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江戸の味 ②
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「……私も、手伝う」
焦って下を向くと、ツーと水滴が頬をつたう。
「……フェ、……んっ。……ふむ。そうだな。であれば、アサリを茹でたまえ」
私のほうに伸ばしかけた手をひっこめて、ニロはぐるりと背中を見せた。
その後ろ姿はどこか悄然としてみえる。
普段の公務から解放されて、せっかくニロの肩の力が抜けたというのに、こんな時に泣いてしまうなんて……。
ああ、何やってるの、私……。ニロが気まずそうじゃない……。
後悔しつつ、なにやら仕込みを始めたニロの指示通りに手を動かした。
「ふむ。後は蓋をして余熱で蒸すだけだ。三人共よくぞ頑張ってくれた」
何事もなかったかのように、ニロは手伝ってくれた三人を労う。
よかったと思ったところ、リット君の得意そうな声がひびいた。
「なーなー! ニロ兄ぃ! オラが一番役に立ったよなー!」
「え、なに言ってんのよ、バカリット! 火起こしくらいしかできないくせにー!」
噛み付くようにニタちゃんがそう言い放った。
「バカってなんだー! オラの方が年上なんだぞー!」
「もー! だから従兄だけど同い年だってばー! 勝手に年上ぶるんじゃないよー! ほんとバッカなんだからー!」
又しても口論を始めた二人をそっちのけで、ナック君はのそのそとニロの背後に回った。そして、勝者を発表するかのごとく、
「……一番……がんばった人……!」
声を張り上げてトントンとニロの肩を叩き始めた。
「ふむ。ありがたいな、ナック」
「ナック……ありがたいな……!」
ニロが礼を言うと、ナック君は喜色満面でその言葉を繰り返した。
まあ。言葉を覚える年頃なのね。純粋で可憐だわ。
そうして異なる雰囲気を醸し出す四人で癒されていると、急に後ろから明朗な声が聞こえてきた。
「やーいやーい! 楽しそーやっさー」
「ババー!」
阿吽の呼吸で二人はわっと家に入ってきた老婆に駆け寄った。
小柄で少し背が曲がっているものの、癖毛がかったその黒髪はまだ艶を纏い、若々しく見える。
「ねえねえ、ババ! 見て! ニロお兄ちゃんとフェーお姉ちゃんよー!」
「外国人だよー! ババも初めてだよなー!」
二人に抱きつかれ、老婆は細い手を左右に振り、面白がって笑った。
「初めてじゃないやい。昔は飽きるほど見たやっさー」
「えー! うっそだぁー! じゃーなんでオラ見たことないんだー!」
そう反論するリット君に老婆は眉を寄せた。
「オメエが生まれてすぐ戦争が始まったからやい。それで観光客が来なくなったからオメエの親が出稼ぎに出たやっさー!」
老婆がそう説明すると、
「じゃー外国人がいっぱい来たら、とーちゃんとかーちゃんが戻ってくるのかー!」
「ねえねえ、ババ! どうすれば観光客が帰ってきてくれるのー! あたしも父ちゃんと会いたーい!」
期待を帯びた二人の眼差しに老婆は困った顔を見せる。
「それを知ってたらワッチも苦労しないやい」
呆れたようにそう言うと、老婆は私たちに視線を移した。
「あんさん達、お客の付き人やが? 随分と汚れてるやい、どっかで転んだやっさー?」
「ああーー」
「二人はアットにいたよー!」
ニロが口を開きかけたが、先にリット君の陽気な声が響いた。
「ベイサーかと思って怖かったーって痛ぇー!」
「まーまー! あんたまたアットに行ったかい! しょうがない子さねー!」
と老婆の後ろから先程の女性がどんと前に出た。
「痛てっ、痛てててて! まだなにもしてないから離してよ、カンニャオバー!」
リット君は耳を引っ張られた方向に合わせて、ちょんちょんと跳ねた。
「神聖な場所で遊ぶなって何回言ったら分かるさねー! 女神が怒るさよー!」
「えー! あんな汚いところのどこが神聖だよー! こんくらい聖女様がオラを許してくれるから大丈夫だよー」
「それでも女神があんたを許さないさねー!」
猛反発するリット君に、女性は怒気を帯びた声で一喝した。
「やーいやーい、カンニャ! お客の前やっさー!」
老婆がそう注意すると、女性は物足りなさそうな表情でリット君の耳を解放した。
痛そう……。
でもリット君は慣れているのか、もうけろっとしている。
うんと、いまリット君を叱ったのはニタちゃんのお母さんで、リット君の叔母さんか。名前はカンニャさん、でいいのかな?
