突然、天才令嬢に転生してしまった ③ 【南の国編】【西の国編】

ぷりりん

文字の大きさ
上 下
7 / 45

江戸の味 ②

しおりを挟む
「……私も、手伝う」

 焦って下を向くと、ツーと水滴が頬をつたう。

「……フェ、……んっ。……ふむ。そうだな。であれば、アサリを茹でたまえ」

 私のほうに伸ばしかけた手をひっこめて、ニロはぐるりと背中を見せた。
 その後ろ姿はどこか悄然としてみえる。

 普段の公務から解放されて、せっかくニロの肩の力が抜けたというのに、こんな時に泣いてしまうなんて……。

 ああ、何やってるの、私……。ニロが気まずそうじゃない……。

 後悔しつつ、なにやら仕込みを始めたニロの指示通りに手を動かした。

「ふむ。後は蓋をして余熱で蒸すだけだ。三人共よくぞ頑張ってくれた」

 何事もなかったかのように、ニロは手伝ってくれた三人を労う。
 よかったと思ったところ、リット君の得意そうな声がひびいた。

「なーなー! ニロ兄ぃ! オラが一番役に立ったよなー!」

「え、なに言ってんのよ、バカリット! 火起こしくらいしかできないくせにー!」

 噛み付くようにニタちゃんがそう言い放った。

「バカってなんだー! オラの方が年上なんだぞー!」

「もー! だから従兄いとこだけど同い年だってばー! 勝手に年上ぶるんじゃないよー! ほんとバッカなんだからー!」

 又しても口論を始めた二人をそっちのけで、ナック君はのそのそとニロの背後に回った。そして、勝者を発表するかのごとく、

「……一番……がんばった人……!」

 声を張り上げてトントンとニロの肩を叩き始めた。

「ふむ。ありがたいな、ナック」
「ナック……ありがたいな……!」

 ニロが礼を言うと、ナック君は喜色満面でその言葉を繰り返した。

 まあ。言葉を覚える年頃なのね。純粋で可憐だわ。

 そうして異なる雰囲気を醸し出す四人で癒されていると、急に後ろから明朗な声が聞こえてきた。

「やーいやーい! 楽しそーやっさー」
「ババー!」

 阿吽の呼吸で二人はわっと家に入ってきた老婆に駆け寄った。

 小柄で少し背が曲がっているものの、癖毛がかったその黒髪はまだ艶を纏い、若々しく見える。

「ねえねえ、ババ! 見て! ニロお兄ちゃんとフェーお姉ちゃんよー!」
「外国人だよー! ババも初めてだよなー!」

 二人に抱きつかれ、老婆は細い手を左右に振り、面白がって笑った。

「初めてじゃないやい。昔は飽きるほど見たやっさー」
「えー! うっそだぁー! じゃーなんでオラ見たことないんだー!」

 そう反論するリット君に老婆は眉を寄せた。

「オメエが生まれてすぐ戦争が始まったからやい。それで観光客が来なくなったからオメエの親が出稼ぎに出たやっさー!」
 老婆がそう説明すると、

「じゃー外国人がいっぱい来たら、とーちゃんとかーちゃんが戻ってくるのかー!」
「ねえねえ、ババ! どうすれば観光客が帰ってきてくれるのー! あたしも父ちゃんと会いたーい!」
 
 期待を帯びた二人の眼差しに老婆は困った顔を見せる。

「それを知ってたらワッチも苦労しないやい」
 
 呆れたようにそう言うと、老婆は私たちに視線を移した。

「あんさん達、お客の付き人やが? 随分と汚れてるやい、どっかで転んだやっさー?」

「ああーー」

「二人はアット寺院にいたよー!」

 ニロが口を開きかけたが、先にリット君の陽気な声が響いた。

ベイサーお化けかと思って怖かったーって痛ぇー!」

「まーまー! あんたまたアットに行ったかい! しょうがない子さねー!」

 と老婆の後ろから先程の女性がどんと前に出た。

「痛てっ、痛てててて! まだなにもしてないから離してよ、カンニャオバー!」

 リット君は耳を引っ張られた方向に合わせて、ちょんちょんと跳ねた。

「神聖な場所で遊ぶなって何回言ったら分かるさねー! 女神が怒るさよー!」

「えー! あんな汚いところのどこが神聖だよー! こんくらい聖女様がオラを許してくれるから大丈夫だよー」

「それでも女神があんたを許さないさねー!」
 
 猛反発するリット君に、女性は怒気を帯びた声で一喝した。

「やーいやーい、カンニャ! お客の前やっさー!」

 老婆がそう注意すると、女性は物足りなさそうな表情でリット君の耳を解放した。

 痛そう……。
 でもリット君は慣れているのか、もうけろっとしている。

 うんと、いまリット君を叱ったのはニタちゃんのお母さんで、リット君の叔母さんか。名前はカンニャさん、でいいのかな? 

