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第2の試練
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*******【フェーリ・コンラッド】
静かな呼吸音がわずかに響く部屋の中、対面に座っているキーパーは真顔で黙りこんでいる。
燭台に燃えている蝋燭の小さな音でさえ聞こえてくるしじまに包まれながら、こっそりとツバをのんだ。
もしかして、さっきの決断は間違いだったのかな……?
なにも言ってこないから分からない。
うぅ、胃が痛いよ……。
数十分前。ニロの助言を受けて、キーパーと正面から向き合おうと応接の間にやってきた。
理由は不明だが、キーパーは本気で私が神の子だと確信している。
今さらだけれど、私はただの人間だ。特別な能力といえば、それは読んだ文章を完璧に記憶することくらい。
この事実を知り、キーパーが逆上すれば大変だと思い、下手に関わらないほうがいいと逃げてきた。しかしニロの言ったとおり、このままでは何も解決できない。
キーパーはこの国の平和と復興に影響を与えうる人物。
怖気づいて彼から眼を背けるのは得策ではない。
いつか真実を暴かれるくらいなら、自分の口から伝えたほうがまだマシだ。そう決意して、先ほどキーパーに自分は普通の人だと打ち明けたのだ。
そしてあまり力になれないけれど、できればジョセフと手を合わせて、この国の復興に尽力して欲しいと頼み入った。
それを聞いたキーパーは一瞬だけ動揺する素振りを見せたが、すぐさま自分の口元を抑えて、長い黙考をはじめたのだ。
それで今の状態になっているのだけれど、一体なにを考えているのかな?
怒っているようには見えないけど、やはり不安だ。
言わないほうがよかったかな……。
そうして自分の判断を後悔していれば、突然キーパーの声が聞こえてきた。
「……なるほど、これが僕に与えられた第2の試練。苦手なものの克服、ですか。分かりました。フェーリ様の力をお借りすることなく、この地を信仰の泉で潤わせてみせましょう!」
謎の希望に満ちた瞳で熱く見られて、思わず固まってしまった。
第2の試練?
うん。色々とツッコミを入れたいけれど、その前に第1の試練は何だったのか、誰か教えてくれるかな……。
まだ勘違いされているようだから、念のためもう一度キーパーに声をかけた。
「キーパー、よく聞いて。私は神の子ではなく、普通の人だ。悲しい時は泣くし、嬉しい時は笑う。拝められるほど優秀な能力も、誰かを救えるほどの神聖な力も一切持っていないの」
ここまではっきりと言ったのだから、さすがのキーパーもその意図に気づくよね……。
おそるおそるキーパーの顔色をうかがうと、何故だかキーパーはさっきよりも目を輝かせてテーブルに身を乗りだしてきた。な、なに……!
「なるほど! 1週間前、あの島で再会した時は8年前と変わらず、すべての感情、いいえ。人間の領域を超越していたフェーリ様が突然倒れて、がらりと変わられたのはそういうことだったのですね!」
いつも通りだけれど、そう言うことってどういうこと……?
うぅ、もう、いちいちキーパーの反応に驚くのも億劫になってきた。
タレントの影響でずっと無表情だったから、人間の領域を超越しているとキーパーに勘違いされていたのか。
まだ何やら誤解しているようだけれど、とりあえずちゃんとただの人間だと伝えたし。さっきのお願いも断ってないから、これからはジョセフと協力してくれるってことだよね?
うーん……。
もやもやして目をつむり、ふっとため息を漏らせば、
「も、申し訳ございません、フェーリ様。せっかくのお心遣いをぺらぺらと話してしまい、大変失礼しました……!」
キーパーがひどく恐れた声でそう謝ってきた。
そしてどんと音がなったから、またキーパーが床に這いつくばったのだろう。
何回みてもなれない。すごく気まずい。
これだからキーパーと会いたくなかったのよ……。
もう変に飾ることなどないし。この際、しっかりと話しておこうかな。
「……キーパー、私は普通の人だから、ひれ伏す必要はない」
「は、はい、分りました!」
そう言ってキーパーがアワアワと立ち上がり、ソファーに腰をかけた。
そうして再び長い静寂が訪れたのだ。
うぅ、何この沈黙。精神的にキツい……。
失礼だと分かるけれど、やはり私はキーパーが少し苦手だ。
そんな風に思っていると、急にキーパーがゆっくりと口元を綻ばせて、私をみた。
あれ、キーパーが微笑んでいる。いままで真顔か泣き顔しか浮かべたことないのに……なんで?