一人でそう情報を整理していると、再び私たちに顔を向けた老婆は小首を傾げた。
「あんさん達アットに行ったやが?」
「ふむ。珍しい形状が故、ちと興味が湧いたのだ」
「そーがそーが! それで服を汚したやがー」
ニロの答えに、なるほどと老婆は頷いた。
「戦争が終わってからもー誰も掃除しないだわけさー。まだあのアットに餅米と蝋燭を置きに行くのってワッチくらいやい。やしが、昔はアット以上に綺麗な場所はなかったやっさー!」
「ババー! アットの話はもーいいからご飯しよーよー! オラ腹減ったーって痛ぇ!」
「まーまー! 本当にしょうがない子さねー!」
老婆の言葉を遮ったリット君は、ゴツンとゲンコツを喰らい、痛そうに座り込んだ。
空気を読み、ニロが釜の蓋を開けると、蒸気と共にぷんと温かい磯の香りが辺りを漂った。
「ふむ。ご飯もそろそろ炊けたゆえ、すぐに食べられるであろう」
「まーまー! アサリが入ってる! いい匂いさね! あんさんの国の料理かい?」
渋面だったカンニャさんは鼻をひきつかせて、竈に近寄ってきた。
「ああ、久々に作ったがゆえ、腕は落ちたが、其方等の口に合うとよい」
「まーまー! これは美味しいに決まってるさね! 厨房で働くアタイが保証するさー!」
カンニャさんは自信ありげに胸を叩いた。
「そう言ってくれるとありがたい。では其方等の晩御飯を邪魔しないよう、余とフェーはこれにてごめんするとしよう」
外はもうすっかり暗くなってしまったから、早く帰らないとセルンに怒られてしまう。
こくこくと頷き、ニロと共に帰ろうとしたが、老婆に手を取られた。
「やーいやーい! 何言ってるやっさー! せっかくだからワッチらと一緒に食べー!」
「いや。よいのだ。そろそろ帰らないと…ー」
「やだやだー! お兄ちゃん、お姉さん、もう少し一緒に居てよー!」
背後からニタちゃんに抱きつかれ、リット君とナック君も近くに走ってきた。
「なーなー! 一緒にご飯を食べよーよー!」
「一緒に……食べりゅ!」
リット君とナック君がうるうるした目で私たちを見上げた。困ったわ、と思ったところ、老婆は驚いた感じで頬にえくぼを浮かべた。
「やーいやーい! 人見知りのナックまで懐いてるやい! これは珍しいやっさー!」
「いや。気持ちだけでよい…ー」
私を気にかけた様子で、ニロは断ってくれたが、
「まーまー! すぐに用意するからあんたさんは遠慮しないでそっちに座りー! リット、ニタ、皿を持ってー!」
「はーい!」
一家がテーブルの準備をし始めたので、とうとう断り切れず、そのまま食卓を囲むことになったのだ。
3人はまだ若いのに、せっせと手伝っているわ。
しっかりしているね。
最初に会った時、もしかしたら3人は戦争孤児なのではと心の準備をしていた。
けれど、先程の会話からすると親はちゃんと生きているみたいで、本当に良かった。
口喧嘩をする賑やかな家族だが、特独な温かみがあって、3人とも幸せそうだ。一人で胸を撫で下ろし、わいわいする彼らの姿を眺めた。
「アサリが入ってる。すげぇいい匂い」
「これなんて言うの、アサリご飯? 美味しそう~」
「あちゃり、ごはん……」
炊き込みご飯をのぞきみる3人。その口角には、つばのようなものが垂れている。興味津々なのね、うふふ。
実は彼らに負けないくらい、私も気になって仕方がないのよね。
これがニロの作ったアサリの炊き込みご飯……。
まじまじと平皿を眺めて、クンクンと香ってみる。
……んんっ、いい匂い~! 艶があってとっても美味しそうだわ!
これはニロの手料理だから、正に江戸の味、そしてニロの味~!
顔を上げると、そこには銀の瞳があった。どうやら私を待っていたらしいその銀眸と視線がむつみあった途端、くすり、とニロが笑う。
あ、ニロに今の思考が……!
