。
 公爵の操り人形にならないためにも、このくらい厳しく指導する必要があるのだ。
 
 そうして、キャサリンが余の素案を真剣に読みはじめたところ、突然ドナルド卿が余に一通の招待状を差しだしてきた。

「来週の舞踏会のです。ニロ様が出席してくれれば、娘も喜ぶことでしょう。それまでが治るといいですね」

「ふむ、大したことはない。すぐに治るであろう」

 余とキウスの一件は、表沙汰にできない王国内部の醜聞。
 
 とはいえ、フェーリはコンラッド家の息女。
 情報を共有しても、さしずめ問題にはならない。

 されど、こうしてドナルド卿があえてフェーリから隠したのは、おそらくキウスとの関係悪化を危惧しているのであろう。

 コンラッド家とセデック家の友好的な関係は王国の安定につながるゆえ、これは筋のとおった計らい。
 
 いずれにせよ、本騒動をフェーリに知られれば、おおいに心労をかけてしまう。
 余としても所望のほかだ。

 ……ん?

 ドナルド卿から受けとった招待状のなかに、何やら小物が入っている。
 それを軽く揺らせば、ことりと鈍い音がした。

 なんだ? と封をあけ、転がりでてきたそれを手のひらで受けとり、はっと息をのむ。

「……ドナルド卿。これは……」

 小さな銀色の指輪。
 これはもしや、フェーリの……っ

 唖然とする余をみて、ドナルド卿は穏やかな声で答えた。

「ええ、5日前のことです、ニロ様。書類のほうも済んでいますよ」

「いつかまえ? ふむ。そうか。いつかまえ……」

 無謀を恐れたが、キウスは潔くフェーリから手をひいてくれたのか……。

 安意と、激烈な喜びが胸を衝きあげて、心臓がはげしい動悸をうちはじめた。

 こやつをフェーリの薬指からはずすのに8年かかった。
 長い8年であった……。

 そうして手中の指輪を眺めて、硬く握りしめたら、くらりと眩暈がした。

「叔父様……!」

「大丈夫ですか、ニロ様?」

「……ああ。……はぁあっ。すまない。……ふぅ。大事ない…っ」

 過呼吸になりかけた息を整えながら、ゆっくりと椅子に腰をかけた。

 死にものぐるいで、虚勢と欺瞞にみちたこの忌々しい社会に溶けこみ、余は全身全霊を打ちこんできた。

 無情な運命をうらみ、嘆き、悔しさで眠れない夜をなん百となく過ごしてきたことか……。
 
 ああ、これであとちと、誠にあとちとで、フェーリと結ばれる…っ

 昂奮して余はその晩で王国へ出発しようとしたが、長距離の移動で怪我が悪化するとキャサリンに猛反対されたのだ。

 そして新条約草案の合意もまだ得てなかったゆえ、ようやく余がプロテモロコを出立したのは、その2日後のことであった。

 長駆ちょうくして王国についたのは、ちょうどフェーリの誕生日当日。

 そうして早口でブルック王への報告を済ますと、すぐさま身だしなみを整えて、城をあとにしたのだ。

 馬車に乗りこむ前に、ブルック王がわざわざ余の見送りにきて、幸運を祈る、と声をかけてくれた。

 息子の若気の一面がみれて安心したと、その黒瞳が教えてくれた。
 それと同時に温かい感情が胸につたわり、ふいに口元がほころぶ。

 ……前生の父上よりまだ情があるのだな。

 そう思いつつ、揺れる馬車のなかで花柄の小物入れを取りだし、じぃと見つめた。 

 ──秋の桜。

 繊巧せんこうな刺繍をしたこれを用意させてから2年は経ったか。

 あれは余の成人儀礼と披露の盛宴であった。
 その日、余のまわりに蝟集いしゅうする衆人は一段と多かったゆえ、フェーリと礼儀上の言葉しか交わせなかったのだ。

 しばらくして会場内にいないと思いきや、おりしもセルンに導かれて、目立たないガゼボに腰をかけるその姿がみえた。

 油断も隙もない、と急用をよそい、キウスに命じて浮かれるセルンを呼びだし、フェーリをさらったのだ。

 コンラッド家はちがうが、城内は余のなわばり。
 
 セルンの足止め役として衛兵を配置し、さらに見つからないよう、迷路園をとおって裏庭のほうへ出た。
 
 平素よりひとけのないそこは、余のたった一つの憩いの場。
 そこでよく1人で手槌てづつなバイオリンの練習をしていたのだ。

 そうしてフェーリの手をひっぱり、広大な花畑のなかに入れば、コスモス……、とフェーリが立ち止まった。

 和名でアキザクラ、とフェーリは言ったが、余はその花を知らない。
 舞うことはなかろうが、花びらは幾分なり桜と似ている。

 ふと桜が恋しいな、と余が言えば、フェーリも同様なことを考えたらしく、その瞳から共感と欣幸きんこうの念が伝わってきた。

 この世界でこんな気持ちを共有してくれる人がいてくれて本当によかった! と脳裏にひびいたフェーリのその嬉しそうな声は、たまらなく愛おしかった。

 余とフェーリをつなぐもの。
 それは形なき魂の故郷と感性のみではない。
 
 こうした日頃の交遊でかわされる言葉、共有される感情、思い出。
 それらが余とフェーリの絆を深め、コツコツと2人の特別な関係を構築したのだ。
 
 感動に似た期待と焦燥がひしひしと胸にせまり、だんだんと平然としていられなくなってゆく。

 指先で日よけをかきあげて、雑然とする招待客の馬車群をのぞきみた。

 まだかかりそうだな……。

 鬱陶しく感じながら、白亜の屋敷へ視線をすべらせた。
 その背後を彩る夕暮れはしおのようにみちて、異様に穏やかで、悠然ゆうぜんとしてみえる。

 降りて駆けこみたい衝動を必死に抑えこみながら、ようやく専用通路に入り、余が大階段から降りれたのは、宴もたけなわになったころであった。

 フェーリの前に、ドナルド卿が余を歓迎しにきた。

 娘をよろしく、と温かく細められたその目から、フェーリへの愛情がふんだんに流れこんでくる。

 余の智略を高くかっているとはいえ、血筋の事情もあり、損益計算に適従てきじゅうするなら、ドナルド卿はヒューズ卿のあの提案を受け入れたであろう。

 されど、ドナルド卿は余を選んだ。
 フェーリが余を望んでいるゆえ、一歩さがってくれたのだ。

 ……これが親心というものか。

  老獪ろうかいで有名なドナルド卿が娘の恋心を優先したなど、誰が信じよう? 

