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 セシルは童話を愛読する少女らしく、一目惚れというものに憧憬があった。

 いつかセシルに一目惚れした王子が白馬に乗って、彼女を迎えにくる。そんな儚い夢が砕け散ったのは忘れもしない、セシルが6才になる日のことであった。

「ほら、アーサー。挨拶を」

 セシルより少し背の高い少年が、磨き抜かれた真新しい革靴を運んでセシルの前に並べた。

 少年の美貌を形容するのに相応しい語彙を、幼いセシルは持ち合わせていなかった。真っ白なハイソックスがよく似合う長い足。7才にしては厚みのある胸板。柔らかそうなハチミツ色の髪。
 少年の体のどの部位をとっても『美しい』とセシルは純粋に思えた。

「君は醜い。僕は嫌いだ」

 セシルの視界がようやく赤いベリー色の唇を捉えた時、その言葉が発せられる。
 
 生まれて初めて感じた胸の高まりは、砕き割れたガラス細工のような心臓の音と共に延々とこだました。


★☆☆☆☆☆


「セシル! ひっさしぶりね」

 魔素機関で動く自動車から降りたセシルは、寮門の手前で手を振る少女を見て笑顔を咲かせた。

「アンナ! 待っててくれたの?」

「当然じゃない! あなたがこの学校に入るというから、慌てて転校してきたのよ」

「嘘ばかり~! アンナのお父様の意向でしょ?」

「まぁね。有望な貴族の令息をたんと捕まえてこいってさ」

「やだ、本当に言ってそう」

 二人は両親の付き合いで幼少期からよく遊んでいる間柄だ。お互いの家族のことをよく知っている。

「セシルのパパは逆でしょ? 喧嘩を売るな、挑発するな、とか?」

「あら、アンナちゃん。私はか弱い淑女よ? 喧嘩なんてするわけないじゃない」

「またまた~!」

 ひとしきり笑い合うと、セシルは従者から革製のトランクケースを受け取り、アンナと共に寮門を潜った。

 今春の入学式に合わせて、セシルの荷物は2週間前から既に寮の自室に搬入されている。

 貴重品だけを詰め込んだトランクケースをしっかりと保管したセシルは、この日のためにオーダーメイドしたワンピースに袖を通す。

 去年まで由緒正しい家柄の息女しか受け入れない、ドロイトハウス寄宿学校。いわば貴族学校であったのだが、時代の変遷に影響されてか、今年から一般向けに開放されるようになった。

 もちろん、入学金や学費は高額で、庶民では到底手が届かない。
 表向きは教育改革のためだが、実質は近年勢いがある新進気鋭の資産家の寄付金だろう。

「セシル、校内を回るだけなのに気合い入れすぎじゃない?」

 着替えを終えたところで、アンナから怪訝そうな眼差しを受けた。

 セシルが着ている白いワンピースは派手さこそないけれど、肩から伸びる半透明なシルクには緻密な刺繍が施され、ケアの行き届いた白くハリのあるセシルの肌を美しく飾る。

「第一印象って大事だから、ね?」

「あなた、まさかまだあの伯爵令息のことを?」

「もちろんよ。なんのためにこの学校を選んだと思う?」

 セシルにはどうしても見返してやりたい人がいた。そのために、淑女の教育にも美容にも抜かりなく精を出して頑張ってきた。
 全てはセシルを一目で醜いと罵った、セシルの初めての、そして最後に恋心を抱いた男子のために。

「あなたね……、あれは6歳のことでしょ? 彼は7歳か、10年経った今もう忘れてるよ」

「それが狙いなの」

 三日月の空は曇りがちだが、今日は朝から晴れていた。
 本日セシルと同じように入寮してきた多くの生徒たちが、いそいそと湿った石畳の廊下を通っていく。その向こうからやってくるセシルが見えるなりやにわに足を止めて、男子たちがちらほらと振り返った。

