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23話

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 朝、目が覚めると目の前には綺麗なお顔があった。そのお顔は中性的でありながら、少しあどけなく見え可愛らしい。
 この可愛らしいお顔がなぜ目の前にあるのか、しばらく眠気で頭が働かなかったが次第に昨日の濃厚な記憶が蘇って来た。ボスの正体が分かってパニックになり、奴隷商に行ってオークションに参加し、蛇公爵との対面を果たし、帰りには何者かに襲われたのだ。
 ボスが呑んだくれて報告どころの状態ではなかったからクラウディスに任せて先に休ませてもらったのだ。ヴィルヘルムがまだ一人では不安だろうからと一緒にベッドに入らせてもらって眠ったのだった。そうすればヴィルヘルムの異変にもすぐに気がつくことができるだろうし、ヴィルヘルムもニヴェンの姿が確認できたら安心するだろうと思ったのだ。
 ヴィルヘルムも疲れ果てていたのだろう。夜中には一度も目を覚まさず、心配していた悪夢に魘されるといったこともなく休むことが出来ているようだ。この拠点に着いたのは夜半過ぎていたから当然眠りにつくのもずいぶん遅かった。それに加えて衰弱していたヴィルヘルムであるから、まだまだ睡眠休息は足りていない状態なのだろう。

 今は朝早い時間であるからまだまだゆっくりと休むことができる。ニヴェンは短時間の睡眠で足りるように体が慣れているからもう起きても支障はないが、ニヴェンが動くとヴィルヘルムまで起こしてしまいそうで動けないでいた。
 いや、それは言い訳だな。久しぶりに感じる人肌の温もりがあまりにも心地良過ぎて離れるのが名残惜しいだけだ。
 ヴィルヘルムとカインは同い年だ。顔や体格はカインと比べるべくもないが、それでも寝た時のあどけない表情はまだ少年らしさを残していて、カインを一緒に思い出してしまう。今カインがどうしていのか思いを馳せてしまう。

 しばらくヴィルヘルムの綺麗なお顔を見るともなしに見ていたら、女の子みたいな長い睫毛がふるふると震え、ゆっくりとまぶたが上がっていく。
 まだ夢から醒めていないぼんやりとした瞳はそれでも陽の光に当たり、きらきらと煌めいていた。
 ヴィルヘルムの手がなにかを探すように動き始めたのでそっと手を取り、手のひらを合わせるように握ってあげる。

「まだ朝早いですから、このまままたお眠りください。僕もこのまま傍にいますから。大丈夫ですよ。一緒にいます。………ほら、おやすみなさい。」

 ゆっくりと声をかけ、頭をニヴェンの胸まで誘導させ、ニヴェンの胸で顔を隠し暗闇を作ってやる。胸に接触しているからニヴェンの温もりもヴィルヘルムに伝わり少しでも安心させてあげることが出来たらいい。
 そう思って誘導すれば抵抗することなく胸に顔を寄せる。そのまま居心地を確かめるように少しだけゴソゴソしていたが、良いポジションを見つけたのか満足気にため息のような息をついている。
 ニヴェンと繋いでいた手は少しだけキュッと力を入れられ、ヴィルヘルムの空いたもう片方の手はいつのまにかニヴェンの服を掴んでいた。

 不安になるとみんなしてしまう動作なのだろうか?
 カインも幼いことによくしていた仕草とそっくりで少しだけ笑ってしまった。今では逆にカインがニヴェンを包み込んでくれるぐらいに大きく立派に成長してくれた。逞しい姿に安堵を覚えるが、同時に少しだけ寂しい気持ちも存在した。

 親離れを惜しむ親の気持ちになったようで複雑な心境になってしまった。しかしそれも傍にいるヴィルヘルムの温もりに癒されてしまって、すぐに落ち着いた。
 今はこの癒しを励みにまだ頑張らなくてはいけないそのための充電期間として、ヴィルヘルムと一緒に二度寝と洒落込みますか。こんな贅沢は早々していられない。今だからこそできる言い訳だから、存分に味わっておこうと思った。