かぁぁあ、と顔が熱る。
そうしてセルンに悪いと思いつつも、出汁がたっぷりとしみたホカホカご飯をフウフウして、ぷりっとしたアサリの食感を味わいながら、ニロと幸せなひと時を堪能したのである。
焦って下を向くと、ツーと水滴が頬をつたう。
「……フェ、……んっ。……ふむ。そうだな。であれば、アサリを茹でたまえ」
私のほうに伸ばしかけた手をひっこめて、ニロはぐるりと背中を見せた。
その後ろ姿はどこか悄然としてみえる。
普段の公務から解放されて、せっかくニロの肩の力が抜けたというのに、こんな時に泣いてしまうなんて……。
ああ、何やってるの、私……。ニロが気まずそうじゃない……。
後悔しつつ、なにやら仕込みを始めたニロの指示通りに手を動かした。
「ふむ。後は蓋をして余熱で蒸すだけだ。三人共よくぞ頑張ってくれた」
何事もなかったかのように、ニロは手伝ってくれた三人を労う。
よかったと思ったところ、リット君の得意そうな声がひびいた。
「なーなー! ニロ兄ぃ! オラが一番役に立ったよなー!」
「え、なに言ってんのよ、バカリット! 火起こしくらいしかできないくせにー!」
噛み付くようにニタちゃんがそう言い放った。
「バカってなんだー! オラの方が年上なんだぞー!」
「もー! だから従兄だけど同い年だってばー! 勝手に年上ぶるんじゃないよー! ほんとバッカなんだからー!」
又しても口論を始めた二人をそっちのけで、ナック君はのそのそとニロの背後に回った。そして、勝者を発表するかのごとく、
「……一番……がんばった人……!」
声を張り上げてトントンとニロの肩を叩き始めた。
「ふむ。ありがたいな、ナック」
「ナック……ありがたいな……!」
ニロが礼を言うと、ナック君は喜色満面でその言葉を繰り返した。
まあ。言葉を覚える年頃なのね。純粋で可憐だわ。
そうして異なる雰囲気を醸し出す四人で癒されていると、急に後ろから明朗な声が聞こえてきた。
「やーいやーい! 楽しそーやっさー」
「ババー!」
阿吽の呼吸で二人はわっと家に入ってきた老婆に駆け寄った。
小柄で少し背が曲がっているものの、癖毛がかったその黒髪はまだ艶を纏い、若々しく見える。
「ねえねえ、ババ! 見て! ニロお兄ちゃんとフェーお姉ちゃんよー!」
「外国人だよー! ババも初めてだよなー!」
二人に抱きつかれ、老婆は細い手を左右に振り、面白がって笑った。
「初めてじゃないやい。昔は飽きるほど見たやっさー」
「えー! うっそだぁー! じゃーなんでオラ見たことないんだー!」
そう反論するリット君に老婆は眉を寄せた。
「オメエが生まれてすぐ戦争が始まったからやい。それで観光客が来なくなったからオメエの親が出稼ぎに出たやっさー!」
老婆がそう説明すると、
「じゃー外国人がいっぱい来たら、とーちゃんとかーちゃんが戻ってくるのかー!」
「ねえねえ、ババ! どうすれば観光客が帰ってきてくれるのー! あたしも父ちゃんと会いたーい!」
期待を帯びた二人の眼差しに老婆は困った顔を見せる。
「それを知ってたらワッチも苦労しないやい」
呆れたようにそう言うと、老婆は私たちに視線を移した。
「あんさん達、お客の付き人やが? 随分と汚れてるやい、どっかで転んだやっさー?」
「ああーー」
「二人はアットにいたよー!」
ニロが口を開きかけたが、先にリット君の陽気な声が響いた。
「ベイサーかと思って怖かったーって痛ぇー!」
「まーまー! あんたまたアットに行ったかい! しょうがない子さねー!」
と老婆の後ろから先程の女性がどんと前に出た。
「痛てっ、痛てててて! まだなにもしてないから離してよ、カンニャオバー!」
リット君は耳を引っ張られた方向に合わせて、ちょんちょんと跳ねた。
「神聖な場所で遊ぶなって何回言ったら分かるさねー! 女神が怒るさよー!」
「えー! あんな汚いところのどこが神聖だよー! こんくらい聖女様がオラを許してくれるから大丈夫だよー」
「それでも女神があんたを許さないさねー!」
猛反発するリット君に、女性は怒気を帯びた声で一喝した。
「やーいやーい、カンニャ! お客の前やっさー!」
老婆がそう注意すると、女性は物足りなさそうな表情でリット君の耳を解放した。
痛そう……。
でもリット君は慣れているのか、もうけろっとしている。
うんと、いまリット君を叱ったのはニタちゃんのお母さんで、リット君の叔母さんか。名前はカンニャさん、でいいのかな?