 セシルは慣れた仕草で男子たちに手を振ると、甘美な笑顔も忘れずに添えて差し上げた。

「あなた、本当に罪な女ね」

 アンナのジト目に気づかないふりして、セシルはグラウンドの方へと向かっていく。

 探したい相手の位置情報くらい事前に掴んでいるのだ。
 磨き上げたこの美貌で彼の目を惹き、あとは初対面のフリをして彼を籠絡する。そして彼が告白の言葉を口にするその時、セシルは言ってやるのだ。あなたは醜い、嫌いだと。

 やがて目的地へ着くと、野外からわぁっと熱い歓声が上がった。

「ノーバウンド6ラン、あれでハーフセンチュリーだぜ!」

「勝ち確だ! バッターはダミアン王子とアーサーか!」

 早春とはいえ、まだオングレの空気は冷たい。こんな日に野外でクリケットをプレイするなんてカッコつけもいいところだ。

 不本意ながら僅かな期待を胸に潜めて、セシルはピッチの中央をみた。2人のバッターが澄んだ音のするハイタッチを交わして、楽しげに笑っている。

 悔しいけれど、10年ぶりに見る彼の顔は相変わらず美しかった。
 整った輪郭が成熟して、幼なげさをなくした代わりに精悍な雰囲気を醸し出す。スポーツをよくやっているのか、肌は少し焼けて、汗ばんだシャツの下から引き締まった筋骨が感じられる。

 伯爵家の長男で、この学校の有名人ーー『アーサー・ウェルズ・キャンベル』

「やっと会えた」

 今のアーサーに対するセシルの気持ちを『恋』と形容するには、あまりにも歪んでいる。

 セシルはアーサーを後悔させたい。彼の冷たく、人を寄せ付けないようなエメラルドグリーンの瞳を、セシルしか見えなくなるくらいに彼の心を独占して、その自信を砕いてやりたい。
 
 あの日逃した魚が大きかったんだと、一生かけて悔やんで欲しい。

 セシルの鋭い視線を察知したのか、アーサーは振り向いた。そしてセシルが見えると、そのまま動きを止めてじぃと彼女をみた。

 まさか、私のことを覚えて……?

 セシルが身構えた時、アーサーの背後からヒョロリとダミアンが首を覗かせた。

「アーサーの知り合いかい?」

「違うが?」

「そうかい? 目があったら挨拶するのが普通でしょ、ほら」

 一瞬でも期待してしまった自分が愚かだった。
 セシルは鏡の前で何千回も練習した完璧な笑顔を浮かべて、目の前にやってきたダミアンに淑女の礼をとった。

「不躾をお許しください、セシル・グリーンウッドと言います。こちらは幼馴染のアンナ」

「アンナ・ジョルダンです」

「やぁ、こんにちは。私はダミアン、ダミアン・カエサル・ビュアモントだ。こちらはーー」

「アーサー・ウェルズ・キャンベル。伯爵令息、ですね? ごきげんよう」

「おや? 彼のことを知っていたのかい?」

「会うのは初めてですが、お二人の噂はかねがね」

 甘い笑顔を湛えるダミアンとは真逆で、アーサーはずっと眉を顰めてセシルの顔を見ようともしない。最初から簡単に釣れるとは思わなかったが、なかなか手強い。どうやって印象づけようかと悩んだ時、アーサーが口を開いた。