++++++++++



 体感で二時間ほど寝ただろうか、疲れもすっかりととれて良い感じである。ヴィルヘルムはまだ熟睡している様子だ。

 ドアから小さめのノックの音が聞こえた。あのノックの仕方はクラウディスだろうとあたりをつけて待っていると、静かにドアがゆっくりと開いていく。音を立てないように気をつけながら部屋に入って来たのは、やっぱりクラウディスであった。

「おはようございます、ニール。彼はまだ熟睡しているようですね。その様子ですとニールも動けそうにないですね。ボスもまだ寝ていますし、ボスが起きたら私の方から報告しておきます。ニールからボスに伝言や報告があれば一緒にしておきますが、どうですか?」

 クラウディスが小さな声で話をしてくれる。ヴィルヘルムを見つめる瞳は少しだけ柔らかだ。

「おはようございます、クリス。ボスに報告と言えば、このヴィルヘルム様の事と公爵様に目をつけられてしまった事、帰り道の襲撃の事ぐらいです。ボスのことはクリスにお任せします。」

 どこで誰が聞いているか分からないからクラウディスのことは念のため偽名で呼ぶことにした。

「わかりました。ボスのことはまだ昨日の話も終わってないことですし、きっちりと面倒見させて頂きます。
 ヴィルヘルム様のことはニールにお任せしますね。ニールの傍ではこんなに安らかに休むことが出来ているようです。まぁニールが暇で辛いようなら起こして手を離してもらってもいいとは思いますが。」

「ぐっすりと寝ていてほとんど起きないんです。余程参っていたのでしょうね。僕のことはわざわざ起こしてまで動きたいと思わないので大丈夫です。じっとしておくことにも慣れていますし、辛いことはないですよ。むしろこんなにまったりと過ごしていて他の人に申し訳ないぐらいです。」

「ニールは周りに気を遣いすぎです。少しは力を抜いてゆっくりしていても、誰も何も言いません。それに今はヴィルヘルム様の護衛兼世話係です。立派な仕事のうちの一つです。心の傷を負っている少年に無体なことをする人間はここにはいないはずなので、何か言ってくる人間がいれば私に教えてくださいね。」

 冷徹な微笑みでニヴェンを庇護するような言葉をくれる。ここにいる理由をくれて、今はヴィルヘルムを優先しろと仕事を与えてくれる。今はクラウディスの言葉に甘えさせてもらってゆっくりとしながらヴィルヘルムが起きるのを待つことにしよう。

「あとで何か暇つぶしに持ってきてあげましょう。希望があれば選ぶ手間が省けていいのですが、何かありますか?」

 さりげなくこちらに気を遣い、遠慮させないように配慮までできる。やることがスマートで紳士の鏡だ。

「ありがとうございます。では僕の部屋にある刺繍道具が一式になっているものがありますので、それを持ってきてもらえたら嬉しいです。机の上にある裁縫箱みたいなものですので入ったらすぐにわかると思います。」

「刺繍ですね。部屋に入らせてもらいますが許してください。下手につつかないことは約束します。ほかに何か入用があれば呼んでください。ドアの前には護衛に二人ついてもらっています。そちらに何か言ってもらえればすぐに連絡が来るようにしておきます。では私はそろそろボスを叩き起こしてきますので失礼します。」

 必要な用事をすませると颯爽と立ち去る。出て行くときも静かに音を立てないように気をつけてくれる。
 そしてそんなに時間を感じさせない程度にお願いしていたものを持ってきてくれた。

 物音を極力立てないように気を付けながらチクチクと刺繍を刺していく。新しい図案を考えたり、実際に刺してみたりと、隣から静かな寝息以外しない静謐な空間はニヴェンの集中力を高めてくれて、思いのほか作業が捗った。




++++++++++




 時折ヴィルヘルムの様子を確認すること以外は刺繍ばかりしていたため背中が凝り固まってしまった。ゆっくりと背伸びをすると結構大きな音が背中から聞こえてきて、苦笑してしまう。

