蛇の香は藤

羽純朱夏

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二幕

陀話

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夢を見ていた――

その場にいる者は涙に濡れ叫んでいる。
暗い洞窟の中、一人の女の身体を抱きしめながら――
外は雨が降っている。
これは、自分なのだろうかと、琥珀は意識を集中させた。
遥か昔……
何かを忘れている気がする。
大切な何かを――

『貴方はどうして泣いているの?』

わからない――
ただ、大事な者だったのだと思う。
だが、今までの贄の中に、鈴以外に大切にしていた者がいたというのか――?

『琥珀よ……これ以上悲しみに沈むな。お前が壊れてしまう』

懐かしい主の声――

『主!この者を助けてください!――は、――は俺の大事な妻だ』

―大事な妻?

『死した者を蘇らせることはできまい……助けられずすまなかった』

『嘘だ……主ならそれができるはずだ……貴女なら。どうか、どうかこの者を!!』

『琥珀よ、もうその亡骸を埋めてやれ。可哀想すぎる……』

『嫌だ!!俺はこの者と共に過ごすと約束した!助けられぬのなら……そうだ。俺も消えればいい』

『琥珀、何を馬鹿なことを!神としてお前は守らねばならぬものがあろう!』

『神がなんだ……幸せな時を奪われ続け、俺はもう生きる意味などない。初めから心などなければ……』

そうだ――
いつだって俺は贄を失い、奪われ悲しみの連鎖を繰り返してきた。

弁才天である主の力によって、精気の卵から――柘榴と共に生み出された。
白き心と清らかな身を纏いし、白蛇として――
初めのうちは意志などなかった。
ただ与えられてた土地を守り、時に人々を祟った。
いずれ、力を増幅するためには贄が必要ということになり、その土地の者達から一人若い娘を娶るようになった。
だが、それは人にとっては恐怖でしかなかった。
まだ、人の身が保てなかった頃――
最初の者はただ怯え、俺の身体を刺そうとした。
抗う姿に怒りを覚え、無理やりその身を傷つけた。

命を落としてしまったことを反省し、人間の心を知るために心入れ替えようと努力した。
村の人々の様子を観察したり、主から語られる情報から学んだり。

だが、それからも怯えて泣いている女を眺めては、送られる愛などなかった。
こちらがいくら受け止めてくれるように想いを捧げても……
幼い童を拾い育てた時は、ずっと共にいられると思った。
ようやく安心できると思っていたのに、最終的には別の人間の元へ行った。

次第に心は沈み、闇に蝕まれていった。
神霊とて、人からの負の言葉や思いを向けられれば、力を失い衰えてしまう。
その力はやがてその土地の者達を苦しめだす。
水は濁り、作物は腐り果て病を流行らせた……

もう贄を必要としない――
そう思っていた時の事……

『贄などもう必要としない……この身を持っているとしても、拒まれるくらいなら』

『……ここなら大丈夫かな』

洞窟の先で声がした。
それは人間の女の声だった。
人間が勝手にこの場所に来るなど……

『神様どうか、ここで休ませてください……』

『……』

その女がどんな者なのか気になり、蛇の姿で近づいた。
女の元に近づき姿を眺めると、衣服は泥まみれで、髪も乱れている。
身体には無数の赤い痣があった。
いったい何をされたというのか?

『……私、もうここで死ぬのかな……』

『……』

その様子をじっと見つめながら、時が過ぎていった。
女が眠りについているのを確認すると、傍に近づき顔を眺めた。
泥だらけの顔に、そっと舌を出し突いた。

いっそ殺してしまおうか――?

牙を出し、襲おうとした時、彼女の目がゆっくりと見開かれた。

『!!!』

『……珍しい、白蛇がいるなんて……』

『……』

その顔は恐れることなく、俺の身体にそっと触れた。
初めて相手から触れられることに戸惑いを感じた。

『……ここは神の祠だったかな。貴方はこの場所の神様ですか?』

『だとしたら……どうする?』

そう告げると、彼女は一瞬目を見開いたが、その後ゆっくりと目を閉じ、身を包むように丸くなった。

『こんな身ですみません。明日には出ていきますのでどうか休ませてください』

『寒いのか……?』

『少し……でも気にしないでください』

『……待ってろ。温めてやる』

そうして、顕現をすると彼女の身を抱きかかえ、温かい場所へと運んだ。
その身を藁の寝床に寝かせると、薪に火を灯し温める。

『……?温かい』

彼女の視線が、俺を捉えていることに気づいたが、怯えるのではと思い顔を背けていた。
すると、不意に腕を掴まれた。

『な、なんだ……』

『ありがとうございます……温かい』

『お前、俺が恐ろしくはないのか……?』

『恐ろしくなんて……野盗の方が恐ろしいです』

『野盗?お前襲われたのか……?』

彼女は頷くと、再び目を閉じた。
その手は微かに震えている。
震える手をそっと握り、頭を撫でてあげた。

『優しいんですね。神はもっと怖いと思っていました……』

『俺が……優しい?』

『はい……』

『……お前、変わった女だな。ならば、こうしても怖くないと言えるか?』

彼女の身を包むように力強く抱き寄せ、引き寄せる。
獲物を捕えるように、藤の香りが満ちていく。
神霊だけが持つ、香りに囚われたら逆らえない力――

『こうして、お前をすぐに喰らうこともできる。怖いだろう……?』

『……っ』

『人であっても理性を無くせば、ただの獣同然だ……それが、神であってもな』

この女もどうせ今までの贄同様に、怯え逃げていくのだ――
望んだとしても、俺のものにはならない――
牙を出し、彼女の白い首筋に歯を立てる。
彼女の身が恐怖を覚えるように、一層震えだした。
野盗たちに襲われたことを思い出したのか、それとも、今、化け物に襲われていることが恐ろしいのか。