びっくりして彼の顔をガン見していれば、
「フェーリ様の使者に選ばれて、僕は本当に幸せものです」
いつもの激しい声遣いではなく、暖かい息を吐き出すような優しい口調でキーパーが囁いた。
唐突すぎるその変貌ぶりについていけず、呆然としていると、
「ご存知のとおり、神殿で雑務を任されていた僕は、いつまで経ってもヘムになれず、ウアブのままでした。いつかちゃんとした神の召使いになりたい。強くそう願いながら僕は眠りにつきました」
膝の上で握り拳をつくり、下を向いたままキーパーが語りだした。
私が知っている前提で語っているようだけれど、全然ついていけないよ……。
ヘムってなに? ウアブってなに? 祈りながら眠るって、キリスト教のアーメン的な? 王国にそんな習慣はないから、もしかして独自の儀式なのかな?
うぅ、頑張ったけど、いまいちよく分からない。
もう少し分かりやすく教えてくれる? ……なんて言える雰囲気でもないから、仕方なくキーパーの話に耳を傾けた。
「再び目が覚めた時、見知った肥沃な地ではなくなって、僕はひどく焦りました。神は間違いを犯さない。分かっているはずなのに、何かの手違いでこんなところに送り込まれてしまったんだと、恥ずかしながら疑ってしまいました」
自分の手を揉み合わせながら、キーパーがチラリと私をみた。
自然と目があったからふいに頭を下げて、ぺこっとあいづちをうった。
あ、やってしまったかも……。ドキッとしていると、
「邪念を抱いた愚かな僕を見捨てるどころか、フェーリ様は暖かく手を差しのべてくれました」
そう言ってキーパーは幸せそうに口を膨らませて、額に両手を合わせた。
「『僕は間違ってない』。8年前、フェーリ様がそう言って僕の罪を許してくれました」
ストロング子爵に誘拐された翌日、キーパーが屋敷まで謝罪しにきた時のことか。
キーパーはもともと宗教活動に熱心な人で、その計画をまったく知らなかったようだ。そもそも関与していなかったから、それは間違ってないよ。
罪を許すとか少し大袈裟だが、なんとなくキーパーの言いたいことが分かってきた。
多分だけど、私が拐かされたのは、キーパーが自分の宗教活動に疑問を感じていた時期と重なっていたんだわ。
それで私の言葉を変な風に解釈して、私を神の子として信仰しはじめたのね。
そういうことかと頷けば、キーパーは目をキラキラさせて、私を真っ直ぐにみてきた。
「フェーリ様のお力でここまで来られました。しかし、このままフェーリ様に頼っては、いつまで経っても神の召使いとして認めてもらえません。大丈夫です、もう迷いません。ここからはちゃんと自分の力を神に証明してみせます!」
うっ、相変わらず熱苦しい。
一瞬だけ雰囲気が変わったから油断していたけれど、キーパーはやはりキーパーなのね。
その信仰心に共感することはできないけど、なんだか本人は幸せそうだからいいのかな?
「しつこいようだけれど、今後はジョセフ様と力を合わせて欲しい」
念を押すようにそう呟くと、キーパーは覚悟を決めた風でこくりと頷いてくれた。うん、いい表情だ。
まだ大きな隔たりがあるが、回りまわって私も普通の人として接することはできるし、ジョセフとも手を組んでくれそうだ。
とりあえず一安心……。
「ありがとう、キーパー。これでもう心残りなく、ここを去ることができるわ」
「心残りなく去る……なるほど、分かりました」
例によって今ので何が分かったのか分からないけれど……。
「負傷した側近が心配だから、もう戻るわ」
逃げるようにそう伝えると、キーパーもすっくと立ち上がった。
「では、最後にその部屋までお供しましょう」
一人で大丈夫と断ったが、ニロと話しがあるからと言って、結局一緒に行くことになった。
キーパーは無言で私の後ろを歩くから、長い廊下が更に長く感じた。
そうしてセルンの部屋の前に到着すると、そばに控えていた使用人がコンコンとノックをして、扉を開けてくれた。
「帰ってきたのか、フェーリ」
「おかえり、お嬢」
あれ、二人とも笑顔だ。いつものように喧嘩しているのではと心配していたけれど……なんだか仲良くなってる?