 喉までこみあげてきた笑いを圧し殺し、ドナルド卿に一礼した。

 そして、一生大切にする、とまじめな口調でそう保証してから、男衆に囲まれた主役のもとへ急いだ。

 婚約解消の情報を聞きつけてやってきた虫か。

 ニロ殿下……! と周りが騒めくが、焦れて、邪魔、と眉根をよせれば、さぁと道がひらいた。
 
 早足で入ってきた余がみえると、フェーリは幸せそうに両頬を膨らませてみせ、華麗にガウンの裾をつまんだ。
 
「……こんばん──」

「──フェーリ。ようやくお前に会えた…っ」

 とその華奢な身体を腕いっぱいに抱きしめて、伝わってくる久しぶりの温かみをしみじみと味わった。

 そうしてフェーリの柔らかい感触を満喫してから、その首筋に鼻を埋めて深く息を吸いこむ。その時、ごほん、とセルンがわざとがましい咳ばらいをした。

 噂がたってしまうから親密な触れあいは儀式のあとにしろ! と死んだ魚のような目で余に訴えかけてきた。

 セルンと張りあう必要はすでにないのだが、なぜだか自然と片頬がゆがんでしまう。

 余をみて、ピキっ、と苛立ったセルンからフェーリのほうに視線をそそぎ、2人の呼吸と鼓動を合わせた。

 そうしてほつれたその前髪をかきあげてから、白銀の指輪をフェーリにみせて、片膝をたてた。

 桜を模した小さな花びら。それらが斜めにつらなって輪をつくっている。
 その繊細な様式をみて、フェーリの瞳がちかっと揺れた。

「ニロ……」

 と感嘆に似た声で余の名をつぶやき、ひらつくガウンの袖口を握りこんだまま、フェーリは今にも泣きそうな表情を浮かべた。
 
 胸をはり、精一杯の見栄をはって、

「……誇り高き汝の名誉を保証する。フェーリ。この指輪を以て、余はお前に一生を誓おう」

 凛然たる声で求婚の言葉を口にすると、フェーリは余を見つめたまま、喉をつまらせ、ひとえにコクコクとうなずいた。

 それから溢れでた涙をぬぐい、姿勢をあらためて誓いのことばを紡いでくれた。

「……貴殿にしたがい、いつくしみっ、てぃっ、……ていせつを守ることを、……ちかいますっ」

 ふるえてもなお、強く発されたその美声を聴きながら、たとえようのない幸福感を味わった。

 相変わらずいやつだな……。

 笑顔で点頭し、その白い指に指輪をはめて、しかと唇を押しあてた。

 そうして指輪の交換が終われば、どっと万雷の拍手がおこったのだ。それが合図となって、ひらりと上階から薄桃色の花瓣かべんが舞いおちてくる。

 派手にやりやがって……、と半眼のセルンを無視して、フェーリの反応を待った。

 花びらを仰ぎみ、一拍の間をおいてから、「……あっ」とようやく気づいた様子で、フェーリは両手でそれを受け止めた。

 1枚1枚丁寧につまみ、乾燥させた秋桜の押し花。

「……ニロ、これは……」

 と大きく見開かれた青い瞳から、驚愕と、歓喜に波打つ胸のひびきがドクンドクンと伝わってくる。

「桜吹雪だ、フェーリ。この世界で舞うことがなければ、舞わせばよい」
 
 この瞬間にそなえて、2年前から用意させたのだ。

 満遍なく舞いおどる無数の小片を浴びて、フェーリが余の両手をとり、「……本当に、本当にありがとう、ニロ…っ」と感極まったような潤った笑顔をたたえた。

 狙いどおり、のはずなのに、なぜだか喜悦よりも感激の情がこみ上げて、共鳴する琴線を打ったようにホッと吐息をこぼす。
 
 そうしてフェーリと手をつないでいれば、にわかになまめかしい唇が目に入り、ごくりと喉が鳴った。

 いまのフェーリは余の婚約者だ。
 以前のように臆して堪忍しなくてよい……っ

 熱っぽい息を弾ませながら、しっとりするフェーリの両頬をつつみこんだ。
 吸いこまれるようにゆっくりと顔が近づいてゆき、2人の鼻先がふれる。

