21 / 29
真夜中の会話
しおりを挟む
*********【情景】
満月に照らされて、ガタガタと広大な屋敷の前に真っ白な馬車が止まった。
そこからすらりと背の高いドナルドが降りてきて、凛々しい佇まいでセルンを一瞥した。
「おかえりなさいませ、ドナルド様」
セルンを素通りして、ドナルドは穏やかに歩を進めた。その表情はやや険しく見える。
そうして長い廊下をとおり、木製の階段を上りながら、ドナルドが沈着な声を発した。
「フェーリの様子はどうかね、セルン」
「はっ。2通目のお手紙でお伝えした通り、お嬢は熱をだして、いま部屋で休まれています」
「……そう」
セルンに付き添われ、廊下の1番奥にある扉を前にしてドナルドは足を止めた。
すぐ横には、王の紋章を描く大きなステンドグラスがある。
そこから差し込まれた鈍い月明かりが、ドナルドの暗い顔を淡く彩った。
扉を開けようとしたセルンに手を振って、ドナルドが自ら取っ手に触れた。
そして一瞬戸惑ってから、そっと開ける。
「……私は父親として失格だ」
少しだけ空いたその隙間から中を覗きこみ、ドナルドが呟いた。森閑とした屋敷の中、その声は異様に大きく響きわたった。
「……ドナルド様、そんな──」
「いいんだ。セルン」
不意をつかれたセルンの声にかぶせて、ドナルドはさらに顔を曇らせた。
「たった1人の娘がこんな可哀そうな目に遭っているのに、私はね、この状況をどう利用すればいいのかしか、頭にないのだよ……」
蝋燭の灯りに照らされて、深く眠るフェーリの顔を静かに眺めながら、ドナルドが言った。
「ニロ様の教師としてフェーリが指名されたと聞いて、通常の宴会にどうしても参加しなかった彼をいろんな手で出席させた甲斐があったと、私は心底喜んだ。これで計画どおり物事が進められる」
ややあって、ドナルドは小さくため息を吐いた。
「もしね、セルン。フェーリの幸せかコンラッド家の未来か。どちらかを犠牲にしなければならないのなら、私は迷わず彼女の幸せを犠牲にするだろう。そのくらい私は……」
扉の取っ手に力を込めたドナルドの手に気づき、セルンがおもむろに口を開く。
「……ドナルド様がいなければ、文家は確実に滅んでしまいます。そうなれば経済が荒れて、王国が傾く……いいえ、その存続すら危ぶまれる事態となりましょう。それを避けるためにも文武の対立をなくさなければ、王国は持ちません」
空いた扉の隙間に視線を投げかけつつ、セルンが言葉をつづけた。
「……そして現時点でそれを可能にできるのは、お嬢だけです」
無力感を漂わせたセルンの姿をみて、ドナルドはやや驚いた顔になった。だが、すぐさまその口元に笑みが浮かんだ。
「セデック伯爵と例の話が通った。これでフェーリを狙う連中もいなくなるはずだ」
喜びの色を帯びたその口調に、セルンは固唾を呑み、確認のごとき言葉を紡ぎだす。
「……それは、キウスとの話でしょうか」
「うん。そうだよ」
「そう、ですか……。確かに、それならお嬢を狙う愚者どももいなくなるでしょう」
笑顔でそう返すと、セルンは再び俯いた。
自分の足元をじっと見つめるその青藍の瞳はかすかに揺れて、どこか悔しそうだった。
「うん。それで、フェーリに怖い思いをさせたストロング子爵にもたっぷりとそのツケを支払ってもらわねばだね」
セルンの憂いに気づかないふりして、ドナルドは扉を閉めた。その穏やかな声には怒りのようなものがあった。
「あ、ドナルド様。それについてなんですが、お嬢がこんなことを言っています」
なにかを思い出したセルンはドナルドに手紙を差し出す。
それを受け取り、きれいに書かれた黒い文字をサラッと目で追うと、ドナルドはやれやれと長い息をもらした。それをみて、セルンも困ったように言葉を加えた。
「お嬢は眠るまでずっと『極刑だけは』と言っていました」
「そうかい。うん。ただこれは見せしめのいい機会だから……」
と手紙に目を落としつつ、ドナルドは悩ましげに瞼を閉じた。
そうして数秒ほど経ってから、ゆっくりと開けられたその青い瞳は先ほどの冷たさをなくして、優しい光を帯びていた。
「……うん。でもあの子の願いなら、仕方ないね」
慈愛に満ちあふれた口調でそう呟くと、ドナルドは大事そうに手紙を封筒に戻したのだ。
満月に照らされて、ガタガタと広大な屋敷の前に真っ白な馬車が止まった。