「会うのは初めて、ではないだろ?」

「はい?」

「とぼけるな。僕は君を忘れていない。君も恐らく同じだろ?」

「おやおや? 知り合いではないじゃなかったのか?」

「茶化すな、ダミアン。本当に知り合いではない。挨拶もちゃんと交わせなかった間柄だ」

「ふぅん、へぇ?」

 ダミアンはアーサーの肩に腕を回して興味津々な様子。一方のセシルはまさかの状況に狼狽していた。

「挨拶を交わせなかった理由は覚えて?」

「もうすぎたことだ」

 アーサーは困ったような顔をした。
 話を盛り返したくないのであれば、初対面のフリして無視すればいいものを、なぜ敢えてセシルの嘘を指摘して気まずい状況を作る。

 伯爵家らしく清廉潔白でいるためか? 本心であれば乙女を醜いと罵っても許されると思っているのか。よくわからない怒りが沸々とセシルの中に湧き上がる。

「あら、何がすぎたこと、でしょうか? 醜かった過去の私? 今は見苦しくないから、挨拶を交わしてくださる、と?」

「…………外見は関係ない」

 人のことを醜いと暴言を吐いておいて何を言う。
 セシルの中で燻っていた怒りがとうとう爆発する。

「あらあら、隠さなくても良いのです。外見至上主義であることは決して悪いことではありませんよ?」

 セシルの敵意を感じたのか、アーサーがきりりと柳眉を引き寄せた。

「だから違うと言っている」

「何が違うのでしょうか? 今の私も醜い、そうおっしゃるのですか?」

「なぜこうも人を追い込もうとする? ああ、聞きたいなら聞かせてやろう。君は醜い! 今も昔も、君のような人間は嫌いだ!」

 売り言葉に買い言葉なのか、アーサーが声を上げた。そして周囲の瞠目に気づくと、バツが悪そうにそそくさと去っていった。

「おやまぁ、アーサーが声を上げるなんて珍しい」

 ダミアンはしげしげとアーサーの背中を見送ると、セシルに笑顔を見せた。

「アーサーは不器用な人だから、気にしないでね。君は誰の目から見ても美しいと思うよ」

「……お気遣い、ありがとうございます」

 セシルは手が痛くなるほど拳を握りしめた。昼夜を問わず10年間頑張ってきたのに、一時の衝動にすべてが台無しになってしまった。何よりセシルの心をざわつかせたのが、あの日と同じ言葉であることにも嫌気がさす。

 ーーそんなに嫌わなくたっていいじゃん。

 なぜか鼻の奥がツンときて、セシルは足早に寮へと帰った。


☆☆☆☆☆☆

 翌日。生徒全員の入寮が終わって、ようやく新学期が始まる。
 大広間では入学式のために集まってきた数百人もの生徒と先生が整列していた。

「セシル、大丈夫?」

「安心してアンナ。こう見えて新入生の代表だから、スピーチくらい完璧にこなしてくるわ」

「そうじゃなくて、ここに彼もいるから……」

「彼がいていけない理由はないわ。むしろ、いてもらわないと」

「あなた、まさか、まだ続ける気?」

「そう易々と諦めるなら、商人の娘ではないわ」

 セシルは深呼吸一つして、カーテンの後ろから壇上へと登っていく。
 こつんこつんと質のいいハイヒールの音がよく通る。

「皆様、ごきげんよう。セシル・グリーンウッドです。ご存知の通り、グリーンウッドグループの娘。この度は皆様と共に学園生活を送れますこと、大変光栄でーー」

 テンプレート通りの言葉だが、専門家の下で学んだセシルの緩急あるスピーチは人々の注意を吸い寄せる。いよいよスピーチも最後になったところで、セシルはマイクをつかみ取った。キーン、と大広間内でハウリングした。

「新入生代表として、今年の目標を宣言します。ーーアーサー・ウェルズ・キャンベル!」

「!」

 全員の注目が優等生席のアーサーに集まる。

「あなたが打ち出した去年の最高点記録をすべて、塗り替えてみせます!」

 セシルが考え抜いた新たな計画。それは単純なものであった。
 どうしても彼がセシルを嫌うのであれば、彼より優秀だと証明すればいい。そうすれば、少なくとも惨めなのは自分より優秀なセシルを蔑ろにした彼のほうだ。そんな気持ちを込めて、セシルは声を張り上げる。

「いずれ学校の挑戦状を完璧な成績でクリアして、アフターパーティでエスコートをあなたに指名するわ、アーサー・ウェルズ・キャンベル!」

 自分が嫌う相手をエスコートする屈辱をアーサーにかかせる。
 この時のセシルはその気持ちでいっぱいであった。
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