「ただいま……」
ポカンと二人を見ていると、背後のキーパーに気づいたニロはサッと口元を引き締めた。
「約束どおり、フェーリ様に話を通してくれてありがとうございました、ニロ王子」
「よいのだ。これで例の件は其方に任せた」
「ええ。意に染まないことですが、フェーリ様の救いの手を彼にもしっかりと与えましょう」
「ふむ、頼んだ」
ニロがそう言うと、キーパーは私に丁寧すぎるくらいの別れを告げて、情熱に燃えた眼で帰っていった。
その態度に気圧されて一瞬だけ怯んでしまったが、ふと二人の会話を思い出し、小首を傾げた。
(……ニロ、私の救いの手をカレに与えるって、どういうこと?)
ニロの目をみてそう疑問を投げかけたが、その返事が来る前にセルンの声が響いた。
「こいつまで手のひらで転がしていたのか。ニロ、お前、どこまで食えないやつなんだよ……」
「ふむ。これは褒め言葉として受け取っておくとしよう」
「いや、褒めてねぇから」
半眼になったセルンをみて、ニロはイタズラげに笑った。
あれ、言い合いになってない。やはり仲良くなってる……。
私のいない間に何があったのだろう?
さらに首を傾げて二人を眺めていると、振り向いたニロと視線が絡んだ。
そうして数秒ほど私の瞳を凝視すると、ニロは少し意外そうな顔になった。
「なんだ。自分は神の子ではないと素直に言ったのか、フェーリ?」
「えっ、なんでわかったの⁈」
そう驚くと、ニロはやや困ったような笑みを浮かべた。
「ふむ、お前のことだ。言葉巧みに彼を欺くことはないと思ったが、まさか彼の曲解を一刀両断するとは、ふふっ。相変わらず愛いやつだな」
これは甘い……ってことだよね。
キーパーに事実を告白するのは愚かな行為だ。自分でも理解できることだけれど、それでもキーパーを騙し続けるのは心苦しい。
やはり私はまだまだ甘い。
貴族の社会で生きていくのに甘すぎる。
8年前からまったく成長できていないなんて、ニロの仲間に相応しくないわ……。
一人でそう落ち込んでいた時、私の目をみたニロは微かに眉をしかめて、口を開いた。
「異なことを考えるな、フェーリ。余はお前の行為を咎めているわけではない。むしろ、余もそのほうが爽快で心地よいと思っているのだ」
「……っ」
うっかりニロに気をつかわせてしまい、焦って下を向く。
ダメだ。ニロは思考が読める。反省する時はニロに瞳を見られないようにしないと……。
そんな風に考えていた時、再びニロの声が聞こえてきた。
「目的のために人を騙し、騙され。欲にまみれたこの薄汚い世界で、お前は変わらず健気に生きていこうとする。そんなお前以上に美しいものはいない」
そう言ってニロが私の背中に手を回してきた。
「お前は余の唯一の癒しだ、フェーリ。お前がお前でいられるように、余が努力すればよい。案ずることなく余に身を委ねたまえ」
耳元でそう囁くと、ニロは愛おしそうに私を抱きしめた。
「ニロ……」
昔からそうだ。
私が間違った認識をしても、ニロは呆れることなく、辛抱よく私を指導してくれる。
大事な局面で判断に迷う時。決断に踏み切れない時。
ニロはイヤな顔を一つせず、真摯な態度で私の背中を押してくれる。
ニロは私なんかより遥かに優秀で、しっかりもので、隣にいてくれるだけで心強い。
そんなニロが私を愛してくれるなんて、まるでおとぎ話のような話。
夢ならこのまま醒めないで欲しい。
そう願いながらニロの胸に頬を寄せていると、突然セルンの呻き声が響いた。
「あっ、いって、いてててて……」
「どうしたの、セルン。痛い? どこが痛いの?」
咄嗟にニロから離れて、セルンのほうに駆けよった。
「ああ、なんだろう、眩暈がひどいな……」
「大丈夫……? 熱出たかな?」
セルンの額はそこまで熱くないけれど、顔がすごく苦しそうだ。
うぅ、セルンがつらそうな時に何をしているのかしら、私……。
自分のことばっかりでいけないわ。今はセルンの看病に集中しないと……!