そこからすらりと背の高いドナルドが降りてきて、凛々しい佇まいでセルンを一瞥した。
「おかえりなさいませ、ドナルド様」
セルンを素通りして、ドナルドは穏やかに歩を進めた。その表情はやや険しく見える。
そうして長い廊下をとおり、木製の階段を上りながら、ドナルドが沈着な声を発した。
「フェーリの様子はどうかね、セルン」
「はっ。2通目のお手紙でお伝えした通り、お嬢は熱をだして、いま部屋で休まれています」
「……そう」
セルンに付き添われ、廊下の1番奥にある扉を前にしてドナルドは足を止めた。
すぐ横には、王の紋章を描く大きなステンドグラスがある。
そこから差し込まれた鈍い月明かりが、ドナルドの暗い顔を淡く彩った。
扉を開けようとしたセルンに手を振って、ドナルドが自ら取っ手に触れた。
そして一瞬戸惑ってから、そっと開ける。
「……私は父親として失格だ」
少しだけ空いたその隙間から中を覗きこみ、ドナルドが呟いた。森閑とした屋敷の中、その声は異様に大きく響きわたった。
「……ドナルド様、そんな──」
「いいんだ。セルン」
不意をつかれたセルンの声にかぶせて、ドナルドはさらに顔を曇らせた。
「たった1人の娘がこんな可哀そうな目に遭っているのに、私はね、この状況をどう利用すればいいのかしか、頭にないのだよ……」
蝋燭の灯りに照らされて、深く眠るフェーリの顔を静かに眺めながら、ドナルドが言った。
「ニロ様の教師としてフェーリが指名されたと聞いて、通常の宴会にどうしても参加しなかった彼をいろんな手で出席させた甲斐があったと、私は心底喜んだ。これで計画どおり物事が進められる」
ややあって、ドナルドは小さくため息を吐いた。
「もしね、セルン。フェーリの幸せかコンラッド家の未来か。どちらかを犠牲にしなければならないのなら、私は迷わず彼女の幸せを犠牲にするだろう。そのくらい私は……」
扉の取っ手に力を込めたドナルドの手に気づき、セルンがおもむろに口を開く。
「……ドナルド様がいなければ、文家は確実に滅んでしまいます。そうなれば経済が荒れて、王国が傾く……いいえ、その存続すら危ぶまれる事態となりましょう。それを避けるためにも文武の対立をなくさなければ、王国は持ちません」
空いた扉の隙間に視線を投げかけつつ、セルンが言葉をつづけた。
「……そして現時点でそれを可能にできるのは、お嬢だけです」
無力感を漂わせたセルンの姿をみて、ドナルドはやや驚いた顔になった。だが、すぐさまその口元に笑みが浮かんだ。
「セデック伯爵と例の話が通った。これでフェーリを狙う連中もいなくなるはずだ」
喜びの色を帯びたその口調に、セルンは固唾を呑み、確認のごとき言葉を紡ぎだす。
「……それは、キウスとの話でしょうか」
「うん。そうだよ」
「そう、ですか……。確かに、それならお嬢を狙う愚者どももいなくなるでしょう」
笑顔でそう返すと、セルンは再び俯いた。
自分の足元をじっと見つめるその青藍の瞳はかすかに揺れて、どこか悔しそうだった。
「うん。それで、フェーリに怖い思いをさせたストロング子爵にもたっぷりとそのツケを支払ってもらわねばだね」
セルンの憂いに気づかないふりして、ドナルドは扉を閉めた。その穏やかな声には怒りのようなものがあった。
「あ、ドナルド様。それについてなんですが、お嬢がこんなことを言っています」
なにかを思い出したセルンはドナルドに手紙を差し出す。
それを受け取り、きれいに書かれた黒い文字をサラッと目で追うと、ドナルドはやれやれと長い息をもらした。それをみて、セルンも困ったように言葉を加えた。
「お嬢は眠るまでずっと『極刑だけは』と言っていました」
「そうかい。うん。ただこれは見せしめのいい機会だから……」
と手紙に目を落としつつ、ドナルドは悩ましげに瞼を閉じた。
そうして数秒ほど経ってから、ゆっくりと開けられたその青い瞳は先ほどの冷たさをなくして、優しい光を帯びていた。
「……うん。でもあの子の願いなら、仕方ないね」
慈愛に満ちあふれた口調でそう呟くと、ドナルドは大事そうに手紙を封筒に戻したのだ。
0
お気に入りに追加
452
あなたにおすすめの小説
やり直しの人生では料理番の仕事に生きるはずが、気が付いたら騎士たちをマッチョに育て上げていた上、ボディビルダー王子に求愛されています!?