一人でそう情報を整理していると、再び私たちに顔を向けた老婆は小首を傾げた。
「あんさん達アットに行ったやが?」
「ふむ。珍しい形状が故、ちと興味が湧いたのだ」
「そーがそーが! それで服を汚したやがー」
ニロの答えに、なるほどと老婆は頷いた。
「戦争が終わってからもー誰も掃除しないだわけさー。まだあのアットに餅米と蝋燭を置きに行くのってワッチくらいやい。やしが、昔はアット以上に綺麗な場所はなかったやっさー!」
「ババー! アットの話はもーいいからご飯しよーよー! オラ腹減ったーって痛ぇ!」
「まーまー! 本当にしょうがない子さねー!」
老婆の言葉を遮ったリット君は、ゴツンとゲンコツを喰らい、痛そうに座り込んだ。
空気を読み、ニロが釜の蓋を開けると、蒸気と共にぷんと温かい磯の香りが辺りを漂った。
「ふむ。ご飯もそろそろ炊けたゆえ、すぐに食べられるであろう」
「まーまー! アサリが入ってる! いい匂いさね! あんさんの国の料理かい?」
渋面だったカンニャさんは鼻をひきつかせて、竈に近寄ってきた。
「ああ、久々に作ったがゆえ、腕は落ちたが、其方等の口に合うとよい」
「まーまー! これは美味しいに決まってるさね! 厨房で働くアタイが保証するさー!」
カンニャさんは自信ありげに胸を叩いた。
「そう言ってくれるとありがたい。では其方等の晩御飯を邪魔しないよう、余とフェーはこれにてごめんするとしよう」
外はもうすっかり暗くなってしまったから、早く帰らないとセルンに怒られてしまう。
こくこくと頷き、ニロと共に帰ろうとしたが、老婆に手を取られた。
「やーいやーい! 何言ってるやっさー! せっかくだからワッチらと一緒に食べー!」
「いや。よいのだ。そろそろ帰らないと…ー」
「やだやだー! お兄ちゃん、お姉さん、もう少し一緒に居てよー!」
背後からニタちゃんに抱きつかれ、リット君とナック君も近くに走ってきた。
「なーなー! 一緒にご飯を食べよーよー!」
「一緒に……食べりゅ!」
リット君とナック君がうるうるした目で私たちを見上げた。困ったわ、と思ったところ、老婆は驚いた感じで頬にえくぼを浮かべた。
「やーいやーい! 人見知りのナックまで懐いてるやい! これは珍しいやっさー!」
「いや。気持ちだけでよい…ー」
私を気にかけた様子で、ニロは断ってくれたが、
「まーまー! すぐに用意するからあんたさんは遠慮しないでそっちに座りー! リット、ニタ、皿を持ってー!」
「はーい!」
一家がテーブルの準備をし始めたので、とうとう断り切れず、そのまま食卓を囲むことになったのだ。
3人はまだ若いのに、せっせと手伝っているわ。
しっかりしているね。
最初に会った時、もしかしたら3人は戦争孤児なのではと心の準備をしていた。
けれど、先程の会話からすると親はちゃんと生きているみたいで、本当に良かった。
口喧嘩をする賑やかな家族だが、特独な温かみがあって、3人とも幸せそうだ。一人で胸を撫で下ろし、わいわいする彼らの姿を眺めた。
「アサリが入ってる。すげぇいい匂い」
「これなんて言うの、アサリご飯? 美味しそう~」
「あちゃり、ごはん……」
炊き込みご飯をのぞきみる3人。その口角には、つばのようなものが垂れている。興味津々なのね、うふふ。
実は彼らに負けないくらい、私も気になって仕方がないのよね。
これがニロの作ったアサリの炊き込みご飯……。
まじまじと平皿を眺めて、クンクンと香ってみる。
……んんっ、いい匂い~! 艶があってとっても美味しそうだわ!
これはニロの手料理だから、正に江戸の味、そしてニロの味~!
顔を上げると、そこには銀の瞳があった。どうやら私を待っていたらしいその銀眸と視線がむつみあった途端、くすり、とニロが笑う。
あ、ニロに今の思考が……!
かぁぁあ、と顔が熱る。
そうしてセルンに悪いと思いつつも、出汁がたっぷりとしみたホカホカご飯をフウフウして、ぷりっとしたアサリの食感を味わいながら、ニロと幸せなひと時を堪能したのである。
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