 一人でそう情報を整理していると、再び私たちに顔を向けた老婆は小首を傾げた。

「あんさん達アットに行ったやが?」

「ふむ。珍しい形状が故、ちと興味が湧いたのだ」

「そーがそーが! それで服を汚したやがー」
 
 ニロの答えに、なるほどと老婆は頷いた。

「戦争が終わってからもー誰も掃除しないだわけさー。まだあのアットに餅米と蝋燭を置きに行くのってワッチくらいやい。やしが、昔はアット以上に綺麗な場所はなかったやっさー!」

「ババー! アットの話はもーいいからご飯しよーよー! オラ腹減ったーって痛ぇ!」

「まーまー! 本当にしょうがない子さねー!」
 
 老婆の言葉を遮ったリット君は、ゴツンとゲンコツを喰らい、痛そうに座り込んだ。

 空気を読み、ニロが釜の蓋を開けると、蒸気と共にぷんと温かい磯の香りが辺りを漂った。

「ふむ。ご飯もそろそろ炊けたゆえ、すぐに食べられるであろう」

「まーまー! アサリが入ってる! いい匂いさね! あんさんの国の料理かい?」

 渋面だったカンニャさんは鼻をひきつかせて、竈に近寄ってきた。

「ああ、久々に作ったがゆえ、腕は落ちたが、其方等の口に合うとよい」

「まーまー! これは美味しいに決まってるさね! 厨房で働くアタイが保証するさー!」

 カンニャさんは自信ありげに胸を叩いた。

「そう言ってくれるとありがたい。では其方等の晩御飯を邪魔しないよう、余とフェーはこれにてごめんするとしよう」

 外はもうすっかり暗くなってしまったから、早く帰らないとセルンに怒られてしまう。

 こくこくと頷き、ニロと共に帰ろうとしたが、老婆に手を取られた。

「やーいやーい! 何言ってるやっさー! せっかくだからワッチらと一緒に食べー!」

「いや。よいのだ。そろそろ帰らないと…ー」

「やだやだー! お兄ちゃん、お姉さん、もう少し一緒に居てよー!」

 背後からニタちゃんに抱きつかれ、リット君とナック君も近くに走ってきた。

「なーなー! 一緒にご飯を食べよーよー!」

「一緒に……食べりゅ!」

 リット君とナック君がうるうるした目で私たちを見上げた。困ったわ、と思ったところ、老婆は驚いた感じで頬にえくぼを浮かべた。

「やーいやーい! 人見知りのナックまで懐いてるやい! これは珍しいやっさー!」
 
「いや。気持ちだけでよい…ー」

 私を気にかけた様子で、ニロは断ってくれたが、

「まーまー! すぐに用意するからあんたさんは遠慮しないでそっちに座りー! リット、ニタ、皿を持ってー!」

「はーい!」

 一家がテーブルの準備をし始めたので、とうとう断り切れず、そのまま食卓を囲むことになったのだ。

 3人はまだ若いのに、せっせと手伝っているわ。
 しっかりしているね。

 最初に会った時、もしかしたら3人は戦争孤児なのではと心の準備をしていた。

 けれど、先程の会話からすると親はちゃんと生きているみたいで、本当に良かった。

 口喧嘩をする賑やかな家族だが、特独な温かみがあって、3人とも幸せそうだ。一人で胸を撫で下ろし、わいわいする彼らの姿を眺めた。

「アサリが入ってる。すげぇいい匂い」

「これなんて言うの、アサリご飯? 美味しそう~」

「あちゃり、ごはん……」

 炊き込みご飯をのぞきみる3人。その口角には、つばのようなものが垂れている。興味津々なのね、うふふ。

 実は彼らに負けないくらい、私も気になって仕方がないのよね。

 これがニロの作ったアサリの炊き込みご飯……。
 まじまじと平皿を眺めて、クンクンと香ってみる。

 ……んんっ、いい匂い~! 艶があってとっても美味しそうだわ! 

 これはニロの手料理だから、正に江戸の味、そしてニロの味~! 

 顔を上げると、そこには銀の瞳があった。どうやら私を待っていたらしいその銀と視線がむつみあった途端、くすり、とニロが笑う。

 あ、ニロに今の思考が……!

 かぁぁあ、と顔が熱る。

 そうしてセルンに悪いと思いつつも、出汁がたっぷりとしみたホカホカご飯をフウフウして、ぷりっとしたアサリの食感を味わいながら、ニロと幸せなひと時を堪能したのである。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!

珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。 3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。 高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。 これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!! 転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】勘当されたい悪役は自由に生きる

雨野
恋愛
 難病に罹り、15歳で人生を終えた私。  だが気がつくと、生前読んだ漫画の貴族で悪役に転生していた!?タイトルは忘れてしまったし、ラストまで読むことは出来なかったけど…確かこのキャラは、家を勘当され追放されたんじゃなかったっけ?  でも…手足は自由に動くし、ご飯は美味しく食べられる。すうっと深呼吸することだって出来る!!追放ったって殺される訳でもなし、貴族じゃなくなっても問題ないよね?むしろ私、庶民の生活のほうが大歓迎!!  ただ…私が転生したこのキャラ、セレスタン・ラサーニュ。悪役令息、男だったよね?どこからどう見ても女の身体なんですが。上に無いはずのモノがあり、下にあるはずのアレが無いんですが!?どうなってんのよ!!?  1話目はシリアスな感じですが、最終的にはほのぼの目指します。  ずっと病弱だったが故に、目に映る全てのものが輝いて見えるセレスタン。自分が変われば世界も変わる、私は…自由だ!!!  主人公は最初のうちは卑屈だったりしますが、次第に前向きに成長します。それまで見守っていただければと!  愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。  予告なく痛々しい、残酷な描写あり。  サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。  小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。  こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。  本編完結。番外編を順次公開していきます。  最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシャリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

処理中です...