花房ジュリー②
ファンタジー
※2024年8月改稿済み。
貧乏子爵令嬢のビアンカは、社交界デビューするも縁に恵まれず、唯一見初めてくれたテオと結婚する。
ところがこの結婚、とんだ外れくじ! ビアンカは横暴なテオに苦しめられた挙げ句、殴られて転倒してしまう。
死んだ……と思いきや、時は社交界デビュー前に巻き戻っていた。
『もう婚活はうんざり! やり直しの人生では、仕事に生きるわ!』
そう決意したビアンカは、騎士団寮の料理番として就職する。
だがそこは、金欠ゆえにろくに栄養も摂れていない騎士たちの集まりだった。
『これでは、いざと言う時に戦えないじゃない!』
一念発起したビアンカは、安い食費をやりくりして、騎士たちの肉体改造に挑む。
結果、騎士たちは見違えるようなマッチョに成長。
その噂を聞いた、ボディメイクが趣味の第二王子・ステファノは、ビアンカに興味を抱く。
一方、とある理由から王室嫌いな騎士団長・アントニオは、ステファノに対抗する気満々。
さらにはなぜか、元夫テオまで参戦し、ビアンカの周囲は三つ巴のバトル状態に!?
※小説家になろう様にも掲載中。
※2022/9/7 女性向けHOTランキング2位! ありがとうございます♪
【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断
Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。
23歳の公爵家当主ジークヴァルト。
年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。
ただの女友達だと彼は言う。
だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。
彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。
また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。
エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。
覆す事は出来ない。
溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。
そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。
二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。
これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。
エルネスティーネは限界だった。
一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。
初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。
だから愛する男の前で死を選ぶ。
永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。
矛盾した想いを抱え彼女は今――――。
長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
センシティブな所へ触れるかもしれません。
これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
二度目の人生は異世界で溺愛されています
ノッポ
恋愛
私はブラック企業で働く彼氏ナシのおひとりさまアラフォー会社員だった。
ある日 信号で轢かれそうな男の子を助けたことがキッカケで異世界に行くことに。
加護とチート有りな上に超絶美少女にまでしてもらったけど……中身は今まで喪女の地味女だったので周りの環境変化にタジタジ。
おまけに女性が少ない世界のため
夫をたくさん持つことになりー……
周りに流されて愛されてつつ たまに前世の知識で少しだけ生活を改善しながら異世界で生きていくお話。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
転生したら、実家が養鶏場から養コカトリス場にかわり、知らない牧場経営型乙女ゲームがはじまりました
空飛ぶひよこ
恋愛
実家の養鶏場を手伝いながら育ち、後継ぎになることを夢見ていていた梨花。
結局、できちゃった婚を果たした元ヤンの兄(改心済)が後を継ぐことになり、進路に迷っていた矢先、運悪く事故死してしまう。
転生した先は、ゲームのようなファンタジーな世界。
しかし、実家は養鶏場ならぬ、養コカトリス場だった……!
「やった! 今度こそ跡継ぎ……え? 姉さんが婿を取って、跡を継ぐ?」
農家の後継不足が心配される昨今。何故私の周りばかり、後継に恵まれているのか……。
「勤労意欲溢れる素敵なお嬢さん。そんな貴女に御朗報です。新規国営牧場のオーナーになってみませんか? ーー条件は、ただ一つ。牧場でドラゴンの卵も一緒に育てることです」
ーーそして謎の牧場経営型乙女ゲームが始まった。(解せない)
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる