蛇の香は藤

羽純朱夏

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二幕

伍話

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大物主の戯れからというもの、鈴と今年の夏は色々なことを体験した。
彼女を取り巻く様々な人に会い、自分が神であることを忘れそうなほど人でありたいと強く思うようになった。
社殿の庭の向日葵が綺麗に咲き、水やりをしながら一息つく。

「暑い……」

流石にこの暑さでは、耐えられなくなる時がある。
だが、人の前で蛇の姿に変わることはあってはならないこと。

「しっかり水分取らないとな」

身体を悪くしたら、彼女に心配をかけさせてしまう。
それだけはさせまいと、塩飴を口に入れ、仕事にあたっていた。

『琥珀……』

「?」

頭の中で女の声が聞こえた。
神霊かと思ったが、その声音はどこか違う気がした。
どこか懐かしいような――

『どうか……琥珀』

「暑さで幻聴が聞こえるのか……?」

ふと目の前を青い揚羽蝶が通り抜ける。

「蝶……?」

その蝶はそのまま先の池の方へと飛んでいく。
気になった俺は、蝶を追うことにし池へと進んでいく。

『琥珀……』

「……」

別の鳥居を抜けた先に澱んだ池が広がっていた。
その蝶は池の中心に立つ小さな祠に止まり消えた。

「何だ?」

すると池の光景が揺らぎだし、目に映る情景が変わる。

それは、かつての自分が治めていた土地の―――
洞窟の祠の様子が。

『琥珀よ、お前は本当に人と添い遂げたいのだな?』

『はい、俺は彼女を幸せにしたい……』

(これは何だ?いつの時代だ?―)

記憶を遡ってみるが、よく思い出せない。
傍にいる女神は確か……
自分が生まれた時から仕えていた最初の主――

『だが、気を付けろ……あの者が女を狙っている』

『心配ありがとうございます。ですが、俺が必ず守ります』

『そうか……お前はやはり不思議な男だ。蛇の神霊でここまで人に想いを注ぐ神がいるとはな』

声はそこで消え、景色が移ろいだす。
その後赤き情景が目に浮かぶ。

『琥珀様…‥私は貴方と共にはいられない』

顔がよく見えない女が立っている。
半分顔を覆っている女はどこか今にも息絶えるようだった。
その女は俺の名を呼んでいる。

『貴方を愛していました……今度は……貴方と』

その女は小太刀を手にし、渾身の力で自らの胸を貫いた。
そこから流れ落ちる大量の血が、俺の身を穢していく。

(この光景は何だ?俺は鈴以外の女と恋仲になっていたというのか……?)

『琥珀、すまない。私はあの女を救うこともできなかった。お前たちの行く末を……』

主が苦悩しているのがわかった。
その近くに別の女の気配が近づいてくる。

『主殿、また琥珀の事か?貴女様まであの方に執着するとは……』

『……お前よくもあの女を。まして雌達が次々と消えていっている。あれはお前の仕業か!』

『はははっ、私を疑うおつもりですか?私は何もしていませぬ……そぅ、何も……』

その女の手には壺がある。
壺からは瘴気を感じられた。
その壺を開けてはいけない―――

その場に手を伸ばそうとした途端――
壺から黒き瘴気の塊が溢れ出し、主を襲った。

『これは!――お前っ!』

邪悪な念が、主の身体に纏わりつき身を蝕んでいく。
抵抗しようと試みるが、一人の力では追い付かないようで、もがき苦しみ出す。
傍にいた女は、主が苦しむ様子をただ楽しむように見つめている。

『主が悪いのだ。そう、私とあの者の仲を引き裂こうとするから……ましてや、人間の女との絆を結ぶ手助けをするとは……神が人間に手を貸すのは禁忌とされているはずでは……?』

『ぐっ、そうだとしても。私は琥珀を助けたかった……あの者の嘆きは見ていて辛い』

息も絶え絶えに語る女神は、瘴気に身を蝕まれていき黒く染まっていく。

『主、もうお前には力が残っておらぬようじゃ。これで雌は私とお前二人だけ……お前からすべてを奪い。私が玉座につくのだ!』

女は大蛇になり、主に喰らいついた。
そして、丸呑みにし取り込んでいく。

「主いぃぃぃ!!!―――――」

意識が目覚めるとそこは先程の池の前だった。
傍には先程の揚羽蝶が掌にとまっていた。

「主、なのですか……」

そう尋ねると、声が響いてきた。

(琥珀、私はずっと願っている……お前の行く末が光であることを)

「主、守れずすみません。俺は何をしていたのか……」

(……すっかり、人らしくなったな……私は嬉しいぞ)

「俺は、人になりたい。そして、鈴を…‥幸せにしたい」

(鈴とは、今世の贄か……そうか……)

そう言うと蝶は掌から離れ、空高く羽ばたいていく。

(気を付けろ……お前の心を救えるのは、きっともう鈴しかいないだろうから……)

そして、その姿は空に溶けるように消えた。

「主……」

消えた主に思いを馳せた後、その場を後にし、再び境内へと戻った。

気を付けろとはどういうことだろうか。
彼女によくないことが襲うということだろうか?
不安を抱えながらも、琥珀は残りの仕事を片付けるのだった。


大物主よどうか―――

ご神木の前で囁く声が、大物主に届いた。
その声を聞くなり、風の中から声が発せられた。

『弁財天か……いったいなんだ?』

その声に耳を傾けると、女神の声が響いてくる。

(どうか、琥珀を守って欲しい……あの者を二度と闇に堕とさないで欲しいのだ)

『それは、何から守るということか……。あの人間の女と添い遂げることをお前は望むのだな』

(あの者は……いえ、とにかくいずれ災厄が訪れるかもわからぬ……だから)