そうして何故だか不機嫌そうなニロに見守られながら、体調が悪くなったセルンの世話に専念したのである。
静かな呼吸音がわずかに響く部屋の中、対面に座っているキーパーは真顔で黙りこんでいる。
燭台に燃えている蝋燭の小さな音でさえ聞こえてくるしじまに包まれながら、こっそりとツバをのんだ。
もしかして、さっきの決断は間違いだったのかな……?
なにも言ってこないから分からない。
うぅ、胃が痛いよ……。
数十分前。ニロの助言を受けて、キーパーと正面から向き合おうと応接の間にやってきた。
理由は不明だが、キーパーは本気で私が神の子だと確信している。
今さらだけれど、私はただの人間だ。特別な能力といえば、それは読んだ文章を完璧に記憶することくらい。
この事実を知り、キーパーが逆上すれば大変だと思い、下手に関わらないほうがいいと逃げてきた。しかしニロの言ったとおり、このままでは何も解決できない。
キーパーはこの国の平和と復興に影響を与えうる人物。
怖気づいて彼から眼を背けるのは得策ではない。
いつか真実を暴かれるくらいなら、自分の口から伝えたほうがまだマシだ。そう決意して、先ほどキーパーに自分は普通の人だと打ち明けたのだ。
そしてあまり力になれないけれど、できればジョセフと手を合わせて、この国の復興に尽力して欲しいと頼み入った。
それを聞いたキーパーは一瞬だけ動揺する素振りを見せたが、すぐさま自分の口元を抑えて、長い黙考をはじめたのだ。
それで今の状態になっているのだけれど、一体なにを考えているのかな?
怒っているようには見えないけど、やはり不安だ。
言わないほうがよかったかな……。
そうして自分の判断を後悔していれば、突然キーパーの声が聞こえてきた。
「……なるほど、これが僕に与えられた第2の試練。苦手なものの克服、ですか。分かりました。フェーリ様の力をお借りすることなく、この地を信仰の泉で潤わせてみせましょう!」
謎の希望に満ちた瞳で熱く見られて、思わず固まってしまった。
第2の試練?
うん。色々とツッコミを入れたいけれど、その前に第1の試練は何だったのか、誰か教えてくれるかな……。
まだ勘違いされているようだから、念のためもう一度キーパーに声をかけた。
「キーパー、よく聞いて。私は神の子ではなく、普通の人だ。悲しい時は泣くし、嬉しい時は笑う。拝められるほど優秀な能力も、誰かを救えるほどの神聖な力も一切持っていないの」
ここまではっきりと言ったのだから、さすがのキーパーもその意図に気づくよね……。
おそるおそるキーパーの顔色をうかがうと、何故だかキーパーはさっきよりも目を輝かせてテーブルに身を乗りだしてきた。な、なに……!
「なるほど! 1週間前、あの島で再会した時は8年前と変わらず、すべての感情、いいえ。人間の領域を超越していたフェーリ様が突然倒れて、がらりと変わられたのはそういうことだったのですね!」
いつも通りだけれど、そう言うことってどういうこと……?
うぅ、もう、いちいちキーパーの反応に驚くのも億劫になってきた。
タレントの影響でずっと無表情だったから、人間の領域を超越しているとキーパーに勘違いされていたのか。
まだ何やら誤解しているようだけれど、とりあえずちゃんとただの人間だと伝えたし。さっきのお願いも断ってないから、これからはジョセフと協力してくれるってことだよね?
うーん……。
もやもやして目をつむり、ふっとため息を漏らせば、
「も、申し訳ございません、フェーリ様。せっかくのお心遣いをぺらぺらと話してしまい、大変失礼しました……!」
キーパーがひどく恐れた声でそう謝ってきた。
そしてどんと音がなったから、またキーパーが床に這いつくばったのだろう。
何回みてもなれない。すごく気まずい。
これだからキーパーと会いたくなかったのよ……。
もう変に飾ることなどないし。この際、しっかりと話しておこうかな。
「……キーパー、私は普通の人だから、ひれ伏す必要はない」
「は、はい、分りました!」
そう言ってキーパーがアワアワと立ち上がり、ソファーに腰をかけた。
そうして再び長い静寂が訪れたのだ。
うぅ、何この沈黙。精神的にキツい……。
失礼だと分かるけれど、やはり私はキーパーが少し苦手だ。
そんな風に思っていると、急にキーパーがゆっくりと口元を綻ばせて、私をみた。
あれ、キーパーが微笑んでいる。いままで真顔か泣き顔しか浮かべたことないのに……なんで?