『私を食べるなら、一思いに殺してください……』

『……何?』

『どうせ、私には帰る場所がない。だから、神様……』

『あーもういい……勝手に殺せと言うな。与えられた命は大事にしろ』

『え……?』

生きることを諦めている者を簡単に殺すのも忍びないと思い、彼女の首元から離れ抱きしめた。

『温かくしてやるから、今日は寝ろ……』

『あ、ありがとうございます……』

女はどこか安心したように、琥珀の腕の中で目を閉じ眠りについた。

『俺の名は琥珀……お前の名は?』

『……糸』

その名がぽつりと呟かれた。

そうだ、糸だ――

その女の名前を今までどうして忘れてしまっていたのだろうか。
そして、どうして彼女が死んでしまったのか。
考えながらも、再び浮かび上がる情景に意識を研ぎ澄ました。

『琥珀様、おはようございます……』

ゆっくりと身を捩りながら、彼女は目を開ける。

『起きたか。川で水を汲んできた。身体を洗え、そして着物も着替えろ。そんな身なりでは困るだろう?』

『あ、すみません。すぐに出ていくので、そんな気を使っていただかなくても……』

『……こんなもの大したことではない。俺は今から村に向かう。着替えたら、どこへなりと行くがいい』

『……』

その後、糸から離れ、琥珀は村へと向かった。
自分が発した負の神気で、土地は干からびている。
人々は飢えに苦しみ、食べ物を求めながら盗みを働いている者もいた。
自分が蒔いた種に深く絶望する。

ここにいる者が悪いわけではない。
自分がそれを引き起こしてしまった罪――
贄さえ傍にいてくれたなら……

主が口にしていた、贄は神の神気を高める為に存在する。
崇める人々とは違い、特殊な存在なのだと。
傷ついた身を癒すこともできる。

(あの時の俺は相当沈んでいたからな……)

琥珀は過去の残像に心を痛めた。
過去の自分が、天に手を翳し、雨を呼ぶ。
一滴空から水滴が零れただけで、村の人々は喜び空を見上げる。

『雨だー!!』

大地へ降り注ぐ雨に人々は歓喜した。
その様子を見つめながら、琥珀は軽く笑みを浮かべ元の場所へと戻っていった。

洞窟の中へ戻ると、まだ糸がその場にいた。

『お前、何でまだここに……?』

『すみません、雨が降っていたので雨宿りしていたところです。そして、着物もありがとうございます』

『……さっさとどこかへ行け。俺は一人になりたい』

『……』

『何だ?贄でない者にいられても邪魔だ……』

『琥珀様は、本当に一人でいたいのですか?』

『何?』

『眠っている時、その……一人にするなと……叫んでいたので』

『……っ』

『聞くつもりはなかったんですが……』

『聞かなかったことにしろ、とっとと去れ!』

拒むように、声をあげると、一瞬彼女の身が跳ねた。

『……すみませんでした。さようなら……』

どこか、辛そうな表情を浮かべた彼女を見やると、いたたまれなくなった。

『お前、本当にどこにも行く場所がないのか?』

琥珀が問いかけると、糸は歩みを止めて振り返った。

『私の両親は病で亡くなりました。それから、ずっと一人で生きてきました……だからもう帰るところなんてないのです』

『……そうか……酷いことを言って悪かった』

女を傍に置くのは少し躊躇ったが、もしも受け入れてくれるのならと、小さな望みが心に浮かんだ。

『では、暫くここで過ごすといい……俺といて怖くないのならな』

『いいのですか?』

『……あぁ』

『ありがとうございます。手伝えることなら何でもします』

『……元の姿に戻って休む。力を使って疲れた……』

元の白蛇の姿に変わり、岩場に這って行くと彼女も後をついてきて隣に腰かけた。

『……腹が空いたら起こせ。何か用意する』

『わかりました……』

そして暫しその場で微睡むように眠った。
糸はそっと彼の胴体に手を伸ばし身を撫でる。
その感触に、琥珀は心地よさを感じた。
この者はどこか不思議だと思った。

(初めて会った時から、糸は何も怖がらなかったな)

それから、自分が彼女を好きになることに、さほど時間はかからなかった……
贄として傍にいて欲しいと彼女を求めると、彼女はただ頷き受け入れてくれた。

(糸といて幸せな時間が、確かにあったんだな……)

情景が再び消えていく……

その声は確かに愛しい者の声――

(さようなら……琥珀さん)

彼女の瞳からは涙が零れている。
目に映る彼女は白い衣を纏い握った手が離れていく。

(琥珀、お前からまた大事な贄が消えたな……)

(行くな鈴――!!)

嘲笑うような声が響いてきて、現実へと引き戻される。

「鈴!!!」

目を開けると、隣でまだ寝息を立てている彼女がいた。
この腕の中にまだいてくれる。
鈴がいなくなったら、俺はあの時のように絶望し、何もかも破壊してしまうのだろうか……
そんなことは絶対にさせない。

過去にいた糸のことも考えながら、鈴を抱きしめまた眠りについた。

窓の外で、何かがひっとりと様子を眺めていたのだった。

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