「……あの日、アットのなかで交わした約束はしかと守ったぞ」

 ここでようやく余の意図に気づいたのか、フェーリは耳の根まで真っ赤に染めて、恥ずかしげに目を泳がせてから、じぃと瞼をふせた。

 まことに愛いやつだな……。

 火照った耳に指を絡めると、ん、とフェーリが息をのみ、その長い睫毛はふんわりと揺れた。

 指は自然とその首筋におりてゆき、ぞくぞく、と腹のなかに獰猛な欲望が灯る。

 嗚呼、これはしたり。
 どうもまだ暫くおのれを制御せねばならないな……。

 蝶が舞うような柔らかい口づけをし、フェーリと額を寄せあった。

 政治は空威張からいばりと騙しあいの遊戯。
 胸底から厭わしく思っているが、今世は前世と異なり、余は楽な道をえらび逃げ腰になることはなかった。

 生はかたく、死はやすし。

 ああ、しかり。

 腐心して、余はしかとその法則にしたがい正々堂々と対局した。そして余は勝った。

 その証にフェーリがいる。
 余の腹心、誇り。余のすべて……。

 ああ、そうだ。余は運命に勝ち抜いたのだ……っ

 そうして甘く視線を絡ませていれば、ふいとフェーリが目を見はり、ひどく動揺した様子で声を洩らした。

「……ニロ、目の色が…っ」 

 ……目? と鏡ばりの壁面を向けば、弾けるように満場が騒然としはじめたのだ。

「あぁっ! くろい、え、なんだこれ⁇ どうなってんだ……⁈」

 とセルンがすっとんきょうな顔をして、余をまじまじとみてきた。

 よく理解できないが、どうやら余の瞳に色素があらわれたようだ。
 
 ブルック王と同じ黒眼。
 なぜ今になって……? もしや、余の銀目はまことに祟りであったのか……?

 困惑とともに、縛りから放たれたような、奇妙な居心を感じた。

 その時、「……おや」と付近にいたドナルド卿も一驚したようだが、その感情はほんの瞬きの間で完全にいでいた。

「……まさかのオマケ付き投資だったとは。これはこれは。よかったね、フェーリ」
 
 と大満悦の様子で、フェーリの頭を優しく撫ではじめた。
 これでこの婚姻は確定だ、ということであろう。

 その意味を汲みとれずフェーリは小首をかしげる。そうして当惑しつつ呆然と余を眺め、ぽつりとつぶやいた。

「色が変わる、不思議な宝石みたい……」

「……宝石? ……ふふっ。そうか、宝石か。ありがたいな……」

 瞳の色など関係なく、フェーリは余のいかなる外見でも愛おしく想ってくれる。に祟りであったならば、これはなんとありがたい祟りだ……。
 
 フェーリ。
 お前が織姫で、余が彦星なら、カササギを手懐けて、日夜橋をかければよい。

 是が非でも、この絆は死守する。

 フェーリをしかと抱きすくめ、尊い憩いを堪能したのである。







【あとがき】

 ご読了お疲れ様です! 
 拙い文章ですが、いつもお読みいただきありがとうございます♪

 おかげさまで最後まで書き切ることができました~‼︎

 1年2ヶ月間かけて、やっと、やっと完結しました……。

 途中で他作品を優先して一度休載しましたが、それでも待ってくれて、また読みに来てくれてありがとうございます‼︎

゚゚\(´•̥ ω •̥`/)°゜゚

 感謝感激、達成感と幸福感で胸がいっぱいです。

 時間あればエピローグも書く予定ですので、何卒よろしくお願いします。


 いままで感想をくれた方、本当にありがとうございました。
 それと無反応でも毎回読みに来てくださる方々にも、もちろん感謝しております。

 改めてありがとうございました (*´꒳`*)


2021.6.1

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