びっくりして彼の顔をガン見していれば、
「フェーリ様の使者に選ばれて、僕は本当に幸せものです」
いつもの激しい声遣いではなく、暖かい息を吐き出すような優しい口調でキーパーが囁いた。
唐突すぎるその変貌ぶりについていけず、呆然としていると、
「ご存知のとおり、神殿で雑務を任されていた僕は、いつまで経ってもヘムになれず、ウアブのままでした。いつかちゃんとした神の召使いになりたい。強くそう願いながら僕は眠りにつきました」
膝の上で握り拳をつくり、下を向いたままキーパーが語りだした。
私が知っている前提で語っているようだけれど、全然ついていけないよ……。
ヘムってなに? ウアブってなに? 祈りながら眠るって、キリスト教のアーメン的な? 王国にそんな習慣はないから、もしかして独自の儀式なのかな?
うぅ、頑張ったけど、いまいちよく分からない。
もう少し分かりやすく教えてくれる? ……なんて言える雰囲気でもないから、仕方なくキーパーの話に耳を傾けた。
「再び目が覚めた時、見知った肥沃な地ではなくなって、僕はひどく焦りました。神は間違いを犯さない。分かっているはずなのに、何かの手違いでこんなところに送り込まれてしまったんだと、恥ずかしながら疑ってしまいました」
自分の手を揉み合わせながら、キーパーがチラリと私をみた。
自然と目があったからふいに頭を下げて、ぺこっとあいづちをうった。
あ、やってしまったかも……。ドキッとしていると、
「邪念を抱いた愚かな僕を見捨てるどころか、フェーリ様は暖かく手を差しのべてくれました」
そう言ってキーパーは幸せそうに口を膨らませて、額に両手を合わせた。
「『僕は間違ってない』。8年前、フェーリ様がそう言って僕の罪を許してくれました」
ストロング子爵に誘拐された翌日、キーパーが屋敷まで謝罪しにきた時のことか。
キーパーはもともと宗教活動に熱心な人で、その計画をまったく知らなかったようだ。そもそも関与していなかったから、それは間違ってないよ。
罪を許すとか少し大袈裟だが、なんとなくキーパーの言いたいことが分かってきた。
多分だけど、私が拐かされたのは、キーパーが自分の宗教活動に疑問を感じていた時期と重なっていたんだわ。
それで私の言葉を変な風に解釈して、私を神の子として信仰しはじめたのね。
そういうことかと頷けば、キーパーは目をキラキラさせて、私を真っ直ぐにみてきた。
「フェーリ様のお力でここまで来られました。しかし、このままフェーリ様に頼っては、いつまで経っても神の召使いとして認めてもらえません。大丈夫です、もう迷いません。ここからはちゃんと自分の力を神に証明してみせます!」
うっ、相変わらず熱苦しい。
一瞬だけ雰囲気が変わったから油断していたけれど、キーパーはやはりキーパーなのね。
その信仰心に共感することはできないけど、なんだか本人は幸せそうだからいいのかな?
「しつこいようだけれど、今後はジョセフ様と力を合わせて欲しい」
念を押すようにそう呟くと、キーパーは覚悟を決めた風でこくりと頷いてくれた。うん、いい表情だ。
まだ大きな隔たりがあるが、回りまわって私も普通の人として接することはできるし、ジョセフとも手を組んでくれそうだ。
とりあえず一安心……。
「ありがとう、キーパー。これでもう心残りなく、ここを去ることができるわ」
「心残りなく去る……なるほど、分かりました」
例によって今ので何が分かったのか分からないけれど……。
「負傷した側近が心配だから、もう戻るわ」
逃げるようにそう伝えると、キーパーもすっくと立ち上がった。
「では、最後にその部屋までお供しましょう」
一人で大丈夫と断ったが、ニロと話しがあるからと言って、結局一緒に行くことになった。
キーパーは無言で私の後ろを歩くから、長い廊下が更に長く感じた。
そうしてセルンの部屋の前に到着すると、そばに控えていた使用人がコンコンとノックをして、扉を開けてくれた。
「帰ってきたのか、フェーリ」
「おかえり、お嬢」
あれ、二人とも笑顔だ。いつものように喧嘩しているのではと心配していたけれど……なんだか仲良くなってる?