 ちょっとした休憩にとぼーっとしていたら外ががやがやとうるさいことに気がついた。

 何がおきたのか気になったため、ニヴェンがいつもよく使う小さな魔法を使う。
 これはそよ風や隙間風のように微風に音を運んでもらい、物音や会話なのをこっそりと聞くことができるのである。
 とても敏感な人ではないと風が吹いたことに気がつかないし、魔法の痕跡もほとんど見つからない。誰にもばれずに周りのことを調べるには重宝する。

 ニヴェンの十八番と言ってもいい得意な魔法を使って盗み聞きした話によると、どうやらこれから蛇公爵がここに来るらしい。その先触れが先程届いた様子だ。
 蛇公爵が来る理由はなんだろう。奴隷商でのニヴェンの慇懃無礼な態度に怒り、乗り込んでくるのか。はたまたニヴェンの事を諦めきれずに身請けの交渉をするために来たのか。
 どちらにしろここに、いや主にクラウディスにだな。迷惑をかけてしまうことになる。何かした方がいいのではないかと思うのだが、結局この状態だと為す術がないのだと気がついただけだった。




++++++++++




 屋敷全体が騒がしくなっていたが、ピタッと騒々しさが収まり、張り詰めたような空気を感じることができる。先触れが届いて早々に蛇公爵が到着したのだろう。
 蛇公爵はすぐに一階の高位貴族を対応するための応接室に通されたようである。しばらく静かに話し合いがされていたようだが、だんだん雰囲気があやしくなってきた。
 クラウディスも静かに怒っている空気を感じる。



 空気がザワザワしていてヴィルヘルムも起きてしまった。しかし、これはこれでちょうど良かった。もうお昼だが消化にやさしい軽食を用意して貰ってるからお茶でも入れて眠気でも覚まそうか。
 
「ヴィルヘルム様、おはようございます。これから軽い食事かお菓子か、お茶を用意しますから食べれそうなものでも軽くつまんでください。
 僕、ちょっとお茶には自信あって、オリジナルブレンドを飲んでもらいたいなと思って。」

 テキパキと準備しながら、世間話でもするようにヴィルヘルムに話しかける。反応がまだ少し乏しいから、日常思い出して欲しい。

「さて準備が整いました。さぁこちらへどうぞ。」

 テーブルに量は少なめだが、種類は多めに用意した軽食を並べる。ヴィルヘルムの食欲がどれほどか、好みもよく把握出来ていないが物語のヴィルヘルムはさっぱりとした紅茶に合うような軽食を好んでいたから、そのようなものを中心に用意してもらった。

 準備した紅茶もヴィルヘルムの好みかは分からないが、なるべくさっぱりとした系統のものを合わせたつもりだ。気に入るまではいかなくても、まだ飲めるな、ぐらいのレベルにはいってほしい。
 緊張するがそれを悟られないようにすると口数が多くなってどうでもいいことばかり話してしまう。

 まだ足元の覚束無いヴィルヘルムの介添えをしてテーブルに誘導する。
 ゆっくりとイスに座ってもらい、イスから転げ落ちないか様子を見ながら大丈夫そうだと判断する。

 しばらくぼうっとテーブルの上を見つめていたヴィルヘルムはゆっくりとティーカップに手を伸ばす。
 熱さを確かめ、落とさないように両手でティーカップを持ち上げて、少し香りを嗅いでいる。
 香りは大丈夫だったようで、慎重にというような表現が合うようなスピードでティーカップに口をくける。

 自然とニヴェンまで固唾を飲んでヴィルヘルムの様子を伺っている。

 ヴィルヘルムがティーカップの中のお茶を少し啜り、コクンと嚥下する。
 しばらくお茶の余韻を味わうように放心している。

 あまりにも動かないため、だんだん不安になってきた。

「あのぅ、ヴィルヘルム様?大丈夫ですか?気分でも悪くなってしまいましたか?」

 顔色はあまり変わりなく、むしろ温かい飲み物で少し血色が戻ってきたぐらいだ。それでも不安でヴィルヘルムの顔を覗き込むようにヴィルヘルムの視界に割って入ると、宙を漂っていた視線がニヴェンと繋がり、焦点が定まる。
 すると急にヴィルヘルムの綺麗な瞳が潤みだし、あっという間に滂沱の涙となった。
 いきなりの号泣にさすがのニヴェンもどうしていいか変わらない。