『……仕方ない、お前の願い受け取ろう』

そう口にすると、彼女は安堵したのか優しい声音に変わる。

(感謝します。私はもはや力が削がれた霊魂に過ぎない……守ってやりたいが叶わぬ)

『お前は相当、琥珀を心配していたんだな』

(贄に散々拒まれ、蔑まれたあの者がそれでも諦めず、人に想いを寄せ続けたこと……。叶えてやりたいのだ……ましてや今の贄はしっかり彼を労われているようだ。彼から流れる神気でわかった)

『確かに、たまに怒りを爆発させ、俺に歯向かってきたからな。鈴には相当思いをいれている』

鈴に対する琥珀の真剣な思いを見ていると楽しい。
種族を超えた愛――
藤の花は災いから守るといわれる。
琥珀らしい香りだと大物主は心の中で思った。
かつて自分も傷つくことがあったが、それでも思いを寄せた人間がいたことを懐かしく思えた。

『それにしても、あいつは最初からずっと贄に拒まれていたのか?』

(初めの頃の琥珀は冷徹で、人と神の境界線を引き、人にきつくあたっていた)

『へぇ……』

(贄は神に捧げられ、従うものと捉えていた。生まれた時から、私がそう教えていたからな……)

『……まぁ、そんなものだな』

弁才天と長々と琥珀について話をし、琥珀の事がいろいろ理解できた。
鈴に辿り着くまでの間、どれほどの悲しみが彼を襲っていたのかをと……
その背景に何かがあるということも。

(大物主よありがとう。私はもう逝く……)

『あぁ、お前の意思受け取った』

その言葉を聞いた後、蝶は静かにその場から消えた。


日が傾いた頃、琥珀が仕事を終え、ご神木の前を通り過ぎる。
止めるように、大物主が声を掛けた。

『今日もご苦労だな、琥珀……』

「大神様、何ですか?」

『鈴は元気にしてるか?」

「……元気ですが。また、からかうつもりで?」

鈴の事になると、相変わらず琥珀は敵意を剥きだす。
それを諫めるように、琥珀に語り掛ける。

『いや、違う。お前、相当辛かったんだな……』

「え?」

『それにしても、鈴は何故お前を拒まず受け入れたのか……』

「何を言ってるんですか?」

情欲に染まると醸し出される香りを使い、かどわかしたとしてもそれは一瞬のはずなのに。
大物主は先程の弁才天の話を思い出しながら、深く考え込んだ。
鈴はどこか不思議な何かを秘めているのか?

『まぁ、お前にとっては大切な贄だ。大切にしろ』

「ずっと大事にしてますよ……もう帰ります、失礼します」

そう吐き捨て、琥珀は鳥居の外へと歩いていった。

『あの調子だと、鈴の身が大丈夫か不安だ……色んな意味で』

大物主は鈴の身を案じながらも微笑み、人の気配がなくなった神殿へと戻っていった。


***


仕事から帰ると、今日は先に彼女が帰っていた。

「ただいま」

中に入り、風呂の支度をした後、居間に向かうと彼女はソファの上で横になり眠っていた。

「また、こんなところで寝て……風邪ひくぞ」

起こすのも悪いと思い、そっとタオルケットを掛ける。
暫くその寝顔を見つめ、髪を撫でる。
彼女は大事な存在。
絶対失いたくない、奪われたくない。

顕現を解き、蛇の姿になると彼女の隣に滑り込む。

『……起きないか。相当疲れてるな……』

そっと彼女の首筋に舌を這わせ、顔をすり合わせる。
それが擽ったいのか、彼女の身が少し捩った。

「ん……」

『鈴、起きて。眠いなら布団に入らないと……襲うぞ?』

耳元に身を這わせ、そっと舌を当てると、彼女がハッと目を覚ました。

「!琥珀さ…‥私、眠って」

『起きたか、眠いなら布団で寝てろって前も言ったぞ?』

注意するように声を掛けると、彼女は少し落ち込んだように呟いた。

「ごめんなさい……ちょっと横になったらそのまま」

『まったく……。どうする?ご飯食べるか?それとも風呂に入ってくるか?」

「では、先にお風呂に入ります」

『じゃあ風呂な』

蛇の彼は離れることなく、私の首元に巻き付いている。
このままでは動けないと思い声を掛けるが、どうやら離れる気はないらしい。

「琥珀さん、困りますよ……」

『何で?この姿ならいいだろ?俺も汗流したいし』

「……えぇ」

拒否したとしても、彼と同じ空間になってしまえば私は流されてしまう。
彼の香りに揺らいでしまう。
でも大切に愛されていると感じるから、嫌いじゃない。

風呂に入ると、彼は桶の中に身を埋めシャワーの水にあたり気持ちよさそうに笑う。

『やっぱり風呂は気持ちいいな~』

「……疲れた」

湯船に浸かると、彼も桶から抜け出し、私の身体に絡みついてくる。

『鈴、今日は相当大変だったんだな』

「はい、後輩のミスの対応やらいろいろありまして……」

『よしよし、頑張ったな』

労わるように、私の頬に彼の顔が擦るように寄せられる。
彼に大事に扱われていることに嬉しさを感じ、その顔を撫でた。
顔を撫でていると、いつの間にか形が揺らいでいき、水が溢れ出す。

「……捕まえた」

「……やっぱりこうなる」

案の定、彼の腕に捉えられると、藤の香りが鼻を掠める。
この香りもすでに自分の中で馴染んでいて、周りに香っていないか不安になる。
だが、周りは何も反応を示さないので、この香りは神様しかわからないのだろうか。
贄である自分だけの特権?
彼の胸元に顔を埋めると、彼は慈しむように私に愛を囁くのだった。

甘い余韻の中にいずれ何かが起こる事など、その時はまだ何も知らなかった。
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