「ただいま……」
ポカンと二人を見ていると、背後のキーパーに気づいたニロはサッと口元を引き締めた。
「約束どおり、フェーリ様に話を通してくれてありがとうございました、ニロ王子」
「よいのだ。これで例の件は其方に任せた」
「ええ。意に染まないことですが、フェーリ様の救いの手を彼にもしっかりと与えましょう」
「ふむ、頼んだ」
ニロがそう言うと、キーパーは私に丁寧すぎるくらいの別れを告げて、情熱に燃えた眼で帰っていった。
その態度に気圧されて一瞬だけ怯んでしまったが、ふと二人の会話を思い出し、小首を傾げた。
(……ニロ、私の救いの手をカレに与えるって、どういうこと?)
ニロの目をみてそう疑問を投げかけたが、その返事が来る前にセルンの声が響いた。
「こいつまで手のひらで転がしていたのか。ニロ、お前、どこまで食えないやつなんだよ……」
「ふむ。これは褒め言葉として受け取っておくとしよう」
「いや、褒めてねぇから」
半眼になったセルンをみて、ニロはイタズラげに笑った。
あれ、言い合いになってない。やはり仲良くなってる……。
私のいない間に何があったのだろう?
さらに首を傾げて二人を眺めていると、振り向いたニロと視線が絡んだ。
そうして数秒ほど私の瞳を凝視すると、ニロは少し意外そうな顔になった。
「なんだ。自分は神の子ではないと素直に言ったのか、フェーリ?」
「えっ、なんでわかったの⁈」
そう驚くと、ニロはやや困ったような笑みを浮かべた。
「ふむ、お前のことだ。言葉巧みに彼を欺くことはないと思ったが、まさか彼の曲解を一刀両断するとは、ふふっ。相変わらず愛いやつだな」
これは甘い……ってことだよね。
キーパーに事実を告白するのは愚かな行為だ。自分でも理解できることだけれど、それでもキーパーを騙し続けるのは心苦しい。
やはり私はまだまだ甘い。
貴族の社会で生きていくのに甘すぎる。
8年前からまったく成長できていないなんて、ニロの仲間に相応しくないわ……。
一人でそう落ち込んでいた時、私の目をみたニロは微かに眉をしかめて、口を開いた。
「異なことを考えるな、フェーリ。余はお前の行為を咎めているわけではない。むしろ、余もそのほうが爽快で心地よいと思っているのだ」
「……っ」
うっかりニロに気をつかわせてしまい、焦って下を向く。
ダメだ。ニロは思考が読める。反省する時はニロに瞳を見られないようにしないと……。
そんな風に考えていた時、再びニロの声が聞こえてきた。
「目的のために人を騙し、騙され。欲にまみれたこの薄汚い世界で、お前は変わらず健気に生きていこうとする。そんなお前以上に美しいものはいない」
そう言ってニロが私の背中に手を回してきた。
「お前は余の唯一の癒しだ、フェーリ。お前がお前でいられるように、余が努力すればよい。案ずることなく余に身を委ねたまえ」
耳元でそう囁くと、ニロは愛おしそうに私を抱きしめた。
「ニロ……」
昔からそうだ。
私が間違った認識をしても、ニロは呆れることなく、辛抱よく私を指導してくれる。
大事な局面で判断に迷う時。決断に踏み切れない時。
ニロはイヤな顔を一つせず、真摯な態度で私の背中を押してくれる。
ニロは私なんかより遥かに優秀で、しっかりもので、隣にいてくれるだけで心強い。
そんなニロが私を愛してくれるなんて、まるでおとぎ話のような話。
夢ならこのまま醒めないで欲しい。
そう願いながらニロの胸に頬を寄せていると、突然セルンの呻き声が響いた。
「あっ、いって、いてててて……」
「どうしたの、セルン。痛い? どこが痛いの?」
咄嗟にニロから離れて、セルンのほうに駆けよった。
「ああ、なんだろう、眩暈がひどいな……」
「大丈夫……? 熱出たかな?」
セルンの額はそこまで熱くないけれど、顔がすごく苦しそうだ。
うぅ、セルンがつらそうな時に何をしているのかしら、私……。
自分のことばっかりでいけないわ。今はセルンの看病に集中しないと……!
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