「わわっ!ヴィルヘルム様?どうしちゃったんですか?!何処か痛いとか?!どうしよう??
 と、とりあえず、よしよし??大丈夫だよ~いい子だからね~」

 パニックになってつい小さい子にするようなことをしてしまい、その事に対しても焦ってしまい空回ってる感じがする。
 ヴィルヘルムも一向に泣き止まないし、両手を力いっぱい握りしめて白くなり、その手で顔を擦るものだからすぐに真っ赤に腫れてきた。
 そんな姿を見てようやくニヴェンも冷静になれた気がする。

 ようやく劣悪で未来のない場所から日常へと戻ってきたのだ。温かい飲み物がきっかけだったのか、今になって奴隷調教時代から逃れることができたのだと実感出来たのだろう。
 死を覚悟していたのかもしれない。先のない闇しかないと分かっていながら、ただ辱めを受けるだけの生を甘んじる人ではない。
 それが一日で環境も未来も変わったのだ。追いついていなかった心がようやく戻ってきて安心して涙を流すことができたのかもしれない。

 そこまでようやく考えが追いつき、ニヴェンにしてあげれることはただ安心感を与えてあげる事だけだ。
 無理に泣き止ますことはせず、今は涙がかれるまで出させてあげた方がいい時なのだろう。
 ふんわりと抱きしめ、頭や背中を落ち着かせるように優しく撫でていく。

「・・・・・・・・・辛かったですね。ここまでよく耐えて頑張りました。もう大丈夫。大丈夫ですからね。よく頑張ったね。」

 ゆっくり静かに声をかけながら背中を擦る。想いがヴィルヘルムに伝わるように、温もりがヴィルヘルムを暖めるようにと願いながら。
 ヴィルヘルムはさっきよりも激しく泣き声をあげる。今まで耐えて飲み込んでいた分を吐き出すように。
 顔を擦っていた手はニヴェンの背中に回され、しがみつく様にニヴェンの服を握りしめていた。



 しばらくしてヴィルヘルムの涙もようやく落ち着き、冷めたお茶を入れ直す。
 ヴィルヘルムはまだ鼻をスンスン言わせながらも、入れ直したティーカップを抱え込むようにずっと持ち続け、チビチビと飲んでくれている。
 そんなヴィルヘルムの隣でずっと静かにそばに寄り添い、甲斐甲斐しく世話をやくニヴェン。表情は緩みそうになる顔を引き締めようとして変顔をしてしまっている。
 泣き疲れてしゅんとなり、小さく縮こまってしまったヴィルヘルムが可愛くてしょうがない。
 
 そうして可愛いヴィルヘルムを鑑賞していると、お茶で温まり、泣いて体力を消耗したヴィルヘルムがウトウトと舟を漕ぎ始める。
 そっとティーカップを取り上げてヴィルヘルムをベッドに誘導する。
 閉じかけている瞼を必死で開けてヴィルヘルムが声を発する。

「ごめんなさいニール。ありがとう。行ってきて?
 でも寂しいから起きる時にはそばにいてね?」

 泣いて声が掠れていても、ヴィルヘルムの声は綺麗だった。
 さっきまで号泣していたくせに、こちらの状況を把握できるのはさすが、筆頭公爵家の息子、未来の宮廷魔術師様だ。

 限界が来てしまったのか、言いたいことを言えたのか、すぅっと眠りに着いてしまった。昨日帰った時よりもなおのこと、緩んだ表情をして眠っている。
 
 ヴィルヘルムの気遣いを無駄にしないように、目を覚ますまでにちゃんと帰ってこよう!そのためには打倒、蛇公爵だ。




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