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影絵芝居 ③

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 かっかと胸が熱くなり不意に固まると、額に密着する感触が伝わってきた。ああ、いつも通り額を寄せてきただけか。びっくりしたわ……。

 こっそりほっと胸を撫でおろす。

 セルンに悩まなくていいと言われたが、それでも婚約している身でニロと唇を重ねることに負い目を感じてしまう。

「……すまない。フェーリ」

 長いまつ毛をあげて、ニロは真顔で私を見つめてきた。

(……どうして謝るの?)

「ああ、……ふむ。この間、余が己を制御できなかったゆえ、お前に負担をかけてしまったろう……」

(……私に負担?)

「ふむ……。この数日間、お前はよく眠れなかったであろう? ……余との、せ、接吻のことで……」

 やや赤みの帯びた頬でニロが答えた。

 え、悩みのことがバレてしまったの? 必死に考えないようにしていたのに、どうして……?

「フェーリ。お前は余から隠し事をしないと約束したであろう?」
 
 いまの思考が伝わったのか、ニロに困った顔をされた。

『とにかく今後は余に隠し事をするな、何かあったら真っ先に相談したまえ』

 8年まえ、指切りでニロとそう約束したわ。そうか、それでニロが怒ったのか……。

「余はもう二度とお前を困らせない。ゆえにしかと婚約を解消させてから、お前の唇に触れる」

 そう言うとニロは私の小指に自分の小指を絡めて、上下にふった。

「これは約束だ」

 真剣な眼差し。
 ちらちらと揺れる蝋燭の火を映すニロの瞳は、宝石のように透き通って、異様に輝いてみえた。

(……ありがとう、ニロ。そして約束を守らなくてごめんね……)

 覚えているけれど、あれはニロに言える相談ではなかった……。

「謝るな、フェーリ。約束を忘れたわけではなかろう?」

(うん……)

 思考だけではなく、なぜだかニロにはすべての心情を把握されているような気がする。

「……お前に嫌な思いをさせてすまなかった」

 私の頬を包み込んで、ニロは囁いた。

 悲しそうな顔……。罪悪感で眠れなかったのは本当だけれど、よかったと思うこともあるのに……。

「いやな、思い、だけじゃない……」
「……ん?」

 頑張って唇を動かすと、その声に反応してニロは首をひねった。
 いまは恥ずかしがっている場合じゃない。ここはちゃんとニロに伝えないと……。

「ニロの、気持ち。……知れて、嬉し、かった……」
 
 思い切って言ったけど、やっぱ恥ずかしい……!

 ドクドクと早鐘のような脈打ちが伝わり、少しでもその音を鎮めようと息を止めたら、ドスン、と音を立てて、ニロが床に座り込んだ。

「ニロ、大丈夫……?」

「……近くにくるな。フェーリ」

 自分の膝を抱えて、ニロは顔をうずめた。
 その首筋はなぜかリンゴのように赤くなっている。

「……どうしたの?」

 ニロの肩に手をかけて問いかければ、ちらりと腕の隙間から熱っぽい銀の視線を感じた。

「また、制御が効かなくなるゆえ、余の近くにくるな……」

 制御が効かなくなるって、つまり……っ。

 ドキンと飛び上がって、ニロから距離をとった。

 顔が熱い。きっと真っ赤だよどうしよう……。
 悶えていれば、しぃんと奇妙な沈黙が流れた。

 うっ、ニロが固まってるわ。
 先に声をかけるべきだよね? ……いや、ここは黙って待つべき、かな……?
 前世から恋愛経験がないから、この場合どうすればいいのかわからないよ……って、恋愛⁇ で、でも私とニロは、別に……っ。

 混乱しながらつくねんと座っていれば、目の前にニロの手が伸びてきた。

「フェーリ。ち、……んんっ。……ちとだけ、お前の手を繋いでも、よいか……?」

 顔を半分腕にうずめたまま、ニロは私の様子をうかがった。あれ、ニロも真っ赤だ……。

 いつもと違う。少し甘いその雰囲気にふわっと胸が揺れる。

「だめ、なのか……?」
 
 恥ずかしくて、つい無言でいると、再びニロの声が響いた。

 はじめから戸惑うことなんてないのに、すぐに返事が出なかった。おずおずする自分をここまで嫌だと思ったことはない。もっと素直になれと勇気をふりしぼり、声を出した。

「ダメ、じゃない……」

 もじもじと手を差し出せば、ニロはホッとしたように熱い息をこぼした。

 うっ、震えが止まらない……。

 瞳を絡ませあい、二人の指先が触れる。
 とたん、ピリッとした甘い痺れが背筋まで駆け抜けた。

「…………っ」

 え、なにこれ。静電気……?

 息を呑み、思わず手を引っ込めようとしたが、がしっとニロに掴まれた。見あげれば、そこには堪え難そうな表情があった。

(ニロ……?)

 動揺する私をみすえて、

「……すまない、フェーリ。……ちと、だけ…っ」
 
 ごくりとニロの喉が動いた。
 その目元はほんのりあかく染まっている。

(ちょっとって、なに……)

 ニロは返事をせず、ただ桃色の唇を甘噛みして、距離を迫ってきた。

 心の中で予想がつき、罪悪感と期待に胸が躍りだす。
 うそ。でも、そんな……。さっき、約束したばかり、だから……。

 じぃと身をこわばらせていれば、鼻先にニロの唇が触れ、チュッと小さな水音がなった。
 あれ? と目をしばたたかせる私をみて、ニロは甘く微笑んだ。

「フェーリ。あいし──」

「──うわぁあ! お化けベイサだ!」
「ええええっ!!」
「!」

 ニロの声をかき消すように、塔の中に悲鳴がかちあった。驚いてすっくと立ち上がると、目の前にはわなわなと震える小さな人影が見えた。

 小麦色の肌……地元の子供たちなのかな……? 

 そうして呆然と彼らを見つめていると。

「うぁああ……! もう二度と壁に落書きしないから許してぇ……!」
 
 男の子が鼻水を垂らしてそう叫ぶと、後ろにいる女の子もポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。

「嫌だあ! ベイサの島に行きたくない……!」

「飴さんあげりゅから……連れて行かにゃいで……うぇーん」
 と一番幼く見える男児がひっくひっく泣き出した。

 ベイサ……これは南に伝わる怪談の一つで、悪戯っ子を死者の島へ連れて行くお化けのことだよね。白い顔で手を長く伸ばせるから、先に逃げ出した子から捕まれると本に書いてあったわ。

「あげりゅ……。これで全部、グスッ……」

 とポケットから飴を取り出した男児は潤んだ茶色の瞳で私を仰ぎ見る。

 それ、なんで私に差し出すの……?
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